「九条自由広場」

「昭和区九条の会」(名古屋)のブログです。会と市民の皆さんとの交流の広場です。ぜひ「コメント」をください。

◆11・8沖縄県民大会とともに私たちも声をあげましょう!◆

2009-10-29 10:47:03 | Weblog
★仲間から呼びかけが届きました。読者の皆さんにもお伝えしたいと思います。(まもる)
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◆11・8沖縄県民大会とともに私たちも声をあげよう!◆
                辺野古への基地建設を許さない実行委員会
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“鳩山とオバマにモノ申す!
 普天間基地を即時閉鎖し、辺野古新基地を断念せよ!”
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【要項】
≪デモ行進≫
日時:11月8日(日)午後2時集合
場所:水谷橋公園(東京都中央区銀座1-12-6)
有楽町線「銀座一丁目」駅、銀座線「京橋」駅、都営浅草線「宝町」駅3分
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.40.15.963&lon=139.46.23.062&skey=%25b6%25e4%25ba%25c21-12-6&pref=&kind=
デモ:午後2時30分出発

≪アメリカ大使館への抗議・申し入れ≫
日時:11月8日(日)午後4時集合 午後4時30分申し入れ
場所:アメリカ大使館正門前(東京都港区赤坂1-10-5)
銀座線・南北線「溜池山王」駅5分、丸の内線・千代田線「国会議事堂前」駅、
日比谷線「神谷町」駅10分
http://japan.usembassy.gov/e/info/tinfo-map.html
★各自で抗議・申し入れ書を用意して、ともに提出しましょう。

≪各地・各場所で、一人一人が鳩山やオバマにモノ申そう!≫
◎鳩山由紀夫 内閣総理大臣あて
・メール(首相官邸「ご意見募集」)
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
・郵送:〒100-0014東京都千代田区永田町2-3-1 首相官邸
◎バラク・フセイン・オバマ・ジュニア アメリカ大統領あて
・郵送:〒107-8420東京都港区赤坂1-10-5 在日米国大使館
★11・8県民大会に合わせて各地でそれぞれが取り組む行動がありましたら、
お知らせください。
送り先<henoko.jitu.2004アットgmail.com>(アットを@に入れ替えてください)

★チラシを印刷できます。
http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/09NNB/11.8urgentappeal.pdf

【呼びかけ】
 11月8日(日)午後2時、沖縄の宜野湾市海浜公園の屋外劇場とその周辺で
「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が3万人の参加を目指
して開催されます。
11月12日~13日のオバマ米大統領の来日に合わせ、鳩山政権とオバマ米大
統領に沖縄の声を強くアピールするためです。
 民主党は「沖縄ビジョン」で党の政策として「辺野古新基地建設反対、普天間
基地の県外・国外への移設」を明記しながら、8月30日の衆院選に向けた「マ
ニフェスト」には記載しませんでしたが、鳩山代表や岡田幹事長はそのように明
確に主張しつづけました。 ところが、鳩山政権が成立してからは、その主張を
そのまま実現するかどうかがはっきりしません。一方、アメリカ政府は「見直し
はしない」と鳩山政権に強く圧力をかけ続けています。さらに今になって「(新
基地の)50メートルの沖合い移動は可能」と言い出し、沖合い移動の要求がま
ったく無視されていた名護市長や沖縄県知事を懐柔することで、鳩山政権に激し
く揺さぶりをかけています。
 このような事態を見過ごすわけにはいきません。沖縄だけでなく、私たちも各
地でそれぞれが声をあげるべきではないでしょうか。緊急ですが、11・8県民
大会に呼応し、ぜひ、声をあげましょう!
 なお、県民大会の代表団は、オバマ来日までに政府要請などの東京行動を取り
組む予定です。

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主催:辺野古への基地建設を許さない実行委員会
http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html
電話090-3910-4140(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
FAX03-3234-4118(市民のひろば)
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戦争とメディア⑤         大西五郎氏

2009-10-29 10:11:48 | Weblog
敗戦と新聞の反省


日本は戦争に負けました。
1945年の8月23日、敗戦一週間後に、朝日新聞は「自らを罪するの弁」という社説を掲げました。そこでは、「敗戦に至った責任は決して特定の人々に帰するべきではなく、一億国民の偕(とも)に負うべきものであらねばならない」と書かれ、「しかしその責任には自ずから重い軽いがある。特に国民の帰趨、輿論、民意などに対し最も密接な関係をもつ言論機関の責任は極めて重い。この意味において吾人は決して過去における自らの落ち度を曖昧にし終わろうとは思っていないのである。いわゆる『己れを罪する』覚悟は十分に決めているのである。言論人として必要な率直、忠実、勇気、それらを吾人のすべてが取り忘れていたわけではない。もちろん当時に於ける施策と、吾人の属する組織との要請に従うべきは当然の話であるが、しかしその結果として今日の重大責任を招来しなかったかどうか。吾人の懸念は実にこの一点に掛かっている。吾人自らいかなる責任も、いかなる罪もこれを看過し、これを回避せんとするものではない。」という社説です。
私たちにも責任がありました、ということを初めて認めるわけです。そういうことで、新聞の内部から反省が起きます。戦時中は非常な言論統制があったとは云え、国民を戦争に駆り立てた責任というのはある。経営者とか編集の幹部に対して、その責任をあなた達はどう考えるんですか、という形で新聞民主化運動いうのが起こります。
そういう状況のなかで、朝日新聞は「国民とともに立たん」という社告を11月に発表します。「今後の朝日新聞は全従業員の総意を基調として運営されるべく、つねに国民とともに立ち、その声を声とするであろう」というものでした。
社長とか編集責任者がこの戦争は支持しなきゃいかん、この戦争は正しいものとして報道しなきゃいかん、と決めたら、全社員がそれに従って、そういう新聞を作ってしまった。だが、今後はそうではなくて、全従業員がみんなで話し合って、どういう方向に進むべきかを決めるべきなんだ。そして、国民の利益というものを考えて新聞の紙面を作らなきゃならないんだ。国民のその声を声とするであろう。こういう社告を発表して当時の社長の村山さんと、編集幹部が一斉に辞任しました。




国民のマスコミへの不信


ところで、現在の新聞やマスコミの状況というのは「国民とともに立たん」という状況にあるとはとても云えないわけで、国民の間には、非常な不信があります。
公平、公正と言いながら、結果的に政府寄りになってるんじゃないかという不信です。それから、マスコミは自己規制して政府に都合の悪いことを報道しないんじゃないかという不信もあります。それは政府の発表をそのまま報道するという戦争中の誤りが今も尾を引いているということです。報道によって世論が作られていくと、その世論に迎合するような報道になってしまうということもあります。
しかも実現可能性の高いものはニュースになりやすいけれども、そうでないものはニュースにしづらいと云うことがあります。その結果、民主的な運動というのは小さくしか伝えられない。いま衆参ねじれということが起こりましたが、衆議院では自公が多数を占めていますので、政府や自民党の言うことはそのまま政策として実行される可能性が大きい。ところが、民主党だとか、或いは、共産党や社民党という小さな政党が政策を打ち出してもそれが実現される可能性は少ないだろうと見るわけです。例えば消費税をなくせという運動が起こっていますが、消費税をなくせっていう署名が何百万人、千何百万人集まったとしても、いますぐ消費税廃止は起こらないだろうと判断すると、消費税をなくせという運動が拡がって署名が増えていることを知ったとしても、それはニュースになりにくい、ということが起こります。
戦時中のように政府権力からの直接的な統制というのは、もちろん現在はありません。情報操作はありますが、統制のような直接的なものはないわけです。しかし、新聞は基本的には現在の資本主義体制の下での一つの経営体です。ですから、新聞が資本主義をなくせ、などと云うことをニュースにすることはないわけです。
だからダメかと云うとそうではない。マスコミのなかで頑張っている人たちもいると云うことをぜひ知って頂きたいと思います。




取材の自由は国民の知る権利の具体化


いま、国民の知る権利ということが盛んに言われています。これは、国民が主権者として、国の行っていることを知る権利があるということです。一人ひとりの国民が直接その知る権利を行使することは難しいので、マスコミがその知る権利を代行しているわけです。マスコミが国民に代わって政府やその他の官庁がやろうとしたり、政党がやろうとしていることを国民に報せる。国民の知る権利を新聞やマスコミが代行するんだ、だからこそ、新聞、放送などのマスコミに取材の自由、報道の自由が認められている。取材の自由とは国民の知る権利を具体化するために必要だと云う権利です。
ですから、私たちはもっとマスコミに向かって、こういうことを知りたいんだ、だから調べて報道してくれと要求していくことが大切です。今インターネットで、新聞社や放送局のホームページを見ますと、一番下の方に、小さな字で「ご質問、ご意見」というのが出てきます。そこをクリックすると意見を言えるようになっています。一番下に小さく書いてるんでなかなか気づかないことが多いので、ほんとはもっと大きく出さなきゃいけないんですがね。




アクセス権行使の重要性


更には、自分たちの主張や自分たちの運動、いま私たちはこういう運動をやってる、だからこういう運動をやってることをもっとみんなに新聞や放送を通じて報せてくれ、ということを要求する。 これも国民の知る権利のひとつ、アクセス権と言います。「アクセス」近づくということです。空港へのアクセスをどうするか、などと新聞でよくアクセスという言葉が飛び交いましたけれども、このアクセス権というのを私たちはもっと活用をしていくことが大切です。
例えば、今日のこの集会についても、こういう集会やるよと云うこととか、この集会で行動提起がされて何かをやると決めたら、今度私たちはこういうことをすると決めました、だから、そのことを新聞で予告してくれ、或いはそれを取材に来て、その結果こうだったと新聞で伝えてくれ、と新聞なり放送局なりに要求していく。
マイナーな意見が伝えられることによって、やがてメジャーな意見になっていくということがあります。要は伝えることが大事だということです。マスコミが国民の知る権利を代行しているんだから、マスコミの義務としてそれをなすべきではないかとマスコミに向かって要求していくことが大事になるわけです。
これで、ひとまず私の話を終わらせて頂きます。



「戦争とメディア」④           大西五郎氏

2009-10-28 21:05:49 | Weblog
マスコミの側も積極的に協力加担


いままで言ってきたように、マスコミの側が国民を戦争に駆り立てる役割りを果たしてしまうわけです。なぜでしょう。
去年(2007年)の4月から今年(2008年)の3月まで朝日新聞の夕刊に連載された「新聞と戦争」というシリーズがあります。新聞がなぜ戦争を煽るようなことをしたのか。そのことを新聞社の内部から、当時の資料などを検証して、自分たちの責任を明らかにしていこう、ということで連載をしたんですね。連載を終わってから朝日新聞は「新聞と戦争」(\2,415)という一冊の本にまとめて出版しました。
その中に、満州事変が起こったときに、新聞の論説がどう移り変わっていったかが明らかになる部分があります。当初新聞は「軍隊が満州で勝手なことをするな」という論調を掲げていました。ところが、満州事変が起こると同時に、軍隊はこれ以上あまり無理なことをするな、に変わっていきます。ということは、最初に軍隊が行ったことは仕方がない、やむを得ないだろう。だが、これ以上のことはするなよ、という論調になるわけです。一遍そんなふうに足を踏み出してしまうと、後は止め処がなくなっていきます。新聞社でいろんな会議が行われ、この際は政府の方針に従うほかないだろうと決めると、そういう社説がどんどん作られていく。その経過が詳しく書かれています。




戦争へ国民を動員


1941年12月8日、太平洋戦争が始まります。その翌日、朝日新聞は「帝国の対米英戦線」という社説を掲げています。「いま宣戦の大詔を拝し、恐懼感激に堪えざるとともに、粛然として、満身の血の震えるのを禁じ得ないのである。」と書き出しています。大詔とは天皇が勅語みたいな形で国民に出すものですね。当時は朝鮮や台湾の人も含めて1億人と言っていましたが、「一億同胞、戦線に立つ者も、銃後を守る者も、」銃後という言葉が使われましたね、軍隊が前線に行くと、そのあと国を守るのが銃後、「一身一命を捧げて決死報国の大義に殉じ、もって宸襟(しんきん)を安んじ奉るとともに、」宸襟とは天皇のお休みになるところですね、「光輝ある歴史の前に恥じることなきを期せねばならないのである。今や皇国の隆替(こうたい)を決するの秋(とき)、」この隆替は今は使われない言葉ですが、日本の国がこれから栄えるのか、それともダメになるのか、それを決するときである。「一億国民が一切を国家の難に捧ぐべき日が来たのである。」
このように、国民は全部この戦争に協力しろ、こういう社説を掲げたわけです。

今云った社説にみられるように、新聞は積極的に戦争へ国民を動員するという役割りを果たしてしまいます。
毎日新聞の12月9日の社説も同じように、この戦争はアジアを開放する戦争なんだ。欧米の植民地からアジアを開放する戦争なんだ、ということを書きます。
さらに、先ほど少し触れたように、新聞8社主催で、米英撃滅国民大会を開いたりします。
さらに進むと、すべての政党を解散して一つの大政翼賛会となり、国会が、政府の戦争遂行政策に協力するという一色に染まるわけです。それと同じようなことが言論界でも起こります。言論界の大政翼賛会体制と云われるんですが、大日本言論報国会が作られます。
言論をもって国のために報じて尽くす、そのために新聞記者も雑誌の記者もその他の評論家なども一緒にならなければいけない、と言って結成するわけです。新聞、雑誌が雪崩をうって戦争遂行、国民を戦争に駆り立てると云う方向に行ってしまいます。




言論弾圧と闘った新聞人


だがしかし、軍国主義化に反対し、言論弾圧と闘った言論人も一部いたことはいたんです。

後に総理大臣になりましたが、石橋湛山という人がいます。この人は東洋経済新報という新聞の記者で、編集局長などをした人です。

当時は、満蒙特殊権益ということが言われました。、満州と蒙古は資源が豊富で土地も広い。満蒙開拓義勇団などが作られ日本各地の農村から満州へ行きました。日本は満蒙には特殊な権益がある、それを守るのは正当防衛なんだと政府や軍隊が言っていたわけです。それで満蒙では、そこに住んでいた人たちの土地を勝手に取り上げ、そこへ開拓団を送り込んだわけです。
それを批判して石橋湛山は、それではいけない、ちゃんと借りる契約を結んで、土地を利用させてもらうようにしなければいけないんだ。満州にある資源を勝手に日本へ持ってきてはイカン。きちんとした代価を払って、満州が経済的に成り立つようにしなければダメだ。そうしないといつまでも続くはずがない。日本が世界から孤立する道を歩むだけだ、と自分が編集局長をやっていた東洋経済新報を通じて盛んに主張したわけです。

ほかにも、桐生悠々という人がいました。新愛知新聞というのが当時ありました。現在の中日新聞は新愛知新聞と名古屋新聞が合併して出来た新聞社です。その新愛知新聞の主筆をした人です。その前は長野の信濃毎日新聞の主筆をしていました。
明治天皇が亡くなったときに、乃木大将夫妻が国葬で天皇の亡骸が宮中を出発する時刻に合わせて、夫婦で殉死するということが起こりました。殉死というのは自分の主人が亡くなると悲しんで家来が後を逐って腹を切ることですが、その殉死を遂げたわけです。
当時の新聞は一斉に乃木大将を讃えました。忠義の軍人だと云うわけです。
それに対して桐生悠々は、そんな悪い風習はやめるべきだ。天皇なり指導者なりが亡くなったたんびに優秀な家来がみんな死んでったら日本の将来どうなるんだ、そんな馬鹿なことはやる必要がない、と書いたわけです。
それから、「関東防空大演習を嗤う」という社説を書きました。関東防空大演習というのを軍部主導でやるわけですが、敵の飛行機が本土に来てから防ごうたって、そんなのは意味がないんだ。敵の飛行機が本土に来る前にやっつけるか、或いは、本土へ来るような戦争にならないようにすることが大事なんだ、と書くわけです。
当時は在郷軍人会というのがありました。徴兵制ですから、一定の期間軍隊の訓練を受け軍務につきますが、期限が来ると満期除隊と云って自分の家に返されます。戻った人たちが在郷軍人会を組織します。その在郷軍人会が桐生悠々はケシカラン。そんなやつの新聞はもう買って読まんぞ、といって信濃毎日新聞の不買運動を起こします。
信濃毎日の社長は小坂さんという人で、3代目の息子かなんかが、大臣になりましたけれども、小坂さんという人が困ってしまう。それで、桐生悠々はもうスパッと信濃毎日新聞を辞めて名古屋へ来て、新愛知新聞に入るわけです。新愛知新聞でも歯に衣着せずに軍隊を批判をするものですから、新愛知新聞の経営者も困ってしまった。桐生悠々はまた職を失うわけです。
その後どうしたかというと、「他山の石」という個人雑誌を発行しまして、ファシズム批判をつづけるわけです。

それから、福岡日々新聞(現西日本新聞)というのがあります。ここの主筆に菊竹六鼓という人がいました。1932年に5.15事件という反乱事件が起こります。陸軍の青年将校と海軍も一部入って、首相官邸などを攻撃しました。この事件に対して新聞は反乱を起こした軍隊にやや同情的な論調が強かったわけです。政治の腐敗、政党政治の堕落があまりにも酷いから、軍人が見かねて決起したのは理解出来るというような論調が多かったわけです。
それに対して菊竹六鼓はこれを批判するわけです。すると、当時福岡の久留米に師団がありましたが、その師団長が直接福岡日々新聞に抗議をします。その後、飛行機が飛んできて福岡日々新聞の上空を旋回します。5.15事件に対する社説を取り消さなければ爆撃するぞと脅すわけです。それにも拘わらず菊竹六鼓は節を曲げずに貫いた。

こういう人たちも中にはいたということなんです。
もっとこういう人たちの事績を私たちは讃えていく必要があると思っています。マスコミ、或いは新聞の全部が全部だめだったわけではないということです。




憲法講演会の案内 まもる

2009-10-27 21:22:22 | Weblog
★仲間から下記のような講演会のお誘いのメールをもらいました。紹介します。

日時:10月31日(土) 13時30分から16時

憲法講演会「憲法第九条はどのように誕生したか」

講師:憲法研究者 岩田行雄氏

場所:名古屋市女性会館(地下鉄東別院出口から徒歩3分)
参加費:700円

主催:(国民保護法制を考える会)西英子、
(9条は平和のお守り)たかだ洋子

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「現状が、何故そのようになっているのかということの理解がないと、とんでもない歴史を繰り返すことがある」

これはある著名な経済アナリストの方が、書かれていた言葉ですが、憲法論議にも当てはまるような気がしました。私たちが生まれる前、その時何があったのか。
改憲の立場から、または護憲の立場から、様々に伝えられてきた歴史ですが、本当のところ何があったのか、過去6年、国立国会図書館に残る資料を調べ上げて、これまでに3回資料集を発行された講師は、その時代のドラマを物語のように伝えてくれるでしょう。

「敗戦による占領下に押し付けられた憲法」「平和主義もいいが、もし、攻められたらどうするのですか」このような真面目な議論を真剣に問う人びとと、未来を見つめまじめに話し合うとき、自らも説得できる言葉を私は持ちたい。

このような問題意識に、岩田さんほど適切な講師は他にはないと、そう思います。
是非お出かけください。そして、関心を持っていただけるお友達の方にも、声をかけてお知らせください。

たかだ洋子


ヒットラー親衛隊の拍手? 谷垣氏のセンスを笑う。   まもる

2009-10-27 17:49:52 | Weblog
テレビが鳩山首相の所信表明演説の評価を各党首や国会議員、評論家に言わせていた。
 長すぎるだの、情緒的で中身がはっきりしないだの、同じ事の繰り返しだのと批判は多かったが概ね好意的であった。
 私もそれらの批評は当たっている面もあると思ったが、今までの自民党の総理に比べ自分の言葉で平易に語りかけていたのには好感が持てたし、自民党一党支配が終わり「平成の無血革命」とか「戦後行政の大掃除」だのには共感も出来拍手したくなった。現に総理の演説の一区切り毎に拍手がわき、最後には民主党議員を中心にスタンディングオベーションが起こったのにも納得でき、時代の変化を痛感したのである。まあ大げさに言えばこういう時代に生きて出会えて痛快だとも感じた。

 ところがである、自民党党首谷垣氏は、記者に感想を問われてこういったのである。
 「民主党議員の拍手はヒットラーユーゲント(ナチス党の青少年組織)がヒトラーの演説に賛成しているような印象を受けた」と(産経新聞参照)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091026/stt0910262215009-n1.htm

惨敗した党首としての悔しさは解らぬではないが、あの拍手にナチス親衛隊の拍手を想像した人が一億二千万の国民の中に何人いたであろう?
 異常なのは拍手ではなくて、時代を読めない谷垣氏の政治的センスであろう。
 そんな感想を公式の場所で得意げに話すようでは自民党の消滅も近いのではないだろうか。

コメント (0) | トラッ

ハローウィン     まもる

2009-10-25 10:40:56 | Weblog
孫にせがまれて百円ショツプに出かけた。
 お目当てはハローウィンなるお祭りのグッズである。
 魔女の帽子やら、魔法のステッキやら、黒いマントやら、かぼちゃの提灯やら所狭しと並べてある。
 ちょつと見栄えのいいものは百円では買えない。
 姉弟で競争で籠に放り込む。
 姉は魔女に変身し。弟はかぼちゃのお面と骸骨のオモチャである。
 「何の祭りか知ってるのか」と聞くと「みんながやってる祭りだという」

 食堂でパンプキンケーキを食べさせて、「そもそもハローウィンとはケルトの・・・」と含蓄を語ろうとしたが、二人とももう魔女と骸骨君の気分で聞く耳はない。
 帰って歳時記を調べたがバレンタイン同様ハロウィンは載っていなかった。
 なぜかホッとした。


平和を願い、415名がつどう!平和の集いのご報告。   事務局

2009-10-25 10:08:22 | Weblog
「第3回昭和区平和のつどい」(以下、つどい)は、10月4日午後1時30分から地元の「名古屋柳城短期大学体育館」をお借りして開催しました。
「つどい」は、実行委員長の小島弁護士の開会あいさつで始まり、第Ⅰ部では「沖縄戦争と戦後の基地問題」のDVD上映、元沖縄県知事大田昌秀さんの講演(80分)を行いました。
第Ⅱ部は、「AJU自立の家」の舞踏チーム(約30名)「あじゅら」による踊り、70人合唱「われら愛す」「島唄」、全員合唱「花」が歌われ、桜花高校のインターアクトクラブの生徒(35名)によるミユージックベル演奏「負けないで」をフィナーレとしました。

【第Ⅰ部】
大田元知事は、84歳とはとても思えない張りのある声で熱心に話されました。
最初に、高校生の参加を踏まえたコメントをされてから、第二次世界大戦の沖縄戦で日本軍が県民に何をしたのか、①沖縄弁を話す県民をスパイとして処罰し、②アメリカ軍に見つかるからと鳴き声を出す赤ちゃんを殺し、③住民を戦闘に狩り出す。④日本軍同士が食料を求め殺し合うなどと、具体的な事実を紹介し、軍隊は決して住民を守らない、と強調しました。
また、沖縄を占領したアメリカ軍は、当初は県民に友好的であったが世界戦略の変更により、基地を拡張するために農地を強制的に取り上げ、生活の基盤を奪った。それらは県民の反感を買い、反米の考えが浸透していった。
日本に復帰後も基地は強化され、米軍による暴行、犯罪も後を絶たず、現在も基地沖縄の問題は解決されずに残っている。と話されました。
そして、最後に日本は中国、韓国へ謝罪をしていないと言われるが、憲法九条が謝罪である。また、戦争をしないという国際公約である。九条を大切にしないといけないと語り、会場からは万雷の拍手が送られました。

【第Ⅱ部】
「あじゅら」の踊りは子どもから大人、障がい者もひとつになった踊りで、
「みんなが楽しそうで元気でいたことが嬉しかった」という感想のように会場も一体になっていました。
「70人合唱」は、練習を重ねた成果を発揮し、ピアノやキイボードに加え、三線やエレキギターも入れた合唱は、参加者を驚かせたことでしょう。
「年々よくなっている、来年はもっと楽しみ」、「幻の国歌:われら愛すを本当の国歌にしたい。歌い続けて」という感想が多くありました。
「インターアクトクラブ」(桜花高校)は、会場設営、幕間の「手遊び」、ミユージックベル演奏によって、大人たちの心をぎゅっと掴みました。
「うちの孫もあんな風に育ってほしい」というつぶやきもそこここから聞こえてきました。
「つどい」に参加者された方から「平和の思いが詰まっていてよかったわ」という感想もたくさんいただきました。
会場の後方では、大田元知事のサイン会と書籍販売、沖縄物産販売、ワインの販売、九条グッズの販売など会場の片隅で行われ、たくさんの買い物をして帰られる方も見かけました。トータルとして、参加された皆さんに沖縄を感じていただけたのではないかと思っています。
なお、プレイベントとして行われた「あんやたん沖縄写真展」(9月28日~10月4日)には約100名の方に観ていただくことができました。

今回の「平和のつどい」は、従来行ってきた「九条の会」の主催ではなく、平和を求め、九条を守る団体や個人の参加で実行委員会をつくりました。
この機会に、実行委員会について説明をさせていただきます。実行委員会には団体としては、AJU自立の家・ピースナイン、区内の保育園九条の会、昭和区九条の会、日本聖公会・関連団体、法律事務所・倶楽部などが入っています。
実行委員会をつくるにあたって、以下の事を条件にしました。
①思想、支持政党、宗教や社会的地位や年齢も問わないこと。
②平和を守る、九条を守るという考えで一致する団体、個人であること。
実行委員会に参加した団体、個人は、話し合いを踏まえ、国民投票法の施行を来年に控えたいまだからこそ、改憲を目指す人々からの攻撃に負けず、「平和をまもる!」という主張をする昭和区民をもっと多くにしなければならない、という願いを込め、今回の共同開催を行う事にしました。
来年も、再来年もこれらの方向を追求し、参加団体や個人をもっともっと多くして「平和の声」を広めていけるよう努力したいと考えていま

「第3回昭和区平和のつどい」のアンケート結果(46枚)・・ご協力ありがとう

2009-10-24 11:49:51 | Weblog
1.記念講演「沖縄戦を通して憲法を考える」について
 (ア)良かった45名 (イ) 普通1名 (ウ)良くなかった0名
(コメント)・・・スペースの関係で一部のみ紹介(以下同様です)・・・
★体験証言、高度な研究成果の発表で沖縄の現実を見た。憲法の意義、沖縄と本土との関係・米国と日本との関係を再認識した。DVDの再生装置、映写幕が前近代的で残念。
★実際に経験された方の話、そしてその方が先頭に立たれて行動を起こすという大切さ、 身にしみました。  ★最後に引用された永井隆さんの言葉が心に刻まれました。
★話はやや分かりづらかったが、DVDを含めて良かった。戦争を知らない国民が多くなり、 いかに悲惨で無意味なものかをよく知る事で憲法の大切さも生きてくるし、どう行動するかが見えてくる。  ★憲法から疎外され続けた沖縄の熱い思いと闘いを学べました。

2.舞踏「あじゅら」(健常者と障がい者チーム)について
(ア)良かった28名 (イ)普通5名 (ウ)良くなかった1名 (無回答)11名 
★「あじゅら」の歴史などを説明してもらうと更に良い。 ★皆が楽しそうで元気でいたことが嬉しいです。 ★お子さんが可愛かった。 ★若い人たちの活力に期待します。

3.70人合唱「われら愛す(幻の国歌)/島唄・花(全員合唱)」
(ア)良かった30名 (イ)普通2名 (ウ)良くなかった0名 (無回答)14名
★会にぴったしの選曲だったと思います。 ★よくハーモニーしていました。 ★昨年より充実感を与えられました。 ★真の意味での「国歌」に相応しいと思いました。

4.ミュージックベルの演奏(桜花高校インターアクトクラブ)について
(ア)良かった35名 (イ)普通0名 (ウ)良くなかった0名 (無回答)10名
★優しい音色とボランティアありがとう。 ★アンパンマン、納豆、たまごの授業アリガトウ!! ★爽やかな高校生たちでした。 ★熱演をいつまでもいつまでも。

5.「第3回昭和区平和のつどい」の全体について
★会場のせいか、去年より一体感があり良かった。 ★やや暑かったけど、講演、合唱、 踊り、ハンドベルすべて満足しました。  ★高校生の皆さんありがとう。


『昭和区九条の会総会』のご連絡   9条の会ニュースから

2009-10-23 21:54:48 | Weblog
★今月から「昭和区 9条の会ニュース」をこのブログにも転載することとしました。双方向のメディアの利点を生かしたいと思います。是非コメントください。
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「昭和区九条の会総会のご連絡」

(日時) 11月22日(日)
       午後2時00分~4時(予定)
(会場) 生涯学習センター
(講演) 大西五郎さん(元CBC)

★大西さんは、CBC放送局次長職、愛知大学教授を歴任され、現在は日本ジャーナリスト会議・東海代表、東海放送人九条の会代表運営委員をされています。講演では、マスコミ報道の実態や新政権下の9条運動などをお話しいただく予定です。

☆大西さんの論評は、このブログでも連載していますので是非お読みください。

【総会は】
一年間の活動報告、会計報告を行い、運動の方向、方法などについてお互いの意見を交換する会です。また、来年5月の国民投票法の解禁(施行)を踏まえ、日本の平和をどう守っていくのか、知恵を出し合って効果的な行動、方法を求めて行く会でもあります。 皆さんの参加をお待ちしています。