「九条自由広場」

「昭和区九条の会」(名古屋)のブログです。会と市民の皆さんとの交流の広場です。ぜひ「コメント」をください。

のっぽの飛行兵            脇本星浪

2008-08-04 10:46:14 | 平和随筆
★むかし俳句雑誌を読んでいて星浪氏の次のような一文に出会いました。八月が来るとこの話しを思い出し皆に伝えたくなります。          (まもる)

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 国民学校の児童だった頃奉仕作業というのがあって、飛行場に良く出かけた。
 その縁で、あにきみたいな特攻飛行兵と知り合いになった。          そののっぽの飛行兵は四国出身であると言った。私たち児童を案内して、自分の愛機のもとへ連れて行った。そしてその戦闘機を指しながら、「これがなあ、母さんと乗る戦闘機」とつぶやいたのだ、俳句などまったく知らなかったのだが、なんとなくリズムがいいなとほれこんだ言葉であった。
 一人しか搭乗席など無かったのだが、母さんの写真でも貼っていたのだろうか。
 私は五・七・五のリズムをもつ、無名兵士の独り言を、一句として記念に残したいと思う。

   これがなあ母さんと乗る戦闘機     のっぽ飛行兵


道の歴史 (乗鞍スカイライン)         まもる

2008-07-25 08:31:37 | 平和随筆
乗鞍頂上のお花畑を見に行って帰ってきた妻が開口一番「三千メートルもの乗鞍にバスで行けるのも、日本軍のお陰なんだって。」と言う。
 「ほんとかい?」と聞きなおすと、ボランティアの地元ガイドさんがそんな事を言っていたのたそうだ。
 不思議に思ってネットに「乗鞍スカイラインの歴史」と入れて検索してみた。すると下記のようなことが書かれてあるではないか。

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      <乗鞍岳への道路建設の歴史>

・旧日本陸軍が山岳航空実験(高空飛行に耐えれるエンジンの開発)を行う施設を建設す るため、 条件に合う場所を日本全国から探した結果、乗鞍を候補地として選んだ。
・昭和14年、本格的調査を開始し、現在の畳平に実験施設を建設することになった。
・山岳航空実験施設への道路を松本側から付けるか、岐阜県側から付けるか検討を行い、最終的に は岐阜県側から付けることになった。
 ・軍の計画は、平湯峠から畳平まで約10kmを幅3mの自動車道路をつけようとういものだった。
 ・この計画について協力を求められた高山市では、当時の濃飛自動車(当社の前進)の上嶋社長等加えて協議した結果、せめてバスが通れるよう幅を60cm広めるよう軍へ要望した。
 ・軍ではこの要望を承諾し、総工費42万円のうち8万円を地元で負担することになった。
 ・この8万円を濃飛自動車の上嶋社長が一人で引き受けることになった。  (当時、濃飛自動車の月給が従業員40人で350円)
 ・昭和16年に軍用道路の建設に着工、難工事の末、昭和17年に第1期工事が完工した。

 ・その後終戦(昭和20年8月)を迎え、地元では軍用道路の県道への編入運動を起した。 ・間もなく軍用道路は県道へ編入され、昭和23年「乗鞍公園道」となった。
 ・いまや乗鞍スカイラインは、終点畳平が標高2702mで富士スバルラインの2350m、立山有料道路の2450mをしのぎ、日本一標高の高い所を走るバス専用有料道路となった。
 ・今年(平成20年)で、初めて乗鞍へバス運行を行ってから、60年になる。

                      (濃飛バスのHPより)

★これを読んで当たり前のことだが、あらゆるものに歴史があり、道などという人間臭いものには色濃く歴史が刻まれいてのだと感慨深かった。



ヌートリア・・・戦争の落とし子       草女

2008-07-11 01:05:44 | 平和随筆
6月下旬森林公園にある大道平池の水辺はハルシャギクの苗で埋め尽くされていた。北アメリカの原産の一年草で別名をジャノメギク。花が咲きそろえばそれなりに美しいだろう。開花期は夏の盛りから秋にかけてである。
 ところがこの草を観察していたら、池の中を一直線にこちらに向かって泳いでくるものがいる。ヌートリアである。私たちが居るのも平気で岸に上がりムシャムシャ草を食べ始めた。
 森林公園に繁殖している外来哺乳類で原産地は南アメリカ。「ヌートリア」はスペイン語で「カワウソの毛皮」の意味だと言う。しかし、カワウソの仲間ではなくて本当はネズミの仲間である。
 なぜ南アメリカの巨大ネズミがこの公園に住み着いているのか。
 昭和14年に日本軍により軍服の毛皮用と食用のために導入されたもので、戦時中は西日本を中心に全国に四万匹が飼育されていたという。しかし、終戦と同時に需要がなくなり、野外に遺棄されたのである。
 愛知を始め東海地方にも広く分布していて水辺に住み、堤防や畔に巣穴を掘るので防水上も危険な上、葉や野菜や稲などにも被害を与えるため駆除の対象となり1963年に狩猟獣に指定されている。
 一方ハルシャギクも園芸種として導入されたが野外化し繁殖している。
 人間の都合で運び込まれ、ある期間利用された挙句、日本固有種を絶滅させるということで、特定有害外来生物として目の敵にされる。郷に入ってようやくここまで生存してきた苦労と能力ををどう評価すべきだろう。
 日本固有種が絶滅に瀕しているのは果たして外来種だけのせいであろうか?
ここはひとつ、よーく考えよう。
 

「中村氏の実践こそが9条だ」    マガジン九条の週間つぶやき日記より

2008-06-09 02:15:53 | 平和随筆
「中村氏の実践こそが9条だ」

 アフガニスタンで、用水路建設に苦闘している医師の中村哲さんの講演会が、5月31日に東京で行われました。
 先日、「マガジン9条」でのインタビューにおつき合いいただいたご縁で、私たちも講演会にお邪魔しましたが、その前に中村さんとランチをご一緒させていただきました。
 小さな体と小さな声。この方のどこに、あんな凄まじいほどの実行力とバイタリティーが潜んでいるのだろうと、お会いするたびに不思議に思うのです。

 「とにかく目の前で苦しんでいる人たちを救いたい。それだけですよ。特別な使命感なんかないんです」と、あくまで控えめに話す言葉が、ジワリと心に沁みてきます。まるで、干ばつで乾ききったアフガニスタンの大地を潤す、中村さんたちが造った用水路の水のように。
 そして、私たちの国が持つ「日本国憲法第9条」の、ほんとうの意味での実践が、中村さんたちの手で行われていることに、感動するのです。ここに、9条が輝いています。
<一切の武器と無縁であり、ひたすらに人間の命に固執する。まず、生命を救うための行動。それだけを目的とする。政治にも宗教にも、一切関わらない。それが、真の意味での国際貢献ではないか。そして、その活動の支えとなっているものこそ、日本国憲法第9条である>
 中村さんの確信は、少しも揺らがないのです。

 講演会が終わったとき、聴衆の中年女性がとなりの人に洩らした言葉が印象的でした。
「どうしてあんなにいい人がいるんでしょう」
 私は、中村さんに「ノーベル平和賞」をあげるべきじゃないかと、真剣に思いました。むろん、スタッフ一同大賛成でした。あんな「平和の巨人」は、そうはいません。

「マガジン9条」ゴールデンウィーク合併号に掲載された「中村哲さんインタビュー」を、ぜひもう一度お読みください。http://www.magazine9.jp/index.html


♪まっ赤に燃えた~地球だから TUPのエッセイから

2008-05-25 23:10:58 | 平和随筆


2008年5月7日

不謹慎かもしれないが、わたしは近ごろ、地球温暖化のニュースを読むたび
に、どういうわけか美空ひばりのヒットソング「真っ赤な太陽」を思い出す。
摂氏2度上がるだけで、生きのびるのが難しくなる絶滅危惧種の昆虫の身に
なってみれば、いまの地球は「真っ赤に燃えている」という表現がぴったりく
ると思うからだ。

わたしは、アメリカで最もエコロジー的に進んだ環境都市として、さまざまな
メディアで取り上げられているコロラド州のボルダー市に、かれこれ20数年
住んでいる。いま日本で流行語にまでなっているロハス(健康で持続可能なラ
イフスタイル)という言葉は、ボルダーが発祥の地らしく、人口9万人のわが
町は「ロハスの聖地」として、日本の雑誌に特集されたほどだ。

ボルダーでは、独特の「オープンスペース」という運動が広がり、町の周りの
広大な空き地を市が買い上げることで、文字通り公園に囲まれた生活環境が
整った。この運動の歴史は1898年まで遡る。50年代から60年代を通じ
て町の人口が倍増したときも、むしろ運動は強化され、数々の改革が行われ
た。1967年には、土地の購入と管理に必要な経費にあてるために、ボル
ダー市民が自らに税金を科す条例を採択している。こうしてオープンスペース
は、無軌道な市街地の拡大を防ぎ、市民が自然とともに暮らせる「上質な人
生」のお手本ともなった。

日本ではマラソンの有森裕子さんや高橋尚子さんによる高地トレーニングの町
として、ニュースなどで取り上げられている。屋外スポーツでは、アメリカで
「最も理想的な町」としての評価を毎年受けている。セレスシャル・シーズニ
ングのハーブティーや、オーガニック乳製品など、ボルダー生まれの自然食品
会社も多い。また、エコサイクルをはじめとしたリサイクル運動でも、全米で
のリーダー的役割を担っている。

ボルダーには、おしゃれな自転車屋があちこちにある。人口比率にすると、全
米一自転車屋が多い町になる。週末ともなれば、老いも若きも自転車を連ね
て、ツーリングを楽しんでいる姿を必ず見かける。また車に乗らないで、自転
車で会社に通う人びとも多い。タイム誌で「ボルダーはアメリカで一番の自転
車の町」という見出しで記事になったほどだ。

ジョギングで会社や学校に通う人びともいる。今月末に「ボルダー・ボル
ダー」という名前の市民マラソンが開催される。わたしは、今年も走るため
に、いまトレーニング中だ。この10キロレースには、毎年5万人以上が参加
する。人口9万人たらずの町なのにである。またボルダーは、路線バスを中心
とした公共交通網も整備され、しかも安く利用できる。

どうやら、「おらが町自慢」が続いてしまったようだ。でもわたしは、こんな
にも地球にやさしいボルダーという町が誇りだ。ところが先日、地元の新聞を
見て、少なからずショックを受けた。「ボルダーはたぶん、京都議定書のゴー
ルを達成できない」との見出しを目にしたからだ。

京都議定書では、1990年の時点より、7%の二酸化炭素削減が義務づけら
れている。しかしボルダーは1990年より一昨年の時点で、すでに温暖化ガ
ス排出量が約20%も増えてしまった。だから、これから2012年までに合
計27%減らすのは、ほとんど不可能だと新聞記事は伝える。

記事の中で、コロラド大学の環境専門家、ケビン・ドーランはこう指摘している。

「肝心な点は、たとえすべての先進国が、京都議定書で規定された目標を達成
したとしても、地球温暖化の歯止めとなる効果は極めて少ない、ということ
だ。また、ボルダーだけが削減目標を満たさないわけではない。全米で約
800の市町村が京都議定書に調印したが、そのほとんどの都市がゴールを達
成する見込みがないのが現状だ」

環境模範シティーとして名を馳せたボルダーでさえ京都議定書にそえないな
ら、どれだけの町、どれだけの国が、地球温暖化にブレーキをかけられるとい
うのだろうか? このエッセイでは、ボルダー市の背中にそびえるロッキー山
脈を通じて繋がり合っている隣国カナダを例にとって考えてみたい。

1997年に、国連が中心となって提案した京都議定書を、最も熱心に推進し
た国のひとつがカナダだった。当時、各国の環境活動家はカナダが「温暖化を
ストップさせるチャンピオンだ」と賞賛した。ところが昨年、カナダ政府は早
々と、「わが国は京都議定書に調印はしたが、その削減目標はとうてい達成で
きない」と居直りとも思える宣言を発した。

カナダには、タール油と呼ばれる、石油が混じった砂や泥が大量にある。以前
は、石油を抽出するのにコストがかかりすぎて、ビジネスとしてなりたたな
かった。しかし、ここ数年の原油価格高騰で十分に採算が取れるようになり、
タール油がブームになった。

だがタール油は、別名ダーティー・オイル(汚い石油)とも呼ばれる。石油の
抽出過程で、とてつもない量の二酸化炭素を排出するのである。カナダは京都
議定書目標の6%削減するどころか、すでに1990年レベルより約35%も
CO2排出量が増えている。

カナダは他国からの批判を避けるためか、2020年に向けた新たな目標を発
表し、温暖化ガスの20%削減目標を定めた。しかしこれは2006年の、す
でに増加したレベルが基準値とされている。よって当然、各方面から非難を浴
びた。ノーベル平和賞を受賞したゴア元大統領は、次のように指摘する。

「わたしの意見では、カナダのこの新しい提案は、まったくのごまかし行為
だ。こんな杜撰な計画で、2020年の削減目標を達成できるわけがない。こ
の計画では、工場がCO2削減の新技術さえ導入すれば、生産を増加させ、さら
に大気汚染を悪化させてもかまわないと解釈できる。これは完全なペテンで、
カナダ国民をだますように作成されたものだ」

数ヶ月前、ゴア元副大統領がデンバーに来たとき、わたしは「不都合な真実」
の講演会に行った。オーストリアのウィーンの講演会では、40分間の講演料
が約2千9百万円で話題になったが、デンバーではステージ前の良席が、ひと
り500ドル(約5万円)だった。しかし講演収入の大半を環境事業に使うの
なら、それはそれで良しとしよう。

ゴアは、映画「不都合な真実」と同じ手法で講演を進めていった。最新のデー
タを元にしているので、映画を撮影した当時に比べて、ここ数年でどれだけ温
暖化が急ピッチに悪化したかが手に取るように分かった。目の前が暗くなるよ
うな事態の深刻さに、あらためて驚かされたのは言うまでもない。

さて、上記のタール油田では、廃油やその他の有害化学物質がたまって、溜め
池になっている。数日前(5月1日)、約500羽の渡り鳥(あひる)がその
溜め池に降りたったところ、湖面の毒にやられ、そのほとんどが死に絶えた。
無惨にも苦しみながら、池の底に沈んでいったという。タール油の精製には多
量の廃棄液が出るので、このような毒性の溜め池がカナダのあちこちにできて
いる。大きな溜め池は、周囲20キロメートルもあり、一周するのに数時間か
かるという。

ボルダーのわが家のキッチンの窓から、湖がいくつか見える。湖には毎冬、数
千羽の雁がカナダから渡ってきて冬を越す。ひと月ほど前に、多くの雁の群れ
が、青空に「くの字」を描いて、カナダに向けて飛び立った。どうかタール油
の溜め池で羽を休めるようなことをしないように、また次の冬も無事にボル
ダーに帰ってきますように、と願うばかりだ。

カナダは美しい国だ。旅行した人なら誰でもそう口にする。特に秋の紅葉の息
をのむほどのすばらしさは、言葉につくせないほどだ。あの国がなぜカエデを
国旗にあしらったのか、われながら納得したものだ。自然を愛するメープルシ
ロップの国カナダでも、温暖化と環境破壊は、わたしたちの予想を遥かに超え
て、危険水域に及んでいる。
 
特にカナダに広がる寒帯林は、1860億トンにものぼる二酸化炭素を貯蔵し
ていると推計されている。これは世界全体で1年間に排出する二酸化炭素の
27倍にあたる。この寒帯林では近年、過剰な伐採が行われている。その悪影
響により、植生や地中に含まれる温暖化ガスが一挙に放出される恐れがあると
いう。

また、寒帯林の過剰伐採は、害虫の異常発生を引き起こしやすくし、山火事の
誘因ともなる。もし広範囲で山火事が起れば、大量の温暖化ガスが放出される
ので、それは「時限爆弾」を抱えているのに等しいという。

さらにまた、近年の気温の上昇が、永久凍土を融かしやすくしている。それま
で長年、凍土に閉じ込められていたメタンガスが、徐々に大気中に放出され始
めた。このメタンガスは、温暖化作用が二酸化炭素の21倍もあるので、大量
に放出されると気温は一挙に上がる。そうして温度が上がれば、さらに永久凍
土を融かしてしまうという「負のサイクル」を生んでしまう。

寒帯林の調査をした環境保護団体グリーンピースのクリスティー・ガーグソン
は、「古くて未開発の森林は、伐採した後に植える若い木々に比べると、3倍
の二酸化炭素を含んでいる。いまのような勢いで伐採が続くと、泥炭や寒帯林
に火がついて、膨大な量の温室効果ガスが急激に発生しかねない」と訴えている。

実際、カナダの1年間の森林伐採量は、9百万ヘクタールにおよぶ。二酸化炭
素に換算すると、3千6百万トンのCO2に匹敵するという。それは、カナダ全
体の乗用車が排出する二酸化炭素の合計よりも多い。

森林生産組合のエイブリム・レイザーは、世界的な木材パルプ需要の流れは止
めようもないと、こう語った。

「もしわれわれが寒帯林の伐採を止めたら、金儲け目当てで、無秩序な違法伐
採がまかり通ることになるだろう。そうなれば森林は荒れ果て、かえって温暖
化をさらに悪化させることになる。カナダの木材生産量がゼロになっても、輸
入国は他の国から同量の木材を買い付けるだけだ。寒帯林の伐採をいっさい止
めたからといって、人びとが木材や紙を使うのを止めるとでもいうのかね?」

カナダは、北極海の氷が異常な早さで融けている問題をはじめ、他にもさまざ
まな難題を抱えている。また別の機会に、それらについて書けたらと思う。

半年前、わたしは東南アジア最高峰のキナバル山(標高4101メートル)に
登った。その山は、マレーシアのボルネオ島に位置するので、ふもとはかなり
暑い。登りはじめの数時間は、うっそうと茂る熱帯雨林の中を歩いた。そこに
「ウツボカズラ」という食虫植物をいくつか見つけた。

つるの先端にへちまのような形をした補虫袋を持ち、その袋の中は自家製の毒
液で満たされている。ちょうどその一つに虫が捕まっていた。毒液の中で半分
融けかけた姿が、神秘的であり、また不気味でもあった。

その補虫袋の中で死にゆく虫は、タール油の溜め池で溺れ死ぬ鳥たちのイメー
ジに重なった。似たようなことが、そう遠くない未来のわたしたち人類にも、
起こりえるような気がする。シベリヤやカナダの永久凍土に、何千年も眠って
いたメタンガスが、温暖化により目を覚まし、ぶくぶくと不気味なゲップを吐
いている。負のサイクルが、ある臨界点を超えたとき、われわれ人間は為す術
を持たないのではなかろうか?

インターネットで気になるニュースが掲載されるたび、読者が書き込んだ意見
も読むようにしている。環境問題のニュースでは、「もう何をしても遅すぎ
る」や「後戻りできない地点を、とっくに超してしまった」というような書き
込みが少なからず見受けられる。現実の情報を知れば知るほど、悲観的になる
のかもしれない。

ここはひとつ懐メロのCDでもかけながら、「♪まっ赤に燃えた~」と口ずさむ
ことにするか。




愛馬の碑             ねこのQちゃん

2008-05-21 01:28:00 | 平和随筆
先日、三ヶ根山へ連れて行って貰いました。
A級戦犯の碑があるということで、避けてきた場所です。

しかしそこには、フィリピンで亡くなった兵士を慰霊する広大な墓苑が隣り合い、平和を希求する誓いが充ちていました。

そのなかに、愛馬の碑が2基。捜せばもっとあったでしょう。

平和であれば馬は農耕に運搬にと、大切な働き手。家族同様に愛されていた日々を、徴発令一枚で引き裂かれ、まるで物の如くに、戦場に送られたといいます。

冷酷な上層部とは別に、兵と馬との間には、濃密な愛情が生まれ、逸話もたくさん残されています。

水上勉氏の「醍醐の櫻」、伊藤正起氏の「木曽馬とともに」、伊藤桂一氏の「軍馬のこと」などに克明です。

 ・ 馬あわれわれに添いきて頸を寄す飢えきびしきか汝もさみしきか 伊藤桂一

舳倉島紀行・・・海岸植物と高山植物        草女

2008-05-16 21:27:16 | 平和随筆
能登の先海上50㌔舳倉島の海辺を歩いていて、見たことのない面白い草を見つけた。
 小さなビン洗いのようなブラシが何本も垂れ下がって風に揺れている。高さ40cm位で差し渡し60cm位もある大きな株である。
 イネ科やカヤツリグサ科の草には調べるのに苦労させられる事が多いが、今回はその特徴のある花穂のおかげで、すぐに調べる事ができた。
 「ヒゲスゲ」という植物。カヤツリグサ科スゲ属の常緑の多年草。ブラシを鬚にこ見立ててヒゲスゲ、また海辺に生えるからイソスゲともいう。
 島には砂浜が少なく、磯や崖が続く。防潮堤は港付近に少しあるだけで自然のままの海岸である。ヒゲスゲ
、石だらけの風衝地に生えユーモラスな姿をしていた。その辺りにはハマエンドウ、ハマハタザオ、ハマニンニク、ハマダイコン等も花を咲かせている。またハマヒガオ、ハマボッス、ハマウド等これから花の季節を迎える草も沢山あった。
 海辺の自然が失われつつある今、この状態は嬉しい。
 貴重な植物は、高山植物だではない。水辺には人が治水や防災のために手を入れたため行き場をなくし、海の汚染のために消滅した植物は多い。海岸を含めて、水辺の植物はもっと保護されなければいけない。



孫の入園             九条 ひかる

2008-04-01 11:00:01 | 平和随筆
 今日、孫が保育園に入園しました。車から父親に抱かれて降りてきた
孫は、眠そう! いままで遅くまで寝ていた習慣だから、午前7時に
起こされるのは、たまらないだろうなと、つい同情をしてしまう。
 いよいよ世の中、デビユー?・・・。これから波風に直接当たり、右
往左往することもあるだろう、と思うとなんとなくつらい。

 平和の危機、過当な受験戦争、就職難など、孫が歩く日本はいまのま
までは、たいへんな事になるでしょう。
 でも、労働組合や共産党(週刊誌の評価は高い)の奮闘もあって、非
正規雇用者が正規に雇用される道が開かれつつあります。
 平和の問題では、全国の九条の会の活躍で、改憲を願う人々(改憲派)
をかなり押し込んでいると思います。改憲派が次善の策として提出を考
えている『海外派兵恒久法』(アメリカに従い戦争できる法律)も、後
期高齢医療や道路特定財源問題などへに国民の怒りが沸騰するなかで
いまは国会に出せない状況になっています。

 油断はできませんが、私たち国民の声も・・・・結構威力があるもの
と実感しています。憲法が求める『不断の努力』をこれからも多くの国
民と一緒に続ければ・・・孫の将来は明るくなると思います。
 そのため、連れ合いのお尻りを怪我しない程度に叩いて踏ん張らない
といけないと改めて思いました。

お雛まつり             九条 ひかる

2008-03-03 10:12:36 | 平和随筆
 きょう、3月3日は雛まつりです。桃の節句で女の子の健やかな
成長を祝う行事ですが、最近はお雛様も様変わりして昔のような七
段飾りは影を潜め、主流は変わり雛のようです。
 保育園などではお雛様を飾り、お祝い事をする園もあるようです
が、一般の家庭ではお雛様を出す家庭も少なくなったようです。
 子どもが小さい頃はうちでも、近所の子ども達を招いてひな祭り
をしたものですが・・・・。

 いまはひな祭りに限らず、昔盛んだった町内の祭り、盆踊りなど
が人手不足を理由になくなり、子ども会の活動もできない町内も出
ています。
 若いお父さん、お母さんが仕事に追われ、地域に眼をむけられな
いのが、主因のようです。会社、会社、会社・・・・の生活で子ど
もがまともに育つのでしょうか? 子どもは小さい時に人との関わ
りを持たないと人と関わる能力が育たないと言われています。若い
親たちが会社に貢献するあまり、子どもの人格形成に時間を注がな
い(塾通いだけではむつかしい)ことで、子どもが社会や学校に適
応できないとしたら不幸なことです。
 些細な事で切れたり、いじめ、いじめられ、等も人との関わりの
未熟さから発生することが多いそうです。
 未来を背負う子ども達の健全な成長を保証するためにも憲法25
条の『文化的な生活を営む権利』を求めて声を上げないといけない
のではないでしょうか。
 そのために、爺婆も子育て援助だけでなく、老人パワーを出して
社会のあり様を変える運動をする事が求められているような気がし
ますが、いかがでしょうか。

久しぶりの友の檄文          まもる

2008-02-04 01:35:14 | 平和随筆
★ 東京の友人から下記のような「呼びかけ文」が届きました。久しぶりに届いたメールに吃驚するとともに、頑張っている彼にエールを送りました。

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呼びかけ文

「裁判所の決定まで無視したグランドプリンスホテル新高輪に対する要請への賛同を呼びかけます」

     2008.2.3     発起人  非戦つうしん主宰  毛 利 正 道
                       http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/hisen0.html

東京品川のグランドプリンスホテル新高輪が、高等裁判所の決定を無視して2月1日の日教組教育研究全国集会全体集会の会場使用を拒否したため、全体集会が中止に追い込まれました。

毎年街宣車を繰り出して各種集会妨害に狂奔する右翼の策動、並びに同ホテルが既に昨年5月になしていた日教組との会場使用契約の破棄通告をしたことも強く批判されなければなりませんが、同様のケースでも、従来は裁判所の命令に従って催しが実施されて来ており、ここにいたっての催し中止は初めてのことと報道されています。

 今回のグランドプリンスホテル新高輪の会場使用拒否は、
1 主催者日教組と集会参加予定者の憲法で保障する「集会表現の自由」を蹂躙し、理不尽な右翼の策動が目的を達したことになったばかりでなく、
2 今後も同様な裁判所の命令を無視して会場使用を拒否する事例が増え、会場使用契約自体を拒むという最近の重大な傾向と相まって、右翼に睨まれるものは集会を一切開催できないという、表現の自由なき社会が招来されかねず、
3 事態はこれに止まらず、どんなことでも「裁判所の命令を無視して構わない」という風潮作出を助長し、現代社会における「司法によって紛争を解決する」という最低限の社会的ルールが破壊される恐れすら出てきます。

 よって、私たちは今回のホテル側の態度を許すことは決して出来ません。私たちは、ホテル側に対し、

・主催者日教組と参加予定者および社会に謝罪すること
・日教組より次回の会場使用申込みがあったときには受諾すること
・日教組と参加予定者に対し今回の事態に対する十分な償いを行うこと
・表現の自由を尊重し今後同ホテルはもちろん全国の系列「プリンスホテル」において二度と同様の態度を取らないこと
・この申し入れに対し誠実に回答すること以上を要請します。

なお、誠実な回答がない場合には、今後、同「東京品川のグランドプリンスホテル新高輪」はもとより、
全国の系列「プリンスホテル」 での宿泊・使用を止めるよう日本と世界の民衆と企業・団体に呼びかけることも辞さないものです。