竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

『ひとりごつ』(38) 二つの祖国(2)

2016-03-26 09:48:49 | 日記

『ひとりごつ』(38) 二つの祖国(2)

  私の日韓友好体験①  二人の李さん

 生来、出不精のわたしでも、定年退職後の10年ほどは、妻のペースに嵌められて、外国の主な観光地を選んで、まめに出歩いてきた。その際にお隣の韓国は、ランクインしなかった。しかし、私にはまだ血気盛んな頃に、二度にわたり、韓国の人と親しく交流したことがある。

 昭和20年の敗戦後しばらく経ってから、私の通学する小学校に、それまで、すぐ隣にあった「在日朝鮮人学校?」が編入され、一緒に机を並べて勉強することになった。各クラス2,3人が仲間入りすることになり、私のクラスには、李さんという男女二人が加わった。私はその「お世話係り」を任されていたが、日本語ではほとんど応えようとしないので、その対応に苦慮した。ところが、しばらく経ったある日、彼らは一斉に学校から姿を消してしまった。その事情について学校から説明があったに違いないが、私が納得したのは、後に中野重治の本を愛読するようになってからであった。

 中野重治詩集の中で、私が最も好きな詩は、「雨の降る品川駅」である。その冒頭の一節は、以下の通りである。

 辛よ さようなら

 金よ さようなら

 君らは雨の降る品川駅から乗車する

 

 李よ さようなら

 も一人の李よ さようなら

 君らは君らの父母の国にかえる

 

 君らの国の河はさむい冬に凍る

 君らの反逆する心はわかれの一瞬に凍る

 

 海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる

 鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる  (以下略)

 

 遠い少年の日に私が遭った、二人の李さんが向かったのは、北か南か、杳として行方は知れない。ようやく彼らが帰りついた「祖国」は、今も二つに分かれているのだ。もはや再会することもあるまい。


『ひとりごつ』(37) 二つの祖国(1)

2016-03-20 11:18:14 | 日記

『ひとりごつ』(37)  二つの祖国(1)

   贈呈された詩集

  過日、およそ半世紀前の教え子の高橋瑠璃子君から上品な装丁の処女詩集『たまどめ』が届けられた。私が母校・出雲高校に赴任して間もない頃の生徒で、直接の担任ではなかったが、その夫君とともに新聞部活動で縁があった。

 この詩集の「あとがき」によれが、彼女は20歳過ぎから詩作を始めていたようであるが、「40年以上もの時間の中で寡作で」「微弱な光を発していた」作品が思いがけず発掘されて、上梓するに至ったという。

 一気に全作品に目を通した。いずれも味わいの深い詩ばかりであった。彼女の人生の折々のことを、しっかりと踏みしめて、「達意」の詩語を紡ぎ出している。中でも、私が共感を寄せたのは、「Ⅳ章 家族の肖像」に収められている詩であった。

 例えば、「二つの祖国――ゆみに」の一節

2008年5月11日 日曜日は母の日/じじとばば二人暮らしのリビングに鳴った/電話の音/ゆみ それは心やさしく聡明な/おまえのオンマの一つのはかりごと/「タカハシ ユミちゃーん」と呼ぶ/オンマに続いて「はーい」と/あえかにも女の子らしい声で/一歳七ケ月のおまえの/おお しかと聞いたぞ (中略)

人に 二つの祖国があるなんて/とても大きなこと/やがて おまえも歴史を学ぶだろう/狭間にあることの切なさに負けないで欲しい/ゆるして欲しい父の祖国を あやまちは/もう決して繰り返されることはないのだから/真っすぐな心でみつめてごらん母の祖国を/遥か遡れば何と多くのものを/私たちにもたらしてくれたことだろう(以下略)

 事情を推測すれば、作者夫妻(じじ、ばば)の息子は、隣国・韓国の女性と結婚し、母の日に、その息女の声を届けるために、国際電話をかけてきたのであろう。

 その頃の私の教え子たちは、日本のいわゆる「高度成長期」に就職し、結婚したものが多く、現在でも、その子どもの家族と国を隔てて生活している者が多い。遠く隔てられた親子が、互いに気遣いながらその絆を確かめあう姿は永遠のものである。

 私のような老齢の者には、殊に切なくせまってくるものがある。


『ひとりごつ』(36)  人文社会学も復活を

2016-03-12 14:13:47 | 日記

『ひとりごつ』(36) 

      人文社会学の復活を

 この春、親戚の娘から大学合格の報が届いた。3月31日生まれで、生来ののんびり屋で、21世紀になっても、古代中国の官吏登用試験「科挙」の名残を留めている日本の大学入試の苦難に耐えられるか、家族は心配していたようだが、なんとか滑り込むことができたようだ。

 すでにご案内のとおり、このところの日本の大学教育は、大きな転換期にある。2013年、文科省が示した「国立大学改革プラン」に基づき、各大学は学科の改変に大わらわである。なにしろそれが大学運営の予算に反映されるのである。要は、「国際的にも持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す大学」に転換させようという、勇壮な「言あげ」をしているのである。その結果、例えば「人文社会学」などという古来からの学科などは、真先に縮小、改組にリストアップされている。現に、多くの大学は、唯々諾々とそれに従っているようである。

 能天気でお人好しの娘は、事もあろうに、その「人文社会学」を第1志望にしていたのである。私としては、当今の大学入試事情を説明しながら、人間学、社会学、心理学、文化人類学、歴史文化などと、専門分野がやたらに広く、焦点が定まりにくい旨を説明したが、流行の学者・レヴィストロースなどの名前を挙げて、逆に私を責め立ててくる始末である。

 今、私が読みさしの『日本の文脈』(内田樹・中沢新一)によれば、日本語の人文科学というのは、「ヒューマニティーズ」の訳語で、人類、人間性、慈愛、人情などの広い意味を持ち、本来は人類に係わること総てにかかわるという。日本のように、「ガラパゴス先進国(少子高齢化社会)」では、世代を超えて伝達継承される「物語」(例えば、「人文社会学」)が重要で、自尊心の強い高齢者は、「俺には教えたい事がある。有為の若者よ、俺の話を聴きにこい。」と呼ばわることである。「どうしても教えたいことがあるから教える」、それが教育者の基本の構えである。

  本音を明かせば、私もかねてから、近年の大学生の学究生活もそこそこに、「就活」「婚活」などにウツツを抜かす実態を見聞きして、鳥肌が立つ思いであった。少なくとも文科系学部においては、もっと幅広く、時代を超えて伝承されてきた有形、無形の人文社会遺産を重視すべきである。

 ともあれ、大学合格おめでとう。豊かな大学生活に幸あれ。


『ひとりごつ』(35)   「日本近代文学耕読」を必修科目に

2016-03-05 10:57:38 | 日記

『ひとりごつ』(35) 「日本近代文学耕読」を必修科目に

  前回は、「漱石耕読」の跋文を兼ねて、水村美苗の『続 明暗』を取り上げ、その小説としての完成度の高さに、圧倒された思いを述べた。私のごとき老兵が、勝手にブログなどを立ち上げて、長年にわたり、自分の無知を店晒しにするのも、そろそろお開きにしなくては、という思いを強くした。そうした矢先に、高校以来の旧友のH.T君の訃報が届いた。彼は、若いころから異能の書家として、地方文化を支えてきた。過日、私が押し付けがましく拙著を謹呈したところ、時を過ぐさず、「稽古 照今」と自ら揮毫した色紙が届けられた。その箴言は以後、常に座右にあって、私を叱咤してくれている。たとえ、無常の風に煽られて、今生の交友は途絶しても、彼の遺志に背くわけにはいかない。

 水村美苗については、『日本語が亡びるとき』という彼女の新書本を取り上げ、夙に、その先見性に深く敬意を表していたアメリカ在住の日本人作家である。その書によると、いまや世界は「インターネットの時代」で、「英語の世紀」に入った。アングロサクソンの母語である「英語」だけが世界の「普遍語」となり、「日本語」はもとより、その他のすべての言語は、「現地語」なり果てる可能性があるという。それに対するとりあえずの現実的対策として、彼女は「日本の国語教育は、まずは日本近代文学を読み継がせる事を主眼に置くべきである。」と主張するのである。彼女の挙げる理由は、こうである。

 それは、①「出版語」として、規範性を持って広く流通した書き言葉である。②西洋語の単なる翻訳でない、新しい「出版語」を生むために、日本の古層を掘り返し、日本語のもつあらゆる可能性をさぐりながら花ひらいてきたものである。③日本語が四方の気運を一気に集め、もっとも気概と才能もある人たちが競って執筆したものである。④子供のころ、あれだけ濃度の高い文章に触れたら、今巷に漫然と流通している文章がいかに安易なものか肌でわかるようになるはずである。⑤日本の良心的な国語教師たちにとって、血湧き肉躍る教えがいのある授業となるはずである。

 年暮れて わがよふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな

 これは、紫式部が詠んだ晩年の和歌とされている。この歌が、こうしてしみじみと私たちの心の中に入ってくるのも、日本近代文学が、過去の文学の古層を生かしながら、花開いていたからこそであった。

 それにしても、いまさら何を思いつくにせよ、わたしに残された時間はあまりに少なすぎる。