竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

hatumoude no omikuji

2017-01-06 16:54:02 | 日記

『ひとりながむ』(3) 

    初詣のおみくじ

 漸くにして、私の喜寿の年が暮れた。昨年から新年の初詣は、参拝者で混み合う出雲大社を遠慮して、自宅から近い園の長浜神社に出向くことにしている。近年、思想界の主流となっているナショナリズムよりローカリズムの再生こそ日本の生きる道と思っていたので、わが出雲の「国引きの神・八束水臣津命」を祭神とするこの神社に詣でることにしたのである。

 昨春はほんの気まぐれからその年の運勢を占うおみくじを引いてみたところ、驚いたことに、「大凶」であった。全く商売気のないことに恐れ入って、巫女さんに聞けば、「大吉」と「大凶」は、ともに一枚づつしかない貴重なものであるらしい。「とりあえずは、わが身を慎むことが肝心なのだ」と納得しておいた。

 ところが、それを失念して不摂生を重ねてしまい、私個人にとっては、まさに「大凶」ともいえる一年になった。その前年の大晦日に、私の「道連れ犬」喨が突然他界し、私は、強烈な喪失感に囚われて、その上に、近年になって、やっと病名がついて、一応の治療法が確立された「奇病」に罹患してしまい、殆どその療養に明け暮れた。

 「喜寿」にあたる年は、厄年でもあるので注意が肝心とされていたが、私の幼少期からの同い年の親友の幾人かが他界した。夏には、母校の出雲高校が、学校創立以来初めての甲子園出場を果たし、世間を驚かせたが、そのテレビ放送が、せめて天国にいる旧友たちにも聞こえるようにと殊更にボリュームを大きくしたりした。

 検査入院を2回、夜間救急病棟に駆け込むこともあったが、年の瀬になってやっと、病状も好転してきた。ことさらの苦痛を伴わず、専ら薬物療法と軽い運動療法だけを事としているが、今年はなんとかいい方向にむかってほしいと願っている。。

 そういう次第で、今年は年賀状もお座なりになったが、どうか、皆さんもくれぐれも健康に留意されて、いい年を過ごされますように、祈っています。


ひとりよがりの回想

2016-12-22 16:09:41 | 日記

『ひとりながむ』(2) 

    ひとりよがりの回想 

 前回のこのブログに、わたしは母校・出雲高校が創立100周年を迎える四年後に刊行されるはずの、正統な学校史の予告編として、60年も昔の個人的な高校生活史を「老人のエピソード記憶」として思いのままに綴ってみたいと書きこんだ。

 早速、その素材探しとして、昔の資料を投げ込んでおいたダンボール箱を漁っていると、私の高校1、2年の頃の自由日記帳が見つかった。

 この日記帳のことについては、これまで、私は全く忘れ果てていた。ひとあたり飛ばし読みをしてみて、もっと驚いた。以前、このブログの「漱石耕読」の中で、私は中学時代までは、威勢のいい女子生徒に圧倒されて小さくなっていたが、「高校入学の感想文」として書いた、漱石の『猫』真似の「諧謔と批評」が評判となり、その後「文芸部部長」に抜擢され、クラスのHR活動などをリードするような委員になった旨を記述したことがある。

 しかしながら、この日記帳には、そのような威勢のいい、積極的な行動の記述は、些かもない。HRでは、私より年上で、演劇の役者志望の生徒からいつも手厳しい反発を食らい、反論することもなく、彼を呪詛する文言ばかりを繰り返している。

 文芸部活動においても、才女で同級生の女生徒が、献身的に私をサポートしてくれたと思いこんでいたが、同人誌の出版費用にあてる広告集めなどで、彼女から、私の統率力のなさを厳しく責め立てられて、私もしばらく落ち込んでいたりしている。

 「エピソード記憶」などと言っても、人間の記憶は、歳月とともにすべて美化されて、自分に都合のいいように改変されたにモノに違いない。自分の若き日の生活史を記憶のままに記述すれば、他人の虚偽のプライバシーを創り上げるばかりか自分のアイデンティティーさえも怪しいものになってしまう。前回の私の記述は、まさに「唐突で軽薄な思いつき」であった。謹んでお詫びを申し上げ、撤回をお願いしたい。


唐突、軽薄な思いつき

2016-12-17 15:19:27 | 日記

『ひとりながむ』(1) 

  唐突、軽薄な思いつき 

 この夏まで、わたしは『ひとりごつ』と称するブログを開設して、およそ週1回のペースで、書き込みを続けていたが、その後、いささか体調を崩して、不本意な休筆を続けていた。余生を「ひとり」で「おっちらと」「ながめながら」閑居の気味を味わいたいという思いからであった。

 ところが、生来、不器用で親しい友人も乏しいわたしは、たちまち退屈してしまい、老人性の認知症のきざしも見え始めた。このままでは困ったことになるやもしれぬ。いささか、わたしも不安になっていた。

 その矢先、一通の往復ハガキが届いた。私が高校教師駆け出しのころ、最初に担任をした連中からの「卒業50周年同窓会」の招待状であった。来春3月、盛大に開催したいとの由である。わたしは、二もなく、久方ぶり興奮した。思い起こせば、彼らを卒業生として送り出した春、私は結婚した。「来春は、『金婚式』にあたるが、如何?」と愚妻から責められていた。

 実は、以前私に「ブログなるもの」の開設を持ちかけたのも彼らの一派であった。この夏は、わが母校の甲子園初出場に興奮させられたが、東京オリンピック開催の年に創立1000周年を迎えるという。やがて、正統な100年史も刊行されるであろう。「その前宣伝として、この際、出雲高校に係る個人的な生活史を書き綴ってみるのもオツなものですなあ。」と、こうした集まりの常任幹事のH君がそそのかす。

 そう言えば、いつぞやの朝日新聞の「天声人語」で、「個人的なエピソードの記憶こそが、その人の人格の芯である」と書いており、全くその通りだと共感したことがあった。

 同窓会の出席は当然のこととして、たちまち、「その趣旨でわたしのブログを再開するのも悪くないな」という気になってきた。わたしは、出雲高校の古い卒業生であり、旧職員であり、家族のほとんどが「久徴会員」であり、学校のすぐ近くで70年住まいしてきた。学校に係る史料もダンボール一杯にしまい込んである。この際、後先考えずに書きこんでみよう。そういう気になってしまった。他人のプライバシーを尊重し、自分の自慢話は控えめにして、ともかく再出発してみよう。私に残された時間は、もう長くはあるまいから。      


『ひとりごつ』から『ひとりながめる』へ 個人的事情

2016-11-13 09:04:42 | 日記

『ひとりながめる』(1) 個人的事情

『ひとりごつ』から『ひとりながめる』へ

    太古よりよろずの神の集ふ山 

 私は、16年前に定年退職した後、家族ともども市街地に隣接する転用農地のひと隅に、新居を建てて、移り住んだ。まさに屏風を据えたように、ま近に列なる北山連峰が一望できる、ロケーションだけは、抜群の一等地であった。この山なみは、『古事記』では、「宇迦の山」と呼ばれ、それに因ると、わが出雲の「大国主命」が、義父の須佐之命の指示に従って、嫡妻のスセリヒメと協力して。その麓を拠点として、国づくりを完成させたところとされている。つまりは、大和への「国譲り神話」の表舞台となった、おなじみの場所である。

 私は、この10年あまり、自分の健康保持の名目で。大型犬のラブラドール・「リョウ」(すでに一昨年に他界した)に引っ張られながら、朝な夕な自在にこの田圃道を歩き回っていた。 

 こうなる事態は、予てから薄々とは予想していたが、すぐ近くのスーパーマーケットが、巨大戦艦を思い出させるような異様な、しかし、どこか前衛的なスタイルで、改装された。途端に周囲の街の表情まで変わってきた。わたしが、秘かに「出雲の田園調布」と名づけた我が家周辺の田園風景が、ここにきて一変する雰囲気になった。一階のダイニングと二階の私のベッドルームには、その北側にことさら広く大きなガラス扉をつけて、北の展望を愉しんできた。ああ、世も末だ。

 そこで、とりあえず、現在の私の心境を、額田王のパロディ歌で吐露する。

  太古より万の神の集ふなる 宇迦の山なみ隠さふべしや       


『ひとりごつ』(了)個人的事情 「ひとりごつ」から「ひとりながめる」へ

2016-07-01 10:04:43 | 日記

『ひとりごつ』から『ひとりながめる』へ

 わたしは、16年前に公立高等学校教員を定年退職するや、10年間ほどは、いささか現職時代の職務と係わりのあった地元の専門学校の非常勤講師、市の教育委員、育英会奨学相談員、さらには退職会や旅行同好会の世話役などを引き受けていたが、齢「古稀」を過ぎてから以降は、気楽な「隠居生活」にはまっていた。ところが、時折、拙宅に顔を覗かせる、嘗ての教え子連中から、「このままではガラコバス化するばかりで、とてもネット社会を生きていけない。」と、脅されて、流行の「ブログなるもの」を開設してみることにした。現役時代の教材の下調べの要領で、自前の古典(和歌)文学のアンソロジーでも編んでみる心づもりであった。当初は、『万葉集耕読』と僭称して、諸家の説を覆すような新説の掘り起こしを狙ったが、すぐにネタ切れになり、『新古今集』に至るまでの「勅撰集」「私歌集」さらには『源氏物語』の作中人物の歌にまで目を拡げたが、恥ずかしながら自分勝手で気ままなフラグメントになってしまった。

 ひとあたり、和歌文学に目を通したところで、昨年からは、『ひとりごつ』などと改称して、わたしが折に触れて見聞きした本や講演の紹介と感想を書きこんできた。かくして、前回までに、すでに389回、1000字程度で、駄文を書き連ねてきた。

 かくして、私も今年は、齢「喜寿」を迎えた。この1年半ほどは、耳新しい疾患にとりつかれ、律儀に療養を続けてきたが、適切な医療措置を受けて、どうやら快癒に向かっている。

 いつまでも現状を悲観して「ひとりごち」ていても、しようがない。そこで、まことに唐突で勝手ながら、ここらで、このシリーズも、ひとまずお開きとしたい。今後は、もっと肩の力を抜いて、余生を「おっちらと」「ひとりながめる」ことにしたい。そうは言いながら、「とりあえず、なんでもまず書いてみよう」というのが、わたしの性癖であるから、すぐにその気になるかもしれない。ともあれ、ひとまず今回をもって、従前のような書き込みは終了としたい。

 まことに身勝手なことで申し訳もありません。長い間ご愛読いただき、心から感謝申し上げます。