今日は薄曇りの天気でした。夕暮れの雑草畑の様子を、日中撮ってみました。そのためだけに、畑に行ったんですか? いえいえ、農作業の一環です(笑)。お米のもみ殻を、ここに運んでいるのです。
雑草が繁茂しないようにと、春から初秋まで5回くらい、畑?を耕します。でも、最後はいつもこんな感じになってしまいます。これまでの努力のあとは、まったく感じられません(苦笑)。
こういう状態で何十年も続いているのですから、この「畑」には、どれだけ多くの雑草の種が埋もれているのか…。きっと天文学的な数字、単位であると思います。数字の単位を順に並べていくと、最後は確か「無限大」でした。その一歩手前くらいでしょうか。
不耕起栽培、自然栽培、雑草を刈り、その隙間に種を播く。この状態を受け入れて、逆らわずに種を播くやり方も無いわけではなさそうです。うまく育つかダメになるか、どちらにしても、興味深い経過を見せてくれるに違いありません。でもそんなことを楽しむ「余裕」は、今のところ無いです。これからもそうだろうと思います。ご先祖サマには、申し訳ない。でも、しょうがない。
色のついて見える植物は、これでした。記事のタイトルからピンとくる2文字の名前です。何かを栽培することより、ここで撮影会でもした方が良いかもしれません。
ここも草むら。いろんな虫たちがいるはずです。
どれくらい先のことでしょう。ちゃんとした牛肉を口にできるのは、人口のごくごくひと握りの人たちで、それ以外は、人工肉や遺伝子組み換え作物を食べることになっているのだとか。最近、よく聞くようになった「昆虫食」は、その前段でもあるそうです。タイトルのようなことも、それほど遠い未来のことでもないのかもしれません。
元々、牛肉にはほとんど縁が無いので大丈夫ですが、昆虫食は、できれば無縁でありたいです。でもほとんどの人はあるかもしれません。「苦虫を噛みつぶしたような」という表現があるくらいですから。
生きていくため、食糧増産のため、さまざまな理由で切り開かれた土地。そうした場所が、その役目を果たす見込みが無くなっていく。何とも残念なことのように思えます。でも、長い長い目で見れば、それもいたし方ないことなのかもしれません。「万物は流転する」、「世の中に変わらないものは無い」、それが唯一の真理なのだろうから、です。
そんな真理なんか、知んりませーん(寒)。