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自分でできること

2024-01-28 | 突然思い出す秋田弁オノマトペ

 いろんな言葉や表現が、それはマズイでしょうとなって、口に出しにくい世の中になりました。もちろん、不適切な表現やら、誰かを傷つけるようなものの言い方などが、好ましいことであるはずはありません。けれども、そうしたことをいくら無くそうとしても、それは無理なことじゃないんでしょうか。そうした努力を意味の無いことと言っているのではないのです。ただ、それと同時に、しなければならないこと、したほうが良いことというのがきっとある。そう思うのです。

 

 なんだかあいまいな書き方をしてしまいました。世の中には、やさしい物言いをする人ばかりじゃない。「ほめて育てる」人ばかりじゃない。がんばれって言われた時のつらさを理解できる人ばかりじゃない等など、いくつもそれこそ数えきれないほど、そんなことはあります。だから、誰だってそんな言葉に出会うときはあると思うのです。これまでもこれからも。だったら、その時のこころの対処の仕方を覚えておくのは、とっても大事だし、必要なことなのではないでしょうか。こころない言葉による傷を最小限にするためにも。そして、いつか余裕ができたら、誰かがそう言われた時にかけてあげる言葉を覚えればなお可、だと思います。

 人は誰でも、知ってか知らずか、誰かを傷つけるものですよね。本人にまったくそんなつもりがない場合でも、それを聞いた方が傷つく場合だってあるのです。ですが、あまり神経質になったら何も話せなくなってしまいます。でも誰かの心を温かくできるのも、人だと思います。

 がえがえどちらつけなくしゃべる人の言うことなんか、気にしないようにしましょう。深い思慮なんか無いんですくらいに思って(笑)。そんな人の言うことで気を病んでいたら、自分の人生がもったいなくなる。でもまぁ、それはそれで、自分にそんな場合の対処の仕方を考えさせてくれる良い機会だととらえましょう。ねぇ、そんなふうに思うようにしませんか?

 

 ちなみに、がえがえどというのは、遠慮なしにというようなニュアンスです。ちらつけないというのは、厚かましいというような感じ。面(つら)付けないということなんでしょうか。

 傷つく前に、するりとかわす。刀のやり取りでは、運動神経のこともあってそう簡単にはいかないでしょうが、言葉のやり取りでは、それが可能だと思います。もちろん、練習は必要だすよね。受けた傷が大きいにせよかすり傷にせよ、それは温かく生きていく上での糧になるんじゃないでしょうか。あっ、自分に関して言えば、傷をつける側にならないよう、注意しなければなりませんです。

 今朝の風景です。ちょっと冷え込みました。もやがかかっているのです。

 いつものこの風景を、電車にのって反対側から見てくださった方がいます。素敵な列車の旅のお話を知らせてもらいました。お米で長いおつきあいをいただいている方です。手を振りたかったなー(笑)


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