日本人のこころの歌―私家版・新古今集耕読(5)
トップ公卿の風狂
百首歌たてまつりし時 摂政太政大臣
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
きりぎりすが心細そうに鳴く寒々とした霜夜、さむしろに衣を片敷いて、わたしは寝るだろうか、妻もなくひとりさびしく。
これも「百人一首」にある著名な歌である。摂政太政大臣藤原良経は、風雅の聞こえ高い貴公子で歌も書もよくした。「新古今集」には、自ら「仮名序」を執筆し、巻頭歌に古京・吉野の立春を詠っている。
この歌は、「万葉集(人麻呂の山鳥の歌)」や「古今集」にある歌を本歌にしているが、本居宣長は「この歌、万葉集に入れても古今集に入れてもすぐれた歌なり」と高く評価している。「こおろぎの枕近く鳴く寒い霜夜に、ただ一人で寝ているわびしさが、しみじみと感じられる歌である。貴族の中でも最高の地位にあった作者が、このような寂しさやわびしさを求めるところに、時代の姿があるのであって、さびやわびにひそまってゆこうとする、中世美意識の方向がわかるように思われる。」(石田吉貞)
江戸期の尾崎雅嘉著の「百人一首一夕話」によると、良経は、「新古今集」がひとまず成立した翌年に「一夜寝に就くに、天井より槍を降して」何者かに殺害されたという。その真相については諸説があるが、「新古今集」の序文の執筆をめぐる確執や妬みであったとも言われている。武家の台頭により大きく時代は変転し、やがて「承久の変」という、皇族、貴族を巻き込んだ戦乱が勃発するきざしがある中で、トップの政治家が、命を惜しまず風雅に徹する「風狂の精神」には驚かされる。
尋常小学唱歌「青葉の笛」の二番は、都落ちする薩摩守忠度が、いつか撰集に加えてほしいと俊成に自作の歌を託す逸話を歌詞にしている。貴族にせよ武士にせよ、動乱の世にあって、有限の命を超えて自分の思いを託せるものは、歌であった。まさに「芸術は長く、人生は短し」である。
トップ公卿の風狂
百首歌たてまつりし時 摂政太政大臣
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
きりぎりすが心細そうに鳴く寒々とした霜夜、さむしろに衣を片敷いて、わたしは寝るだろうか、妻もなくひとりさびしく。
これも「百人一首」にある著名な歌である。摂政太政大臣藤原良経は、風雅の聞こえ高い貴公子で歌も書もよくした。「新古今集」には、自ら「仮名序」を執筆し、巻頭歌に古京・吉野の立春を詠っている。
この歌は、「万葉集(人麻呂の山鳥の歌)」や「古今集」にある歌を本歌にしているが、本居宣長は「この歌、万葉集に入れても古今集に入れてもすぐれた歌なり」と高く評価している。「こおろぎの枕近く鳴く寒い霜夜に、ただ一人で寝ているわびしさが、しみじみと感じられる歌である。貴族の中でも最高の地位にあった作者が、このような寂しさやわびしさを求めるところに、時代の姿があるのであって、さびやわびにひそまってゆこうとする、中世美意識の方向がわかるように思われる。」(石田吉貞)
江戸期の尾崎雅嘉著の「百人一首一夕話」によると、良経は、「新古今集」がひとまず成立した翌年に「一夜寝に就くに、天井より槍を降して」何者かに殺害されたという。その真相については諸説があるが、「新古今集」の序文の執筆をめぐる確執や妬みであったとも言われている。武家の台頭により大きく時代は変転し、やがて「承久の変」という、皇族、貴族を巻き込んだ戦乱が勃発するきざしがある中で、トップの政治家が、命を惜しまず風雅に徹する「風狂の精神」には驚かされる。
尋常小学唱歌「青葉の笛」の二番は、都落ちする薩摩守忠度が、いつか撰集に加えてほしいと俊成に自作の歌を託す逸話を歌詞にしている。貴族にせよ武士にせよ、動乱の世にあって、有限の命を超えて自分の思いを託せるものは、歌であった。まさに「芸術は長く、人生は短し」である。