竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

終焉の営み

2013-09-27 09:13:53 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(41)

  終焉の営み(御法の巻)

おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るる 萩のうは露
                    紫の上から源氏へ
 起きていると見えましてもはかない命、ややもすれば吹く風に乱れる萩の上露とおなじことでございます。

ややもせば 消えをあらそふ 露の世に 後(おく)れ先だつ ほど経ずもがな                          源氏から紫の上へ
 どうかすると先を争って消えてゆく露、その露にもひとしいはかない人の世に、せめて後れ先立つ間をおかず、一緒に消えたいものです。

 源氏51歳。源氏と女三の宮の結婚以後、体調がすぐれず二条院で療養していた紫の上は、43歳になっていた。家庭内離婚による出家を強く願っていたが、源氏にどうしても聞き入れられずにいた。そのため、紫の上は自分の意志として、法華経千部という膨大な経供養を挙行したりしていた。

 秋半ばの8月14日の夕暮れ、脇息によりかかりながらも床から起き上がって、見舞いに宮中から里下がりしている中宮と話している紫の上の姿を見て安堵している源氏に、紫の上が詠みかけたのが、冒頭の歌である。それにそえて源氏が心中の思いを吐露したのが、後の歌である。そこには、もはや紫の上の生を励ますような勢いはない。「後れ先立つ」だけの短い時間もいらないと一緒の死を願うほかないのである。
 この直後、紫の上の病状はにわかに悪化して、明石中宮に手を取られながら消え入るように命絶えてしまう。
 茫然自失の源氏から事後の処置を委ねられた嫡男・夕霧は、はじめて間近に義母・紫の上の素顔(亡骸)を見て、その無類の美しさに驚嘆しさがら哀傷の思いにひたる。

 8月15日、紫の上の葬送は終わった。後に遺された源氏の課題は、この先いかにして自らの悲嘆をおし鎮め、自分自身を現世から離脱させるかである。源氏の終焉に向かっての営みが始まるのである。

夕霧の苦衷

2013-09-20 09:01:08 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(40)

  夕霧の苦衷(夕霧の巻)

山里の あはれを添ふる 夕霧に 立ち出でむそらも なきここちして               夕霧から落葉の宮へ
 山里のものわびしさをつのらせる夕霧に、ここから帰って行く気にもなれない思いでおりまする。

山賎(やまがつ)の 籬(まがき)をこめて 立つ霧も 心そらなる 人はとどめず          落葉の宮から夕霧へ
 この山里の垣根に立ちこめる霧も、帰ろうと気もそぞろなお人は引き止めることをいたしません

 「横笛の巻」以後、柏木の遺言を誠実に守って、落葉の宮の後見役として、頻繁に一条宮を訪れていた夕霧は、次第に宮への慕情を募らせていた。落葉の宮が、母の御息所とともに「物の怪加持」のために移り住んだ「小野の山荘」にまで出向いた夕霧は、あたりに立ちこめた霧を口実に、そのまま一夜を過ごすことになった。冒頭の歌は、その折に二人が取り交わしたものである。
 これまでの誠実さと裏腹に強引に自分に言い寄る夕霧が疎ましくなり、落葉の宮は固く心を閉ざしてしまい、二人は何事もないまま一夜を共にする。周知のとおり、夕霧には本妻として亡き柏木の妹・雲居の雁があり、宮の母・御息所は苦慮の末、それでも宮との正式な結婚を許す旨、夕霧宛てに親書を託す。あろうことか、その手紙が雲居の雁に横取りされてしまい、夕霧からの返事が届かぬうちに御息所は心痛のあまり息絶えてしまった。
 母の死を夕霧のせいと思いつめた落葉の宮は、ますます引き籠ってしまうが、夕霧は宮との結婚を画策して強引に宮を一条院につれもどしてしまう。
 源氏も紫の上も息子の大胆な仕打ちに心痛するばかりで、もはやこの事態を甘受するほかなかった。仏門に入ることを願った落葉の宮も、朱雀院からその無謀さを戒められ、不本意ながらも夕霧が待つ自邸の一条院に戻るほかなかった。
 夕霧の行状に腹を立てた雲居の雁は、幼い子供だけを引き連れて自分の実家に帰るが、夫のもう一人の妻妾・藤典侍(光源氏の嘗ての臣下・惟光の娘)の共感的な励ましを受けて、離縁を思い止まることにする。夕霧には、すでに2人の妻との間に、都合12人の子女があったのだった。

蓮花の宿

2013-09-13 08:49:57 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(39)

  蓮花の宿(鈴虫の巻)

はちす葉を おなじ台(うてな)と 契りおきて 露のわかるる けふぞ悲しき          源氏から女三宮へ
来世には、極楽の同じ蓮台に乗ろうと約束しておきながら、今は蓮の葉に置く露のようにべつべつに暮らすことになるのが悲しい。

隔てなく はちすの宿を 契りても 君が心 やすまじとすらむ
               女三宮から源氏へ
 ともに蓮花の宿をとお約束下さっても、あなたのお気持は、私と一緒にとはお思いではございますまい。

 前帖「横笛の巻」の翌年、源氏50歳。夏、蓮の花の盛りのころ、出家した女三宮の持仏開眼供養が催された。源氏は、宮のために仏具一式を調達し、仏前に供える経典も手ずから筆を染めた。
 二人の嘗ての御張台(ベッド)を、仮の仏壇とし、こうして俗世では断絶された因縁を悲しみ、来世における契りを願って、二人は冒頭の歌を唱和した。若く可憐な尼君への愛執の情を捨てきれない源氏に対して、女三宮の方は、煩悩から離脱した解放感がうかがえ、源氏に向かっても皮肉をこめた対応を見せている。

 秋になって、源氏は、六条院の女三宮の御殿の庭を秋草の野原に造り変え、鈴虫を放った。八月十五夜には、蛍兵部卿宮や夕霧たちが訪れて、鳴きしきる鈴虫の音に耳を傾けながらの宴となった。折から冷泉院からのお召しもあり、一同揃って院の御前に参上して、再度、詩歌管弦の興を尽くした。この六条院と冷泉院との、二つの宴の場面は、「国宝 源氏物語絵巻」に、人物をクローズアップした形で描かれている。
 院から退出して、秋好中宮のもとに立ち寄った源氏は、中宮から、死後もいまだ成仏できず冥界をさまよっている亡母・六条御息所のために、自分も出家したいという意向を打ち明けられる。源氏はそれを強く諌めながらも、あらためて自分一人が俗世に取り残される寂しさを強く認識するのだった。
 
 この巻は、全体に優艶な秋の情趣の中で、このところ、心のすれ違いを繰り返していた源氏家の一族が、やっと互いにいたわりあうようになったさまを描いている。
                      

笛竹に吹き寄る風

2013-09-06 09:22:16 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(38)

  笛竹に吹き寄る風(横笛の巻)

笛竹に 吹き寄る風の ことならば 末の世長き ねに伝へなむ
              柏木から夕霧へ
 この笛に吹き寄る風は、同じことなら、笛の音を末の世まで長く続くものとして伝えてほしい。

 柏木の一周忌が巡ってきた。源氏はひそかに遺児・薫の分も含め、格別に手厚い供養(黄金百両)をした。死の床に臥していた柏木から、本妻の落葉の宮(朱雀院の女二の宮)の後見を託された夕霧は、律儀に深い志を寄せ、一条宮(宮の実家)への見舞いを怠らなかった。

 秋の夕暮れ、一条院を訪ねた夕霧は、落葉の宮の母・御息所(朱雀院の更衣)と対面し、亡き柏木がこよなく愛していた楽器について、雅やかな話をしながら、夕霧は琵琶を取り寄せて「想夫恋」を弾き、勧められるまま落葉の宮もつつましく琴で合奏した。
 さきに、「藤裏葉の巻」で記述した「永い春」を経てようやく迎えた新枕の喜びからすでに10年の歳月が過ぎていた。いまや多数の子女の母となった雲居の雁と慌ただしく散文的な日常を繰り返していた夕霧は、このように、時折一条宮に出向いて優雅な雰囲気に浸るのは、新鮮な喜びになっていた。
 思いを遺しながら夕霧が一条宮を辞去しようとすると、御息所から柏木の遺愛の横笛が贈られた。すると、その夜帰邸した夕霧の夢枕に柏木の亡霊が立ち現われた。冒頭の歌は、その夢の中で、柏木が詠みかけたものである。笛を伝えたいと思う人は別にあり、自分の子孫に末永く伝えてほしいという意向のようであった。
 翌日、柏木の遺恨を鎮めるため、愛宕(おたぎ)で供養を行った夕霧は、柏木の遺言の真意を確かめるために、源氏の六条院に出向いた。もとより源氏は、事の真相を明かしはしなかったが、源氏の苦悶のようすを窺い知ることはできた。

 その後、この笛は、柏木の意向どおりに源氏から薫に伝授されたはずである。後に、「宿木の巻」の藤の花の宴で、薫が「かの夢に伝へし、いにしへの形見」の笛を晴れ晴れと吹き奏でているからある。