日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読
感動のなごり歌 (40)
山部宿禰赤人が作る歌 反歌二首
み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の
木末(こぬれ)には ここだも騒く 鳥の声かも (巻六)
吉野の象山山中の木々の梢では、あたり一面に鳴き騒ぐ鳥の声の何とにぎやかなことか。
ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く (巻六)
夜がしんしんと更けるにつれて、久木の生い茂る清らかな川原で千鳥がしきりに鳴いている。
柿本人麻呂より二十年ほど後、聖武朝に仕えた山部赤人の吉野従駕長歌に続く反歌の二首である。長歌は、持統朝の人麻呂吉野讃歌の伝統を踏襲したもので、この二つの反歌も山と川の景を朝・夜に対比して詠っているが「(前の歌は)一首の意至簡にして、澄み入る所が自ら天地の寂寥相に合している。(後の歌は)第一句より三句まで押して行く勢が既に異常であって、一種澄み入った世界へ誘い入れられる心地がする。」(島木赤彦)
長く松江北高の国語科のエースとして、島根国文学会をリードされ、退職後には、二十三年に亘る研究成果として『訓注明月記』を上梓された稲村榮一氏は、お若い頃、「(この反歌には)他の赤人作品とは異質の叙情性があり、それは純粋に自然そのものを求めて自己の寂寥を満たそうとして成ったというよりも、従駕の歌であるということの精神の緊張を裏付けとして始めて得られたものである。」と論じて注目された。確かにこの反歌は、吉野の自然をありのまま写実的に捉えているのではなく、天皇の御幸に供奉しているという持続的な緊張感の中で自然の生気を甦らせている。
私も、普段はことさら歌を詠んだり句を吟じたりすることもないが、何か日常と違った特別な体験をした時には周囲の景観まで色合いが変わって見え、そぞろ句や歌が口を衝いて出ることがある。生まれたばかりの初孫の顔を見ての帰路、眼下の渓流に溢れる若葉を目にした時(渓谷に溢るる若葉や吾孫生まる)、また高校卒業五十周年同窓会で、旧友たちと出雲路神紀行に出向く朝、簸川野の遙かに、「宇迦の山なみ」を眺めた時(けさよりはよろづの神のつどふなる宇迦の山なみ襟を正せり)等々。げに、「詩歌は、静かなる所にて思い起こしたる感動なりとかや。」(藤村詩集序)である。
感動のなごり歌 (40)
山部宿禰赤人が作る歌 反歌二首
み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の
木末(こぬれ)には ここだも騒く 鳥の声かも (巻六)
吉野の象山山中の木々の梢では、あたり一面に鳴き騒ぐ鳥の声の何とにぎやかなことか。
ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く (巻六)
夜がしんしんと更けるにつれて、久木の生い茂る清らかな川原で千鳥がしきりに鳴いている。
柿本人麻呂より二十年ほど後、聖武朝に仕えた山部赤人の吉野従駕長歌に続く反歌の二首である。長歌は、持統朝の人麻呂吉野讃歌の伝統を踏襲したもので、この二つの反歌も山と川の景を朝・夜に対比して詠っているが「(前の歌は)一首の意至簡にして、澄み入る所が自ら天地の寂寥相に合している。(後の歌は)第一句より三句まで押して行く勢が既に異常であって、一種澄み入った世界へ誘い入れられる心地がする。」(島木赤彦)
長く松江北高の国語科のエースとして、島根国文学会をリードされ、退職後には、二十三年に亘る研究成果として『訓注明月記』を上梓された稲村榮一氏は、お若い頃、「(この反歌には)他の赤人作品とは異質の叙情性があり、それは純粋に自然そのものを求めて自己の寂寥を満たそうとして成ったというよりも、従駕の歌であるということの精神の緊張を裏付けとして始めて得られたものである。」と論じて注目された。確かにこの反歌は、吉野の自然をありのまま写実的に捉えているのではなく、天皇の御幸に供奉しているという持続的な緊張感の中で自然の生気を甦らせている。
私も、普段はことさら歌を詠んだり句を吟じたりすることもないが、何か日常と違った特別な体験をした時には周囲の景観まで色合いが変わって見え、そぞろ句や歌が口を衝いて出ることがある。生まれたばかりの初孫の顔を見ての帰路、眼下の渓流に溢れる若葉を目にした時(渓谷に溢るる若葉や吾孫生まる)、また高校卒業五十周年同窓会で、旧友たちと出雲路神紀行に出向く朝、簸川野の遙かに、「宇迦の山なみ」を眺めた時(けさよりはよろづの神のつどふなる宇迦の山なみ襟を正せり)等々。げに、「詩歌は、静かなる所にて思い起こしたる感動なりとかや。」(藤村詩集序)である。