竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

『ひとりごつ』から『ひとりながめる』へ 個人的事情

2016-11-13 09:04:42 | 日記

『ひとりながめる』(1) 個人的事情

『ひとりごつ』から『ひとりながめる』へ

    太古よりよろずの神の集ふ山 

 私は、16年前に定年退職した後、家族ともども市街地に隣接する転用農地のひと隅に、新居を建てて、移り住んだ。まさに屏風を据えたように、ま近に列なる北山連峰が一望できる、ロケーションだけは、抜群の一等地であった。この山なみは、『古事記』では、「宇迦の山」と呼ばれ、それに因ると、わが出雲の「大国主命」が、義父の須佐之命の指示に従って、嫡妻のスセリヒメと協力して。その麓を拠点として、国づくりを完成させたところとされている。つまりは、大和への「国譲り神話」の表舞台となった、おなじみの場所である。

 私は、この10年あまり、自分の健康保持の名目で。大型犬のラブラドール・「リョウ」(すでに一昨年に他界した)に引っ張られながら、朝な夕な自在にこの田圃道を歩き回っていた。 

 こうなる事態は、予てから薄々とは予想していたが、すぐ近くのスーパーマーケットが、巨大戦艦を思い出させるような異様な、しかし、どこか前衛的なスタイルで、改装された。途端に周囲の街の表情まで変わってきた。わたしが、秘かに「出雲の田園調布」と名づけた我が家周辺の田園風景が、ここにきて一変する雰囲気になった。一階のダイニングと二階の私のベッドルームには、その北側にことさら広く大きなガラス扉をつけて、北の展望を愉しんできた。ああ、世も末だ。

 そこで、とりあえず、現在の私の心境を、額田王のパロディ歌で吐露する。

  太古より万の神の集ふなる 宇迦の山なみ隠さふべしや       


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