竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

すげない返書

2013-11-29 09:15:52 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(50)

  すげない返書(宿木の巻)

いたづらに 分けつる道の 露しげみ 昔おぼゆる 秋の空かな
               薫から中の君へ
 むなしく踏み分けて帰って来ました道の草に露がしとどに置いていましたので、昔のことが思われる秋の空です。

 今上帝の女二の宮の母・藤壺女御は、宮の裳着(女性の成人儀式)の準備中に急逝してしまわれた。帝は、女御への供養とするために、急遽、日頃から信頼していた薫の許に、女二の宮を降嫁させる内意を示された。このため、以前から当代きっての貴公子(薫・匂宮)のどちらかを、自分の娘・六の君の婿にしたいと思っていた夕霧も、この際ターゲットを匂宮に絞って、慌ただしく婚儀を済ませてしまった。
 宇治の地を離れて、匂宮の二条院に迎えられていた中の君は、妻としての自分の立場に対する不安が早くも的中して、懊悩を深めた。女二の宮との婚姻にあまり乗り気でない薫も、中の君を慰めるためにしばしば二条院を訪ねるようになり、自分が軽率な判断で匂宮に譲ったことを後悔し、再び彼女への恋慕の情を掻き立てた。ある夜、意を決して強引に迫った薫は、懐妊中の中の君の腹帯に触れて、危うく妄動を自制した。中の君は、すでに匂宮の子を身ごもっていたのだ。
 冒頭の歌は、まだ夜深いうちに二条院から帰邸した薫が、匂宮に「後朝(きぬぎぬ)の文」と疑われないように、ことさら正式の書状のスタイルで書き送った歌である。これに対して中の君も「うけたまはりぬ。いとなやましくて、え聞こえさせず。(お手紙拝見。気分がすぐれず、失礼)」と、すげない返書を送ってきただけであった。

 翌年2月、中の君は無事男子を出産した。匂宮の第一子の誕生であった。かくして、ひとまず中の君は公認の妻室として自分の確かな座標が定まった。世間からは、本来なら得られるべくもない幸いを手中におさめた「幸い人」と称された。
 一方、今上帝の内親王・女二の宮を正室に据えた薫は、権大納言兼右大将という高官に出世した。現世離脱を身上としていたはずであったが、それでもなお、宇治の姉妹への哀慕の思いも絶つことができないでいた。そこで、中の君は二人の異母妹で、殊に大君と容貌が酷似しているという浮舟のことを薫に打ち明けた。その浮舟の登場によって、物語はまた新たな局面が開けてくるのである。

うつらふ梅の香

2013-11-22 09:16:14 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(49)

  うつろふ梅の香(早蕨の巻)

見る人も あらしにまよふ 山里に 昔おぼゆる 花の香ぞする
               中の君から薫へ
 (私が京に移ってしまえば)もう見る人もないでしょうに、嵐に吹き乱されるこの山荘に、亡き人の偲ばれる梅の香がします。

袖ふれし 梅はかはらぬ にほひにて 根ごめうつろふ 宿やことなる              薫から中の君へ
 かつて賞翫した梅は昔に変わらぬ匂いを放っていますが、あなたがすっかりお移りになってしまうお家は、もう(ここならぬ)別の所なのでしょうか。

 薫25歳。宇治の山荘に再び春は巡ってきたが、父・八の宮の死に引き続いて、姉の大君にも先立たれてしまった中の君の悲しみは尽きない。
 2月初旬、中の君は、夫君・匂宮の京の邸二条院に迎えられることになった。これまであれこれ上京の準備を支援してきた薫は、いよいよ中の君が京に出発する前日、宇治を訪ねて、懐旧の情に浸った。冒頭の歌は、その際に二人が唱和したものである。薫は、今になって、亡き大君に面影の似通う中の君が匂宮に独り占めにされてしまわれることが、無念でならなくなる。

 2月7日、中の君は到着を待ちかねていた匂宮に迎えられて、京の二条院で新しい生活がスタートした。この2月に、自分の娘・六の君と匂宮との結婚をもくろんでいた夕霧は、思わぬ事態に不快を隠しきれない。東宮の候補と目されている匂宮にとっても、後ろ盾となる豪家権門との結縁を無下にするわけにはいかない。京に迎えられたとはいえ、零落した宮家の娘に過ぎない中の君は、孤立無援の自分の立場に不安が募るばかりであった。

 同じころ、京の三条の宮に新居を移した薫は、中の君の居る二条の院を訪ねた。中の君としては、相も変わらぬ薫の好意が、今さらながらありがたく思われた。しかしながら二人の仲に疑惑を抱いている夫・匂宮を憚って、中の君はその対応にも苦慮するのであった。

むすべぬ契り

2013-11-15 09:14:23 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(48)

  むすべぬ契り(総角の巻)

あげまきに 長き契りを むすびこめ おなじ所に よりもあはなむ
                薫から大君へ
 総角(あげまき・お経の飾り紐)結びの中に末長い契りを結びこめて、一つ所に結び合わされる、そのように、一緒になりたいものです。

ぬきもあへず もろき涙の 玉の緒に 長き契りを いかがむすばむ
                大君から薫へ
 悲しみにたえず、いつ死ぬかも分からない私の命ですのに、末長い契りなどどうして結べましょう。

 前帖に続く薫24歳の秋。八の宮の一周忌も近づき、宇治を訪れた薫は、その夜、筆の遊みに冒頭の歌をしたため、再び大君に自分の意中を訴えた。これに対して、大君は、自分は亡き父の戒めの遺言どおりに宮家の尊厳を遵守して、この山棲みで生涯を終えたいという思いを口にするばかりであった。
 しかし、こうした頑なな求道の姿勢は、薫はもとより現実的な利害に聡い周囲の侍女たちにも受け入れがたいものであった。逃れられない状況を斟酌した大君は、それでは姉の自分が後見人となり、妹の中の君を薫に託そうと決心した。
 喪が明けるのを待って宇治を訪れた薫は、侍女の手引きで姉妹の寝所に忍び入ったが、気配を察した大君はいちはやく姿を隠し、やむなく薫はあとに残された中の君と一夜を語り明かすしかなかった。このような大君の企みの機先を制するために、薫は、匂宮を中の君のもとに導いて、二人を同衾させ、夫婦として「三日の夜の餅」の儀礼も遂げさせてしまった。匂宮の中の君に対する愛情は格別であったが、将来皇太子たるべき高貴な身分として、帝や母后の意向に配慮して、新婚早々から宇治通いは、途絶えがちになった。
 10月、薫の勧めもあり、匂宮は宇治で紅葉狩を催した。しかし、匂宮は仰々しく随行する廷臣に取り囲まれて、八の宮家に近寄ることもできなかった。その上、匂宮と夕霧の六の君との正式の婚儀の準備が進められていると伝え聞き、大君は絶望のあまり発病してしまった。
 11月、京から駆けつけた薫にみとられながら大君は他界してしまう。彼女は、瀕死の状態になって、やっと薫の愛を受容した。こうして大君を失った薫は、その心に永遠不滅の面影を抱き続けることになっていくのである。               

かれぬ言の葉

2013-11-08 08:07:05 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(47)

  かれぬ言の葉(椎本の巻)

われなくて 草の庵は 荒れぬとも このひとことは かれじとぞ思ふ              
              八の宮から薫へ
 私がいなくなって、この草の庵は荒れてしまいましょうとも、この琴の一声を手始めに末永くお付き合い頂いて、私のお願いは聞き届けて頂けるものと存じます。

いかならむ 世にかかれせむ 長き世の 契り結べる 草の庵は
               薫から八の宮へ
 どのような世になりましょうともご無沙汰いたすことはございません。末永くとお約束いたしましたこの草の庵には。

 薫23歳。春2月、匂宮は初瀬詣での帰途、宇治にある夕霧の別荘に中宿りした。かねて薫から打ち明け話として頻繁に聞かされていた八の宮の姫君に関心を持っていたからである。薫も京から馳せ参じて、皇族の身として自由がきかない匂宮から託された相聞の歌を持って、対岸にある八の宮の山荘に赴いた。突然のことに躊躇しながらも、中の君がその返歌をしたためた。

 秋、重厄の年齢に達し、自らの死を予感した八の宮は、姫君たちの後見を薫に託して、宇治山の阿闍梨の山寺に籠ることにした。
 冒頭の歌は、離別に際し薫から請われるままに、姫君たちに琴の音をほのかに掻き鳴らさせながら、八の宮が詠んだ歌と薫の返歌である。末永い付き合いを願う八の宮に対して、薫も永遠にこの草庵を守り続けると約束したのである。
 その一方で、八の宮は、姫君たちに向かっては、自分の亡き後も安易な結婚はせずに、志操高く、この山里に耐え籠る覚悟を持つように訓戒を遺した。そして、八の宮は山寺に籠ったままあえなく他界した。

 年末、久しぶりに宇治を訪れた薫は、八の宮との約束を果たすため、中の君には匂宮との結婚を勧め、大君には自らの恋情を訴えて京への迎え入れを申し出た。これに対して、現世離脱の志向の強い大君は、固く心を閉ざし、結婚など無縁のこととして、取り合おうとしない。一途に求道に向かう大君の心高さに接して、薫はますます哀慕の情が掻き立てられるのであった。                      

霧のまよひ

2013-11-01 07:32:33 | 日記
「源氏物語」作中人物の歌(46)

  霧のまよひ(橋姫の巻)

あさぼらけ 家路も見えず 尋ね来し 槇の尾山は 霧こめてけり
               薫から大君へ
 夜もほのぼのと明けてゆきますが、帰る家路も見えず、わざわざやって参りました槇の尾山も、霧が立ちこめています。

 「源氏物語」の第三部は、光源氏没後の子孫の物語である。「橋姫」から「夢浮橋」までの「宇治十帖」は、殊に緊密な構成と展開がみられ、近代文学を凌駕する人間心理の深層をえぐるリアリティーがある。
 主人公の薫は、「父」・源氏の遺言どおりに、元服すると冷泉院の養子となり、母・女三宮の兄である今上帝に目をかけられ、「異母兄姉」である夕霧右大臣や明石中宮からも厚遇されていた。だが、その栄華な境遇と裏腹に、幼い頃から自分の実父についてぼんやりと抱いている疑惑があった。その不安からの脱却を念じながら次第に心は仏道に傾いていった。
 「宇治十帖」の冒頭に紹介されている、源氏の異母弟の八の宮は、冷泉院より二,三歳年長であったが、院が東宮の時、弘徽殿右大臣派によって、東宮廃立の策謀に担ぎだされたため、源氏の政界復帰後は零洛の運命を免れず、京の邸も焼失したため、宇治に隠れ棲んでいたのであった。今は北の方に先立たれ、仏門に深く帰依しながらも、遺された二人の姫君(大君・中の君)のことだけが心残りで、出家も叶わずにいた。
 八の宮の師である阿闍梨は、冷泉院にも召されるほどの高僧で、院から八の宮の噂を漏れ聞いた薫は、その生活ぶりと人柄とに心惹かれ、独自にしばしば宇治の山荘に通うようになった。
 そして、三年目の秋、偶々八宮が寺に籠って留守中に、山荘を訪れた薫は、月光の下で琴と琵琶を合奏している姉妹を垣間見て、その優美なさまに強く心惹かれた。冒頭の歌は、その際、薫が大君に詠みかけた歌である。暗に一夜の宿りを請うたのである。
 その夜、大君に代わって薫と応対したのは、故柏木の乳母子で、女三の宮の乳母子・小侍従とも親しくしていた老女房・弁であった。薫は、後日、彼女から自分の出生の秘密を聞かされ、実父・柏木の形見の品を受け取った。
 こうして、霧の深い「宇治」という「憂き」土地柄を舞台に、迷いの深い薫と二人の姉妹のドラマチックな関わりが始まるのである。