「九条自由広場」

「昭和区九条の会」(名古屋)のブログです。会と市民の皆さんとの交流の広場です。ぜひ「コメント」をください。

「街頭アッピール」に「全戸ビラ配り」に全力!!!

2006-06-17 11:18:01 | 街頭活動の案内・感想(チラシ・シール)
 昭和九条の会は、七月九日の「一周年記念のつどい」を目指して昭和区民の方に
「九条改悪反対」のメッセージを伝えようと、
 
  ① 街頭アピール活動をします。(何れも午後二時からです。)
      6月17日土 御器所西友前
      6月24日土 八事ジャスコ・興正寺前
      7月1日 土 宮裏ヤマナカ前
      7月8日 土 御器所西友前
   是非参加ください、また立ち寄って応援ください。

  ② 区内全戸に「九条の会一周年のつどい」のお知らせビラを入れます。
      九条改悪反対の運動を知っていただくため、昭和区全世帯に
      「つどい」のビラを会員が手分けして入れています。
      三万枚を目標に頑張ってすので、お手伝いいただける方はご
      連絡ください。

  ※ これらの活動のお問い合わせは、昭和区九条の会事務局の舟橋まで
                      731-2749
      

全国交流集会の③・・・分科会での報告から

2006-06-15 00:58:43 | Weblog
 全体集会のあと千五百人の参加者は十一の分散会に分かれ経験を交流しました。
 参加した交流会での報告からその幾つかを紹介します。

 新潟県阿賀野市九条の会・・合併前の旧町長や教育長にも呼びかけ人になつてもらった。千人の賛同者を集めたい。「あの時、あなたたちは何をしていたか」と問われても胸を張れる運動をしたい。

 千葉小金原九条の会・・従来様な上から下への運動ではなく、自主的に下が手を繋ぎあう楽しい運動でなければ人々は変えられない。
 グッズにしても、みんなで作る事が楽しい→あげたい→渡したい→話したい となるような物をを考えた。

 大阪市夕陽丘高校九条の会・・昼の休み時間「ちょつと色々おかしいのとちゃうの」といった井戸端会議で一言トークをするなかで成長した。

 横須賀九条の会・・小さい「会」を立ち上げ何処かが何かをしていると言った雰囲気を作った。基地の町でもあり、憲法問題を出す事がためらわれたが、「憲法を
天気のように、おかずのように話せば好いと考え取り組んだ。
 「九条が自衛隊員の命を守っている」と訴える中で、隊員が百円カンバをしてくれたりして広がってきた。

 茅ヶ崎九条の会・・九の日スタンディングの取り組み。街角でメッセージパネルを持って発ち、若者向けのBGなども流しアピールした。またピースピクニックで家族連れで楽しむ。

 おとくみ九条の会・・青年をたてて、野外での活動に重点を置く。野外ライブ・
平和アート展・フリーマーケットetcで憲法の集会は楽しいを合言葉に。

 埼玉富士見九条の会・・増えない悩みを→「入るだけで力になるよ」「投票法の時は反対票にお願い。」といった認識で薦める。ティッシュ・風船・街宣車の活用

 大阪空港九条の会・・飛行機が武器になる時代の平和を訴えた。
趣味などを聞き、そうした九条の会を紹介してあげる。

 山形県枚方九条の会・・九条カルタを作り看板にして町に立てる。

 高知女性九条の会・・ポスターやリーフを土佐弁で作る。ポスターに千人の会員の名前を刷り込んだデザインにした。
 「九条の会」を「苦情を話す会」にと心がけた。

 名古屋稲生九条の会・・学区五千世帯にニュースなどの全戸配布の体制作り。
雑炊を食べる会を企画。象列車の作者の講演会。

 国分寺九条の会・・市民連名のポスターづくり。

 新潟木戸九条の会・・「草の根だからこれくらいでいい」と言った限界の超え方は?

 埼玉標準社九条の会・・歌声九条の会やカラオケ九条の会が発展。

 千葉県四街道九条の会・・市への後援依頼で「憲法を守る会」なのになぜ後援できないかを詰めて勝ち取る。

 札幌西区九条の会・・若者向けのパンフ作りをする。平和登山やキャンプ。

 京都市中京区九条の会・・九条はがきの作成。署名はがきの配布。切手は貼ってもらう。

 参加した分散会では以上のような実践報告がありました。

 どこの九条の会でも問題になっているのは、第一に「若者をどう参加させていくか。」と言う問題、 第二に「活動資金」をどう確保するかという問題が悩みとして多く語られました。

 これらの問題に効果的な実践は多くはありませんでしたが、何らかの示唆を得ていました。
 何より、よかったのは全国にはこれほどの仲間が居て日々運動を続けているという実感を肌に感じたことです。会場には参加してよかった、この事を仲間に伝えたいという熱気が溢れていました。

 ※全体の報告については、事務局が集約し何らかの形で後日まとめられる予定です。
       
       のち

全国交流集会の②

2006-06-14 23:17:53 | Weblog
 小田氏・・「最も理想的なことが現実的である。」と切り出され、最近の改憲論者が「憲法の二項を現実に合わせて改正し、きちんと憲法上の歯止めをかける事が自衛隊の際限なき肥大化にを防ぐためにも大切だ。」という論法で改憲を主張しているが、これは大変な欺瞞であると主張。
 なぜなら、今の憲法はこれ以上ないほどの歯止めをかけているにもかかわらず、海外派兵まで進んでいる。もし、二項の改定を決めれば、それこそ止まる事が無い。
 そして現実的に考えて、石油の無い、食料の自給できない、資源のほとんどを依存する国が、軍隊の力で自衛できるのか?
 日本には何も無く、平和の主張こそが世界に通用する価値なのです。
 平和原理に徹する事こそ一番現実的なのです。

 大江氏・・沖縄の基地化の犠牲のなかで日本の非武装化という憲法が出来たが、戦後の人々は、支配者の思惑を超えて平和への「倫理的想像力」があり憲法を受け入れた。平和の実現、この理想が根本的には教育の力にまつべきものとする思いが教育基本法に文章化されています。人々はこれからの国の回復、人間の回復が教育の力によつてのみ可能だという祈りをそこに込めました。
 その結実の表れが、今日ここにみられる独立した多様な声の重なり、憲法擁護の
運動となっています。平和への倫理的な想像力を持ち続け九条を守りましょう。

 次の③では、分科会などでの実践交流について報告します。

                    
 

「九条の会」全国交流集会に参加して ①

2006-06-14 10:38:05 | Weblog
 6月10日東京の日本青年会館で、発足二年の節目の日に「全国交流集会」が開かれました。この日アピールに賛同して全国に作られ、立ち上がった「会」が集結しこれまでの活動について発表・討論しあい、さらなる取り組みの発展を約束して夕方全国に散らばって行きました。

 会はまず事務局から「九条の会」が全国にこの日の時点で五千百七十四団体に増え、都道府県レベルの会が三十八結成されているとの報告があり、今後も全国のネットワークの中心として言葉の力を信じ会全体の力を発展させるため努力したいとの事務局長小森氏からの決意も語られました。またこの日の集会参加者が九百の団体、千五百人を超えたとの報告もありました。

 次に、呼びかけ人の九氏のうち出席された三木・鶴見・澤地・加藤・小田・大江
の各氏から挨拶がありました。

 三木氏・・戦前の苦しみを再び若者に体験させてはならない、世界を見ると悲惨な事ばかり、しかし今日若い賛同者の多いことに感激しました。九十才でもがんばっています。

 鶴見氏・・戦争中は「戦争は文明の母」と言ったスローカンもあったがとんでもない。耄碌人の私は耄碌の個人として「戦争を起こす文明」に反対し続けたい。

 澤地氏・・「あほな政治はいつまで続くのか」「もう、運動のあとは続かないのでは」との声も聞かれて不安だったが、九条の会で全国を回るうちに、日本が「希望が持てぬ国」ではなく、九条を守ろうとすることで立ち上がる人々の姿とエネルギーに、市民としてのたくましい成長の様子が見受けられ、政党に頼れない所を充分に補っていると感じている。
 またテレビや新聞は、評論などはいらないから、九条を守る会の成長・発展について客観的事実を報道すべきであり義務でもある。会場を埋めるみなさんの数と熱気感動するとともにこれからも、一人一人の持続する志を持ち続けよう。
 
 加藤氏・・最近つくずく戦争か平和かの分かれ道に来ているように思う。教育基本法の改定など戦前の人権教育抑圧の道そのものでしかない。が、議会・権力側の弱みは世論を完全に取り込めないことである。
 こうした中央集権的な権力に、反戦・平和志向は散在し地方分散、横の繋がりが弱く漂っていた。こうした世論・運動に結集の拠り所を与えたのが「九条の会」の運動であり、発足の理由でもあった。隣村の人たちは何をしているのか?人々は知り始めた。
 今九条は旬です。 そして、登り坂です。もう一押し二押し押そう。元気に登りましょう。
 
 ※ 長くなりましたので、②に続けます。

                    昭和区九条の会 近藤俊明

   
 
 
 

瀬戸戦跡見学と瀬戸九条のつどいに参加しました。

2006-06-04 00:54:19 | ハイキング・見学会の案内・報告感想
 昭和九条の会の平和を語り合う初夏の企画・・「瀬戸戦跡めぐりと小森陽一さんの話を聞くツアー」が今日6月3日おこなわれました。
 久しぶりに蒸し暑く晴れた天候のもと、昭和・千種・瑞穂三区共催で行われました。八十五歳の婦人を先頭に二十名を超える方々が参加されました。
 瀬戸戦跡めぐりでは、二次大戦時瀬戸郊外の丘陵地下に建設された「愛知航空機」の地下工場跡の様子を見学しました。瀬戸の郷土史家で瀬戸戦跡を保存する会の方に丁寧に説明と案内をしていただき、汗を拭きながらも熱心に見回り感動しました。
 瀬戸九条の会一周年記念のつどいにも午後から参加し、天ちんさんの軽妙な司会で進行する平和の歌曲や高校生の若々しい群舞を見、最後に全国九条の会の事務局長「小森陽一氏」の「憲法を守る運動の到達点と今後の課題」というテーマで自民党案の吟味から始まって国連憲章との関係、現在の課題におよぶ展望を確信させる
話に千人近い聴衆が聞き入った。
 また、参加した皆さんの感想として、瀬戸九条の会の成功の秘訣を知りたいものだという声が聞かれた。
 その答えの一つとして、草の根の九条の会の広がり(三十近い)強み、層の厚さが言われていました。また その基盤に「地元の万博を考える市民の会」の活動があったことも披露された。
 いずれにしろ、九条の輪をひろげるためにおおいに教訓とすべき瀬戸九条の会でした。                        昭和九条の会のマモル