日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読⑬
朝、川を渡った女
人言(ひとごと)を 繁み言痛(こちた)み
おのが世に いまだ渡らぬ 朝川渡る
但馬皇女(たじまのひめみこ)(巻二)
人の噂が繁くうるさいので、生まれてこの方渡ったこともない、まだ暗い朝の川を渡るのです。
降る雪は あはにな降りそ
吉隠(よまばり)の 猪養(ゐかひ)の岡の 寒くあらまくに
穂積皇子(巻二)
降る雪よ、たんとは降ってくれるな。吉隠の猪養の岡が寒いであろうから。
但馬皇女は、すでに高市皇子と結婚(同棲)しているのに、歳若い穂積皇子と恋に陥ちてしまった。前の歌は、そのことが露見してしまったときの決意の歌である。彼女は高市の宮を脱け出して死に物狂いで穂積のところに会いにいくのである。高市皇子、穂積皇子、但馬皇女は、驚くことに、三人とも天武天皇の子どもで、異母兄妹であった。当時、結婚は許されていたが、不倫の重婚は、もとよりタブーである。ふたりはもちろん正式に結婚できなかった。そればかりか、高市皇子に先立たれた但馬皇女は、自身も若くして病死してしまう。
後の歌は、ひとり残された穂積皇子が遠く、但馬皇女の葬られた墓を望み見て、悲嘆に暮れながら詠った挽歌である。「冷たい雪の衣をかぶった岡にひとり重く包みこまれている皇女を肌に感じて、皇子は悲傷流涕した。下三句は万葉集が残したすぐれた表現の一つとして記憶しておいてよい。」(伊藤博)
「古事記」の神話の時代から兄妹相愛の秘話は数多く語り伝えられており、また、正式な手続きを踏まない、いわば略奪婚によって始まる男女の愛の物語は、王朝文学では枚挙にいとまない。しかし、そのほとんどは男が主人公になっている。それは、男のロマンチシズムやヒロイズムに回収されるばかりで、そこには女性のアイデンティティーはない。
「朝川を渡る」但馬皇女の潔さと、彼女の後世を弔って、降る雪に「あはにな降りそ」と祈る穂積皇子の優しさは、いつまでも新鮮に響いてくる。
朝、川を渡った女
人言(ひとごと)を 繁み言痛(こちた)み
おのが世に いまだ渡らぬ 朝川渡る
但馬皇女(たじまのひめみこ)(巻二)
人の噂が繁くうるさいので、生まれてこの方渡ったこともない、まだ暗い朝の川を渡るのです。
降る雪は あはにな降りそ
吉隠(よまばり)の 猪養(ゐかひ)の岡の 寒くあらまくに
穂積皇子(巻二)
降る雪よ、たんとは降ってくれるな。吉隠の猪養の岡が寒いであろうから。
但馬皇女は、すでに高市皇子と結婚(同棲)しているのに、歳若い穂積皇子と恋に陥ちてしまった。前の歌は、そのことが露見してしまったときの決意の歌である。彼女は高市の宮を脱け出して死に物狂いで穂積のところに会いにいくのである。高市皇子、穂積皇子、但馬皇女は、驚くことに、三人とも天武天皇の子どもで、異母兄妹であった。当時、結婚は許されていたが、不倫の重婚は、もとよりタブーである。ふたりはもちろん正式に結婚できなかった。そればかりか、高市皇子に先立たれた但馬皇女は、自身も若くして病死してしまう。
後の歌は、ひとり残された穂積皇子が遠く、但馬皇女の葬られた墓を望み見て、悲嘆に暮れながら詠った挽歌である。「冷たい雪の衣をかぶった岡にひとり重く包みこまれている皇女を肌に感じて、皇子は悲傷流涕した。下三句は万葉集が残したすぐれた表現の一つとして記憶しておいてよい。」(伊藤博)
「古事記」の神話の時代から兄妹相愛の秘話は数多く語り伝えられており、また、正式な手続きを踏まない、いわば略奪婚によって始まる男女の愛の物語は、王朝文学では枚挙にいとまない。しかし、そのほとんどは男が主人公になっている。それは、男のロマンチシズムやヒロイズムに回収されるばかりで、そこには女性のアイデンティティーはない。
「朝川を渡る」但馬皇女の潔さと、彼女の後世を弔って、降る雪に「あはにな降りそ」と祈る穂積皇子の優しさは、いつまでも新鮮に響いてくる。