「九条自由広場」

「昭和区九条の会」(名古屋)のブログです。会と市民の皆さんとの交流の広場です。ぜひ「コメント」をください。

小沢幹事長は何を考えているのか      天木プログより(ネット虫)

2009-12-10 21:12:59 | Weblog
鳩山首相がこれほど窮地に立っているのになぜ小沢幹事長は動かないのか。

 そういう質問を受けることがある。

 まったくわからない。それが正直な答えだ。

 今日の報道を見るとあす10日から143人もの国会議員を引き連れて中国と韓国を
訪問すると報じられている。

 鳩山献金疑惑問題はともかくとして、鳩山政権を揺るがすかくも大きな政策問題を前にして、なぜ小沢幹事長は動こうとしないのか。

 その中で特に私が最大の関心を持つのが小沢幹事長の日米同盟観である。

 小沢幹事長には発売中の月刊誌エル・ネオス12月号の次の言葉をぜひ読んでもらいたい。

 元駐日米国大使館広報文化交流部の翻訳・メディア分析課長ウイリアム・L・ブルックスなる人物が、元木昌彦編集長の質問に次のように答えている。


以下引用

 (彼は今なにを考えていると思いますか)

 小沢一郎さんですか?謎の人物ですね(笑)。私にも本当にわからない面が多い。

 (アメリカとの関係は、もともと良かったんでしょう?)

 前はすごく良かったですね。アメリカ大使館との関係が非常に強かったのです。いろいろな
日米問題を静かに解決したのは、当時、自民党幹事長だった小沢さんでしたから。
 でもその後の彼の発言と行動は一貫していないので、彼が今、アメリカに対して何を考えている
のかは、はっきりわかりません。
 ですから、接触したいのですが、残念ながら彼は幻のようで、つかまりにくい(笑)。

 (今はアメリカ大使館筋とあまりパイプはないのですか)

 もうないですね。以前の彼とのパイプ役の人たちはもうリタイヤして、
政府にいないのですよ。

 (小沢さんは「日本改造計画」の中でも、アメリカとの対等な関係を強調してましたね)

 「対等な関係」は新しい言葉ではないですよ。 それはどんな政治家もそうしたいと考えることです。
でも、実際、日米同盟は対等ではない。日本をアメリカが守る代わりに、日本は基地を提供する・・・
 日本は憲法があるから、アメリカに依存しているのです。もし本当に対等な同盟になりたければ、
憲法を改正しなければできません。
                                                                   引用終わり


 小沢幹事長がこの言葉を聞いたら、私の持論に理解を示すに違いない。

 「対等な日米同盟」をマニフェストに謳っている限り米国と対等にはなれない。

 米国との対等な関係を実現するためには、米国との軍事同盟関係から決別する
ことだ。

 目指すべきは自主、自立した平和外交の確立である。

 軍事協力抜きの日米友好協力関係の構築である。

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岡田外相と「市民との対話集会」全面公開 4   ネット虫

2009-12-10 10:30:30 | Weblog
司会:はい、有り難うございました。

大城敬人:私は名護の市議会議員で8期31年、もう議会で粗大ゴミになってます(笑)。あなた方が無血クーデターで政権交代されたんで、非常に期待しておる。期待してまいりましたが、先ほどからありますように、今日、普天間に対する岡田外務大臣の無礼を感じまして、これは大変だと思いましてですね、今日はどうしてもきっちりさせておかなければならない。二、三ですね、ぜひご検証をいただきたいと思うんです。
 一つは、私がいつも考えていることはですね、どうして日本人1億3000万人の安保を沖縄県民130万人が担わなければいけないのか、というのを常に私は疑問なんですよね。というのは、64年前に戦争に負けて、27年間われわれは本土から離れて、われわれは異民族の支配で、軍事優先で、辛苦をなめてきました。この思いは、岡田大臣は重々承知していると思いますが、岡田大臣は三重県の出身です。基地がないですね。私は伊勢の志摩のですね生牡蠣、とても美味しくてですね、向こうに行って食べたことがあるんですよ。ああいう美しい自然にですね、普天間の移設をしたらどうか、というようなことを考えられたことがあるのかなと。ときどき思ったりするんですよ。
 そう申しますのはですね、この間キャンベルとお会いしたでしょう、私は2005年の2月3日に当時CSIS(戦略国際問題研究所)の副所長時代にキャンベルさんに会ってですね、1500メートル(滑走路)の移設問題に私は名護市から反対の議員としてまいりましたということでお会いしました。その時に彼が言ったのは三つだったんですよ。環境問題と住民運動とコストが高い。だから大城議員、8月には断念です。それに大変期待して帰ってきたんです。
 ところが今、岡田大臣が言われましたように、この検証していただきたいのは、なぜ1500メートルが今の案になったか、というところですよね。ここはですね、非常に曖昧です。いわゆる1500メートル断念と言いませんでした。2005年の10月29日にですね、米軍再編ロードマップの中間報告ということでね。
 橋本さんが来てモンデールとできたと、あれはぬか喜びですよね。ところがですね、お訊きしたいのは、その中間報告があった10月29日の2日後の10月31日にですね、辺野古区の最高決議機関である行政委員会がですね、4つの項目で全会一致で反対決議をしてるんですよ、地元が。これをですね、ずっと無視された。名護市民はご承知のように1997年の市民投票を無視された。こういった点で民主主義の手法からすればですね、当然のこととして地元が最高決議機関で反対している。名護市も反対している。であるならば、当然これはですね、ルールとしてはそれを尊重すべきだと思うんですが、今日までこれはまったく無視されてきています。
 そのことについてですね、岡田大臣は承知されたのどうかということと、それからですね、私は岡田大臣がどういう信仰を持っているか知りませんが、実はこれはですね、今度のアセスで出たですね、後出しジャンケンのですね、アセスなんですよ。なかったことを全部出してきましたね。ここに何があるかというと、辺野古川の入口のここですね、私の信仰のメッカなんです。沖縄は祖先崇拝なんです。1990年の…(一部不明)…にですね、私は12月に栗原セイジロウさん、あの当時の副官房長官、彼に総理官邸でこれをお見せしてるんですね。これは私の祖先のお墓なんです。ここはシーミーと言ってですね、沖縄の行事で祖先崇拝します。そこにこういう安眠妨害する基地を造るということは、命をかけて反対しますよ。沖縄県民はニライカナイという信仰的なものもあるし、こういう沖縄の幸せを奪うのであれば、県民全部たたかいすよということを13年前に申し上げたんですよ。
 ところが、私どもはこういうことでね、大事にする祖先のお墓の上をですね、こういう人殺しのヘリコプターが飛ぶというこは許されない。こういうことをあえてやるのかという問題があります。
 それからですね、今日はパネルもいっぱい持ってきたんですけど、実は今日ですね、入場制限がされておりまして、(会場内には)辺野古の人は一人ですが、外の方に86歳のひめゆりの生き残りの宮城清子先生や、糸満で戦禍にあって火傷している島袋文子さんとか、入口でずっと待っておられるんですよ。大臣に会いたい見たいし、話しもしたいと。入れなかったんです。それで私は代わってこうしてですね、申し上げてるんですが、そういう意味からしまして、この前県知事が鳩山大臣に出したように、いま辺野古のは四面楚歌ですよ。実弾射撃演習場、エセックスが来て(ヘリが)飛び交う。一昨日の夜、午後11時まで無灯火で国立高専のすぐ後ろ側で離着陸をやってるんです。
 それだけではありません。廃弾処理でですね、ここに来られている人は、はい分かります、廃弾処理で民家にひびが入って、いまだにそれが回復されない。とにかく、辺野古の周辺は朝4時からの早朝からの実弾射撃演習やですね、ヘリコプターは騒音が深夜まで。そういう環境の中でさらにですね、今回こういう基地ができたらどうなるか。生活環境が全部破壊されますよ。現在(辺野古の住民が)1500人に対して6400人の米兵が来る。キャンプ・シュワブの人口がそうなる。大変なことになりますね。殺人事件も起こってますよ。
 これはですね岡田大臣、やっぱしですね、時間がないとかこういう問題じゃないんですよ。アメリカでは市民投票で反対決議をしたらストップしたじゃないですか。そういう例から見ればですね、日本国の大臣としてですね、やっぱし国民の問題を大事にしていただきたい。アメリカとの問題で独立国としての主張をしっかりしていただきたい。そうじゃないとですね、…(一部不明)…と思うんですよね。先程来からのお話を伺うとですね、なにか…(一部不明)…があるとかですね、そういう問題じゃないですよ、われわれは。64年間、苦しみに苦しんでるんですよ。県民は基地の重圧で苦しんでるんですよ。
 そういうことをですね、岡田大臣どこまでほんとに…(一部不明)…てるのかですね、非常に私、疑問なんです。ぜひお答えいただきたい。われわれの思いは通じてるのかなと。年寄りを排除してですね、入れないということは、こういう思いがあるんですよ。入って来れないで寒い中で待ってるんですよ。

(つづく)

岡田外相と「市民との対話集会」全面公開 3 ネット虫

2009-12-10 10:27:36 | Weblog
会:はい、有り難うございました。では、ご三方に対してよろしくお願いします。

岡田外相:はい、有り難うございました。この問題を考える際に、白紙でわれわれが最初から議論に参加をして考えられるのなら色んなことが、私も言いたいことはたくさんあります。あの辺野古の海は非常に美しいですね。そこに巨大な構造物を造るということに、私も抵抗感があります。それから、海兵隊というものが沖縄に本当に必要なのかどうかと、あるいは米軍再編とはいったいどういう位置づけの問題なのかと、いうようなことを、きちんと議論をして積み上げていって、そして日米の結論に達するというのが本来だと思います。
 ただ、極めて不幸なことですが、2005年の時点であれば、そういうことも可能だったと思いますが、日米で一定の合意に達したあとにわれわれは政権与党の座についたということであります。いやオバマ大統領だってポーランドのMDについてですね、キャンセルしたじゃないかと、そういう言い方はありますけれでも、われわれもそういう主張はもちろんしたわけですけれども、しかし、日米合意というのは交渉を積み重ねて積み重ねて合意に至ったものですから、政権が変わったからといって簡単にキャンセルできるものじゃない。
 最初に私がヒラリー・クリントン長官とニューヨークで話をした時に、われわれは実質的に50年ぶりの政権交代であると。従って、色んなことが変わることは当然あるし、あるいは時間ももらいたいし、そういうことはきちんと分かってもらいたい、というふうに言いました。クリントン長官も、政権が変わるというのは大きなことなので、そのことは理解している。
 そういう中で実は、日米合意についての検証作業、なんで今の案になったのか、つまり普天間を辺野古に持ってくるという案になったのかという検証作業は、やりましょう、という合意になって、以来対応してきたところです。最初は日米それぞれでやってきたわけですけれども、この前のオバマ大統領が訪日される少し前に私とクリントン長官、ルース大使との間の合意で日米共通してワーキンググループを作って…(一部不明)…で検証作業をしていく。で、その検証作業をいまやっているという状況です。
 ですから彼らがこの間ゆずらなかったのは、白紙にするんじゃないよと。いまの案を前提にして、なぜいまの案になったのかという検証ならいいけれども、それを白紙にしてゼロから議論するというのはアメリカは呑めないよと。そういう中で、妥協案がいまの検証作業なんですね。そのことについてはあえて触れず、とにかくなぜなったのかということを検証すると、そういう位置づけの中で様々なことを議論してまいりました。
 まー2ヶ月間やって、日米同盟を非常に重要視する立場の人たちからは、日米同盟が極めて危険な状況に今なってると、日本政府はいったい何してるんだと、こういうご批判もいただいております。私は多少こう揺れがあることが、政権が変わった以上やむを得ないことだと思って、かなりやってはいましたけれども、時間もずいぶん経っている。そういう中でですね、来年度の予算案、アメリカの予算案を決めなきゃいけない。政府の案というのはかなり削られた状態になっていましたけれども、それをどうするのかという、そのぎりぎりのタイミングにいま来てると、いう中で日本はどうするんですかと、いうことを突きつけられていると、いうことであります。
 社民党が政権離脱を言いましたので、年内がかなり厳しくなってきました、結論を出すということについてはですね。それに対しても昨日(4日)、日米間で議論した時に、私は年内にできるだけ結論を出したいと思うが、客観的状況は非常に厳しい。北沢大臣も年内は事実上難しくなってきたというふうに言いました。ただし、アメリカ側からは、それで日米合意したことが守られないということなれば、これは重大なことになると、こういう話であります。
 少なくとも言えることは、8000人のグアムへの移転と、その結果としての基地の返還という話は決まりまして、それだけではなくて日米、例えば普天間協議とオバマ大統領との間の非常に高い信頼関係、議会の対応についてですけど、それも、非常に、その信頼感というのは損なわれますよと、いうことも含めてですね、かなりな反応が返ってきているわけで、そういう中で日米同盟というものを、きちんと持続していかなきゃいけない。北朝鮮の問題もあります。いろんな…(一部不明)…の問題もあるでしょう。そういう中で、日米同盟をきちんと持続していく、あるいは強化していくという立場からすると、私はその立場ですが、非常に厳しい状況にいまなってると、いうことであります。
 少なくともこういうことで結論がずっと出ないということになると、あるいはこれから新しい所を探すということになると時間がかかりますから、その間普天間のいまの状況が続くかもしれない。元々はこの普天間の危険な状況をなんとか除去したいということからスタートしたことから考えると、結局、本所がこれからまた続いていくと。そういうことで果たしていいんだろうかと、こういう問題もあるわけであります。いまこういう状況の中で色んな手を尽くして、どうするか、総理ともよく、意見調整をいま、させていただいているところですが、非常に苦しい、厳しい状況だということであります。

(つづく)