「源氏物語」作中人物の歌(50)
すげない返書(宿木の巻)
いたづらに 分けつる道の 露しげみ 昔おぼゆる 秋の空かな
薫から中の君へ
むなしく踏み分けて帰って来ました道の草に露がしとどに置いていましたので、昔のことが思われる秋の空です。
今上帝の女二の宮の母・藤壺女御は、宮の裳着(女性の成人儀式)の準備中に急逝してしまわれた。帝は、女御への供養とするために、急遽、日頃から信頼していた薫の許に、女二の宮を降嫁させる内意を示された。このため、以前から当代きっての貴公子(薫・匂宮)のどちらかを、自分の娘・六の君の婿にしたいと思っていた夕霧も、この際ターゲットを匂宮に絞って、慌ただしく婚儀を済ませてしまった。
宇治の地を離れて、匂宮の二条院に迎えられていた中の君は、妻としての自分の立場に対する不安が早くも的中して、懊悩を深めた。女二の宮との婚姻にあまり乗り気でない薫も、中の君を慰めるためにしばしば二条院を訪ねるようになり、自分が軽率な判断で匂宮に譲ったことを後悔し、再び彼女への恋慕の情を掻き立てた。ある夜、意を決して強引に迫った薫は、懐妊中の中の君の腹帯に触れて、危うく妄動を自制した。中の君は、すでに匂宮の子を身ごもっていたのだ。
冒頭の歌は、まだ夜深いうちに二条院から帰邸した薫が、匂宮に「後朝(きぬぎぬ)の文」と疑われないように、ことさら正式の書状のスタイルで書き送った歌である。これに対して中の君も「うけたまはりぬ。いとなやましくて、え聞こえさせず。(お手紙拝見。気分がすぐれず、失礼)」と、すげない返書を送ってきただけであった。
翌年2月、中の君は無事男子を出産した。匂宮の第一子の誕生であった。かくして、ひとまず中の君は公認の妻室として自分の確かな座標が定まった。世間からは、本来なら得られるべくもない幸いを手中におさめた「幸い人」と称された。
一方、今上帝の内親王・女二の宮を正室に据えた薫は、権大納言兼右大将という高官に出世した。現世離脱を身上としていたはずであったが、それでもなお、宇治の姉妹への哀慕の思いも絶つことができないでいた。そこで、中の君は二人の異母妹で、殊に大君と容貌が酷似しているという浮舟のことを薫に打ち明けた。その浮舟の登場によって、物語はまた新たな局面が開けてくるのである。
すげない返書(宿木の巻)
いたづらに 分けつる道の 露しげみ 昔おぼゆる 秋の空かな
薫から中の君へ
むなしく踏み分けて帰って来ました道の草に露がしとどに置いていましたので、昔のことが思われる秋の空です。
今上帝の女二の宮の母・藤壺女御は、宮の裳着(女性の成人儀式)の準備中に急逝してしまわれた。帝は、女御への供養とするために、急遽、日頃から信頼していた薫の許に、女二の宮を降嫁させる内意を示された。このため、以前から当代きっての貴公子(薫・匂宮)のどちらかを、自分の娘・六の君の婿にしたいと思っていた夕霧も、この際ターゲットを匂宮に絞って、慌ただしく婚儀を済ませてしまった。
宇治の地を離れて、匂宮の二条院に迎えられていた中の君は、妻としての自分の立場に対する不安が早くも的中して、懊悩を深めた。女二の宮との婚姻にあまり乗り気でない薫も、中の君を慰めるためにしばしば二条院を訪ねるようになり、自分が軽率な判断で匂宮に譲ったことを後悔し、再び彼女への恋慕の情を掻き立てた。ある夜、意を決して強引に迫った薫は、懐妊中の中の君の腹帯に触れて、危うく妄動を自制した。中の君は、すでに匂宮の子を身ごもっていたのだ。
冒頭の歌は、まだ夜深いうちに二条院から帰邸した薫が、匂宮に「後朝(きぬぎぬ)の文」と疑われないように、ことさら正式の書状のスタイルで書き送った歌である。これに対して中の君も「うけたまはりぬ。いとなやましくて、え聞こえさせず。(お手紙拝見。気分がすぐれず、失礼)」と、すげない返書を送ってきただけであった。
翌年2月、中の君は無事男子を出産した。匂宮の第一子の誕生であった。かくして、ひとまず中の君は公認の妻室として自分の確かな座標が定まった。世間からは、本来なら得られるべくもない幸いを手中におさめた「幸い人」と称された。
一方、今上帝の内親王・女二の宮を正室に据えた薫は、権大納言兼右大将という高官に出世した。現世離脱を身上としていたはずであったが、それでもなお、宇治の姉妹への哀慕の思いも絶つことができないでいた。そこで、中の君は二人の異母妹で、殊に大君と容貌が酷似しているという浮舟のことを薫に打ち明けた。その浮舟の登場によって、物語はまた新たな局面が開けてくるのである。