何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

菖蒲&勝負しかない

2017-05-30 20:31:31 | 自然
忙しい日々が続き、なかなか本が読めないということもあるが、当分の間は連作形式で、菖蒲の花とそれに関する諸々などを記しておこうと思っている。と云うのも、そろそろ菖蒲の手入れが億劫になってきた御大の様子から、いつまで菖蒲を愛でることができるか分からないからだ。

御大の名誉のために書いておくが、菖蒲というのは世話のかかる植物だ。
連作障害を避けるために、地植えでも2~3年おきに、鉢植えでは毎年必ず株分けと植え替えをしなければならない。
菖蒲園などで気に入った菖蒲を購入しては大切に育ててきたが、目に問題を抱えて以降 健康面の自信が減退している御大は、それら全てを管理し続ける自信がないようだ。
かと云って、それを引き継ぐと名乗りをあげる者も出てきそうにもない。
よって、美しく咲く菖蒲を愛でることが出来るうちに記録しておこうと思っている。

今日5月30日 今年最初のひと花
 

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暇もないが覚悟もない by冬彦

2017-05-28 23:33:55 | ひとりごと
このタイトルで何を言いたかったのかを、一週間後に思い出すことは難しい?

先ほど見るともなく見ていたドラマの犯人を、家人と思わず声を揃えて言ってしまった。
それは、小説「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」(太田紫織)をドラマ化(フジテレビPM9:00)したものだが、原作を読んだこともなければ、ドラマは この回を初めて見ただけだ。
それでも、私は一発で犯人が分かってしまった(笑い)

犯人は、冬彦さん
ドラマの筋はまったく知らないが、どうも女子高生を誑かして人殺しをさせていた犯人は、’’蝶’’形骨を収集するという偏執的な趣味を持っており、’’蝶’’を犯罪の符牒に使っていたというのが、今日の話のようだ。
この場面を一定の世代の人が見れば、思わず「冬彦さん」と声をあげてしまうのではないかと思う時、このところ私の心をささくれ立たせている’’世代’’という問題を、また思い出してしまった。

上司の入院が2週間を過ぎた頃、当初の良い感じでの緊張感に取って代わったのが’’世代間の感覚の差’’であったが、それをひしひしと感じている時に発表になった第30回サラリーマン川柳の大賞作品は、私の不快感を更に増幅させた。

ゆとりでしょ? そう言うあなたは バブルでしょ?(作者:なおまる御膳・30歳女性)

このところ、ゆとり世代とバブル世代に挟まれながら、失われた10年とも20年とも云われる私達の世代の苦労をどうしてくれる!と感じることが多く、くさくさした気分を引きづっていた。それを週末、車カラオケと庭いじりをすることで漸く回復させたところだったのだ。

本来ならば、私を元気にしてくれる定番の曲のサビのところだけでも記したいが、何やら無粋な事態(※)が生じているようなので、此処はひとつ我が家の夏野菜の一歩を記録しておくことに留めておきたい。
   
例年通りプチトマト愛子様はすくすく育ってくれているし、性懲りもなく挑戦している茄子も今のところは順調だが、昨年に続き二度目の挑戦のジャガイモはどうも微妙な感じではある。
だが、日ごとに育つ夏野菜は、収穫が楽しみなだけでなく育てることそのものが日々の張り合いとなってくる。

世代間の溝なんぞと愚痴っておらず、お日様を受けて真っ直ぐ育つ夏野菜に元気をもらうため、朝の水やりは私がしようと思っている。

※無粋な事態
<京大総長式辞に〝使用料〟請求、ボブ・ディランさんの「風に吹かれて」引用で 日本音楽著作権協会>
2017.5.19 11:08産経WESTより一部引用
京都大が4月の入学式で昨年のノーベル文学賞受賞者で米歌手、ボブ・ディランさんの歌詞を引用した山極寿一総長の式辞をホームページ(HP)に掲載し、日本音楽著作権協会(JASRAC)が京大に歌詞使用料が発生する可能性があると連絡を入れていたことが19日、分かった。


追記
これでは冒頭に書いた通り、一週間後には完全にタイトルの意味するところを忘れている。
家人は、なぜか「小さな巨人」(TBS PM9)を録画し「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」を生で見ているので、正確なセリフは確認の仕様がないが、このタイトルは「櫻子さん」にあったセリフの捩りである。
「正義なんてものはない、あるのは覚悟だけだ」
「仕事なんてものはない、あるのは暇だけだ」

これまで、正義を語って印象に残るセリフは、和久さんの「正義なんて言葉は口にするな。心に秘めておけ」だったが、「正義なんてものはない、あるのは覚悟だけだ」というセリフに反応する年になったのだと、しみじみと感じている。

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’’忖度’’より悪い’’うんこ’’

2017-05-25 18:42:42 | 
「しつこく、’’うんこ’’週間」 「’’うんこ’’週間なので、続く」 「終わりの始まり、’’うんこ’’」  
「再びの’’うんこ’’マドリング・スルー」より

昨年の流行語大賞の''神ってる''は、 それが選ばれるまで世間でさほど知られていなかったことを思えば、流行語大賞には選考の基準や時期に問題があるのかもしれない。
そんな流行語大賞の予想を5月からしても仕方がないのだが、今年度前半だけで選ぶなら、大賞を受賞するのは''忖度''ではないだろうか。

この数か月ですっかり悪いイメージがついてしまった''忖度''だが、''忖度''することは、それほど悪いことなのか?
一連の’’うんこ’’シリーズの締めくくりとして、「小さいおうち」(中島京子)から考えておきたい。

昭和五年に山形から東京へ出てきた主人公のタキさんが、最初に女中さんとして勤めたのは、小中先生と云う作家の家であった。
小中先生は、仕えるようになったばかりのタキさんに、「大切な原稿を失くされては困るので、書斎の掃除はしなくともよい」と云いながら優秀な女中の心得を説くのだが、その内容が’’忖度’’について考えさせるものである。(『 』「小さいおうち」より引用)

『ごみだと思ってね、うっかり原稿を焼かれてしまっては困るんだ。昔、イギリスにそういう女中さんが居て、ご主人が友人から預かったたいへん大切な論文を、暖炉にくべて焼いてしまったんだそうですよ』

『その女中さんのご主人様は学者さんで、原稿を預けた友人も学者、二人は 言わば、仕事上のカタキ同士みたいなもんだったんだ。~略~
もし、この友人の論文が、一瞬にして灰になってしまったら、どうだろう。友人はもう一度、その膨大な原稿を書き直さなければならない。あるいは、その著作を世に問うことをあきらめるかもしれない。その間に自分は、友人に一歩先んじることもできよう。そんな想像が、一瞬でも、ご主人の頭をよぎらなかっただろうか』

これを女中の心得として聞いたタキさんは、「イギリスの女中は、何もわからず大切な原稿を火にくべたのではなくて、ご主人様の立身出世を願う心から、寧ろ率先して、カタキにあたる友人の原稿を焼き、自らその罪をかぶったのだ」と理解する。

この話は、「小さいおうち」にとって、つまり作者にとって重要だったのだろう、物語の冒頭に出てくるだけでなく、終盤にも再度語られる。

『いいかね。いちばん頭の悪い女中は、くべてはいけないものを火にくべる女中。
並の女中は、くべておきなさいと言われたものを火にくべる女中。
そして優れた女中は、主人の心の弱さから火にくべかねているものを、何も言われなくても自分の判断で火にくべて、そして叱られたら、わたくしが悪うございました、と言う女中なんだ。』

高名な作家である小中先生は、「お仕えするご主人様の心のうちを’’忖度’’し、ご主人様が本心のところで望んでいる違法な行為・良心に悖る行為を(御主人のために)する女中が一番良い女中で、しかもその罪を女中は一人でかぶるべきだ」という。

この言葉が心に残っているタキさんは、彼女が慕ってやまない時子奥様の一大事に、どうしたか?

’’忖度’’とは、今手元にある集英社の国語辞典(第三版)によると、「他人の心の中を推し量ること。推察。」とあり、用例として「彼女の気持ちを忖度しかねる」とある。
最近ではすっかり悪者となってしまった’’忖度’’だが、元来’’忖度’’という言葉自身は、悪いニュアンスを含んでいるわけではない。
現在の状況を見るに、ワルイ人が、悪い人弱い人に、ワルイ心のうちを’’忖度’’させようとし、また悪い人弱い人が、ワルイ人が願うがままのことを行う為、結果として’’忖度’’に間違ったイメージが着いてしまっただけのことである。
’’忖度させる側’’がどうしようもなく悪くとも、’’忖度する側’’が、ワルイ人の思うがままに動かないという選択肢も、本来ならば当然あるはずなのだ。
その証拠に本書でタキさんは、夫の会社の若い社員と割りない仲になっている時子奥様のお気持ちを’’忖度’’したうえで、「およしになったほうがよろしゅうございます」と言い放ち、奥様を思いとどまらせている。

その結果、勿論 戦時下という事情もあったが、タキさんは暇を出されて、実家に帰らざるをえなくなる。
それでもタキさんは、慕ってやまない奥様の不貞をとめたことを悔んではいないし、冷静になった奥様も最後にはタキさんの思いを理解し感謝する。

現在の流行語大賞最有力候補としての’’忖度’’を語る時、’’忖度させる側’’と’’忖度’’という言葉だけが悪者になっているのは、少し違うのではないか、要は’’忖度させる側’’と’’忖度する側’’の度量が一番問われるのではないかと、私は思っている。

だが、昨年の夏からの諸々を見ていると、間に’’忖度する側’’という仲介者がいるのは未だしもましではないだろうかと思われる。
なぜなら、’’忖度する側’’が タキさんのように’’主人を諌める’’という可能性もあるからだ。
一番恐ろしいことは、’’忖度’’の余地すらなく、畏きあたりから直接に要望が降ってくることではないだろうか。

毎度リーク元となる所が、結果的に、より高い地位とより高額な予算を得た結果を見るにつけ、タキさんのように’’忖度’’したうえで正しい行動をとることが出来る人が、権力構造にも権威構造にも必要だと強く感じさせた、’’うんこ’’週間であった。

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再びの’’うんこ’’マドリングスルー

2017-05-23 23:57:58 | 
先週は、日本の行く末に影響を与える諸々が’’そもそも’’会議を経るという週だったことから 「小さいおうち」(中島京子)を思いだし、’’うんこ’’シリーズとして書いてきた。

昭和5年に山形から東京で出てきて女中さんとして働くタキさんが、激動の時代をどのように捉えていたかについては、「しつこく、’’うんこ’’週間」 「’’うんこ’’週間なので、続く」「終わりの始まり、’’うんこ’’」に書いてきたが、タキさんに大きな影響を与えたにもかかわらず、これまで記していなかった人物がいる。
それは、タキさんが初めて女中として奉公にあがった家の主人である、作家の小中先生だ。

奉公し始めたばかりのタキさんに 小中先生が言って聞かせた女中の心得は、今年の流行語大賞になりそうな言葉と関連すると思うので、次の機会に書くかもしれないが、今日という日は、「時代」の空気という観点から記しておきたい言葉がある。

昭和10~11年、東京オリンピックと万国博覧会の開催決定に沸き、それによる好景気に浮かれていた多くの国民は、満州事変も2・26事件も「兵隊さんのこと」だと思っていたという。
「非常時」がある種の流行語になっていた市民の日常には、ジワジワ沁み込んでくる「時代」というものがあったが、一方でやはり大音量で傾れ込んでくる「時代」もあった。

それを、小中先生は嘆いている。(『 』「小さいおうち」より引用)

『なにがどうというんでもないが、僕だって、一生懸命やっている。僕だって、岸田だって、菊池だって、よくやっている。国を思う気持ちも人後に落ちないつもりだ。しかし、その我々をすら、非難する者があらわれる。文壇とは恐ろしいところだ。なんだか神がかり的なものが、知性の世界にまで入ってくる。だんだん、みんなが人を見てものを言うようになる。そしていちばん解りやすくて強い口調のものが、人を圧迫するようになる。抵抗はできまい。急進的なものは、はびこるだろう。このままいけば、誰かに非難されるより先に、強い口調でものを言ったほうが勝ちだとなってくる。そうはしたくない。しかし、しなければこっちの身が危ない。そんなこんなで身を削るあまり、体を壊すものもあらわれる。そうはなりたくない。家族もある。ここが問題だ。悩む。書く。火にくべてしまえと思う。あるいは、投函してしまえと思う。どちらもできない。いやはや』

小中先生は、そのような状況を「マドリングスルー」と云うのだと、遠くを見つめながら独り言のようにゴニョゴニョ語った。
『マドリング・スルー。計画も秘策もなく、どうやらこうやらその場を切り抜ける。
 戦場にいる時の、連中の方法なんだ。このごろ口をついて出てきてね。
 マドリング・スルー、マドリング・スルー。
 秘策もなく、何も考えずに。』

いつの時代もそうだろうが現在も、権力社会や権威社会は、分かりやすい耳触りのいいことを大声で強い口調で国民に吹きこみ、思うがままに制度設計しようとする。
それでも、上に立つ者がそれなりの計画や秘策を秘めていてくれれば未だしも救われるが、これもいつの時代もそうだが、結果からみるに、まともな計画や秘策がない時ほど、強い口調がはびこるのだと思う。

だが、マドリング・スルーの元凶は、何も考えずに大きな声・強い口調に従う我々国民かもしれない。

時代は繰り返すのだと思う。

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ワンコの道 命の道

2017-05-22 19:20:51 | ひとりごと
「ワンコの道」より

このところ猛烈に忙しく、新しい本を読む時間がなかったし、
ワンコは何か特別の’’PURPOSE’’をもって別のお家へ行ってしまったのかもしれないから、
今月は、ワンコからのお告げの本はないのだろうと寂しく思っていたのだけれど、
やっぱりワンコは、私のことを気にかけてくれているんだね、
ワンコの木の本を見つけたんだよ ワンコ

「ハナミズキのみち」(文・浅沼ミキ子 絵・黒井健)
いつから この絵本が居間の書棚の絵本コーナーにあったのか?私は気付いてなかったのだけど、
ワンコの日の前日、この本の存在に気付いたんだよ
先週の私には、新しい本といえば、絵本を読むくらの時間しかなかったし、
何より、この絵本は、今の私にはピッタリの本だったよ
ワンコの仕業だな ワンコ

ワンコは分かっているのだろうけれど、
本書は、東日本大震災で息子さんを亡くしたお母さんが書かれた絵本なんだよ

後書きより
『津波で息子を失ったあと、眠れない日が続き、胸が苦しくなり、呼吸困難になることが何度かありました。
どうしても会いたくて、会いたくて、泣いてばかりいました。
そんなある日、息子の声が、私の耳にハッキリと聞こえてきたのです。
そうだ、私には後世に伝えていく大きな役割があるんだ・・・・・。
「いのちを守る木を植えたい」
亡き息子の声に教えられて、私は今日も生かされていることに感謝しました。』

息子さんを亡くして、泣いてばかりだったお母さんの耳に聞こえてきた声は、
こう語りかけていたんだよ ワンコ

『もう泣かないで。
 楽しかったことを
 思い出して
 笑っていてね。
 ぼくは、
 ここから見ているから。

 おかあさん、おねがい。
 僕が大すきだった
 ハナミズキの木を、
 たくさんたくさん
 植えてね。

 津波が来たとき、
 みんなが
 あんぜんなところへ
 逃げるめじるしに、
 ハナミズキのみちをつくってね。

 町の人たちが
 もう二度と
 津波で
 かなしむことが
 ないように、
 ぼくは
 木になったり
 花になって
 みんなを
 まもって
 いきたいんだ。
 ~略~
 とおくに海が見える
 ハナミズキのみちを、
 ぼくも
 おかあさんといっしょに
 歩いているよ。

 どこまでも
 どこまでも・・・・・。』

ワンコをお空に送り出すとき、
庭の草木にお伴させたよね ワンコ 「庭の草木の契り」 「空の星にも庭の草木にも」
毎年 庭で咲く花や庭木を目印に、ワンコが帰ってくることができるようにと願いをこめていたんだよ
その中に、花水木の枝もあったよね ワンコ

連休頃に咲く花が終わり、日差しがきつくなってくると、花水木はいっぱい葉を茂らせるんだな
ワンコは、夏は花水木の木陰で気持ち良くすごしていたね

冬の花水木は葉っぱをすべて落とすから、縁側まで日が差し込むんだな
ワンコは、いつも花水木を見ながら、穏やかな陽を浴びて気持ちよさそうに昼寝をしていたね

そんなワンコの姿が家人の印象にも強く残っていたのだと思うけれど、
昨年の今頃、家人は、花水木の根元に、ワンコが帰ってくる夢をみたんだよ 「Carpe diem」 
だからワンコは間違いなく、花水木やフリージアやアルストロメリアを目印に我が家へ帰ってくると信じているのだけれど、
その確信は、「A DOG’S PURPOSE」(W. Bruce Cameron)「野良犬トビーの愛すべき転生」(w.ブルース・キャメロン 訳・青木多香子)を読んで強くなるばかりだったのだけど、

ワンコのプリケツと歩き方にそっくりな あの黒柴ちゃんを見て、
少し自信がぐらつき、落ち込んでいたんだよ ワンコ


でもね、この絵本を読み、「A DOG’S PURPOSE」「野良犬トビーの愛すべき転生」を思い返してみると、
お空から地上を見守る人や動物たちは、地上組が笑顔でいることを願っているし、
地上組の皆を守りたいと考えているのだと思ったんだよ ワンコ

もしかすると、今のワンコの’’purpose’’は、違う誰かを守ることかもしれないけれど、
もし、そうだとすると、それはワンコの命の’’purpose''なので、
私達は受け入れないといけないんだと、
・・・・・少しだけ思うんだよ ワンコ

でもさ、ワンコ
落ち込む私に、そう考えさせる本を教えてくれたりするのだから、
やはり、いつも私の側にいてるんだろう?
ワンコ

天上界でさらにパワーアップしたワンコの優しさと賢さと天才さを、
あちこちの、ワンコの愛を必要とする人たちへ届けているのだろうけれど、
その大切な目的の引き継ぎを早めにして、
やっぱり我が家へ帰っておいでよ ワンコ

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