「古典耕読」の道しるべの書 補遺(4) ハイブリット言語の万葉集
日・中・韓の混成語の歌(その1)
日本語の文字表現に関しては、わたしは高島俊男「漢字と日本人」(文春新書)が屈指の名著だと思っているが、まず、この書からその要点をまとめて整理しておきたい。
○かつて、日本に固有の文字はなかった。千数百年前にお隣の中国から漢字が伝来し、それを借用する形で日本語を文字表現するようになった。西暦の3世紀ごろから6世紀ごろまで、中国は六朝時代で南京に都があった。日本人はまず、この地方の発音(呉音)で漢字を朝鮮経由で輸入した。その後、平安時代になって、多くの官費留学生が、西北の都・長安に派遣され、当地の発音(漢音)を正統として、日本国内に普及させた。
○日本語は、語の機能に従って形態的に類別すると、韓国語やモンゴル語と同じく付属語、活用語尾による「膠着語」であり、語順による「孤立語」の中国語とは、異質の言語である。
○漢字が日本に伝来してから数百年の間に、漢字は、日本語を書き表す文字として都合のいいように修正された。例えば(1)漢字の中国風の発音を日本人が言いやすいように(音読み)を手直しした。(2)漢字をその意味にあたる日本語(訓読み)でそのまま読んだ。(3)日本語の語幹になる漢字は訓読み、接尾語・活用語尾になる漢字は音読みの漢字を使うことが多かった。(4)平安時代になってから漢字をもとに、日本語の口語をそのまま表記できるように「仮名文字」を創りした。
漢字だけで表記した日本の古代の和歌文学は、「古事記」「日本書紀」では、漢字一字一音で表記されているが、「万葉集」では、後世人を悩ませる厄介な表記をしている。文字遊びの要素を取り込んだ「戯書」と言われる表記までしている。このため、古来、幾多の日本人が解読に挑戦しながら、現在でもその歌のよみかたが確定しない「難訓歌」がかなり残っている始末である。
その「万葉集」が、実は日本語と同じ膠着語・韓国語の「吏読(いど)」という「古代韓国人が漢字を借り、その音訓を活用して表記した借字文」でも書かれているという驚くべき新説を明らかにしたのが、李寧(イヨンヒ)「もう一つの万葉集」(文藝春秋社)である。その要点を紹介する。
○日本人の心のふるさとともいうべき万葉集に口出しするのはたいへん心苦しいのですが、あえて申し上げます。万葉集はそのほとんどが古代韓国語で詠まれております。
○日本式音と訓を混用し、韓国語と日本語をとりまぜて表記しているところに加えて、漢文体語句まで活用しているので、実に複雑多様な表現方法になっているのです。
○一部万葉人は韓国系渡来人だったのでしょうか。それとも韓国語で歌を詠む風潮が当時の流行として日本知識人社会を風靡していたのでしょうか。日本、韓国、中国、三つの国の語文を一つにまとめて自国語へと昇華させ、自由奔放に歌った詩歌は他のどの国のどの時代にもみられなかったことと思われます。 次回からその実例の和歌を紹介したい。
日・中・韓の混成語の歌(その1)
日本語の文字表現に関しては、わたしは高島俊男「漢字と日本人」(文春新書)が屈指の名著だと思っているが、まず、この書からその要点をまとめて整理しておきたい。
○かつて、日本に固有の文字はなかった。千数百年前にお隣の中国から漢字が伝来し、それを借用する形で日本語を文字表現するようになった。西暦の3世紀ごろから6世紀ごろまで、中国は六朝時代で南京に都があった。日本人はまず、この地方の発音(呉音)で漢字を朝鮮経由で輸入した。その後、平安時代になって、多くの官費留学生が、西北の都・長安に派遣され、当地の発音(漢音)を正統として、日本国内に普及させた。
○日本語は、語の機能に従って形態的に類別すると、韓国語やモンゴル語と同じく付属語、活用語尾による「膠着語」であり、語順による「孤立語」の中国語とは、異質の言語である。
○漢字が日本に伝来してから数百年の間に、漢字は、日本語を書き表す文字として都合のいいように修正された。例えば(1)漢字の中国風の発音を日本人が言いやすいように(音読み)を手直しした。(2)漢字をその意味にあたる日本語(訓読み)でそのまま読んだ。(3)日本語の語幹になる漢字は訓読み、接尾語・活用語尾になる漢字は音読みの漢字を使うことが多かった。(4)平安時代になってから漢字をもとに、日本語の口語をそのまま表記できるように「仮名文字」を創りした。
漢字だけで表記した日本の古代の和歌文学は、「古事記」「日本書紀」では、漢字一字一音で表記されているが、「万葉集」では、後世人を悩ませる厄介な表記をしている。文字遊びの要素を取り込んだ「戯書」と言われる表記までしている。このため、古来、幾多の日本人が解読に挑戦しながら、現在でもその歌のよみかたが確定しない「難訓歌」がかなり残っている始末である。
その「万葉集」が、実は日本語と同じ膠着語・韓国語の「吏読(いど)」という「古代韓国人が漢字を借り、その音訓を活用して表記した借字文」でも書かれているという驚くべき新説を明らかにしたのが、李寧(イヨンヒ)「もう一つの万葉集」(文藝春秋社)である。その要点を紹介する。
○日本人の心のふるさとともいうべき万葉集に口出しするのはたいへん心苦しいのですが、あえて申し上げます。万葉集はそのほとんどが古代韓国語で詠まれております。
○日本式音と訓を混用し、韓国語と日本語をとりまぜて表記しているところに加えて、漢文体語句まで活用しているので、実に複雑多様な表現方法になっているのです。
○一部万葉人は韓国系渡来人だったのでしょうか。それとも韓国語で歌を詠む風潮が当時の流行として日本知識人社会を風靡していたのでしょうか。日本、韓国、中国、三つの国の語文を一つにまとめて自国語へと昇華させ、自由奔放に歌った詩歌は他のどの国のどの時代にもみられなかったことと思われます。 次回からその実例の和歌を紹介したい。