静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

大阪 池田小学校 児童8人殺害事件に思う

2009-10-14 19:42:15 | Weblog
平成13年6月8日午前10時15分頃、大阪府池田市の大阪教育大付属池田小学校に宅間守(当時37歳)が出刃包丁を持って乱入。2時間目の授業が終わった直後の教室を次々と襲い、1年生の戸塚健太君(当時6歳)や2年生の猪坂真宥子ちゃん(当時7歳)ら8人を殺害。さらに児童13人、教諭2人に重軽傷を負わせた。出刃包丁を持った宅間が、教室や廊下に次々と現れ手当たり次第に殺傷していく姿は、児童のみならず大人でも阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

出刃包丁を投げ出し「あ~しんどい」と、全身に返り血を浴びながら平然と呟く宅間を矢野克己副校長、河上洋介教諭が取り押さえ、学校からの通報で駆けつけた警察官に引き渡した。
その後の供述で宅間は、
「捕まって死刑にして欲しかった」
「絶望的な苦しみを、できるだけ多くの家族に味わせてやりたかった」
「エリートの子供を狙えば、事件が大きくなると思った」
と動機を語り、
「小学校ではなく、幼稚園を狙えば、もっと殺せたはずだ」
と、うそぶいたという。

宅間の人生は、家庭や社会に対して極悪非道の限りを尽くしたといっても過言ではない。傷害・恐喝・放火未遂・詐欺・動物虐待などとても短時間では説明しきれない。思い悩んだ母親は、精神異常をきたして入院。兄は自殺で死亡している。

犯行前には「あほらしい。大量殺人を起こせば離婚した妻や、不仲の父親を後悔させることができる」と池田小学校に乱入、殺害に至ったのであった。宅間はこれだけの大事件を起こしても反省どころか、こうなったのは全て社会や家族のせいだと供述している。
宅間の17歳の時の日記に「人より大きな希望を描くが努力はしない」と記されていた。殺された児童や児童の家族を思うと、やり切れない事件であった。

平成15年8月29日、大阪地裁は宅間に「死刑」を言い渡した。弁護側は控訴したが、その一ヵ月後、宅間本人が控訴を取り消して死刑が確定した。平成16年9月14日、大阪拘置所で死刑執行(享年40歳)。
最後まで遺族への謝罪は無かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

極めて衝撃的であり、皆さんにとって、まだ記憶に新しい事件と思います。

こういう犯人を見るたび、因果の道理が知らされていたならば、もう少し、違った人生になったであろうにと思わざるをえません。

仏教の根幹である因果の道理を、親鸞会は重要な教えとして皆様に伝えています。
因果の道理が受け入れられぬまま、その先、その先と仏法の話を進めても、所詮、他人事としか聞けず、仏教も一つの考え、というような不遜な理解のまま、空回りしてしまうからです。

因果の道理など真理ではない、と言う人たちに聞いてみたいと思います。

では、宅間は死んで、それまでのことがすべてチャラになったのか?
死刑が確定するような罪を犯せば、あとは何人殺しても〃殺し得〃なのか?と。

因果の道理が人心から去れば、今以上の、無仏無法の悪世界が現出することでしょう。何度も書いていることですが、世の中を動かすのは人であり、人を動かすのは思想だからです。

人生を今生のみにおいてとらえ、三世因果の道理を否定していては、いくら犯罪を取り締まる法を整備し、道徳、倫理生活を強調したところで、根底に確かな思想がない限り、いずれ綻びから悪事が噴出し、世の秩序は瓦解するでしょう。その兆候は、この事件の中に、すでに現れているではありませんか。

それを承知で因果の道理を踏みつけているのか。それとも踏みつければどうなるかよく理解していないのか。その辺はよく分かりませんが、恐らく後者の場合が多いと思われるので、これからも引き続き、粛々と因果の道理を讃嘆していくつもりです。(つづく)
コメント   この記事についてブログを書く
« 因果応報なるが故に来世なきに | トップ | 過去世の存在 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事