日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読
筑紫やいづち (27)
大和へ 君が発つ日の 近づけば 野に立つ鹿も 響(とよ)めてぞ鳴く
大典麻田連陽春(巻四)
大和に向けて君が出発される日が近づいたので、心細いのか野に立つ鹿までがあたりを響かせるほどに鳴き叫んでいます。
ここにありて 筑紫やいづち 白雲のたなびく山の 方にしあるらし
大納言大伴旅人(巻四)
ここから見て筑紫はどの方向になるだろう。白雲のたなびくあの山の遙か彼方であるらしい。
筑紫の太宰府は、律令制中央集権国家においては、地方にあっても特異な位置を占めていた。対外的には軍事と外交を管轄し、内政上では西海道の九国三島を総轄していた。六百人ちかい官人が勤務し、「遠の朝廷」にふさわしい規模と格を持っていた。
大伴旅人が太宰府の長官としてこの地に赴任したのは、六十三歳の時である。現地で愛妻を喪った旅人は、いわゆる「筑紫歌壇」を形成し、「ワイワイ酒」と歌によって憂さを晴らしていた。
三年後、旅人は、大納言に任ぜられ、平城京に帰還することになった。そこで、筑紫の歌仲間たちが餞別(はなむけ)の宴を張ってくれた。前の歌はその時に披露された歌の中の一首である。「みずからの気持ちをひそめて、鹿の声を表立てたところに、悲しみがいっそう哀切に響く。」(伊藤博)
後の歌は、無事上京した旅人のもとに届いた筑紫の仲間からの便りに答えた返歌である。「ああ筑紫の方は、と西方を見やる時、目路を限って雲をまとう生駒山脈の山々がある。あの山のずっと向うなんだ、筑紫は。という感慨が割合に素直に表出されている。」(田邊幸雄)
この九月の連休前、妻と太宰府を訪ねた。国立博物館で開催中の「阿修羅展」を覧るためであったが、この際「万葉集」や「出雲神話」と深い関わりのある筑紫の風土に身を置いてみたいという気持ちもあった。
「ういういしい、しかも切ないまなざし」(堀辰雄)を拝観するために、三時間待ちの人混みに揉まれる中で、まさに、「筑紫やいづち」の思いであった。
筑紫やいづち (27)
大和へ 君が発つ日の 近づけば 野に立つ鹿も 響(とよ)めてぞ鳴く
大典麻田連陽春(巻四)
大和に向けて君が出発される日が近づいたので、心細いのか野に立つ鹿までがあたりを響かせるほどに鳴き叫んでいます。
ここにありて 筑紫やいづち 白雲のたなびく山の 方にしあるらし
大納言大伴旅人(巻四)
ここから見て筑紫はどの方向になるだろう。白雲のたなびくあの山の遙か彼方であるらしい。
筑紫の太宰府は、律令制中央集権国家においては、地方にあっても特異な位置を占めていた。対外的には軍事と外交を管轄し、内政上では西海道の九国三島を総轄していた。六百人ちかい官人が勤務し、「遠の朝廷」にふさわしい規模と格を持っていた。
大伴旅人が太宰府の長官としてこの地に赴任したのは、六十三歳の時である。現地で愛妻を喪った旅人は、いわゆる「筑紫歌壇」を形成し、「ワイワイ酒」と歌によって憂さを晴らしていた。
三年後、旅人は、大納言に任ぜられ、平城京に帰還することになった。そこで、筑紫の歌仲間たちが餞別(はなむけ)の宴を張ってくれた。前の歌はその時に披露された歌の中の一首である。「みずからの気持ちをひそめて、鹿の声を表立てたところに、悲しみがいっそう哀切に響く。」(伊藤博)
後の歌は、無事上京した旅人のもとに届いた筑紫の仲間からの便りに答えた返歌である。「ああ筑紫の方は、と西方を見やる時、目路を限って雲をまとう生駒山脈の山々がある。あの山のずっと向うなんだ、筑紫は。という感慨が割合に素直に表出されている。」(田邊幸雄)
この九月の連休前、妻と太宰府を訪ねた。国立博物館で開催中の「阿修羅展」を覧るためであったが、この際「万葉集」や「出雲神話」と深い関わりのある筑紫の風土に身を置いてみたいという気持ちもあった。
「ういういしい、しかも切ないまなざし」(堀辰雄)を拝観するために、三時間待ちの人混みに揉まれる中で、まさに、「筑紫やいづち」の思いであった。