竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

王朝文学のパイオニア

2014-02-28 09:44:05 | 日記
日本人のこころの歌
   ―続「古今集」耕読・むかし、男の歌(1)

 王朝文学のパイオニア

  病して弱くなりにける時によめる      業平朝臣
つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど
      昨日今日とは 思はざりしを (巻十六・哀傷歌)
最後には誰もがみな行かねばならない道だとは前々から聞いていたが、わが身自身がそうなるのは、昨日今日というほど差し迫ったことだとは、思ってみもしなかったのに。(伊勢物語 百二十五段参照)

 紀貫之にノミネートされた六歌仙の第一人者・在原業平の辞世の歌である。業平は、「古今集」が成立する四半世紀前に、享年56歳で没したとされている。この歌のとおり、若い頃から情熱の赴くまま世俗的な秩序に超然として生きてきたが、晩年、病弱になるまで迂闊にも人生の哲理を失念していたというのである。この歌には、いたずらに生に執着しない、恬淡とした「軽み」の風体(ふうてい)がある。「三代実録」に「業平、体貌閑麗 放縦不拘 略(ほぼ)才学なきも、善く倭歌(わか)を作る」とあるように、王朝の「無頼派歌人」であった。
 業平は、平安朝初期の平城天皇の皇子・阿保親王の五男で、在原姓を賜り臣籍に降下して、近衛中将になった。祖父、父と相次ぐ政治的反逆によって、若い時から精神的に圧迫をうけながら成長した。このため彼はあえて政治的に対抗するより、文化的立場から精神的自由を謳歌する生き方に与したのであろう。 
 六歌仙の時代は、漢文学全盛期からようやく和歌が復興していく機運の中にあった。生来、情熱的で即興的な才能のある業平は、思いに任せて奔放に和歌を詠んだ。禁断の恋情、漂泊の旅情、不遇な親王に寄せる同情、等々。「浪漫的な反逆の魂」に裏打ちされた「こころの歌」が、唐風の律令制官僚政治に倦んだ貴族社会の人々の胸に響いた。
 「古今集」には、「よみ人しらず」と四人の撰者との歌が圧倒的に多いが、その中で業平の歌は30首も採られている。その歌は、後に成立した現存の「伊勢物語」では、大抵「むかし、男」が詠んだ歌とされている。「古今集」の業平の歌と「伊勢物語」とは、おそらく今は散逸した「私家版・業平歌集?」に依拠したものであろう。
 そして、「伊勢物語ないし業平の文学精神が真に受けつがれたものは、『源氏物語』であった。『源氏物語』の精神的母胎は、他の何よりもここにあった」(青木生子)のである。

萌え立つ命

2014-02-21 09:06:08 | 日記
日本人のこころの歌―「古今集」耕読・補遺(7)

  萌え立つ命        

  ものおもひける頃、ものへまかりける道に、
  野火の燃えけるを見てよめる    伊 勢
冬枯れの 野辺とわが身を おもひせば 
   燃えても春を 待たましものを(巻十五恋歌五)
 もし、わが身を冬枯れの野辺と思えるなら、あの野火のように情熱を燃やして、溌剌とした春を待ちもしようものを。

 「古今集」の巻十五は、過ぎ去った恋の思い出に、身をさいなまれる歌、甘く哀しい回想にふける歌、もはやすべてを諦めている歌などを集めている。この歌の作者・伊勢は、前時代の小野小町に匹敵するほどの閨秀歌人。宇多天皇・敦慶親王父子の寵を得た。詞書にある「野火」とは、春の初めに、新しい草が生えやすいように、野の枯草を焼き払う火のことである。この野火と同じように、自分もいま一度、恋の「思ひ(おも火)」を掻き立てて、失恋で打ちひしがれた心に明るさを取り戻す手立てがほしいが、それは現実的には不可能なことだという深い絶望感を吐露しているのである。

 さきに小町の歌でもふれたように、波瀾万丈の恋に生きてきて、もはや、すべての恋を失ってしまった王朝時代の女性は、自分の社会的な座標までも喪失してしまい、孤独の中に惨めな余生を送るほかなかったのであろう。だが、恋などとは全く無縁に、専ら仕事人間として生きてきた現代の男性でも、人生のさだ過ぎて老境にさしかかると、心の隙間をそぞろうら寂しい風が吹きぬけるような気がするものである。人は誰でもそれなりに輝かしい青春の思い出を持っている。そういう人生の春には、もう絶対に立ち戻れないのだと思うと、救いようのない虚脱感にさいなまれたりする。

 そんな冬枯れの荒涼とした心に、確かな希望の灯りを点してくれるのは、春の野に萌え立つ若草のような、新しい生命の誕生である。それは跡継ぎの子孫誕生を寿ぐだけの個人的な慶びではない。大袈裟に言えば、人類が受け継いできた悠久の生命の火をバトンタッチできる安堵の思いである。高齢化社会より深刻なのは、春を待ちつけても、萌えたつ若草が次第に乏しくなっていく少子化社会の進行である。

 次回からは、「古今集耕読」の続編として、「むかし、男(在原業平)の歌」を掲載します。    

つれない有明

2014-02-14 09:02:41 | 日記
日本人のこころの歌―「古今集」耕読・補遺(6)

  つれない有明

   題しらず           壬生 忠岑
有明の つれなくみえし 別れより
    暁ばかり 憂きものはなし  (巻十三恋歌三)
 有明の月が、夜が明けたのもそ知らぬ顔で空にかかっていた――。すげなくふられて帰ったあの別れがあってよりこのかた、私には、暁ほどつらいものはないように思われる。

 これも、百人一首に採られているなじみの歌である。作者の壬生忠岑は、禁中で催された歌合わせでこの歌を披露して称賛を浴びた。それを機に、醍醐天皇の随身に抜擢され、「古今集」の撰者の一人に加えられた。「新古今集」の定家、家隆は、この歌を「古今集第一の歌」としたと言われている。
 「有明」とは、夜が明けても空に残っている月(下弦の月)のことで、それが「そ知らぬ顔」に見えたのは、当人が相手の女性に逢って帰る時か、それともついに逢えずに「ふられて」帰る時か、両説がある。これも、「古今集」特有の歌の分類・配列順序に従って判断すると、「古典集成」のように、後者と解するのが、穏当であろう。
 「百人一首一夕話」でも、「有明の月は夜の明くるのを知らぬ顔して空にあるが、我れも宵の程よりかの人の許に行きたるに、かの人は何とも思はず知らぬ顔して我れに逢わぬ故、本意なう別れて帰りしよりこの方、いつの夜もかの本意なうて別れし時分になれば先の事が思い出されて、暁程憂きものはなしと思ふ由なり。」と解している。
 だがしかし、夜もすがら口説いて、ついに思いが達せられず、すごすごと引き揚げる失恋の歌がそんなに共感を呼ぶのであろうか。(「源氏物語」の薫君と宇治の姉妹との逢瀬に、そんなもやもやとした交流が描かれているが、殊に男性の読者はいらつく思いがするものである。)ここはやはり、「恋人と一夜を共にして、まだ別れたくないのに、後朝(きぬぎぬ)の別れをして外に出ると、有明の月が素知らぬ顔で空にかかっていた。その後は逢うこともできず、今でも暁ほど切ない頃おいはない。」という解釈がふさわしいように思われる。
 ともあれ、この歌により思いも寄らぬ出世を果たした忠岑は、長寿を保って、97歳で亡くなったと言われている。                      

空に満ちる思い

2014-02-07 09:31:37 | 日記
日本人のこころの歌―続・「古今集」耕読・補遺(5)

  空に満ちる思い     

   題しらず          よみ人しらず
夕ぐれは 雲のはたてに ものぞ思ふ
     天つ空なる 人を恋ふとて  (巻十一恋歌一)
夕暮れになると、雲の果てを眺めてはもの思いにふけっている。天上に住むような、とても手に届かぬ人を恋しているので。

わが恋は むなしき空に 満ちぬらし 
     おもひやれども 行く方もなし(巻十一恋歌一)
 私の恋は、空いっぱいに満ちてしまったらしい。もはや思いを晴らそうにも、どこへも持って行く余地がない。

 「古今集」の恋歌は、全部で五巻ある。恋心が生まれ、それがいろいろな悩みを引き起こし、首尾よく実るかあるいは失恋に至り、やがてその経験も過去の思い出になっていくという時間的経過に従って編集されている。全般に恋のよろこびを主題としたものは少なく、恋の悩みや苦しみが繰返し詠われている。巻十一、十二は、まだ相手に逢えぬ「逢はぬ恋歌」を、巻十三、十四は、逢っても人目を憚る「忍ぶる恋歌」を集めている。
 冒頭の歌は、男女のデートの頃おいの夕暮れ時になると、とても自分の手に届きそうもない、遙か離れた所に住む人か、あるいは身分の違う人を恋しく思って、空のかなたを眺めながらやるせなく物思いに沈んでいるのであろう。
 あとの歌は、いまだ逢えぬ恋の悶えや悩みから深いため息をすると、それが霧のように空いっぱいに立ちこめてしまうように思われるという、やや誇大妄想気味の歌である。
 このように、幾度も繰り返す自分の溜息が、辺りに立ちこめて大空にまで充満するという表現は、日本では古くから和歌や物語に頻繁に見られるものである。「万葉集」には愛しい自分の夫が遣新羅使として出立する時に、残された妻が「君がゆく 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ」と歌っている。嘆きの思いが日本海をも越えて行くのである。「源氏物語」の「夕霧の巻」は、柏木亡きあと、京都の東北にある、霧の深い小野の里を舞台に展開される、未亡人・落ち葉の宮と親友・夕霧との嘆きに満ちた恋物語である。
 まさに「恋の思いは、鬼神をも動かし、大空にも満ちる」というのであろうか。