竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

『ひとりごつ』(了)個人的事情 「ひとりごつ」から「ひとりながめる」へ

2016-07-01 10:04:43 | 日記

『ひとりごつ』から『ひとりながめる』へ

 わたしは、16年前に公立高等学校教員を定年退職するや、10年間ほどは、いささか現職時代の職務と係わりのあった地元の専門学校の非常勤講師、市の教育委員、育英会奨学相談員、さらには退職会や旅行同好会の世話役などを引き受けていたが、齢「古稀」を過ぎてから以降は、気楽な「隠居生活」にはまっていた。ところが、時折、拙宅に顔を覗かせる、嘗ての教え子連中から、「このままではガラコバス化するばかりで、とてもネット社会を生きていけない。」と、脅されて、流行の「ブログなるもの」を開設してみることにした。現役時代の教材の下調べの要領で、自前の古典(和歌)文学のアンソロジーでも編んでみる心づもりであった。当初は、『万葉集耕読』と僭称して、諸家の説を覆すような新説の掘り起こしを狙ったが、すぐにネタ切れになり、『新古今集』に至るまでの「勅撰集」「私歌集」さらには『源氏物語』の作中人物の歌にまで目を拡げたが、恥ずかしながら自分勝手で気ままなフラグメントになってしまった。

 ひとあたり、和歌文学に目を通したところで、昨年からは、『ひとりごつ』などと改称して、わたしが折に触れて見聞きした本や講演の紹介と感想を書きこんできた。かくして、前回までに、すでに389回、1000字程度で、駄文を書き連ねてきた。

 かくして、私も今年は、齢「喜寿」を迎えた。この1年半ほどは、耳新しい疾患にとりつかれ、律儀に療養を続けてきたが、適切な医療措置を受けて、どうやら快癒に向かっている。

 いつまでも現状を悲観して「ひとりごち」ていても、しようがない。そこで、まことに唐突で勝手ながら、ここらで、このシリーズも、ひとまずお開きとしたい。今後は、もっと肩の力を抜いて、余生を「おっちらと」「ひとりながめる」ことにしたい。そうは言いながら、「とりあえず、なんでもまず書いてみよう」というのが、わたしの性癖であるから、すぐにその気になるかもしれない。ともあれ、ひとまず今回をもって、従前のような書き込みは終了としたい。

 まことに身勝手なことで申し訳もありません。長い間ご愛読いただき、心から感謝申し上げます。


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