竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

光源氏の野心(上)

2012-09-28 09:07:28 | 日記
 「源氏物語」・ざっくり話

    光源氏の野心(上)
       
男たちのための「源氏物語」

 これまで、多くの研究者の間では、「源氏物語」は、王朝期の後宮(サロン)で語られた「女の、女による、女のための物語」として捉えられてきた。遠い昔の王朝時代に、後宮の女君たちが女房に物語を音読させ、美しい絵巻を眺めながら、日本特有の四季の移ろいの中で、男女の情愛の醸し出す「もののあはれ」にひたるべきものと考えられてきた。しかし、以前、京都の「源氏物語千年紀展」で、157点に及ぶ展示品を見て、わたしは衝撃を受けた。「源氏物語」は、実は「女による、男たちのための物語」でもあった。なんと中世以降の武家社会の男性の権力者までもが、例外なくこれを珍重して愛読していたのだ。
 現存する最古の写本である「河内本源氏物語」は、源頼朝の信頼厚かった河内守源光行、その子親行、その孫義行が、三代引き継いで完成したものである。そして、その後、日本史上で一時代、絶対的な武力と政治力を把持していた北条、足利、織田、豊臣、徳川のいずれもが、権力維持の聖なるテキストとして、源氏物語を大切に取り扱ってきた。
 晩年、能楽に夢中になった秀吉は、「源氏供養」を十八番(おはこ)として舞っていたと言われているし、家康は、大阪冬の陣、夏の陣の前後に、四回にわたって源氏物語の秘伝の伝授を受けていたとされている。彼らはなぜ、それほどにこの古典に傾倒したのか。源氏物語から何を読み取ろうとしたのであろうか。

 王権の興亡の物語

 源氏物語は、例えて言えば、巨大な多面体である。前稿で、わたしは「王朝時代の薄幸の皇子の宿命的な愛恋小説」として、その構想を分析したが、実は、この捉え方は、五十年前、わたしの学生時代の頃の通説であった。その後近年に至るまで、わたしは、この愛恋ドラマの背景に、天皇制(あるいは摂関制)という国家体制の中で、権力者の興亡の影がうごめいているのを見逃していた。
 源氏物語の最近の解説書、例えば、日向一雅「源氏物語の世界」(岩波新書)三田村雅子「源氏物語――物語空間を読む」(ちくま新書)などでは、「王権の物語」という視点から分析されている。それらによると、源氏物語の第一部(「桐壺」の巻から「藤裏葉」の巻までの三十三帖)は、二つの系列が綯いあわされる形の構成をとっているという。一つは「桐壺系」(十七帖)で、高麗の人相見の「帝王の相」の予言を起点として、光源氏がそれを成就するまでの物語であり、いま一つは、「帚木系」(十六帖)で、「雨夜の品定め」を起点として、光源氏が愛の遍歴をする物語である。この際、あえて前者の系列の巻だけを取り出して、華やかな愛恋の背後に隠されている王権の興亡の顛末を大づかみにあとづけてみたい。

(1) 光源氏の憤懣
 桐壺帝は、即位当初から、権勢家(藤原氏)の圧力を排除し、自らの親政をめざしていた。すでに右大臣の娘・弘徽殿の女御との間に第一皇子をもうけていたが、うるさい権勢の後盾のない更衣ばかりを寵愛し、第二皇子を誕生させる。しかし、母の更衣は、その後周囲からますます激しいいじめを受け横死する。帝は、その子が将来後継争いに巻き込まれるのを案じて、やむなく「源氏」として臣籍に降下させる。
 光源氏は、成長するにつれ、兄の第一皇子と比べると、容貌、心ばえ、才覚など、あらゆる点で落差が明らかになり、理不尽に自分が皇位から疎外されたことへの憤懣が募ってくる。満たされぬ思いを紛らすように女性遍歴を重ね、ついには亡き母と生き写しと言われる若い義母藤壺への愛恋の情が抑えがたいものになる。 
(2)光源氏のストレスと再生
 一途な藤壺への愛恋は、ついに不義の子を誕生させ、その罪障感と外部への取り繕いのためのストレスにより、「わらは病み」となった源氏は、北山の聖から加持祈祷を受けて、しだいに元気を回復する。そして、藤壺の形代とも言うべき少女・若紫を垣間見る。源氏に引き取られた若紫は、マイフェアレディとして養育され、正妻紫の上となり、源氏の心の支えとなる。
 やがて桐壺帝は、退位し、源氏と藤壺の子・第二皇子は、二人の陰謀どおり、東宮となるが、右大臣勢力を後見とする朱雀帝(第一皇子)の御世となり、再び光源氏は孤立する。
(3)光源氏の贖罪
 その苛立ちが朱雀帝の寵姫朧月夜との一夜のアバンチュールに駆りたてる。その関係が発覚し、源氏は、官位を剥奪され、自ら須磨に退去する。流謫の地で、源氏は、精進と修業の日々を送る。二週間にわたる激しい雷雨に襲われ、それに耐えることで、罪と穢れを祓う禊(みそぎ)を受けた源氏は、再生、復活する。故桐壷帝の夢のお告げに導かれ、明石に移り住み、明石の君と出会い、新たな活力と生命力を身につけ、都に復帰する。
(4)光源氏の復権
 都では、朱雀帝が退位し、源氏の不義の子冷泉帝の御世がスタートする。晴れて源氏はその後見役となり、権力の中枢を握る。これまで自分に敵対してきた勢力を一掃し、准太上天皇の待遇を受け、豪邸六条院にゆかりの女君すべてを住まわせ、わが世の春を謳歌する。

愛恋大河小説「源氏物語」の構想(下)

2012-09-21 09:30:18 | 日記
「源氏物語」・ざっくり話
  
  愛恋大河小説・「源氏物語」の構想

 第二部 離反する魂(「若菜上」の巻から「幻」の巻まで)

 光源氏は40歳に達し、ようやく老境に向かうころ、兄・朱雀院のたっての願いから、その内親王(幼いだけで心ばえのない)女三の宮が降嫁する。それを機に平穏な六条院に暗雲が漂いはじめ、苦悩の色彩に塗られた男女の心理の行き違いが表面化してくる。子宝に恵まれないものの、ようやく正妻としての地位を確立していた紫の上が気遣いの果てに、病いを発し、死の床に伏せってしまう。光源氏がその看病にあけくれている間に、かねてより秘かに思慕を抱いていた柏木が女三の宮と密通し不義の子が誕生する。その秘密を知った光源氏は、かつて自分が藤壺に犯した罪を顧み、宿業の深さに戦慄する。
 因果応報。第一部に続く愛恋の相似と反復である。しかしながら、柏木の女三の宮への思いは、けっして「愛恋」ではない。確かに、柏木もかつて女三の宮の評判を聞き、他の公達と同じように懸想をしていたが、六条院の庭で猫が偶然に簾ひきあげたおり、その姿を垣間見て心を動かされただけなのだ。それは単にゆきずりの衝動であり、宿命的な「魂乞い」ではない、やがて女三の宮は出家し、柏木、さらには紫の上は憔悴し、衰弱死する。それぞれの魂は減衰し、離反してゆく。光源氏は寂寥の中に取り残され、嵯峨院に隠棲する。その死については、「雲隠」という巻名に暗示されるだけである。

 第三部 たゆたふ魂(匂宮の巻から夢の浮橋の巻まで)

 光源氏は、すでに世を去っている。これまで展開してきたプロットはすべて落着した。話は光源氏の孫の世代にうつる。舞台も京から宇治に転換する。主人公は女三の宮と柏木との不義の子である薫の君と源氏の娘の明石の中宮の生んだ匂宮である。自分の出生に疑問を持っていた薫は、女性恋慕の情動を抑えて現世厭離の理念を抱く人物である。一方の匂宮は、父源氏の美貌や資質を受け継ぎ、情動の赴くままに女性とのかかわりを求めている。
 信仰の道を求める薫は、政争に敗れ世をはかなんで俗聖として宇治の山荘で娘二人と隠棲している八宮(源氏の弟)のもとに通うようになる。死期を自覚した八宮は、女君たちを薫に託して、他界する。遺言に従って姉妹を世話しているうちに、薫は気高く奥ゆかしい大君に心惹かれていく。中君を匂宮に託し、薫は大君に思いを告げるが、大君は信仰心が強く、結婚する意思はない。死の床にあってはじめて、薫の気持ちを受け入れるのである。
 大君の死後、薫はこれまで求めていた煩悩浄化の理念をあっけなく投げ捨て、亡き大君への未練と愛恋の情動にさいなまれていく。そして、大君に生き写しの異母妹浮舟と出会う。薫は浮舟を宇治に住まわせるが、浮舟は薫と偽って近づいた匂宮と契りを結んでしまう。二人の板ばさみに悩んだ浮舟は、宇治川に入水する。横川の僧都に助けられた浮舟は、愛恋の煩わしさに耐えきれず出家してしまう。浮舟の居場所を知った薫は、再会を望むがーーー。源氏物語全編はこうして終わるともなく幕を閉じるのである。

 この稿をここまで書き綴ったところで、机の横のFMラジオからモーツアルトの「交響曲第40番ト短調」が流れてきた。思えば、彼の晩年の1780年代は、まさに「王朝の秋」、700年続いたハプスブルグ家はまだ平穏であった。しかし、この頃から彼の音楽の曲想は劇的に変質したと言われている。宮廷貴族の注文や要望に応じて自在に曲を作ってきたモーツアルトの、持って生まれた才能と敏感な感性が、忽然と一人歩きを始めたのだ。晩年のモーツアルトの曲は、一様に悲哀の響きを含んでおり、不思議なほどの清澄感がある。まもなく訪れる王朝の崩壊を予感させるかのようである。小林秀雄は、それを「疾走する悲しみ」と表現したのだった。
 その800年も前、我が国でも「王朝の秋」を迎え、「源氏物語」の作者、紫式部も、同じように、求められるまま貴族たちの「愛恋」の世界を書き綴っていた。しかし、第一部を書き終えた後、そうした愛恋の世界から次第に離反していく。だからと言って、自分のパトロンの道長のように、大伽藍を建立して、金色の阿弥陀仏に守られて、念仏を唱えながら往生を願うほど、彼女の精神は単純ではない。人間を凝視するほど迷いや懐疑は深まっていく。苦悩の果てにただ心弱く逡巡するほかないのだ。紫式部はまさに日本のモーツアルトであった。
         

[愛恋大河小説・「源氏物語」の構想(中)

2012-09-14 12:49:34 | 日記
「源氏物語」・ざっくり話
  
  愛恋大河小説・「源氏物語」の構想(中)

  「源氏物語」はどのように構想されたか

 「源氏物語」は、主人公、光源氏を軸にして、3世代、70年間に及ぶ宮廷生活を500人ほどの人物を登場させて描いているが、三部構成として、その概要を説明するのが通説となっている。瀬戸内寂聴氏は、これを「長編恋愛小説」とされている。もとより私も、単に筋立てのおもしろさだけの「物語」でなく、人間の心奥にせまる「小説」とすることに異論はないが、これは日常的に言うところの「恋愛」小説ではない。紫式部も書き始めの頃は、おそらくふだんから馴染んでいた短編の昔物語の結構によりながら書き綴っていこうとしたに違いない。昔物語の典型的なテーマは、貴種流離譚(身分の高い人の諸国放浪物語)であり、その途上での秘めたる恋の物語である。しかしながら、「源氏物語」の登場人物に通底する情念は、単なる恋愛感情ではない。まして生理的な愛欲ではない。近年は、マンガやアニメに翻案されて、中にはことさら性風俗だけを誇張しているものもあると聞くが、往時の恋は、現代の日本人が失ってしまった、もっと宿命的な「魂乞い」(愛せずにおれない人間の宿命)とでもいうべきものである。私はその情念をことさらに「愛恋」ということばで表現しておきたい。「源氏物語」は、私たち日本人の精神の奥底に漂う「愛恋」の諸相を追い求めようとする「小説」である。その視点から、全巻を貫く構想を大づかみにあとづけてみたい。 

  第一部 慕い寄る魂(「桐壺」の巻から「藤裏葉」の巻まで)
冒頭の桐壺の巻には、常套として、源氏物語全巻のモチーフとなる重要な設定がなされている。その始原となるものは、桐壺帝と桐壺更衣の悲恋である。帝は数多い御息所の中で、すでに父を喪いことさらの後ろ盾のない更衣を深く愛してしまう。それは後宮内の秩序を無視した宿命的な寵愛であった。帝を取りまく女御たちの激しい嫉妬に耐え切れず、更衣はいたいけな皇子を残して他界する。やがて輪廻によるかのように、新たに先帝の内親王・藤壷が入内する。亡き更衣の生まれ変わりとして寵愛する帝と、亡き母の面影を求めて恋慕する皇子。前途にカタストロフィーを予感させる設定が整えられる。生まれながらに並外れた美貌と心ばえを持つ皇子は、帝の配慮から臣籍に降下させられ、光源氏となり、元服を機に不本意なまま左大臣の娘・葵の上と政略結婚をさせられる。藤壺への禁忌の愛恋にとりつかれた光源氏は、満たされぬ思いのまま女
性遍歴をする。しかもその相手はいずれも尋常では許されない、いわばタブーの女人たちばかりであった。
 先東宮の未亡人の六条御息所、右大臣の娘で東宮の女御候補の朧月夜、地方官の後添えの空蝉、さらには友人・頭中将の愛人の夕顔など、いずれも光源氏にとって、通い婚の相手とするのはタブーの女性たちばかりである。それでも飽き足らず、藤壺に慕い寄る光源氏の魂は、ついに不義の子の出生というに事態を招き、その罪障感のために屈折する。そして藤壺の形代として、その姪の若紫を強引に略奪し、自分の思い通りに理想の妻・紫の上に育て上げる。
 このような光源氏の無謀な愛恋は、ついには朧月夜の父親であり、源氏の政敵である右大臣に知られることになる。排斥を受ける前に、光源氏は自ら須磨・明石に身を避け、謹慎のポーズをとりながら、その地でも明石の上と契りを結んでいる。故桐壺帝の亡霊により、すべてが赦された光源氏は、帰京し、不義のわが子・冷泉帝から准太上天皇の待遇を受け、四町四面の豪邸六条院にゆかりの女性すべてを住まわせ、わが世の春を謳歌する。

「愛恋大河小説」の構想(上)

2012-09-07 10:42:10 | 日記

 「源氏物語」・ざっくり話

   「愛恋大河小説」の構想(上)
  
  「源氏物語」は、どんな時代に生まれたか

 日本史上では、壬申の乱のあと、天武天皇を中心に中国・唐王朝の律令制を体系的に摂取して、わが国独自の国家体制を整え、その後、皇統が天智天皇系に移行して、その末裔の桓武天皇が平安京に遷都してから約400年間の平安時代がはじまる。それも半ばを過ぎると、これまで天皇をサポートしてきた鎌足以来の藤原氏が次第に勢力を強め、冬嗣以後は藤原北家の一族が代々にわたり天皇と姻戚関係となり、摂関として政治的実権を握るようになった。殊に一条帝の外祖父となった兼家、さらに三后ことごとくを自分の娘で並立させた道長の代に至って、その栄華は頂点に達した。
 日本海を越えて渡来してきた仏教は、次第に広く国内に浸透し、加持祈祷などの難行を積み現世的利益を求めた密教に代わって、専ら念仏を唱えるだけでよしとする易行の浄土教が、末法思想とともに広まっていた。この世を濁世と観じ、極楽往生を願う信仰によって、宮廷の貴族たちも栄華の蔭に潜む宿命的な人間の業(ごう)にまで思いを馳せるようになった。
 また、仏典とともにもたらされた漢字は、日本独自のかな文字にデフォルメされ、この頃になって一気に国風文化(なかでも女流文学)を開花させた。天皇の御息所や皇族の内親王を中心に、現代の「文壇」に匹敵する文化的なサロン(後宮、斎宮・齋院)が形成され、そこを拠点に「源氏物語」は生まれ、大評判となり、千年前のある日には、宮廷内で作者の紫式部は藤原公任とこの物語のキャラクターをネタにして、エスプリの利いた会話を交わしたりしていた.

  作者の紫式部はどういう人であったか

 紫式部は、970年ごろに式部丞藤原為時の娘として生まれた。為時は、北家の末裔として名家の矜持を持っていたが、傍流の出身のため、任官は思うに任せず、一条帝に漢詩文で「申し文」を奉り、その卓越した漢文能力を見込まれて、上国の越前守に配置換えしてもらったりしていた。その祖父兼輔も「三十六歌仙」の一人にリストアップされており、文芸の香り高い家柄であった。式部は早くに母を喪っていたが、父祖伝来の和歌や漢学の素養を十分に蓄えていた。
 27歳頃の晩婚。父親ほどの高齢で、同じ受領階級の藤原宣孝の妻妾の一人に加えられた。わずか三年たらずで、夫は他界し、一人娘(後の歌人大弐三位)を連れ、寡婦となった。その寂しさを紛らすため、遊みに読み回しの「物語」などを書いたりしていたが、それが思いのほかの評判を呼んだ。
 時の権力者・藤原道長は、娘彰子を宿願どおり一条帝の中宮として入内させ、すでに清少納言を中心に活況を呈していた定子皇后のサロンに対抗するため、人気作家の紫式部を出仕させた。女房というより家庭教師あるいは秘書ともいうべき別格の待遇であった。間近に皇族や上流貴族の宮廷生活を観察する機会を得て、これまで書き散らしていた「短編物語」は、あらためて「源氏物語」として構想が練り直され、リアリティーのある「大河小説」に生まれ変わっていった。

スセリヒメの足

2012-09-05 09:10:16 | 日記
 出雲神話・こぼれ話(12) 

  スセリヒメの足
  
 昨秋、神話を生かしたまちづくりの第一弾として、今市中央通りにオブジェのブロンズ像がお目見えした。大国主神に背負われたスセリヒメは、りりしく眉を上げて、その足まで前面にしっかりとさし出している。男におんぶされた女の姿は、物語の絵柄としてよく見かけるが、大抵うつむいて足を隠しており、このような構図は珍しい。
 台座に記された説明書によると、このブロンズ像は、大国主神がスサノオの課すさまざまな試練を乗り越えて、その娘と三種の呪器(生太刀・生弓矢・天の詔琴)とを譲り受け、国づくりのために出雲の宇迦の山をめざして旅立つ姿を表現したものである。言うまでもなく、この場面のモチーフになっているのは、苦難を乗り越えた大国主神の気力、体力、知力とそれを支えた嫡妻・スセリヒメの愛情である。森田喜久男氏によると、再三にわたり夫のピンチを救った「愛の領布(ひれ)」を持ち出すまでもなく、二人が初めて出会った時の「目合(まぐは)い」「相婚(あは)い」のふるまいから、彼女は常に主体的、積極的なパートナーであった。
 日本の王朝文学にも、嫁盗みによって始まる男女の物語はたくさんある。「源氏物語」のヒロインは殆どが掠奪されているし、「伊勢物語」の「芥川」の段は、男に背負われて連れ出された高貴な女が、あえなく鬼に食われてしまう残虐な話である。そして、それらの物語を題材にした色紙や絵巻を見ると、例外なく女の足は描かれていない。
 立石和弘氏は、このような王朝物語の背後には当時広く流布していた、「女は現世で最初に性交渉を持った男に背負ってもらわなければ、三途(さんず)の川を渡り往生することができない」という「三瀬川伝承」があると指摘している。つまり、男性優位の社会的通念が確立した王朝時代の物語では、女性の主体的な判断と行動を剥奪し、性的関係においても死後に至るまで管理しようとする男性の支配と抑圧の意向が働いているというのである。
 男女共同参画の神話の時代には、自分の足で自由に動き回っていた女も、王朝物語では、その足を失って、男におんぶされるほかなかったのであろうか。