竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

『ひとりごつ』(34)   漱石耕読(了)

2016-02-16 10:03:20 | 日記

 

   未完の結末    『明暗』③

  『明暗』の登場人物は、主人公の津田、その妻・お延、その妹・お秀が主軸であるが、津田の学生時代の旧友・小林、結婚前の交際相手・清子などは、これまでの漱石の小説には登場しなかった異質の人間像である。漱石は、これらの人物を含め、この先どのようにこの小説のプロットを展開しようとしていたのか。すでに漱石は、人妻となった清子が、不運な流産のためにひとり温泉宿に逗留しており、それを承知の上で、津田が彼女と顔を合わせるシーンも描写しているのだから、その後の展開にはおのずから制約がある。

 これまで、どんな場面になっても、「優悠」として決して取り乱さない清子と邂逅することによって、いつまでも未練がましく過去の情愛に惑わされている津田が、心機一転、自分の真実の生きかたに目覚めるところを、漱石は主題としたかったのであろうと、能天気に推察する向きも多い。例の「則天去私」という人生訓を、漱石が晩年に到達しえた悟達境として、そこにエゴイズムの救抜を見出したとしたいのであろう。 これに対して、江藤淳は、「津田は救済どころか、したたたかに攻撃され、宿痾を再発して死ぬ。彼の経験するのは、和解でなく闘争であり、勝利者は、清子―ある意味ではお延―である。」と結末を予測している。 

 これまでに多くの日本の作家や評論家たちが、未完の『明暗』の結末について、さまざまな角度から推理する文章を書いている。しかし、彼らは決して自らペンを執ってこの小説の結末自体を書き継ごうとはしなかった。 ところが、およそ四半世紀前に、長い間アメリカで生活し、英語による高等教育を受けた、一人の若い日本人の女性作家・水村美苗が、歴史的・社会的・文化的条件をまったく異にする先人作家の文体を模倣しながら、この小説の続編の執筆に挑戦し、見事に完結させたのである。性差、時差、そして何よりも高等な英語使用者でありながら、往時の日本語を自在に駆使して完成させた、小説『続明暗』には、ただただ脱帽するばかりである。

 現代の漱石研究の第一人者である小森陽一は、『<ゆらぎ>の日本文学』の中で、「日本という国の内部においても、あらためて、「日本」―「日本人」-「日本語」-「日本文化」という<四位一体>の在り方へ、深い懐疑が投げかけられるような事態が発生したのである。」と驚嘆の声をあげている。まさに「後生畏る可し」である。私ごときの名もなき老兵は消え去るのみである。

 今回で、この「漱石耕読」のシリーズも終了とします。次回からは、特にテーマを限定せずに、『ひとりごつ』のに面白いネタがあれば、随時、書き込むことにします。長い間のご愛読に心から感謝申し上げます。 


『ひとりごつ』(33)  漱石耕読⑳

2016-02-13 09:30:06 | 日記

 

 「夫婦愛」についての女性の論争  『明暗』②

  前回、私は漱石のこの未完の遺作について、それまでの家庭的な夫婦関係に係る「我執(エゴ)」の対立抗争を、市井の市民生活にまで拡げて展開させていると書いた。例えば、この小説の主人公・津田の新妻・お延は、夫と対峙するだけではなく、津田の妹・お秀との意見の対立も凄烈で、作者・漱石は、この小説の126回以下で、二人の心理分析を交えながら執拗に記述している。その一部を抜粋すると、

○お秀の口を洩れた意外な文句のうちで、一番初めにお延の耳を打ったのは「愛」という言葉であった。―そんな言葉がまだ会話の材料として、二人の間に使われていなかったからである。お延に比べるとお秀は理屈っぽい女であった。けれどもそういう結論に達するまでには、多少の説明が要った。お延は自分で自分の行為の上に運んで行く女であった。だから平生、彼女が(愛について)議論をしないのは、できないからではなくって、する必要がないからであった。

○お秀の口にする愛は、津田の愛でも、お延、お秀の愛でも何でもなかった。ただ漫然として空裏に飛揚する愛であった。したがってお延の努力は、風船玉のようなお秀の話を、まず下へ引き摺り下ろさなければならなかった。子供がすでに二人もあって、万事自分より世帯染みているお秀が、この意味において、遥かに自分より着実でない事を発見した時に、お延は口では向うのいう通りを首肯(うけが)いながら、腹の中では、じれったがった。

○本当に愛の実体を認めた事のないお秀は、彼女のいたずらに使う胡乱な言葉を通して、鋭いお延からよく見透かされたのみではなかった。彼女は津田とお延の関係を、自分達夫婦から割り出して平気でいた。津田がお延を愛しているかいないかが今頃どうして問題になるのだろう。しかもそれが細君自身の口から出るとは何事だろう。ましてそれを夫の妹の前へ出すに至っては、どこにどんな意味があるのだろう。―これがお秀の表情であった。

 

 ざっとこんな調子である。『明暗』の登場人物の中で、最も精彩を放っているのは、お延である。ごく平凡な中流家庭の新婚夫人を、その意識と心理の内側から、これだけ全人的に描き出した小説は、日本近代文学史上、ほかに前例がなかったと言ってよい。人間の情念の根底に潜み、何らかのきっかけで燃え上がる人間の実相を暴いているのであって、観念的、皮相的に「漱石文学の主要なテーマはエゴイズムの糾弾である。」などと言って、済まされものではないのである。


『ひとりごつ』(32)   漱石耕読⑲

2016-02-06 10:14:43 | 日記

 

  心理小説の最高傑作   『明暗』①

  『三四郎』『それから』『門』の所謂「前期三部作」と称される新聞連載小説を書いて、わが漱石は愈々本格的な小説家として認められてきた。しかし、明治43年に、略年譜で「修善寺の大患」と称されている胃潰瘍で、大量に吐血し、危篤状態に陥った。漱石はその危機をなんとか脱して、一つの転機を迎えた。『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』と書き継いで、大正5年には大作『明暗』の新聞連載をスタートさせた。これまでの小説では、家庭的な夫婦関係に係るトラブルを自伝風に書いてきたが、この小説からはプロットを一般的な市民の対人関係の中で展開させる、純粋な文学的創造に向かった。しかしながら、この連載小説も188回をもって、未完のまま中絶してしまった。病いを再発させた漱石は、50歳で他界してしまった。

 このたび私は、この小説を「ちくま文庫版」で通読したが、その表紙カバーの宣伝文に「漱石の最高傑作は『猫』でも『坊ちゃん』でも『こころ』でもない、この未完の大作です。」としているが、私の読後の感想も「まさにお説のとおり」と断言したい。とり急ぎ、主な登場人物の紹介をかねて、この小説のあらすじをまとめておきたい。

 主人公の津田は、かつて清子を愛していたが、清子は何も告げず他の男と結婚してしまった。二人の仲を取りもった津田の上役・吉川の夫人は、行き掛かり上、代わりにお延を選んで津田と結婚させた。新妻のお延は夫を愛することで自分への愛を勝ち取ろうと真剣に努力した。

 津田は持病の痔の手術のために一週間ほど入院することになった。入院中に津田の学生時代の旧友・小林から暗示を与えられ、お延は結婚前の夫の女性関係に疑いを抱くようになった。一族の体面を重視する津田の妹のお秀から真相を聞き出そうとしたが、成功しない。やがて津田は、退院し、近郊の温泉宿に静養に出かけることにした。そこには、夫・関との長子を流産した清子がひとりで湯治に来ていることを吉川夫人に聞かされ、その強引な勧めもあって、一人で出向いたのであった。そして、二人は宿の一室で向かい合った。

 いわばクライマックスとも言うべきこの場面で、この小説は中断している。急逝した漱石は、その結末について一言も語っていない。『明暗』に描かれているのは、わずか十日間位のことに過ぎず、そのプロットも単純なものである。しかし、この小説は緊密な構成によって、日常の市井の人間の実相にせまるべく、188回も連載を重ねている。未完の小説ながらも、漱石は、この『明暗』によって、日本近代文学史上にも稀有な心理小説の傑作をもたらしたのである。


『ひとりごつ』(31)  漱石耕読⑱

2016-02-01 14:24:50 | 日記

  自殺に至る先生の深層心理  『こころ』③  

  それにしても、Kの娘に対する恋情の告白を聞いただけで、先生はなぜあれほどに動転し、煩悶したのか。これまで、母・娘と一つ家で生活していながら、先生にとって娘は、一日も早く結婚したいと願うほどの存在ではなかった。全く思いもよらなかったKの告白に驚いたにせよ、その際、娘に対する自分の思惑を率直に披歴するのが友人として一般の対応である。

 さきに「あらすじ」で略述したように、先生は、幼年期に両親と死別し、その遺産の大半を叔父に詐取されてしまった。そのため、とりあえず上京して大学生となり、下宿生活を始めたのであった。同郷の学友・Kを同居人に引き入れたのは、「寺の住職を相続させたい」という養家の意向に背いて、「たとえ絶縁されても、自らの力で道を拓いていく」というKの生き方を秘かに畏敬したからである。そのKが他愛もなく異性愛に執り付かれたことに驚き、そのあまりに世俗的な恋情に失望したのだ。しかも、それはすでに自分が占有していたはずの領域であった。

 先生は、事のあとさきも考えずに、母娘に自分との結婚を申し出た。それがKを出し抜くエゴイスティックな行動であったという認識は、冷静に自己分析できるようになって(結婚した後か)、湧き出てきたものではあるまいか。Kは自分の内面を明かすこともなく、自殺した。結果的には自分の結婚を成就するためにKを利用し、彼を自殺に追い込むことになったのだ。そう思いつめた先生は「自分の罪」を償うための手段を模索していたのだ。それは「自虐」ではあっても「懺悔」ではなかった。

  先生の遺書の末尾の部分に、明治天皇に殉死した乃木大将のことが記されている。大将は、西南戦争で軍旗を奪われた責任をとるために、死ぬ機会を待っていたのであった。その報道を知った先生は、自らも死を決意した。

 しかし、これは明治天皇や乃木大将、あるいは「明治の精神」といった、絶対性をもった他者や観念に直接的契機があるのではあるまい。この小説の中の、「先生」と「K」,さらには「奥さん」「娘さん」と「私」というきわめて身近で相対的であるはずの他者とのかかわりの中で、考察すべき問題である。明治天皇と乃木大将に係る関心は、奇しくも明治時代を生きた、作家・漱石自身のものであり、この小説には、「明治の精神」の影響を受けたと思われる先生の言動は、なんら、伏線としても描かれていないのである。