竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

変わらざる者

2010-07-28 06:01:57 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・古今集耕読
 変わらざる者       (17)

           在原業平朝臣
月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ
わが身ひとつは もとの身にして
 この月は、去年の月とちがうのだろうか。今年の春は、去年の春と同じではないのだろうか。月も春もいっこうに変わりはないけれど、この邸は、すっかり荒れ果ててしまっている。ただ私だけが、もとのままで、ここにやってきた。

 この歌の詞書と伊勢物語第四段に、この歌の成立事情ついての長い伝承物語が叙述されている。それによると、稀代のプレーボーイ業平は、五条后の宮(伊勢では二条后の宮?)を不本意ながら深く恋してしまう。ところが、宮は(入内のため?)突然居所を変えてしまい、もはや逢う術もない。悲嘆にくれながら一年を過ごし、翌年の春、殺風景な邸の板敷に臥せってさらに想いを募らせているのである。
 仮名序で、貫之が業平の歌を「心あまりてことば足らず(情感があふれすぎ、それを表現することばが足りない)」と評している通り、この歌も正確な逐語訳に苦労する難解な歌である。だが、いかにも「多感で不遇な業平」らしい歌として、昔から多くの人々に愛誦されてきた。

周囲の状況の変化に即応できず、はなやかで盛んだった過去の思い出から抜け出せない、いわば浪漫的反逆の魂は、人生経験の乏しいナイーブな若者のものである。中海干拓を潔く中止された前知事は、「大人虎変(うしこへん)」ということばをよく揮毫されていたが、人生経験に富んだ大人は、虎がその毛皮の模様を変えるように、周囲の状況に対応して柔軟に処世態度を変える智恵を持っている。その一方で、定年退職してからも、栄光の過去(と自分で勝手に思い込んでいる)の未練を断ち切れなかったり尊大な自尊心に妨げられたりして、思いを新たに人生を再スタートするキッカケをつかめない人も多い。
もっとも、さらに馬齢を重ねて「熟年」に達すると、何もかもあっけなく忘れてしまう。それをことさら「老人力」と名づけて、潔く開き直ってみせる生き方を推奨する向きもあったが、こうなると、もはや「歌のわかれ(情緒喪失)」で、人生の味わいは淡泊なものになる。

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんなプレイ初めてだってばw (がんもどき)
2010-07-31 16:53:09

タオルで目隠しさせられて、つま先から耳の裏まで全身舐められまくり!!

めちゃ気持ちよくて、ちょっと口から泡出てたしな、オレwwwww

5万もらったけど、あんまり続けたらドMになっちまいそうだぜwwwww

http://37wmp-l.zet.hatu-miku.com/

コメントを投稿