竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

『ひとりごつ』(51)哲学者が捉えた「古代日本人の魂」①「古事記」(1)

2016-06-15 08:53:18 | 日記

  「古事記」(1) その文学性と思想性 

 まことに僭越ながら、このところは暫く、哲学者・長谷川宏氏の大著『日本精神史・上』について、「王朝文学」に関する部分に限定して、その見解の一部を要約する形で紹介してきた。もとより私の心覚えにしたいという、身勝手な思いつきからであった。「古今」「伊勢」「枕」「源氏」と書いて来て、ますます興が乗ってきた。そこでこの際、もう少し続けて「古代日本人のこころ」について、氏の指摘することをまとめておきたくなった。私のわがままをご容赦願いたい。 

 所謂「大化の改新」以後、「壬申の乱」に勝利した天武天皇は、家々に伝わる帝紀と旧辞の真偽を明らかにして、天皇支配の正統性を根拠づけようとして、日本最初の歴史書「古事記」の編纂を思い立った。それは、上・中・下の三巻に分けられ、天上・地上の世界のなりたちとそこでのさまざまな出来事を天皇支配と強く結びつけて記述したものである。この日本最古の史書から、わたしたちはどのような文学性と思想性を読みとることができるか。長谷川しは、史書としての本題よりも、むしろ「(撰録を主導した国家の専制的支配者の)意志に包摂されつつ、意志に逆らい、意志を逸脱する物語のありようにこそ、書物の思想性と文学性は宿る。」と指摘する。「支配者像の背後にうごめく、さまざまな男女の動きを好奇の目で眺め、生き生きと語る物語作者ないしは伝承集団の力が働き、その力によって、『古事記』の文学性と思想性が保証されたものと考えられる。」

 例えば、下巻「允恭天皇」の条にある物語。天皇の死後、継承者の軽皇子と同母妹の軽大郎女の密通が露見し、王位は、弟・穴穂皇子に移った。そのいきさつについて、『古事記』では、二人の兄妹の心情にまで立ち入って、生き生きと説き明かしている。道に外れたその行動を決して非道で忌わしいものと見ていない。ここには、「恋愛悲劇の、時代を超えた切実さがあり、むしろ、そういうところにこそ、わたしたちは政治の書『古事記』に、政治を超えた文学性と思想性(人の世を生きる切実さと喜びと悲しみ)を読みとることができるのである。


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