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「九条自由広場」

「昭和区九条の会」(名古屋)のブログです。会と市民の皆さんとの交流の広場です。ぜひ「コメント」をください。

天皇制は本当に定着しているのか? 同感です。     ネット虫

2008-12-26 01:23:45 | 主張・・憲法一般
★私の参加する平和の結集のグループメールに大分の東本高志さんが、現在天皇制が国民の大半に支持され定着しているという議論に次のような反論を載せています。同感しました紹介します。
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Sさん

古代、中世、近世、近代と続く天皇制のコスモロジーの読解の問題はさておき、象徴天皇制の問題を民主主義の問題として考えようとするとき、日本国憲法第1章に規定される象徴天皇制は、同憲法前文に規定される国民主権、同第14条に規定される法の下の平等とは明らかに異質の概念です。象徴天皇制と民主主義の概念は相容れません。Sさんがご自身を「天皇制廃止論者」と位置づけるとき、そうした判断があるものと思います。そうだとして、このご判断に私は同意します。

しかし、Sさんがご自身を「かつ天皇家賛美論者」である、と位置づけようとするあなたの一種の矜持のようなものには私は同意できません。Sさんのそうした自矜の根底には「象徴天皇制という憲法上の規定は、広く国民になじんでいる」という現状分析とご判断がおそらくあるのでしょう。たしかに象徴天皇制に関する各種の世論調査を見ると象徴天皇制支持は多数派を占め、一見「象徴天皇制は広く国民になじんでいる」かのように見えます(たとえば1986年の朝日新聞社の全国世論調査では回答者の84パーセントが象徴天皇制を支持しています)。

しかし、私は、こうしたマスメディアの世論調査は、社会学でいうところの擬似環境(pseudo-environment)、人々が各自の頭の中に描いている環境についてのイメージ、マスメディアによって操作されやすいステレオタイプ化された環境像の反映にすぎず、そういう意味で形骸化された「世論」というべきものであって、真の現実環境(real environment)を反映したものとは必ずしもいえないように思います(W.リップマン『世論』)。

天皇誕生の日、私は天皇問題を考えるある市民集会に参加したのですが、ここで私の友人の50代の女性が次のように語っていたのが印象的でした。この女性は私の住まう県下でも最も高齢化率の高い村落の在住者なのですが、この女性が言うには、ある日、その村落の老婆3人と山に野良仕事に出かけたとき、その老婆たちは、敗戦のとき進駐軍の捜索を恐れて各自の家の居間に飾っていた天皇の御真影をこの山で焼き捨てたことを思い出したように語ったというのです。

仮定の話ですが、戦前に絶対天皇制に関する世論調査があったとして(そんな不敬があるはずもありませんんが)、その支持率はおそらく100パーセントに上るでしょうし、上らざるをえな
かったでしょう。しかし、「皇祖皇宗」の天皇家も、庶民にとっては所詮はこの程度の存在でしかなかった、とはその女性の言なのでした。

「象徴天皇制という憲法上の規定は、広く国民になじんでいる」というけれども、いまももしかしたら同じようなことはいえないでしょうか?

私は終戦直後に書いた坂口安吾の次のような志言に満腔の賛意を感じます。

「人間の値打というものは、実質的なものだ。天皇という虚名によって、人間そのものゝ真実の尊敬をうけることはできないもので、天皇陛下が生物学者として真に偉大であるならば、生物学者として偉大なのであり、天皇ということゝは関係がない。況(いわ)んや、生物学者としてさのみではないが、天皇の素人芸としては、というような意味の過大評価は、哀れ、まずしい話である。/天皇というものに、実際の尊厳のあるべきイワレはないのである。日本に残る一番古い家柄、そして過去に日本を支配した名門である、ということの外に意味はなく、古い家柄といっても系譜的に辿りうるというだけで、人間誰しも、たゞ系図をもたないだけで、類人猿からこのかた、みんな同じだけ古い家柄であることは論をまたない」
(『天皇陛下にさゝぐる言葉』1948年)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42818_26242.html


東本高志@大分


九条が世界に広がっています   大西五郎

2008-12-21 17:43:14 | 主張・・憲法一般

先に行った「日本国憲法の原点がここにある」という学習会で、
日本国憲法が改憲派が言うようにアメリカ(GHQ)の押し付けなどでは
決してなく、世界の叡智を結集したものだということを
国際連盟憲章、パリ不戦条約などを引用しながらお話しました。

 その後も世界における日本国憲法第九条についていろいろ調べています。
その結果、憲法九条が人類の宝であるという確信をますます強めています。
日本における九条の会は7294(11月の全国交流集会で確認)になり、
日々増えています。

5月に「憲法九条世界会議」が幕張メッセで開かれ、
41カ国・地域から参加者があり、日本の憲法九条が世界の人々の指針に
なっていることが証明されました。
 九条の会が日本以外でも続々結成され、または結成されようとしています。
その歴史を振り返ってみましょう。

◇1991年にオーバービー博士によって「9条の会USA」が結成されました。
◇2005年にカナダのバンクーバで日系人が中心になって
「バンクーバ9条の会」が結成されました。
   (今では現地の大学教授などカナダ人も加わって運動が発展しています)
◇2006年にスリランカで「スリランカ9条の会」が結成されました。
◇2007年に韓国にも「韓国9条の会」が結成されました。
◇ベトナム、フィリピン、ニュージランドでも「9条の会結成準備会」が
できています。
◇フランス、イタリア、ドイツの青年の間で「ユーロ憲法に9条の精神を」の
運動が起きています。
◇アメリカ退役軍人の人たちが「連邦憲法に9条を」という署名を
上下両院議員に提出しました。

 そして、軍隊を持たない国も広がっています。
◇中米コスタリカが軍隊を持たない憲法を1949年に作りました。
(警察隊はあります)
◇その隣国のパナマも軍隊を持たない憲法を1994年に作りました。
(警察隊はあります)
◇アイスランドも永世中立を宣言し、軍隊を持っていません。
◇リヒテンシュタイン公国、ツバル共和国も軍隊を持っていません。
◇イタリアは1947年に戦争否認の憲法を作りました。
 「イタリアは他の人民の自由を侵害する手段及び国際紛争を
解決する方法としての戦争を否認する」(イタリア共和国憲法第11条)
また、「九条の精神」が世界の人々の考え方をリードしています。
◇かつて長らく戦乱の続いたヨーロッパ全体を一つの国にして、
戦争のないヨーロッパにしようとEUが結成されました。
◇東南アジア友好協力条約が結ばれ、東アジアを一つの国にと
東アジア共同体結成を目指しています。
◇南米でも12カ国が地域統合を目指して南米諸国連合を発足させました。
◇アフリカで部族対立を「日本の憲法9条の精神で解決しよう」と
いう運動が起きています。
◇スペイン領カナリア諸島のグランカナリア島にスペイン語の
「9条の碑」が建てられています。
◇最も新しい動きでは、クラスター爆弾禁止条約が締結されました。

 これらはいずれも日本国憲法が謳った「日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した(憲法前文)」結果
生まれた憲法九条の精神が、
世界の人々の間にも広がっていっていることを示すものだと思います。


      大西さんから、送っていただいた原稿です。(落石)



こんな意見にどう答える?       まもる

2008-11-20 00:17:26 | 主張・・憲法一般
★私が時々読む市民ネット新聞JANANに次のような意見が載ったことがあります。この意見について皆さんはどうお考えでしょう?


憲法9条と自衛隊の存在を問う 2007/04/23    (斉喜広一氏の記事から)

 国民投票法案が衆議院で可決され、憲法改正論議が、いよいよ現実のステージに上がってきた。が、ここで改めて現憲法第9条と自衛隊との関係を、問い直しておきたい。それは、自衛隊の存在は果たして合憲なのか、違憲なのか、という根本的疑問についてである。

 改憲論者はもちろん、護憲論者も含めこんにち、自衛隊の存在が憲法違反である、との声はまず聞こえてこない。自衛隊は合憲である、との前提に立って改憲論者は、もっぱら集団的自衛権や、海外任務について、憲法で規定しておこう、というのがその主眼のように聞こえる。一方、護憲論者はそれはならじ、と反対運動を展開する。今ある自衛隊そのものに対しては、憲法論からは何も議論されていない。

 昔はそうではなかった。革新勢力、特に旧社会党は堂々と自衛隊違憲論を張っていた(共産党もほぼ同様であったが、ここは武装中立論であったから、多少の趣きは異にしていた)。各地で自衛隊は違憲である、との立場から盛んに訴訟も起こされた。

 それが、社会党が政権に参加する前から、どんどん様相が変わってきた。違憲論をいつまでも掲げていては、政権に参加できないし、世論もついてこない。ということでこんにち、社会党の末裔である社民党を含め、自衛隊違憲論を唱える政党は皆無である。

 だが、憲法第9条を改めて読み直していただきたい。特に問題なのは、第2項である。

<第9条第2項>
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 「戦力」は保持しない、とはっきり書かれている。ここである、最大の問題点は。自衛隊は「戦力」ではないのか。

 ここの点を捉えて、昔の野党は政府を追及したものである。政府・与党にとっても、この点が最大のウィークポイントで、答弁に窮する。

 でもって、政府は「自衛権は憲法に明記されていなくても国の自然権である」「自衛隊は『戦力』ではなく、自衛のための必要最小限の『実力』である」というような、非常に苦しい答弁をしたりもした。

 しかし。世界有数の「戦力」を保持する自衛隊が、「戦力」ではなく「実力」だと言われても、誰がそうですかと納得するであろうか。自衛隊はまぎれもなく、憲法で保持しないと規定されている「戦力」ではないか。

 はじめにも述べたように、そのことを指摘する声が、護憲論者からも出ないのはどうしたものだろうか。果たして護憲論者は、自衛隊を合憲である、と心底認めているのであろうか?



保守系氏の「憲法前文」は?     まもる

2008-11-17 00:58:49 | 主張・・憲法一般
保守系氏「憲法前文」  一部抜粋

 日本国民は、恒久の平和を幻想とし、人間相互の関係を支配する利己的な現実を深く自覚するのであつて、戦争をを欲する諸国民の不正と偽善を認識して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、軍備を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭が地上から永遠に無くならないことを深く自覚し、国際社会において、畏怖される地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれず、平和のうちに生存することの不可能なことをを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念し、他国を無視しているのであつて、政治道徳の法則は、利己的独善的なものであり、この現実に対処することは、自国の主権を維持し、他国に優位な関係に立たうとする各国の国是であると信ずる。


前文は矛盾そのものです。 (保守系)

2008-11-16 08:55:20 | 主張・・憲法一般
一体、この前文の後の戦後に、何が世界でおきましたか?「平和を愛する諸国民」は、何処にいましたか?
ソ連の侵略・昭和25年の朝鮮戦争・ベトナム戦争・独立戦争・ハンガリーの動乱・チェコの動乱など、最近の例で言えばチベット・ウズベキスタン・南オセチア問題などです。ロシアの潜水艦は、何故、日本海を行くのでしょうか?何故、シナは、空母を作るのでしょうか?
、憲法前文が、一体、何を言っているのか理解不能です。世界では、崇高な理念など念仏に等しいのです。



憲法感覚          落石

2008-11-16 00:48:12 | 主張・・憲法一般
ちょっと前に公務員が9条のビラを撒いて逮捕。
憲法を守ろうとした行為。
なのに、ちょっとした軽犯罪が名目で。

今度は自衛隊の首領が過去の侵略の事実を
なかったものとする論文を公表。
憲法の前文に違反する言動。
言論の自由を名目に無事、退職。

これは皆、同じ政府の判断。

憲法感覚が逆立ちしているんだ!

心配的中!! 防衛省の再教育と監視を!!! まもる

2008-11-07 11:20:52 | 主張・・憲法一般
 10月31日に「護憲派からの正しい自衛隊育成論が必要な時」という投稿をした。
 それは天木氏が産経のスクープの「防衛力を整備するあらたな局を新設しそこに自衛官を多数配置するという改革案」と言う記事を材料に、防衛省の変質に危惧を示した事を書き、護憲派がもっと防衛省を監視・教育せねばならぬ事を記事にした。

 まさにそうした思想面での危険な防衛省の体質が、今回早速「田母神幕僚長」の懸賞論文問題で暴露された。
 その後の報道では、論文応募は省内研修の一環として推奨され、78人が応募し幕僚長と同趣旨の侵略戦争美化の論文もあったと言う。

 恐ろしいことである。問題の本質を深く追求し解明しなければならない。

護憲派は勢力拡大の展望を!!     本気の護憲派

2008-10-22 11:47:13 | 主張・・憲法一般
「9条を守る政治家が誰かを伝えよう」
それは難しい。
党是としてはっきりしている共産・社民の候補者はいいのだが、民主党の候補者の判別は難しい。

 それに 九条踏み絵もあるが、自公打倒という目標もまた重要かつ緊急な課題。

  私はまずは自公打倒。政界再編による護憲派の結集。キャスティングボードを握って護憲勢力の安定強化が道順と思うのだが。



「小泉首相がぶっ壊したのは自民党より憲法!!」 毎日コラムより      鼻眼鏡

2008-10-06 09:57:38 | 主張・・憲法一般
★毎日新聞コラムに小泉の功罪について書かれてあったのか目をひいたので紹介する。          

・・・・ 発信箱:小泉さんと我が恥辱=広岩近広(編集局)・・・・

 自民党の小泉純一郎元首相が引退する。影響力のあるうちに息子を後継にしたいのか、小泉流の引き際の美学か、あるいは別の理由からなのか、私にはよくわからない。
 来る総選挙では、与野党とも小泉改革の罪に触れるようだ。長期政権だったので、功罪はあろうが、ここでは別の罪を振り返りたい。

 芥川賞作家でジャーナリストの辺見庸さんが著した「いまここに在ることの恥」
(毎日新聞社)を読み返していたこともあり、憲法に関する罪について思い至った。
 それは2003年12月9日のことである。当時の小泉首相は自衛隊をイラクに派遣するに当たり、「憲法の理念に沿った活動が国際社会から求められている」と記者会見で強調したのだった。
 辺見さんが「戦後最大の恥辱」と怒るのは、憲法前文の大事なパラグラフを省き、「国際社会において名誉ある地位を占めたい」とする後半部分のみを読み上げたことだ。
 辺見さんは「デタラメな解釈によって、平和憲法の精神を満天下に語ってみせた」と書いている 返す刀はマスコミにも向けられる。「総理、それは間違っているではないですかと疑問をていした記者がいたでしょうか」。私が記者会見場にいても、小泉流の演説を聞き流したことだろう。

 今にして、つくづく思う。小泉首相が「ぶっ壊した」のは自民党より憲法だったのではないか。事実、名古屋高裁は今年4月、自衛隊のイラク派遣は憲法9条に違反すると指摘した。永田町を去る小泉純一郎さんに、私は己の恥辱をみている。


オリンピック

2008-08-24 01:54:51 | 主張・・憲法一般
オリンピックは政治を離れて、競技を通じ世界の人々が知り合い、平和的に仲良くすることだ。それと同時に、「殺し合いの道具」を「スポーツの道具」に変えてきた場だ。9条の精神と同じだ。だからよく聞いてほしい。

 オリンピック競技は、ほとんどが元々は「殺しのテクニック」だった。戦争の技術だった。少なくとも初期の競技はそうだ。だって「槍投げ」とか「砲丸投げ」なんて、そうだろう。実際に、人間を殺す技術だった。だからといって、藁人形をつくって、心臓に槍が命中するのを競うのでは残酷だ。だから、どこまで長く投げられるかだけを競っている。棒高跳びだって、城壁を飛び越えるための技術だ。マラソンは闘いの伝令だ。すべては「戦争の技術」だ。ボクシング、レスリング、柔道も、敵を制圧する為の「闘いの技術」だった。 それを、スポーツにし、「平和の祭典」に入れる。素晴らしい。発想の転換だ。

 国家には軍隊が必要だ。戦争も必要だ。それしか国家間の争いを解決する方法はない・・・そう思っている人々が多い。日本だけが9条を持つ。その「常識」を変えた。9条はオリンピックの精神なんだ。

★マガジン9条「鈴木邦男の愛国問答」より