竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

『ひとりごつ』(53)哲学者が捉えた「古代日本人のこころ」③

2016-06-25 09:56:44 | 日記

  仏教の受容(1) 霊(たま)信仰と仏像崇拝 

『日本書紀』によると、552年が「仏教公伝」とされている。この年に百済の聖明王から日本の欽明天皇に、仏像と仏具と仏典を送り届けてきたという。これを受けて大和朝廷の豪族たちは、「崇仏派」(蘇我氏ら)「排仏派」(物部氏、中臣氏ら)が鋭く対立した。そこで天皇は、とりあえず頭目の蘇我氏に仏像を託し、これを礼拝させた。

 旧来の自然神や祖先神を祀る信仰に対して、外来の仏像を拝むというのは、全く質の違う信仰の形である。それまでにすでにあった宮廷内の氏族の政治的対立が、仏教公伝を機に、宗教的な対立として露出したのであろう。両派は兵を興し、最終的には、蘇我馬子が聖徳太子などの助けを得て、崇仏派の勝利で終結した。こうして公認となった仏教の受容は、日本の精神史にとって重大な意味を持つことになった。 

 それまで古代日本人の信仰の対象となっていたのは、広く「神」の名で呼ばれていた。並外れた特別の威力を持ち、畏怖せざるをえないもののすべてを指していた。種々雑多な神が天地のあらゆる所に存在するという多神教が日本の古代人の信仰世界だった。その神の威力を引き出したり鎮めたりするのが、「神を祀る」という信仰の形であった。いわゆる「魂振り(たまふり)」、あるいは「魂鎮め」である。

 「たま」は、自然界に存在し、人間の心身に感じ取られる存在だった。気息を整えてその霊威を感じ取ることができれば、たがいの共同意識として霊との交流がなりたつ。それが古代人の「精霊(たま)信仰」の土台をなす情感だった。亡くなった先祖の魂は「先祖霊」という一つの霊体に融けこんで、子々孫々の生きる郷土の近くにとどまっていること、それこそが日本古来の先祖崇拝の土台をなすものであったと柳田国男は、指摘している。現代の宗教学者・山折哲雄は、このような古代人の信仰における神と霊との関係認識は、現代人にも近しいものと考えている。


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