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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

オーソドックスな城定監督のエロVシネマ、扉を閉めた女教師

2022-01-11 | 備忘録
◆城定秀夫監督『欲しがり奈々ちゃん〜ひとくち、ちょうだい〜』、『扉を閉めた女教師』予告編


城定秀夫監督『欲しがり奈々ちゃん〜ひとくち、ちょうだい〜』『扉を閉めた女教師』予告編


同僚の男性教師と不倫をしている女性教師がその女性教師に憧れを抱くいじめられっ子の男子生徒と共に校内の倉庫に閉じ込められて始まる密室劇。

◆城定監督のエロVシネマはエロい
エロVシネマで女性教師と男子生徒が閉じ込められたら、起こる事は1つなのだが、そこからどう物語を転がすのかが城定監督の腕の見せ所。物語の語り方は勿論、城定監督なので濡れ場のエロさは凡百のAVでは太刀打ち出来ないエロさになっている。

◆エロいシーンはエロいだけでは無い
序盤の男性教師と女性教師との不倫シーンでは間接的な台詞、行動によってコンドームを付けないセックスをしている事、男性教師が女性教師を上から目線で扱っている事などが表現される。

夏場、校内の寂れた倉庫に閉じ込められた女性教師と男子生徒は騒いで助けを求めたり、水分が無いことで窮地に陥るなど、尿意を催す、食糧が無い問題などなどをエロVシネマの形に落とし込んで表現するがどれもシチュエーションあるあるだけでは無く、閉じ込められた2人の関係性を拡張していく描写にもなっている。

◆変化するパワーバランス
一方の男子生徒は校内でいじめられている事が直接的な暴力描写で表現される。そんな女性教師と男性教師が密室に閉じ込められると、いじめられっ子であるはずの男子生徒が女性教師に対して加虐的な態度、行動に出る。剰え加虐的な態度を取るが、更にエスカレートし、水を与える事と引き換えに女性教師の胸を見せる事を要求する。

その関係性が男子生徒が自作の器具を用いて、倉庫の窓近くのオレンジの木からオレンジの実を採り、女性教師に与えた事で一変する。男子生徒から与えられたオレンジを女性教師が頬張った刹那、女性教師は食べかけのオレンジを男子生徒の口に突っ込んでキスをしセックスに雪崩れ込む。

不倫相手の男性教師とのセックスでは、主導権は男性教師にあったが、男子生徒とのセックスでは閉じ込められてから終始主導権を持っていた男子生徒では無く、女性教師に主導権がある。オレンジはりんごの亜種の様なある種のメタファーと感じさせる。

男性教師に迫られる形で不倫関係に陥った女性教師はコンドームもしない男とセックスをし、生理も来ていない。その状況に対して「Somewhere not here(ここでは無いどこかへ)」と映画の授業で扱った一節を意味ありげに呟いていた。そんな女性教師もオレンジを頬張った事で女性教師は主体的な行動をしていく。

◆城定秀夫監督の入門作であり、教科書的な作品
『扉を閉めた女教師』は城定秀夫監督作品の入門作と評されるほどに、城定秀夫監督作品的である。抑圧された女性が何かをきっかけにして、自分を解放させていく。本作では閉鎖空間とオレンジによって、女性教師の主体性が解放される。エロVシネマなので、その主体性はセックスとして現される。

それが70分で展開される。過不足なく急いでいる様子もなく、70分で本作は終わる。後味はいつものように爽やかだ。ただ、今回はちょっと気になる所がいくつかあった。

◆整理され過ぎた脚本と高い記号性、少しのフラッシュバック
女性教師の現状への不満を表現する台詞、「Somewhere not here(ここでは無いどこか)」。冒頭の授業風景でも強調されるフレーズだがあまりにも象徴的な台詞であるため、かなり鼻に付く。

また、後半に女性教師をセックスに駆り立てるオレンジは作劇でよく観られるアダムとイブのりんごの亜種の様に見えてしまう。まさに町山智浩脚本による劇場版『進撃の巨人』のりんごの様に使い古された象徴性を帯びていると感じた。まぁ、教科書的であるから仕方ないのかもしれない。

それにしても本作の濡れ場の美しさよ。ほとんどのアダルトビデオは本作の濡れ場には敵わない。



惜し過ぎる大傑作、It Takes Two

2021-12-10 | 備忘録



本日開催された「The Game Awards 2021」にてGame of The Yearを受賞した『It Takes Two』は私個人も大傑作だと思いました。大傑作だと思ったのですが、もう少しこうしたら良いのでは?と思うところがあったのがちょっと残念でした。

◆coop(協力プレイ)専用アクションゲーム
『It Takes Two』は協力プレイ専用のアクションゲーム。かなり珍しいです。しかもCPUとの協力は出来ず、オンラインかオフラインの人間のみと協力プレイが可能。ちょっとハードルは高いのですが、ゲーム自体のメカニズムが優れている為、このハードルを超えると極上のゲームプレイが待っています。

◆『スーパーマリオ64』や『アンチャーテッド』をオマージュ?した優れたゲームメカニズム
離婚を控えた夫婦が子供の願いにより人形に変えられたと言う昨今のディズニー、ピクサーアニメの様な設定が注目されがちですが、このゲームの白眉はなんと言ってもゲームのプレイフィールです。

『スーパーマリオ64』を更にブラッシュアップした様な操作性で、コントローラーでキャラクターを動かすだけで楽しくノーストレス。また、ステージ上のアクションやギミックを使った謎解きは『アンチャーテッド』シリーズのそれをこれまた更に洗練させた様なものになっています。進めない!と思ったら、絶妙な難易度で進める様になっています。

それをシングルプレイでは無くて、人間同士の協力プレイで進めていきます。協力プレイならではのギミックが沢山あり、協力しないと進めません。だからこそ一緒にプレイする人との関係性が浮き彫りになります。途中、離婚を目前にしたゲーム内の2人の様に実際にプレイした人と険悪な雰囲気になりました。

更に言うと、アクションや謎解きの難易度曲線の上がり方が絶妙です。あー、パターン、分かった!楽勝と思うと、絶妙に難易度が上がり、考えてゲームをプレイすることが必要になってきます。また、ただ通り過ぎる所も含めてとてつも無く作り込まれたステージはそれだけで面白く飽きる隙が無いのです。





中盤までは。

◆練り切れていないのでは?と感じる後半のステージ
前半から中盤にかけてのステージはギミックが変わり、プレイスタイルが変わり、難易度もちょうど良く上昇していきます。また、展開も次から次へと進んでいくのでダレ無い。これは本当に素晴らしいです。

ただ中盤以降、空をメインにしたステージに差し掛かって私の中でつまづきを覚えました。これまでのステージと比べて、空のステージでは操作方法が変わりますが、空を飛ぶ操作がそれまでの操作方法と比べるとかなりプレイしづらく、またギミックもあまり面白いと感じにくかったです。

楽器をメインにしたステージはこれまでと同じ操作方法では有るのですが、それまでのステージのギミックと比べると、変わり映えせず、中盤までと比べると私のプレイ意欲がかなり落ちてしまいました。もちろん良くは出来ては居るのですが、いかんせん中盤まで良過ぎるのです。

◆人間に戻って大団円だけど、それでいいのか?
なんだかんだあった末に、ゲーム内の夫婦は人形から人間に戻ります。ところがせっかく家に帰ってきたら、家に2人の娘はいませんでした。2人の離婚は自分が原因と思い込んでしまって、家出していたのです。

家出した娘を夫婦は探しに行くのですが、なんとそのシーンは全てムービーです。夫婦が協力することをゲームプレイに落とし込んできた(と少なくとも私は思っています)のに、ラストの娘を探しに行くシーンにプレイヤーが介在出来ないのは仕様としてかなり残念だと感じました。画竜点睛を欠くとはこの事だと。

最後の最後の夫婦2人が協力して成し遂げるべき"娘を探す"と言う最重要なシーンがゲームプレイじゃ無くて、ムービーなのが本当に勿体ないです。こここそボスなど無くても良いので操作できるゲームプレイパートにして欲しかったです。これまでお互いが協力してゲームを進めてきた事の集大成をコントローラーでプレイして完結出来てこそ、本作は完成したのでは無いかと残念でなりません。


色々と書いてきましたが、プレイする相手がいる人は、特にゲームや映画が好きな人こそプレイして欲しいゲームです。ゲームや映画のオマージュに溢れて、何よりプレイして楽しい。ゲームをプレイしてきた大人たちへのご褒美のようなゲームです。


後のシーズンよりもハードボイルド風味な京都迷宮案内シーズン1

2021-11-23 | 備忘録

昔から好きでテレビ朝日での再放送をちょくちょく観てはいたものの、しっかりシーズンを通して観てはいなかった『京都迷宮案内』をCS放送のテレ朝チャンネルにてちゃんと見始めた。

そして『京都迷宮案内』のシーズン1が先週の日曜からまた放送開始され、ようやく初めて『京都迷宮案内』シーズン1の第1話、シリーズのオリジンを観ることができた。

まず驚いたのが主人公の杉浦恭介記者が東京の毎朝新聞のキャップだったと言う設定。東京の大手新聞社で管理職への異動話が出たが、現場で働きたいと言う思いから退職し、地方紙の京都日報の一記者として再就職していた。

シーズン2以降から『京都迷宮案内』に入った人間としては面食らった。昼行灯で仕事に繋がる取材をしない杉浦恭介では無く、仕事への意欲を隠さず、現場での取材活動にこだわって大手新聞社から地方紙に転職した意識の高い杉浦恭介だった。

また、京都日報の京都府警記者クラブキャップである橘つた子はシーズン2以降の怠惰な杉浦に手を焼くキャップでは無く、東京の大手新聞社で管理職のお声がかかったにも関わらずそれを蹴って地方紙に移った杉浦へのライバル意識や嫉妬を隠さないキャラクターになっている。これにも驚いた。

異なるのは杉浦記者や橘キャップのキャラクターだけでは無く、全体的な作風も異なっていた。シーズン2以降のコメディがベースの作風では無く、よりハードボイルドな雰囲気を残していた。杉浦も飄々としてはいるものの、あまりふざけた感じでは無く、真面目だ。若干説教臭くもある。

「違う!」と言う決め台詞も『探偵物語』の工藤俊作のようなライターの火の強さも無かった。『京都迷宮案内』らしさはシーズン2以降で整理され、シーズン3で大型固まった様に思う。

まだシーズン1第1話なので、今後の放送が楽しみだ。DVD-BOXも配信も無いので地道にCS放送を録画していこう。

森田芳光監督の『(ハル)』は今こそ参照すべき傑作コミュニケーション映画だった。

2021-10-31 | 備忘録
ライムスター宇多丸さんがここ数年取り組んできた森田芳光監督の全作品上映会、その上映会を元にしたキネマ旬報での連載をまとめた『森田芳光全映画』をきっかけとして、いくつかの森田芳光監督作品をU-NEXTで観たのですが、本作『(ハル)』がずば抜けていた。

インターネット以前のパソコン通信の時代に撮られた、パソコン通信のメールを介しての男女の関わりを描く映画だが、メインの登場人物である「ほし」(深津絵里)と「はる」(内野聖陽)それぞれが住む盛岡と東京での散文的なエピソードとエピソードをパソコン通信のメールの画面、文字画面を繋いで描く構成が大変新鮮。

エピソードごとは説明的な台詞は少なく、映像で見せて行くが、ブリッジとなるメールの画面ではその前のエピソードの意味やその時に「ほし」、「ハル」それぞれが何を考えていたのかなどある種の謎解きの様な構成になっている。それが文字のみの演出も相まって緩急になっていて、作品を飲み込みやすくするだけではなく、映画のリズムとしても非常に見やすい。

メールから更にチャットアプリやSNS、ネットが一般化した今こそこの構成は真似るべき、参考にすべきモノなのでは無いのかと一視聴者としては思いました。

この映画、構成が素晴らしいだけではなく、描写やエピソードも強烈な力を持っている。「ほし」につきまとう「ほし」の亡くなった恋人の友人は今で言うストーカーだし、「ほし」と「ハル」の間に入り込んでくる女性「ローズ」のネット弁慶な性的な煽りやその正体は今見ても強烈。

エピソードとしては、「ハル」が東北出張時に新幹線で向かう時に「ハル」と「ほし」それぞれが手を振り合うと言うとてもアナログな、そしてこの上なくロマンチックなすれ違い描写は、今見ても、いや今見ると更に鮮烈な印象を与えています。

地上波でゴールデンタイムに放送して欲しい映画No.1。Twitterの人たちは悶えて死ぬのでは?そんな映画でした。深津絵里、内野聖陽、2人とも素晴らし過ぎますよ。



タイムループの傑作にして基準点である『恋はデジャヴ』を前に進めた『パームスプリングス』

2021-10-31 | 備忘録
本作の主人公、ナイルズは彼女の友達のタラの結婚式に訪れたが、その結婚式の晩にとあることからタイムループに巻き込まれてしまった。結果ナイルズは何度もタラの結婚式である11月9日を繰り返しやり直していた。『恋はデジャヴ』のフィルの様に。

あるループの1日に、新婦タラの姉であるサラと親密になるものの、謎の人物の襲撃を受ける。襲撃者の攻撃から逃げたナイルズを追ってきたサラは不思議な洞窟に吸い込まれ、サラもタイムループに巻き込まれてしまう。


大枠としては、『恋はデジャヴ』をなぞった展開で進行するが、『恋はデジャヴ』でタイムループの要因をフワッとさせた事でファンタジーになっていたけれど、そこをある程度突き詰める事で、SFモノとなった。『恋はデジャヴ』ファンとしては、かなり興奮する物語だ。

『恋はデジャヴ』は、主人公フィルのみがタイムループに陥るが、本作は主人公のナイルズだけではなく、新婦の姉サラもそこに巻き込まれる事で話の幅が広がった。更に第3のタイムループに巻き込まれた人物、ロイも登場して、更なる物語に広がりを見せていてこれは面白かった。

謎の襲撃者ことロイの存在は、タイムループ=終わらない日常をどう生きるかと言う『恋はデジャヴ』がモチーフとした命題に対して、『恋はデジャヴ』のフィルが避けていた事に対して明確に回答したキャラクターだと感じた。

本作の主人公ナイルズもヒロインも結論努力してタイムループの要因を解き明かし、タイムループから脱出して前に進む事を選ぶが、ロイはタイムループに陥いり同じ1日を繰り返す事で地獄だと感じていた家族の捉え方を変え、同じ1日を満喫する選択をした。

タイムループ=終わらない日常とした場合、『恋はデジャヴ』のフィルや本作のサラやナイルズの結果・選択よりも終わらない日常、つまりは人生に対して示唆的であると感じた。本来はサラやナイルズにその選択をして欲しかったと思うが、物語的には映画の結末が正解なのだろう。(そしてもう1人、タイムループに陥っている人物がいる事が示唆される。)

なお、ナイルズとサラが砂漠で目にした恐竜は、愛すると言う2人が不可能だと思っていることが可能になると言う事へのメタファーとの事。そしてあの恐竜は幻では無く本物と言う設定との事。こう言う所もキュートな映画だ。

※村山章さんのインタビュー、流石!