竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

光源氏の老後(中)

2012-10-19 09:04:48 | 日記
源氏物語・ざっくり話

  光源氏の老後(中) 

 六条院の欺瞞(明石一族の執念)

 光源氏の四十賀の翌年三月、東宮に入内していた明石女御が六条院で男御子を出産する。その産屋は、実母明石の上の住む冬の町に設けられていた。これまで明石の上は、女御の義母・紫の上に遠慮して、近しく娘と顔を合わせることもできなかったが、年老いて惚け気味の祖母の明石尼君は、孫娘の近くに侍ることを喜び、「強い語り」のように明石での姫君誕生や母子の別れなどの昔話をする。初めての出産を控えた明石の女御は、あらためて血縁の繋がりの強さを実感する。これまでは育ての母である紫の上だけを慕い、生みの母には通り一遍の気持ちで対していた自分が悔やまれた。
 六条院は、光源氏の政治的配慮によって構築された養子・養女による虚構の空間である。秋の町に住む養女の冷泉帝妃・秋好中宮の実母は六条御息所であり、夏の町には、生母葵の上を喪った夕霧が花散里を代母として住んでいる。明石の女御の出産は、はからずもこのような六条院体制の欺瞞を暴露させる結果になった。
 皇子誕生の報に接して届いた、明石入道からの遺書ともいうべき便りには、皇子出生は自分の執念によるもので、そのめでたさは、光源氏ではなく、明石入道一族のものであることが強く主張されていた。六条院の中で最も低い地位にあり、「隠れの方」とされていた明石の上こそ、光源氏の将来の栄華を補償するキーパーソンであったのだ。

 六条院の亀裂(女三の宮と柏木の不義)

 明石の女御が皇子を出産し、内裏の東宮のもとに帰参して、六条院にようやく有閑の日々がもどった春の夕刻、春の町で、夕霧・柏木(従兄弟同士)などの若い世代によって蹴鞠がおこなわれた。ひとしきり鮮やかな身のこなしと足さばきを競ったあと、ふたりが寝殿の階段の中ほどに座ってひと休みしていると、猫が戯れて、御簾を引き上げたため、思いがけず女三の宮を垣間見てしまう。その姿は、かねてから女三宮に焦がれていた柏木の目にくっきりと刻みこまれ、その後柏木はその幻影を追い求め続けるようになる。
 それから六年後、冷泉帝が退位して女三の宮の弟で朱雀院の子の東宮が今上天皇として即位する。紫の上が突然発病し、その療養のため、光源氏とともに二条院に移る。ひとり残されて孤閨を守っていた女三の宮のところに柏木は強引に近づき、密通する。その事実は、女三の宮の手落ちからすぐに源氏に知られてしまう。やがて、女三の宮は懐妊し、源氏の怨みのまなざしに射すくめられた柏木は、そのまま病に臥せってしまう。女三の宮と柏木には、当初から心の通い合いと信頼がなく、愛恋と言えるものではなかったが、光源氏は、惨めなコキュ(寝取られ男)となった。自分の立場上、このことが世間に漏れないように硬く隠蔽しなければならない。そのうえ娘婿として、日延べになっていた朱雀院の五十賀も主催しなければならない。これまで六条院の秩序を支えてきた援護者もなく、光源氏は、ひとり、しのびよる老いと戦いながら、凄絶な執念の演技を繰り広げるのだ。


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