まったり風景

アルビレックス新潟のゲーム画像と、散歩写真+戯言のブログです。

長野電鉄

2007年06月17日 | マッタリ風景

長野電鉄屋代駅(しなの鉄道屋代駅プラットホームよりのぞむ)。
昭和30年代(いやもっと古いかな)にタイムスリップした様な駅舎。
2007年6月11日撮影。




やっぱり、つまずいてしまいました。
昨日の対大宮戦は地元ラジオ局が駒場スタジアムまで出張してのライブ中継があったので、ラジオ観戦となりました。
前半に松下が退場となり、アルビは一人少ない状況で苦しい戦いを強いられ、後半はリードを許す状況に陥りました。
しかし、今年のアルビは一味違う、失点後のセットプレーで千代反田のヘッドで同点に追いつき、試合終了間際まで同点のままゲームを運んだのですが.....
あともう少しで勝ち点1が見えたと思ったら、試合終了間際に逆転ゴールを叩き込まれて試合終了。
まあ、退場者が出てゲームプランが大きく狂った中で同点に追いつき、あわや勝ち点を持ち帰れるところまで行ったのですから、不利な状況で頑張った選手を褒めるしかありません。
アルビは調子を上げると下位チームに足元をすくわれるパターンが多いのですが、今回もと思ってしまいました。
ぼやきついでに、Hアナウンサーが中継する試合は勝率が凄く悪いと言うジンクスがあります.......
気持ちを切り替えて、次の試合に集中しましょう。




上田電鉄乗車記の続きですが、帰りは長野電鉄へ乗車して長野へ戻りました。
しなの鉄道上田駅から屋代駅へ行って、長野電鉄屋代駅から須坂駅(屋代線)を経由して長野駅(長野線)へ向かうコースです。
長野電鉄と言うと、はるか昔学校の行事で木島駅(木島線-----現在は廃止されたそうです)から湯田中駅(終着がこの駅だったかの記憶は定かではありませんが)まで乗車したことがあります。
まあ、ちょっとした感傷旅行なのですが、その時の記憶自体がものすごく薄い状態なので、体験乗車と言った方が良いかもしれません。




屋代駅へ到着した長野電鉄の電車、折り返しで須坂へ行きます。


陽射しの強い午後に、長野電鉄屋代駅で電車の到着を待っていたのは当然私一人です。
この駅、殆どあばら家(失礼)ですが、昭和30年代を感じさせてもくれました。
さて、須坂方面から電車が到着して、折り返しで須坂へ向かいます。
この電車「3500系」と言う型式だそうですが、元々は東京の地下鉄を走っていた営団地下鉄3000系を長野電鉄が引き継いだようです。
びっくりしたのは、冷房設備が無かったことです。
昔の地下鉄車両には冷房設備はなかったから、そのままなのでしょうね。
でも、屋代線は緑豊かな田園地帯を走行するので、窓から爽やかな風が入ってきて、全然苦にはなりませんでしたけどね。
この路線、上田電鉄と同じで駅の数は多いけど、お客さんの乗り降りは少なく、多分赤字ローカル線なのだろうなと感じました。

さて、自宅に帰宅してから気が付いたのですが、屋代駅で撮影した電車をじっくり見ると、何と「木島行き」になっていました。
木島線は既に廃止されていますから、一瞬幻の電車???と思ってしまいましたが、多分行き先表示を変更している時にシャッターを切ったのでしょうね。
しかし、長野県の私鉄は、銀色に輝く車両がお好きなようです。




須坂駅は、屋代線と長野線が交差する交通の要衝なので、意外とプラットホームが沢山ありました。
車両基地もあったので、色々な電車を見ることができ、子供のお土産に車両の撮影ができました。
ただ、長野へ向かう列車との接続時間の関係で、ゆっくりと撮影できなかったのだが、残念です。
多分、子供が一緒だったら、一日ここで過ごしていたかも知れません。
須坂と長野の間は、どちらかというと通勤・通学路線と言った趣で、結構お客さんが乗り降りしていました。
この路線で使っている車両は「8500系」という型式で、元々は東急電鉄8500系だった車両だそうです。
通勤・通学路線にはふさわしい車両だなどと、変に感心してしましましたが、屋代線との対比が凄く感じられたこともあります。
長い初夏の陽射しがようやく傾く頃に、地下駅化された長野駅プラットホームへ電車が滑り込んで長野電鉄乗車は終了とあいなりました。




長野行きの電車「8500系」。
車内放送とかチャイムの音を聞いていると、東京を感じさせてくれます。
須坂駅で撮影。





須坂駅で撮影した電車。(以下の情報は受け売り)
長野電鉄オリジナル車両で型式名は「OSカー10系」、OSカーの語源は(Officemen&Students Car)だそうです。
写真の車両は2代目で、現在は引退しているようです。




須坂駅の車両基地の様子。
左側に小さく写っているのは、新型特急車両1000系「ゆけむり」(元小田急電鉄10000形HiSE)だそうです。





須坂駅プラットホームに飾られていた展示物。





須坂駅プラットホームの端っこに設置されていました。
しかし、室内は無人で誰でも入れそうなので、大丈夫なのでしょうか?





長野へ帰る寸前に向かいのプラットホームへ到着した特急電車。
長野電鉄オリジナル特急車両で「2000系」だそうです。





同じく2000系特急車両。
こちらは、車体カラーが違いますね。
長野駅地下プラットホームで撮影。





丸窓電車

2007年06月16日 | マッタリ風景

上田電鉄別所温泉駅に保存されている丸窓電車(正式名称はモハ5250形)。
2007年6月11日撮影。





先日、野暮用で長野市へ出かける機会がありまして、少し足を伸ばして上田電鉄別所線へ乗車してきました。

上田市中心街と信州の鎌倉と呼ばれる別所温泉間を運行する路線なのですが、ご多分に漏れず赤字ローカル線であり過去路線廃止が何度も計画されたようです。

かつてこの路線には「丸窓電車」と呼ばれる名物電車が走っていました。
引退した後は別所温泉駅に保存されており、乗車を兼ねて丸窓電車へ再会するのが目的です。

かつて、私の友達がこの沿線の大学へ通っており、その縁で彼の下宿へ何日か逗留したことがありました。
その際、この電車に乗ったのですが、残念ながら乗ったと言う記憶が残っているだけです。

当日は、しなの鉄道を乗り継いで上田電鉄上田駅から別所温泉へ向かいました。
驚いたことに、上田駅自体が高架駅になっていました。
当時の曖昧な記憶をたどっても、こんな立派な駅ではなかったことは確かです。

上田駅を出発して千曲川の鉄橋にかかる頃には、のどかな田園風景を走るローカル線ならではの景色になりました。
ただし、乗っている電車は銀色に輝く全然ローカル線らしくない電車です。
内部も、何となく都会の雰囲気を感じさせます。
受け売りですが、この電車はかつて東急電鉄で活躍していた電車を再利用しているのだそうです。

のどかな田園風景の中を、午後の気だるさを感じながら、マッタリとローカル線に乗車するのは良い気分でした。
30分ほどで別所温泉駅に到着しましたが、途中は数分おきに駅へ停車するダイヤなので、直通列車を作ったらこの半分程度の時間で到着してしまったでしょうね。

途中の駅は、いわゆる昭和の時代を感じさせる駅が結構ありました。
ただし、朽ち果てたイメージではなく、古いながらもこざっぱりとした雰囲気です。

終点の別所温泉駅も信州の鎌倉にふさわしい古風な雰囲気を持っていました。
ホームでは昭和の女学生姿(和服に袴)をした女性がお出迎えしてくれます。
どうもこの方が駅長(観光駅長かな?)のようでした。
古いながらも、駅内がこざっぱりしていると感ずるのは、駅長さんが一所懸命メンテナンスを行なっているからと感じました。

さて、問題の丸窓電車はかつての引込み線らしき線路の終端に保存されていました。
久し振りを通り越した年数を経て再会した丸窓電車には、そう感傷的な感じはわきません。
あまりにも、記憶が薄すぎたようです。
さて保存状態ですが、残念ながらメンテナンス状態は良いようには感じられませんでした。
本来であれば、廃車されても仕方ないのですが、赤字の私鉄会社が保存をしてくれているだけでも感謝しなければならないでしょう。
各地に保存されているこの手の歴史的な鉄道遺産を、メンテナンスが行き届く方法で保存する手段はないものでしょうか?






上田駅へ入線する上田電鉄車両。
ステンレスの輝きがまぶしく感じました。




電車の内部です。
くたびれた感じは否めませんが、何となく都会的な雰囲気を感じさせます。




別所温泉駅へ到着した電車。
ホームを支える柱に飾りがありますが、かつてはどこの駅もこんな感じでした。




別所温泉駅の全景。
この駅は、温泉の道路側から見ると、少し下がった位置にあります。




ホームの様子。
「駅長」の文字が古い漢字になっているのが分かります。
ただし、何回か書き直している感じがしますね。




別所温泉駅内部の様子。
古さを感じさせるのですが、駅長のメンテナンスが行き届いている感じがしました。




別所温泉駅のホーム。
まさしく、終着駅の趣です。




丸窓電車の愛称の元となった「丸窓」です。
丸窓電車と呼ばれるようになったのは、この戸袋窓が円形であることからだそうです。




丸窓電車の前面です。




新旧電車の2ショットです。




途中の下之郷駅(多分)で見た丸窓電車。
ここにも保存されているのかと思ったら、現代の丸窓電車(東急電車を改造)でした。
いわゆる2代目ですね。
残念ながら平日は運転をしていませんでした。




同じく下之郷駅にあった車庫の様子。
上田電鉄の電車を堪能するなら、ここで下車して見学した方が良いですね。




電車に掲げられていた上田電鉄のエンブレムです。
















アルビレックス新潟VSヴィッセル神戸

2007年06月09日 | アルビレックス新潟

今日の立役者マルシオ。
ヒーローインタビューが終わってスタジアム内を凱旋する様子。






アルビレックス新潟VSヴィッセル神戸

東北電力ビッグスワンスタジアム

結果 3:1

ジュビロ磐田戦は先輩から借りたビデオテープ観戦だったが、素晴らしいゲームだった。
この流れで神戸を叩けば上位を伺える大事な一戦となった。

試合は、前半神戸のFWにペナルティエリア外のやや右サイドからシュートを放たれて先制点を奪われてしまった。
しかし、ペナルティエリア外ギリギリで矢野が倒されて得たFKのチャンスに、前節磐田で見事なFKを決めたマルシオがホームで魅せてくれた。
ゴールやや左サイドへ詰めていた榎本に対して、右のファーサイドへ急激に落ちるボールが見事にゴールインした。
川崎戦のアンデルソン・リマを彷彿させる素晴らしいキックだった。

後半に入って、再びマルシオが魅せてくれた。
左サイドの突破から上げたクロスを、ファーサイドで矢野がゴール前に折り返すと、ヘディングは得意じゃないと言っていたマルシオが得意じゃないヘディングで逆転ゴールを叩き込んだ。

駄目押しはエジミウソンだ。
今日は、左サイドを再三再四突破してクロスを供給し続けた隊長がクロス上げると、ゴール前でエジと矢野がジャンプ。
ボールはエジのヘッドからゴールへぐさりと突き刺さって、追加ゴールが入った。

対神戸の過去対戦データを見ると、結構相性が良い。
その相性のよさなのか、今日も終わってみれば3:1でしっかり勝ち点3をゲットした。
対ジュビロ戦からの好調な流れを維持した格好だ。
ただし、先制された1点は、しっかりとマークをすれば防げたゴールと感じた。
できれば、完封勝ちをしたかったゲームだ。






前半、矢野がペナルティエリア前で倒されてファールを貰ったシーン。
最近は、倒れてもしっかりとファールをもらえるようになった。






ファールを貰っただけでなく、イエローカードも出た。





矢野が貰ったファールで得たビッグチャンスにマルシオが蹴る。





マルシオが蹴ったボールは急激に落ちてゴールイン!!
アンデルソン・リマを彷彿させるビューティフルキック。





左サイドからのクロスを矢野が折り返して。





ヘディングが得意じゃないと言っているマルシオがヘディングで逆転ゴール!!





そして追加点はエースストライカー、エジミウソン。
隊長のクロスをヘディングで叩き込んだ。
ここで矢野も褒めなければならない。
相手のDFをしっかりと引き付けている。






マルシオのボールキーププレー。
体は大きくないのだが、抜群のボール捌きで懐の深いプレーを見せてくれる。
このキーププレーで、他のプレイヤーが動き回れる時間とスペースを作ってくれる。





ゴール裏でヒーローインタビューを受けるマルシオ。






エジミウソンの天敵、北本との空中戦。





矢野のポストプレー。
プレーに強さが出てきて、しっかりとキープができるようになった感じがする。
今日はゴールこそ無かったが、ファールを貰ったり、アシストのボールを折り返したり、マーカー役になったりと、渋い活躍をしていた。
影のヒーローと言えるだろう。





この横断幕は、日本代表戦のゴール裏にも掲げられていた。





内田VS大久保。
2列目で動き回る大久保に対して、同じサイドの内田はしっかり押さえ込んでいた。





千葉VS大久保。
ハードなプレーを見せる割にはカードは貰わない。
今日は、本職のボランチではつらつとプレー。





今日は、三宝グループサンクスデー。
若手社員が挨拶。





三宝グループ提供のオレンジシートを掲げたゴール裏。
スタジアムの周回はオレンジ一色に!!




選手入場時の様子。
バックスタンドはビッグフラッグとオレンジシートで染められた。





ハーフタイムに、日比野克彦さんデザインの「グレートサポーターズフラッグ」が披露された。





前半の失点シーン。
マークが甘くなっていた感じがする。






神戸の大久保へは大ブーイングが、栗原へは大声援がおくられた。
アルビゴール裏の大声援に応える栗原。
敵味方に分かれたとは言え、かつて昇格戦を一緒に戦った選手が頑張っている姿を見るのは嬉しいものだ。





今日の主審は外国人だった。
抜群のゲームコントロールを魅せて、ゲームを変に止める事無くコントロールしていた。
素晴らしいの一言!!
悪いけど日本のSRなど足元にも及ばない感じを受けた。
久し振りに審判へ拍手。





ただし、矢野へのイエローカードは不可解だった。
もっとも、申告したのは日本人副審ではあったが。