竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

朝、川を渡った女

2009-06-24 14:56:56 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読⑬
 朝、川を渡った女

人言(ひとごと)を 繁み言痛(こちた)み
 おのが世に いまだ渡らぬ 朝川渡る
  但馬皇女(たじまのひめみこ)(巻二)
 人の噂が繁くうるさいので、生まれてこの方渡ったこともない、まだ暗い朝の川を渡るのです。

降る雪は あはにな降りそ
 吉隠(よまばり)の 猪養(ゐかひ)の岡の 寒くあらまくに
            穂積皇子(巻二)
 降る雪よ、たんとは降ってくれるな。吉隠の猪養の岡が寒いであろうから。

 但馬皇女は、すでに高市皇子と結婚(同棲)しているのに、歳若い穂積皇子と恋に陥ちてしまった。前の歌は、そのことが露見してしまったときの決意の歌である。彼女は高市の宮を脱け出して死に物狂いで穂積のところに会いにいくのである。高市皇子、穂積皇子、但馬皇女は、驚くことに、三人とも天武天皇の子どもで、異母兄妹であった。当時、結婚は許されていたが、不倫の重婚は、もとよりタブーである。ふたりはもちろん正式に結婚できなかった。そればかりか、高市皇子に先立たれた但馬皇女は、自身も若くして病死してしまう。
 後の歌は、ひとり残された穂積皇子が遠く、但馬皇女の葬られた墓を望み見て、悲嘆に暮れながら詠った挽歌である。「冷たい雪の衣をかぶった岡にひとり重く包みこまれている皇女を肌に感じて、皇子は悲傷流涕した。下三句は万葉集が残したすぐれた表現の一つとして記憶しておいてよい。」(伊藤博)

 「古事記」の神話の時代から兄妹相愛の秘話は数多く語り伝えられており、また、正式な手続きを踏まない、いわば略奪婚によって始まる男女の愛の物語は、王朝文学では枚挙にいとまない。しかし、そのほとんどは男が主人公になっている。それは、男のロマンチシズムやヒロイズムに回収されるばかりで、そこには女性のアイデンティティーはない。
 「朝川を渡る」但馬皇女の潔さと、彼女の後世を弔って、降る雪に「あはにな降りそ」と祈る穂積皇子の優しさは、いつまでも新鮮に響いてくる。 

ワイワイ酒の効用

2009-06-17 09:36:20 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読⑫
  ワイワイ酒の効用

 験(しるし)なき ものを思はずは
 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
くよくよしてもはじまらない物思いなどにふけるよりは、いっそのこと濁り酒の一杯でも飲む方がよさそうだ。
黙居(もだを)りて 賢しらするは
 酒飲みて 酔ひ泣きするに なほしかずけり 
 黙りこくって分別くさく振舞うのは、飲んで酔い泣きするのにやっぱり及びはしないのだ。
               ともに大伴旅人(巻三)

 大伴旅人(家持の父)は、漢詩文に長けた教養ある官僚であったが、晩年に大宰帥となり、山上憶良(筑前守)らと筑紫歌壇を形成した。
 この二首の歌は、賛酒歌十三首中、最初と最後の歌である。一連の歌は、宴席で即興に披露されたものであろう。敵対する藤原氏の謀略で九州に左遷され、着任早々、同伴した愛妻大伴郎女を喪い、郷愁の憂いもひとしおであった。その苦しみを、「心許す大宰府の人々が分かち持ってくれることを信じながら詠んだのであろう。」(伊藤博)

 木村尚三郎『耕す文化の時代』によると、「ワインのような醸造酒は、人と人との心を結び、楽しさを倍加する酒。ウイスキーのような蒸留酒は、人を孤独にする酒」だと言う。
 吉幾三が歌うように、「演歌を聞きながら、ひとり、手酌で、詫びながら」「酒よ」と語りかけて飲むのも悪くないが、老年を迎え、日に日に鬱積する憤懣を飛散させるには、いささか手ぬるい。
 やはり、心を許す仲間たちと車座になって、世の中の堕落ぶりを罵倒しながら、お猪口と徳利で飲むワイワイ酒に如くものはない。

共同幻想の恋

2009-06-10 13:46:04 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読⑪
共同幻想の恋
  
稲搗(つ)けば かかる我が手を 今夜もか
       殿の若子(わくご)が 取りて嘆かむ
                    東歌(巻十四)
 稲搗きをしてひび割れした手、この私の手を、今夜もまたお邸の若様が手に取ってお嘆きになることでしょう。

 東歌(あづまうた)は、東国の歌の意。巻十四の総題である。東国人の風俗、心情を都人に知らせるためにまとめられたものと考えられる。 
 当時は、もみを取らずに茎のまま稲を臼にさしこんでいたのだろうか。その作業のため、荒れている手を取って、お邸の若様が溜息をつくだろうという、いかにも東国の生活実感あふれたドラマチックな歌として、今日でも人気がある。
 しかし、「この歌も、実際の当事者の歌そのものではない。稲をついている女は、その屋敷に所属する女の奴隷であるから、その家の若子などとの結婚は許されない。」(山本健吉)おそらく、同じような労働に携わる女奴(めやっこ)の悲しい境遇をバラード風に仕立て上げた、いわば共同幻想の歌であろう。

 動物行動学の竹内久美子は、その著『そんなバカな!』の中で、「社会性昆虫」と呼ばれる、アリや一部のハチなどの生態について、記述している。それによると、この種の昆虫は、生殖と労働の役割が分担され、階級(カースト)ができているという。彼らの社会には、産卵はするが、労働は一切しない女王がおり、その一方で、産卵はせずに、労働ばかりしているメスがいるというのだ。
 この歌の「殿の若子」にも、相応の階級出身の嫁、あるいはその候補者が別にあり、労働階級の女性とは、決して結婚は許されないというタブーがあった。現にそうした結婚で出生した子は、律令制の「令(りょう)」の規定に基づき、いやしい身分の親につけられることになっていた。
現実にはありえない、身分違いの恋だからこそ、その幻想は、現代のギャルたちがアイドル歌手に憧れるように、古代の娘たちの気持ちを強くゆさぶったことであろう。この歌は、ロマンチックな空想を共有することによって、労働のつらさをしばし忘れさせてくれる、稲搗の作業歌であったのかもしれない。


王権と愛恋

2009-06-03 13:50:18 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読⑩
 王権と愛恋

 わが背子を 大和へ遣ると さ夜更けて
       暁(あかとき)露に 我が立ち濡れし
                   大伯皇女(巻三)
 わが弟を大和へ送り帰さなければならないと、夜も更けて明け方近くまで立ちつくし、暁の露に私はしとど濡れた。

 あしひきの 山のしづくに 妹待つと 
  我れ立ち濡れぬ 山のしづくに
                   大津皇子(巻二)
 あなたを待つとたたずんでいて、山の雫に私はしとど濡れた。その山の雫に

大津皇子は、天武天皇の皇子。生母は、天武崩御後、わが子草壁皇子の成長を待って、すぐに天皇の代行を務めた皇后(持統)の姉にあたる大田皇女。十人の天武の皇子たちの中でも特に高い能力と人望のあった大津皇子は、間もなく草壁皇子に対する謀反の嫌疑がかけられ、処刑された。
大津皇子には二つ年上の、同母の姉、大伯皇女があり、伊勢の斎宮であった。父の忌中に、皇子が斎宮に会うことは、皇位継承問題に関わるタブーであった。自分と会えば刑死になるという弟の運命を予測しながら、むなしく大和に帰しやる大伯皇女の歌には、「すでに挽歌のしらべを感じさせるような哀切さがあらわれている。」(岡野弘彦)
後の歌は、その大津皇子が、山中で別の女性と密会しようとした時の歌である。歌中の「妹」とは、石川郎女のことであり、彼女はすでに、政敵・草壁皇子の妻妾となっていた。ふたりの皇子は、皇位継承をめぐる王権の問題だけでなく、女性との愛恋においても相争う仲であったのだ。
 
 大津皇子の刑死よりおよそ三百年後に書かれた、わが国最古の大河小説「源氏物語」も、「王権」と「愛恋」に係る皇子の暗闘の物語である。腹違いの兄・朱雀帝に皇位継承権を奪われた光源氏は、義母藤壺に対する理不尽な恋情を抱く一方、兄の愛妃朧月夜をめぐって、不敵な行動に出る。その顛末が、主な筋立てとなっている。
 古代王朝で展開される皇族の争いは過激で、彼らには、今日の社会体制に飼い慣らされた私たちの計り知れないバイタリティーがある。