日本人のこころの歌 (5)
―私家版・古代和歌文学史
宮廷歌人・人麻呂(万葉集二)
694年、持統天皇は藤原京を造営し、遷都された。この頃から天皇の御代や宮殿を褒め称える職業的な宮廷歌人が現れた。その代表は、柿本人麻呂であるが、歌以外の確かな履歴については、史料としては一切残されていない。
万葉集中に収められている人麻呂の歌は、次の二系統に分けることができる。
一つは、職業的宮廷歌人として、皇族の意向を体して詠んだ儀礼的な歌である。
○大君は 神にしませば 天雲の 雷(いかづち)の上に 廬(いほ)らせるかも
これは、巻三「雑歌」の巻頭の歌である。国見をするために、天皇が、雷の山に登り、仮宮に籠って、身を清めて立っておられるさまを詠ったもので、天皇を神として崇め、自然の神々も仕える尊厳な存在であるから、その国土も、いや栄に栄えると予祝したものである。
いま一つは、職業的任務を離れて、個人的な感情を吐露した歌である。これには天才的抒情詩人としの本領を伺わせる歌が多い。殊に自分の妻妾の死を悼む歌や離別を悲しむ歌には、驚くほど、みずみずしい情感をたぎらせている。
ある秋の日、人麻呂は、秘かに愛していた「隠し妻」を喪った。その折に詠んだ「泣血哀慟歌」と呼ばれる挽歌が二群ある。その第一の長歌の後半で、突然の訃報に接して、放心してしまった人麻呂が、かつて妻がよく出かけていた市場に独りで出向いて、抑えがたい心情を吐露している。
○吾妹子(わぎもこ)が やまず出で見し 軽の市に わが立ち聞けば 玉たすき 畝火の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉ほこの 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名喚びて 袖そ振りつる
秋山の 黄葉(もみち)を茂み 惑ひぬる 妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも
妻がいなくなった後でも日常は何ら変わらない状態であることに、呆然としているのである。雑踏の中に立ちながら孤愁の思いに耐えず、ただむなしく妻の名を呼んで袖を振っている人麻呂の、純真な人間性に溢れた美しくも悲しい挽歌である。
―私家版・古代和歌文学史
宮廷歌人・人麻呂(万葉集二)
694年、持統天皇は藤原京を造営し、遷都された。この頃から天皇の御代や宮殿を褒め称える職業的な宮廷歌人が現れた。その代表は、柿本人麻呂であるが、歌以外の確かな履歴については、史料としては一切残されていない。
万葉集中に収められている人麻呂の歌は、次の二系統に分けることができる。
一つは、職業的宮廷歌人として、皇族の意向を体して詠んだ儀礼的な歌である。
○大君は 神にしませば 天雲の 雷(いかづち)の上に 廬(いほ)らせるかも
これは、巻三「雑歌」の巻頭の歌である。国見をするために、天皇が、雷の山に登り、仮宮に籠って、身を清めて立っておられるさまを詠ったもので、天皇を神として崇め、自然の神々も仕える尊厳な存在であるから、その国土も、いや栄に栄えると予祝したものである。
いま一つは、職業的任務を離れて、個人的な感情を吐露した歌である。これには天才的抒情詩人としの本領を伺わせる歌が多い。殊に自分の妻妾の死を悼む歌や離別を悲しむ歌には、驚くほど、みずみずしい情感をたぎらせている。
ある秋の日、人麻呂は、秘かに愛していた「隠し妻」を喪った。その折に詠んだ「泣血哀慟歌」と呼ばれる挽歌が二群ある。その第一の長歌の後半で、突然の訃報に接して、放心してしまった人麻呂が、かつて妻がよく出かけていた市場に独りで出向いて、抑えがたい心情を吐露している。
○吾妹子(わぎもこ)が やまず出で見し 軽の市に わが立ち聞けば 玉たすき 畝火の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉ほこの 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名喚びて 袖そ振りつる
秋山の 黄葉(もみち)を茂み 惑ひぬる 妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも
妻がいなくなった後でも日常は何ら変わらない状態であることに、呆然としているのである。雑踏の中に立ちながら孤愁の思いに耐えず、ただむなしく妻の名を呼んで袖を振っている人麻呂の、純真な人間性に溢れた美しくも悲しい挽歌である。