竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

子供達の野外学習

2009-09-09 09:42:29 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読
  子供達の野外学習     (24)

 山上臣憶良、秋の野の花を詠む歌二首
秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り
かき数ふれば 七種(くさ)の花 (その一)
 秋の野に咲いている花を、指折り数えてみると、七種の花がある。

萩の花 尾花葛(くず)花 なでしこの花           
をみなへし また藤袴 朝顔の花(その二)

 前の歌は短歌、後の歌は旋頭歌(五・七・七・五・七・七の六句体)。二首合わせて秋の七草の名を確認した歌。憶良が筑紫守であった時、配下の属郡を巡行中に子供達相手に行った野外学習のテキストであろう。「秋の光のさわやかに注ぐ野原で、大勢の子どもたちを前に、相好を崩しながら秋の七草を数え挙げる、好々爺山上憶良のほほえましい姿を思い浮かべることができよう。」(伊藤博)

 三十年もの昔、私が大田高校に勤務していた頃、英語屋のWさん、数学屋のAさん、国語屋の私の三人が車に相乗りして通勤していた。Aさんは、高校、大学の一年先輩で、無類の善人で、殊に博物学に関心が強かった。秋になると、頼みもしないのに決まってこの歌を吟誦し、花の特徴について逐一講釈してくれた。時には実物を確かめるために、三瓶の山道を迂回して帰宅することもあった。特に植物音痴の私は、七種すべてを暗(そらん)ずるのに難渋した。Aさんは、ハンドルから片手を離し、指折り数えながら繰り返し教えてくれる。「をみなえし」で、五本の指を折り曲げると、「また藤袴、朝顔の花」と小指、薬指を立てていく。「または余分」などとぼやきながら私も同じしぐさを繰り返したりしたものだった。
 このたび、この原稿を書くために『釈注』に目を通していて、驚いた。この歌は、れっきとした「万葉集」の片歌(だからこそ、音数上「また」の語が必要)で、Aさんの指導法は、どうやらそっくり憶良式のものであったのだ。まさに、「坊主の不信心」で、国語屋の私が何も勉強していないだけのことだった。

 秘かに「A大明神」と呼んで敬愛していた先輩も、はや他界してしまい、今となっては私の浅学を詫びる術もない。

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