竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

孤独な旅人の不安

2009-12-23 09:00:01 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読
 孤独な旅人の不安      (39)

いづくにか 舟泊(ふなは)てすらむ 
安礼(あれ)の崎 漕ぎ廻(た)み行きし
棚なし小舟    高市連黒人(巻一)
 
どこに舟泊まりするのであろうか。さっき安礼の崎を漕ぎめぐって行ったあの棚なし小舟は。

旅にして もの恋しきに 山下の 
赤(あけ)のそほ船 沖に漕ぐみゆ
          前の歌と同じ(巻三)
 旅先にあってなんとなく家郷が恋しく思われる時、ふと見ると、さきほどまで山の下に碇泊していた朱塗りの船が沖の方を漕ぎ進んでいる。

 高市黒人は、持統・文武両朝に仕えた、身分の低い官人らしいが、詳細な経歴は不明。万葉集所収の十八首は、ほとんどが旅に関する歌である。
『古典集成』は、ともに昼の歌として解釈しているが、「同じく黒人の作でも、単純に昼間の景として描き出された(後の)歌と違って、(前の)歌は、夜の闇黒に縁取られた中に、あたかもそれと対照をなすかのように、明るい昼間の光景が描き出されている。単純な平面的な叙景歌でなく、甦らせたイメージのなかに浮かび上がった、想の厚い叙景歌である。」(山本健吉)

 山本健吉は、日本文学大賞を受賞した大著『詩の自覚の歴史』の序章において、万葉集の中には「群の場での楽しみのうた」と「群を離れての詩」とが、共存しており、「混沌未分の中に生まれた日本人の詩の声が、次第に自覚を持ち始め、ひとりごころのかなしみの声を胎んでゆくさまをとくと眺めてみたい。」と述べている。
 この高市黒人の旅の叙景歌も、従駕中の宴席で披露する「楽しみのうた」として作られたものであろうが、作者個人が感じている「孤独な旅人の不安」を自覚的に表出しており、それは彼自身の魂を鎮める抒情詩になっている。ただ、後世の旅の詩人・芭蕉のように、「漂白の思い」に取り憑かれて、「(人生は)日々旅にして、旅を住みかとす」と言い切るほど開き直っているわけではない。
          

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