「九条自由広場」

「昭和区九条の会」(名古屋)のブログです。会と市民の皆さんとの交流の広場です。ぜひ「コメント」をください。

NHKに抗議、問い合わせのメールを!

2009-02-10 01:12:06 | マスコミについて
岡山の野田さんから次のようなメール。私も朝ニュースを見ていて驚き、憤りました。是非お読みになって協力ください。(ネット虫)
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昨日のNHKテレビおはよう日本において約3分間、
10日のイスラエル総選挙に関する放送がされ
ました。およそ以下のような内容でした。

1 3週間前イスラエルはガザを攻撃。その目的は
 ハマスのロケット攻撃に打撃を与えるため。
2 イスラエル国民はこぞってガザ攻撃を支持。
 いまの政権もそのことで支持率をアップ。しかし強硬派の
 右翼リクードがさらに人気。国民は停戦になってもロケット弾
 攻撃をやめないハマスを非難。
 「ハマスがロケット弾攻撃をやめるまで攻撃を続けるべき」
 という市民の声を写す。 
3 以前、イスラエルが入植者の反対を押し切って
 ガザ入植地の撤去を強行したが、ハマスはその地
 からロケット攻撃をするのでイスラエル国民は激怒。
 そして元入植者が「ハマスとは対話より力で押さえ込む
 しかない」とリクード選挙活動をしている様子を写す。
        以上

これはイスラエル総選挙報道といいつつ、ハマスがいかに
ひどいかを視聴者に植えつける放送です。
ぜひみなさんも一言、NHKに抗議をお願いします。
やはり、こういう時にきっちり抗議することが大切では
ないでしょうか。何を放送しても誰も何も言わなければ
メディアはこれでいいんだと暴走をエスカレートさせるでしょう。

送り先 http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html

「私は以下の問い合わせをしました。」

2月8日「おはよう日本」で午前7時20分ごろに放送された
イスラエル総選挙の報道についてお尋ねします。
この放送はイスラエル総選挙報道といいつつ、ハマスの
非道さだけが強調されていて、なぜハマスがロケット弾攻撃
するのかというハマス側の言い分が全く無視されています。
パレスチナ人の土地を奪い、度重なる国連決議を無視して
占領地に居座っているのはイスラエルです。このような事情を
全く無視してハマスの非道さだけを強調するのは、たとえイスラエル
総選挙の報道とはいえ、公正さを著しく欠き、視聴者をミスリード
するものだと考えますが、いかがですか。NHKの見解をお伺いします。




「通販生活2009春号」で自衛隊恒久法の制定についての投票企画

2009-02-03 00:55:52 | マスコミについて
グループメール仲間の前田惠子さんからの情報です。

雑誌「通販生活」2009春号に国民投票40回企画として
自衛隊派兵の恒久法の制定について8人の論者の意見掲載とそれについて
読者の意見を聞くものがあります。
読者のために半田滋氏の取材協力による自衛隊派遣の歴史おさらいの記事もありました。

恒久法制定に賛成
明石康 (元国連事務次長)
先崎一 (元自衛官 日本地雷処理を支援する会会長)
佐藤正久(元自衛官 自民党のヒゲの参議院議員)
村田晃嗣(同志社大法学部教授)

反対
伊勢崎賢治(東京外語大教授 平和構築)
谷山博史 (日本国際ボランティアセンター代表理事)
小池清彦 (新潟県加茂市市長 我、自衛隊を愛す 故に憲法9条を守るの著者の一人)
水島朝穂 (早稲田大法学部教授 自衛隊サンダーバード構想で有名)
                                              各氏敬称略

それぞれ読み比べてみるのもいいかと思います。
通販生活は180円ですし、これを元に身近な人と話題にするという方法もあります。
岩波書店の「世界」だとちょっと敷居が高くて、という方にもお薦めです。




「メディアの憲法報道を問う」⑰

2009-01-08 21:56:23 | マスコミについて
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑰
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


「風」の怖さと脆さ

冒頭で私は風がまた吹くかも知れないと申しました。
憲法に関する基本的な流れは変わっていないと思います。
国会がああいう状況になっちゃいましたから、
改憲論というのは一見鳴りをひそめているように見えますが、
構成員は替わっていません。
民主党のなかだって、まぁ小選挙区制になって自民党に席がないから
民主党から出るという人たちがいっぱいいるわけですから。
そうすると、護憲の政治的な陣営ががっちりしているということも云えない。

他の政党を見ましても、公明党は憲法擁護と言ってますが、
与党から離れないということがむしろ至上命題ですね。
そうしますと、公明党が身体を張って最後まで改憲を阻止するかって
言われるとなかなか難しい場面があるかもしれない。
民主党はさっき言ったような状態ですし、
それから、社民党、共産党はあまりにも非力すぎて、
みんなが社民党候補に投票して、あるいは共産党候補に投票して
議席を増やせば別ですけども、現状ではどうも防波堤にはなりそうもない、
という状況です。

もうひとつ気になるのは財界が自信をつけてきている、と云うことですね。
この前の衆議院選で、トヨタ自動車の首脳は初めて
公然と自民党の応援をしました。
それまでトヨタ自動車はあまり自民党の応援をしなかったですよね。
で、その後の経済改革で財界の言う通りにいろいろ改革してきており
財界自身も政治に対して口出しすることの面白み、
実益を感じていることがあると思うんです。
そうしますと、決して流れは変わってないし、
僕には、風が吹けばどうなるか判らないという危機感はあります。

ベタ記事から見えてくるもの

もう一つありました。
今年の5月21日、ある新聞にベタ記事が載りました。
衆議院と参議院にさきほど申し上げたように憲法審査会を作ることになりました。
国民投票法が成立して、憲法審査会をつくることになったけれども、
未だに審査会の規則も出来てない、審査会の委員も決まってない、
という状況のときに、衆議院と参議院の議員運営委員長が、
自民党と民主党に早く審査会の規則を作って委員会を発足させろ
という申し入れをしたというベタ記事です。
衆議院の委員長は自民党ですが、参議院の委員長は民主党なんです。
自民党と民主党が揃って、審査会を早く作って憲法の議論を出来るように
設定しろ、って言ってるんです。
そうすると、民主党が防波堤になるということもあり得ないんではないか、
という気がしておりまして、警戒する必要があると思っています。

記者38年の経歴から若干みなさんに秘訣をお漏らしすると、
新聞はベタ記事が大事なんです。
今云ったようなベタ記事のなかに、もの凄く重要なことが
入ってることがあるんです。
そのベタ記事を憶えてたら何年か後に、
「おっ、あの時に書いてあった」というような
大ニュースに結びつくことがあります。

私どもの大先輩の佐藤毅さんという中日新聞の編集局長をやって、
ドラゴンズの社長をやった人は、「ベタ記事恐るべし」という本を書きましたが、
確かに何年か前のベタ記事が今のトップ記事に結びついてるって
ケースがいっぱいあります。
ひょっとしたら、憲法問題もこの自民党と民主党の委員長の申し入れが、
ウワァー、あれが生きてきたんだ、
なんてことになるかもしれないという感じがしています。

                      つづく


「メディアの憲法報道を問う」⑯

2009-01-07 21:54:16 | マスコミについて
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑯
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)



新聞を読まない若者

それにしましても、僕は相変わらず「風」、
冒頭に申し上げた風というのをたいへん怖いと思ってます。
小泉さんと云う強風のお陰で今のワーキングプアとか
そういうたいへん悲惨な状態が生まれています。
こんなこと申し上げると有権者のみなさんを前に
たいへん失礼な言い方ですけども、
あの安倍さんという危険人物でさえ一時は、日本の有権者は酔ったんですよね。
血筋がいいだの、なんだのって言って、ね。

だからいつなんどき風が吹く、どんな風が吹くか判らない、
そういう警戒感は持っていたいなぁと云う気はするんです。
身の回りで見てるとほとほと感じるんですが、
今の若い人たちは新聞を読まないんです。全然読んでません。
活字は割りに冷静な議論をしようと思えば、
冷静な議論を伝えることも出来ますし、読み取ることも出来ます。
新聞を読まないで何から情報を得るかというと、
インターネットの一行情報、テレビの云って見れば情報番組ですね。
で、今度もたいへん失礼なことを申し上げますが、
新聞の社説なんてお読みいただけるのは年配の方ばっかりなんですね。
お手紙やメールをいただくのは年配の方ばっかりで、
めったに20代の若者から感想は来ません。

僕は何を言ってるかとというと、その若い人たちが
実はこれからの日本を決めていくんですよね。
そうすると、その冷静な活字による論理というものの読み取りをしないで、
空気のようなテレビの報道とか、インターネットの一行情報で動いてしまう、
という危険性をいつも感じているんです。
じつはこれまでの憲法改正報道問題って云うのは、
テレビはあんまりやってこなかったんですね。
テレビは抽象的な概念、理念的な部分の報道ってのは苦手ですから、
あんまり詳しくやってきません。
ですから良かったと思ってるんですが、
もし憲法改正が具体的な議論になってきたら、テレビもジャーナリズムですから、
そんなこと言ってられません。
当然報道に参戦してくるでしょう。そうなると僕は怖いと思いますね。
あのある種感覚的な手法で改憲問題に参戦してきたら、
風がたちまち吹き起こりかねない。
そういう意味で僕はテレビを一所懸命、警戒しています。

                  つづく



「メディアの憲法報道を問う」⑮

2009-01-03 09:51:18 | マスコミについて
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑮
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


「70%が改憲容認」の嘘

いまのことをもう一回言いますと、写真の話の他に、
憲法の問題がいい例ですよね。
先ほど改憲賛成が70%って言いました。
しかしそれはみなさま方ご存じのように、よく内訳を調べてみると、
環境権の新設がいいからとか、人格権をはっきり盛り込めばいいんだと
言ってるんであって、憲法九条改正に賛成が70%なんてことはあり得ませんよね。
ここだって、ひとつ勉強して突っ込めばいくらでも事実を書くだけで
批判が出来ます。
では、環境権やプライバシー権を書き込もうと云って、
そのために憲法改正しようと言っている自民党の人たちが、
どれだけ環境権を実現するためにこれまで頑張ってきたか。
環境権訴訟なり、環境権を実現しようと頑張ってきた人たちは、
むしろ憲法九条を守ろうとしてやってきた人たちではなかったでしょうか。
そういう事実を組み合わせて報道するだけで、
何も「けしからん」と書かなくても批判的な力は充分果たせるのではないか
と思ってるんです。
その意味で憲法の報道の仕方が若干変わったのかなぁと思ったのは
朝日新聞の今年の5月3日の記事でした。
九条に絞って世論調査を実施したんです。
「九条変えない世論戻る」って見出しでですね、
「変える」という意見が23%で、「変えない」が66%。
かつては、23%とか66%というのは主見出しにはならなかったと思います。
全体の憲法を変えることに賛成か反対かという意見が
メインの見出しになったと思うんです。
どこをメインな見出しに書くかだけでも、メッセージは変わってくるんですね。
ですから、客観報道というのは基本原則としては大事なんですけども、
むしろそれを多面的に、多角的にいろんな情報を集めて組み合わせることによって
客観報道を守りながら、きちんと批判力を発揮していけるのではないか、
と思ってます。

つづく


「メディアの憲法報道を問う」⑭

2009-01-03 09:49:33 | マスコミについて
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑭
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


「客観報道」を乗り越える

もうひとつみなさん方に物足りなく受け止められている原因だろうというのに、
客観報道主義という問題があります。
ジャーナリズムは客観的でなければいけません、って言われています。
つまり、あったままに報道しなければいけない。
何事も省かず、何事も付け加えずに、つまり偏らずに報道しなければいけません。
事実を伝えることと、意見を伝えるところは分けなければいけません、
という言い方をしています。
そうしますと、なかなか自分はこう思う、ああ思うと思っても、
そのままストレートに記事に反映するということは難しくなってきます。

自分の意見を書こう、感想を書こうと思ったら、
別に解説とか論評とかいう欄をつくらなければならない。
田母神さんの論文が発表されましたということを書くのに、
「政府見解と違う論文が発表された」までは書けます。
客観的な事実ですから。
「とんでもない論文が発表された」と書くと、
これはもう、論評になっちゃうんですね。分けなきゃいけないんです。
ですから、そこを現実に使い分けなければいけない
というしがらみが記者の側にはあるんです。
ですが、これは、もう一歩そこを突き抜けると客観報道の制約というのは
逃れられると僕は思っています。

例えば写真をひとつ例にとりましょう。
写真だから嘘はありませんよねぇ、そのまま写っているんですから。
でも、これ、カメラマンがカメラのフレームで捉えた真実です。
このフレームの外側に何があるかによって、
このフレームの内側の意味が全然変わってきます。
有名な話があるんですね。
ずいぶん前ですけど、アフリカでケビン・カーターってカメラマンが、
やせ衰えた少女をハゲワシが狙ってる写真を撮って、
「ハゲワシと少女」でピュリッツァー賞という凄い賞を貰ったんです。
ところがその時彼に「なぜ少女を助けなかったんだ、
写真を撮ってる暇があったら、なぜ助けなかったんだ」
という非難が殺到しました。
で、そのことが原因かどうかは判りませんが、彼は自殺しちゃうんですね。
で、後で同僚のカメラマンが明らかにしたことは、
とんでもない、助けるなんて、そんなこと全然必要ないよ、
俺の写真を見ろ、って。
その同僚のカメラマンが撮った写真になるとですね、
上の方に母親が写ってんですよ。
母親が国連の援助物資を受け取ってんですよ。
だから、ハゲワシが確かに少女の近くにいるんだけども、
ハゲワシが少女に襲いかかる雰囲気の場面じゃないんですね。
でも、お母さんが写っていたんじゃピュリッツァー賞になるような迫力が
全然ないわけです。

どこをつかみ取ってくるかということによって、
事実というものが変わって来ますから、
わざわざ「とんでもない」という言葉を使わなくても、
そのフレームの外側にある事実をいろいろつかんできて、
組み合わせて報道することによって、
僕は論評の役割は充分出来るのではないか、と思っています。
ただそれをやるためには、記者はものすごく勉強しなければなりません。
ですから、記者にはたいへんな努力が要求されると思います。
しかし若い人たちは後で紹介しますが、たいへんな努力をしていることも
事実ですから、そこはあとでちょっと説明したいと思います。

                  つづく

「メディアの憲法報道を問う」⑬

2009-01-02 21:36:18 | マスコミについて
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑬
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


わけ知り顔で愚直になれない報道姿勢

あと感じていることをもう一点付け加えますと、
これは別に憲法問題に限りません。
社説を含めた政治報道一般に考えられることですが、
わけ知り顔になってしまうということです。
こんなこと言ったって無駄だよなぁ、将来これ実現しないよなぁと
内心思ってしまうものですから、書く記事もつい迫力がなくなってしまう。

よく云われることですが、政治を政局に絡めて論じてしまう人がいます。
政治の問題として真っ正面からその問題に斬り込んで
論評したり分析したり批判すべきなのに、
これをこう言っている自民党の思惑はとか、民主党の思惑はとかですね、
わけ識り顔に解説してしまって核心に斬り込まないということが
しばしばあります。
そんな記事に限って、原理原則に照らした批判みたいなものは弱いんです。

例えば自民党の思惑はこうこうこういうことなんだよ
というところまでは行く、だけどもそうゆう思惑を抱いて行動することは
間違っているんだと云うところまではなかなか行かない。
ですから、心ある読者、或いは心ある視聴者の方はなんかもどかしくて、
イライラしてしまうというような場面があるんだろうと思うんです。

「そんなこと言ったってなぁ」って典型が核問題です。
日本の新聞の社説はこれはどの新聞も同じです。反核非核は論じます。
つまり、核に反対、核を使うことはいけないことだ、ということまでは論じます。
でも、究極の反核、非核は反戦のはずなんですね。
ところがなかなか反戦までは行かない。
行かないのはもちろん僕は判っているんです。
38年もそういう立場にいたんですから。
それを現場の記者たちのためのことも含めて若干の反省も込めて
自己批判を説明させていただきます。
なぜそうなっちゃうのか。
まず、今の新聞記者のほとんどの人で、戦争賛成、憲法改正賛成と
積極的に思っている人はいないと思います。
ただ、世論調査をすると、憲法を改正するのはいいことじゃないの、
という数字が60、70%出てきちゃうんですね。
そうすると、報道する記者の側もなかなか自信が持てないんです。
読者の意見と俺の意見は遊離しちゃってるかなぁ、という懐疑心が湧いてくる。
憲法に関するここ数年の状況は明らかにジャーナリズムの側にいる人たちが
国民のあの反応を見て、自信を失って、戸惑ってるというのが
現状だろうと思います。

もう一つは、戦後世代がいまや三分の二を過ぎているということです。
改憲の問題をジャーナリストとして担ってるのも戦後世代です。
そうすると、今の憲法に対する思い入れ、或いは戦争に対する感覚は、
ここにいらっしゃる大先輩の方々とは違うんですね。
つまり、皮膚感覚としての憲法感覚とか、戦争認識はないんです。
理論の上では理解してるが、皮膚感覚としてはなかなか直ぐ反応できない、
という部分がたいへん多いですね。
おそらく、こういう集会にお見えになる方々は、
憲法改正って言ったら最初にちょっと待てよ、という感覚が先に立って、
それから次ぎに理屈とかいろいろなことが出てくるだろうと思うんですが、
戦後世代の、生まれたときから平和があって、
生まれた時から今の憲法があった人たちにとってみれば
憲法改正って言われたときに、ちょっと待てって感覚になるのは
なかなか難しいかもしれません。

                     つづく

「メディアの憲法報道を問う」⑫

2009-01-02 21:33:10 | マスコミについて
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)のつづきです。(落石)


改憲問題に中立はあり得るか

それから二番目に申し上げますのは、憲法改正問題というのに
中立という立場があるんだろうかということです。
さっき申し上げた旗印を掲げて突っ走るっのは問題だよと言っておきながら
中立という立場があるんだろうかというのは矛盾じゃないかと
感じられる方もあるかもしれませんが、
僕自身のなかではそんな矛盾という気持ちは全然ないんですね。
もちろんどっちの賛成も直ぐにはしないにしても、
これだけ重要な国の基本の問題に関しては必ず新聞としての
理念なり理想なりがあるはずなんです。
だから、それを持たずにただどっちつかずに中立でいようやと
いう姿勢はあり得ないのではないか。
例えば中日新聞で憲法の論説を書くときにみんなでよく出る、
またこれは社の偉い人たちも会議でしばしば言うことなんですけども、
「戦争はいかんぞ、戦争は絶対に起こしてはいかんぞ」という基本です。
これに関しては、社内でいろいろな意見があっても、絶対に不一致はないんです。
そういう基本がなくてただ中立という方針は僕はあり得ないのではないか、
という気がしています。


どこに軸足を置くか

そういう点から言いますと一番疑問なのは、論憲という言い方で
社の姿勢を示している新聞社です。憲法を論じよう、おおいに議論しよう。
まぁ、大いに議論するのは結構です。
だけど議論するにしたって、今言ったように憲法のような重要な問題ですから
その軸足をどこに置くか、ということは大切だろうと思うんです。

戦争は絶対やめよう、場合によっては戦争もしょうがないか、
のどっちに軸足を置くかで議論の内容が全然変わってきます。
ですから、なんだかんだと議論すればいいというものではないだろう
という気はしています。
それからあっちでもないこっちでもないという議論の仕方をする
社説なんかもあるんです。
形の上では護憲の立場がにじみ出ている社説を書いている新聞社もあるんですが、
僕らの眼で見ると、これは腰が据わってないなぁ、
何かどっかに遠慮してるなぁと云う感じのすることがしばしばあります。
つまり絶対的な価値観を持たない中立というのは憲法問題の社説に関しては
あり得ないと思ってます。
私はいまここに個人として来てますから、
中日新聞社の公式発言だとは理解しないでほしいんですが、
中日の姿勢に関してひと言申します。
私どもが社説を書くときに、「戦争はいかんぞ」ってのは
これは誰もいいますが、その他に一番大事にしてきたことは、
「これまで日本人が築いてきた戦後の秩序感覚というのは
大事にしていこうじゃないか」と云うことです。
つまり、戦後的価値観、戦後的な秩序は大事にしていこうじゃないか、と。

それからもう一つ確認したのは、
これは別に社是とかなんかで決めたわけじゃありませんが、
みんなでこういう考えでいいんだよなぁと云って話し合いの席でよく出るのは、
憲法は国民を縛るものではないよなぁ、国民が公権力をしばるもんだよなぁ、
これが第二点。
それから、ナショナリズムをあんまり鼓吹するのはやめようやねぇ、
危ないよなぁ。
それと関連して、ナショナリズムが高揚しているときに憲法を論ずるのは
危ないよねぇ、と言う議論もよくしました。
つまり、憲法を考えるときにそう言う軸足がないまま論憲と言ったり、
どっちつかずの、中立と言ったって公平ではないという気はしています。

                         つづく

「メディアの憲法報道を問う」⑩

2008-12-29 18:04:15 | マスコミについて
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)のつづきです。(落石)


改憲報道を考える

憲法調査会で憲法改正の論議が盛んになりまして、
最終的に自民党の改憲草案が出てきます。2005年です。
改憲草案という名前に騙されてはいけないと僕は思っています。
改憲なら今の憲法の悪いところを直すんだから悪いことじゃないと
思うんだけども、自民党が作ったのは新憲法草案なんです。
新しい憲法作ろうという草案なんです。
そのことで新聞もいろんな社説とか記事のなかで論評したり、
批評したり、主張をしたりしてきてるんですが、
そのことについて私が感じていることを若干お話しておきたいと思います。

まず、読売、産経の突出ということです。
産経新聞と読売新聞の意見と他の新聞の意見が食い違うということを捉えて、
日本のジャーナリズムの分裂という批評をする人がいます。
私は分裂とは思っていません。
分裂とは対等関係、あるいは対等な力で分かれていると
いう状態なんでしょうけども、
あれは分裂ではなくて、読売と産経が突出してるという
言い方が正しいのではないか。
部数を全部併せますと読売と産経を併せてもおそらく
日本の新聞の総発行部数の四分の一ぐらいだろうと思うんです。
中日も含めた残りの新聞が四分の三です。
この中に積極的な憲法改正論の新聞はない、と思います。
むしろ、憲法改正には慎重であるべきだ、という新聞が
中日新聞も含めてほとんどだと思うんです。

                     つづく

「メディアの憲法報道を問う」⑨

2008-12-28 17:56:27 | マスコミについて
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)

憲法は憧れの対象


それから数字で言えばイラクの戦争が始まってから
明らかに沖縄では米兵の犯罪か増えてるそうですね。
酔っぱらったトラブルも増えてるそうです。
アメリカの兵隊さんにしてみればイラクに行ってきて酷い思いをしてきて
神経が苛立っているから酒を飲んで、それで、暴走しちゃうという場面、
ベトナム戦争のころもそうでしたよね。
もっと酷いのはあそこには県道越え訓練というのがあります。
米軍基地と米軍基地の間に県道がはしっているんです。公道が。
で、大砲を撃つ訓練をやるときに県道越しに大砲の弾を撃つんです。
ドーン、ドーン。
その近くに住んでいる人たちはそのドーン、ドーンを聞いてるんです。
戦争が記憶にある戦争じゃないんです。
現実にある戦争っていうイメージなんです、あそこでは。

だから僕はよく沖縄旅行にいく学生に、沖縄に行ったら
南部戦跡をまわってこないと単位やらんぞなんて冗談を言うんですがね。
そのくらいあすこに行くと見えなかったものが見えてくる。
別の言い方をすると、平和とか戦争というのが理屈で判るんじゃなくて
皮膚感覚で判る、ということだろうと思うんですね。
ですから、沖縄の人たちにとっては平和憲法というのは憧れの対象なんです。
未だ憧れの対象なんです。
私どもは平和憲法を空気のように感じちゃってるかもしれませんが、
沖縄の人たちにとっては未だ憧れの対象なんです。
そうすると、それを何か履き古した草履のように捨てるのかって
公聴会で意見が出るのは、僕は、それは当然だと思いました。

                      つづく