何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

善意の無駄うちはならぬ

2020-06-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコが天上界の住犬になって4年と5カ月
まさかこんな春~初夏を過ごすことがあるなんて、思いもしていなかったよ
 
下界は訳が分からないことになっているよ
もともと この自粛は行き過ぎだと思っていたから解除は大歓迎だけど、
解除されるなり人出が戻ることを、「回復」といって歓迎する風潮もおかしければ、
解除前より感染者が増えていても、どんどん規制の段階を緩めていくのもおかしいよ
臨機応変とか適応能力とかは大切だけど、
なし崩し、っていうのは怖いね
なし崩しに物事が決まることに慣れてしまうと取り返しのつかないことになってしまうけれど、
もう、超絶上から下まで、物事をはかる基準が、つくづく銭金なのだから、
どうしようもないね
 
愚痴はこれくらいにして、今月のワンコお告げの本だけど、
読みやすさに反して、ワンコがお告げしたかった意図を読み解くのは難しかったよ
あんまり分からないものだから、お告げ本を間違って受け取ってしまったかと思っていたのだけど、
ワンコの日に、ワンコ指令ともいえるものを見つけたから、もう一度読み返していたんだよ
 
「菊花の仇討ち」(梶よう子)
 
本書は変化朝顔の栽培が生きがいの同心を主人公とした時代物で、
「一朝の夢」「夢の花、咲く」に続くシリーズもので、今回は短編集だよ
一作目の「一朝の夢」が良かったために、本書の評価は厳しくなってしまうのだけど、
第三篇「善の糸車」には、ハッとさせられたよ
 
それは、おそめさん というおばあさんの話なんだよ
おそめさんは、困っている人がいたら放っておけず何くれとなく世話を焼き、
長屋の皆から感謝されているんだよ
食うに困る者がおれば、美味しいものを食べさせたやり、
仕事にあぶれた者がおれば、口入屋に自ら出向き仕事を世話し、
怪我をした者、病む者は看病し、
住むところがないとなれば、自分の部屋に住まわせさえする
 
大方の人は、おそめさんの親身な親切に感謝し、窮地から立ち直っていくのだけれど、
それにズルズル甘えるだけでなく、
「親切をさせてやってる」とばかりに、おそめさんの懐を端から当てにする者も出てくる
 
それでは、親切がかえって仇となると考えた主人公の同心は、厳しい言葉をおそめさんに突きつけるのだけど、
それが、デフォルトが「応援」という私には、少し堪えたんだよ
 
困っていた人が立ち直って巣立っていけば、
古い長屋に一人ぽつねんと取り残されることになる、おそめさん
 
そんな おそめさんに主人公同心は直球を投げかける。
『この何もない家の中に、おそめさん自身の幸せはあるのですか?』
 
即座におそめさんは言い返す。
『皆が喜んでくれる、笑顔を向けてくれる。あたしは、とても満足しています』
 
『皆に施しをして、満たされているだけに見えますが』と同心は畳みかける。
 
『あたしだって、気づかなかったわけじゃない。
 人の幸せは、結局、その人の物でしかないって』と肩を落とす おそめさんに、
 
奉行所では閑職だが朝顔栽培が生きがいの同心・興三郎は静かに言う。
『これは(朝顔栽培は)誰のためでもない自分のためだけにやっているものです』
 
う~~~~ん 
目は楽しませてくれはするが、それで腹が膨れるわけではない変化朝顔栽培よりも、
食うに困る者、病む者を助ける方が、よほど良いことではないか
主人公の同心だって、第二作「夢の花、咲く」で、
大地震で家を失い家族を喪った被災者が多いなか、変化朝顔栽培なんてしてる場合か、と悩んだじゃないか
・・・と思いはするのだけれど、
親切や応援というものの難しさを、この話は教えてくれるね
 
何かで、「いいことは中毒になる、いいことだから止められない、けど、それは本当にいいことなのか」と読んだことがあるのだけれど、
難しいね
いいことを恩着せがましくしてもいけないけれど、
いいことを自己満足のためにするのは、もしかするともっと罪づくりなのかもしれない
 
旧制中学からの伝統を引き継ぐ高校の応援団にいたせいか、私は応援することが好きなのは知ってるだろう
だから、
次の世代を育てる年齢立場になった今も、指導・命令というよりは、応援というスタンスでいるけれど、
良かれと思い応援することが、本当に相手の為になるのかは、よくよく考えないといけないね
 
難しいね
 
だから私はいつも祈るのだけど、
難しいね
 
ちょっとさ、そのあたりの責任はこれから益々重くなりそうなので、
ワンコのお告げはグッドタイミングだったと思うよ 
ありがとうね ワンコ
来月もよろしくね
 
この夏最初の収穫
 
追伸
しっかし、今月のお告げ内容はさっぱり分からないな、お告げ本を間違えたかな?
と思っている私に、ワンコは強烈な一文を送り付け、本書の再読をせまったね
しかも、ワンコの日に
 
その本については次回、につづくとするね
しっかし、またとんでもなく忙しいから、いつになることやら

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊は聞く 沈黙③

2020-06-20 03:58:41 | ひとりごと
新しい時代の象徴の在り方を模索されているだろう時期に突如湧きおこったコロナ禍は、皇室の在り方や(言葉は適切ではないが)見せ方の再構築を迫っている。
 
もちろん、緊急事態宣言が発令された時点や、御即位から一年のタイミングでお言葉を頂ければ、それはそれで国民にとって力にもなっただろうが、傷み痛みが甚大な施策の最中のお言葉は、諸刃の剣となりかねない。
もう一点 私が非常に危惧しているのは、現在日本中で群発地震や中規模の地震が相次いでいることだ。このコロナ禍に地震による大災害まで重なったならば、もはや目も当てられない、と思った時、いや過去には日本はそのような事態を何度となく経験し、しかもそれを乗り越えてきたのだという事実に思い至った。
 
そのことに思い至った時、平成の皇太子殿下の基調講演が胸に迫ってきた。
 
「道」に関心を持たれたのを切っ掛けに大学時代に水運を研究された天皇陛下は、「水」を起点に農耕・教育・公衆衛生・災害へと研究の幅を広げていかれ、「水」問題のオーソリティーとして皇太子時代の平成25年 「国連水と災害に関する特別会合」で基調講演されているのだが、そのなかで、東日本大震災と震源域を同じくする貞観地震や、発生間近だと言われて久しい東海地震と震源域が近い明応地震や、鴨長明が世の無常を綴った「方丈記」について紹介しておられる。
 
とくにコロナ禍の今、改めて基調講演を拝読すると「方丈記」の件が生々しい。
京の都(左京)の三分の一が一夜にして灰燼に帰した安元の大火の数年後には、竜巻で家々が崩壊し、そのあいだ間断なく渇水と洪水が続き、飢饉が起こり、飢え苦しむ民に疫病が襲い掛かり、道端には死者が重なり異臭を放ち目も当てられない、と述べた数年後には、大地震が追い打ちをかけたという。そんな世を憂いて書かれたのが  あの「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとに水にならず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし」ではじまる「方丈記」なのだという。
 
春以降、両陛下の御動静が「(稲作や養蚕など)伝統行事」と評されるものが多いのは、もちろん季節的な要素もあるだろうが、歴史学者であられる天皇陛下が、神官であった鴨長明が嘆いた惨状を熟知したうえで、それを乗り越えた事実を踏まえ、国と民を信じ祈っておられることの表れのような気がしてならない。
 
ただ、両陛下は過去を頼りに、御簾の向こうで祈ってだけおられるわけではないようだ。
 
ほとんど報道されなかったが、コロナの影響が明確に懸念され始めた4月、両陛下は御即位にともなう一億円の寄付金のうちの5000万円を「子供の未来応援基金」に寄せられたというのだ。
「雅子さまが取り組む子供の貧困問題、5000万円の本気」
 
祈りは心から有難いし、ゴミ袋防護服も済生会は嬉しいかもしれないが、やはり天下の回りものに勝るものがないのは、「同情するなら金をくれ」というフレーズが一世を風靡したころとからも明らかだろう。
両陛下がお手元金(私的財産)から一億円の寄付をされたことについては、原資は税金だという声もあるようだが、内廷費のうち限られた額しか自由にならなかったと云われる皇太子時代にどのように蓄財されたかと考えると、それが容易なことではなかったと思われる。
 
拙ブログでも何回か記したことがあるが(「明日も、明日の明日も味方 その参 」)雅子皇后陛下は皇太子妃時代から20年以上も同じ洋服を大切に着回し公務に取り組まれている。病気で公務が十分にできないため洋服の新調を控えておられるとの報道もあったが、両陛下がものを大切に愛用されるのは、持続可能な社会(活動)の理念の一部だと私は感じている。もとより行政官(外交官)であった雅子皇后陛下は、その原資が血税であることは誰に言われるまでもなく100もご承知なのだ。
 
このコロナ禍では全国一斉休校がなされ、三カ月をこえる休校となった自治体も多く、これから子供をめぐる問題は顕在化してくると思われるが、皇太子時代から子供の未来を応援する活動に心を寄せてこられた両陛下が、この状況下で「子供の未来応援基金」に5000万円の寄付をされたことにも、両陛下の強い御意思が拝察される。
 
どんな困難なことがこの先続こうとも、未来を諦めないという強いお気持ちを持っておられるのだと、私は感じている。
 
沈黙は無ではない
善行は喧伝するものでもない
 
青い紫陽花の花言葉 辛抱強い愛情
 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊は聞く 沈黙②

2020-06-15 20:32:48 | ひとりごと
コロナ禍が拡大していくなかで、比較的早い段階でリモートやフレックス制度が取り入れられたため、全国一斉休業状態の経済的損失を数字としては理解していても、実感が伴ってはいなかった。
それよりも、自宅で仕事する日々は、忙しさのため近年 おざなりになっていた夏野菜の植え付けができたり、ずっと悩みの種だった部下と直接会わずにすむことが有難かったりと(もともとは、鳥インフルやエボラでもあるまいに、この自粛はやり過ぎだと批判的だったのもかかわらず)新しい生活様式をスッカリ受け入れてさえいた。
 
だが、連休が終わり、そろりと仕事場(街)に戻り、世界が一変していることに驚愕した。
数字でしか理解していなかった経済の傷みと痛みが実感された。
 
そんな危機感を話し合っている時に、私が天皇ご一家を敬愛していることを知る同僚が云った「だから御即位から一年のお言葉がなかったのだろう。その沈黙には重い意味があるのだろう」という言葉には、驚かされた。
その同僚は、云うなれば「鬼神は敬してこれを遠ざく」というスタンスで、時に私が熱く語る皇室論を多少斜めに聞いている節があるので、おそらくコロナ禍の皇室と皇室ファンという観点に関心を持っていたのだろうが、だからこそ「沈黙にこそ意味がある」といった言葉に驚いたのだ。
 
あの時、「心を一つにstay homeを心掛け、コロナに打ち勝ちましょう」というお言葉を発せられることは、政府にとっては都合よく、また全国津々浦々お見舞い行脚こそ是だという皇室評論家のウケは良かっただろう。多少奇異にさえ思えるほどに、その宣言が下されるのを煽っていたマスコミと世論に沿うお言葉は、その時としては耳に馴染みやすかったかもしれない。
 
だが、その当時としても科学的見地からその効果を危ぶんでいた人がいた施策、ましてそのせいで、これほどの傷み痛みが出てしまう施策にお墨付きを与えるようなお言葉を、日本国民統合の象徴としての御存在が発することが適切だっただろうか。
 
私は何も、stay homeの効果が皆無だったと言いたいのではない。
自分と大切な人を守るために、粛々とマスクを着け自粛した我々日本人の国民性を美徳だと思うし、多々様々色々問題はあるにせよ政府も必死で対応しているのだと思っている。
だが、それに伴う様々な傷みと痛みの大きさを思う時、これは一瞬の自然災害による被害とは違う種類のものだということを思い知らされている。
 
ではこのコロナ禍に何も姿勢は示されなかったのか。
ここからは、一人一人のそもそもの皇室観にかかってくるかもしれない。
 
菖蒲 花言葉 あなたを信じる

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊は聞く 沈黙①

2020-06-14 23:18:50 | ひとりごと
6月9日は天皇皇后両陛下の27回目のご成婚記念日だった。
 
毎年この日にはお祝いの文を認めているが、今年はそれが叶わなかった。
緊急事態宣言が解除され、日常が戻ってきたことに伴い、又くそ忙しい日々まで戻ってきた、ということもあるが、コロナ禍の皇室という観点から、考えがまとまらなかった、ということもある。
 
芍薬 花言葉 謙遜 
そして赤い芍薬の花言葉 威厳
 
正直に書こう。
平成のように被災地を飛び回るお見舞いというスタイルは、私はあまり好きではなかった。
それは、着の身着のまま避難所にいる被災された方の、「申し訳ないけれど、それを受け入れるために、本来の救援活動が滞ることは迷惑だし、本来なら皇族方にお目にかかれるような晴れの時には、身なりも整えたいのに、避難所ではお風呂にも入れていない、そんな状態でお会いしたくないし、そんな状態をカメラに撮られたくもない」という生身の声を聞いたことがあるからかもしれない。
それとも、災害が頻発し、お見舞いが恒例化するなかで、「お見舞いをまずしなければ、その後の静養ができない」という平成の両陛下のお言葉が、「静養の前にお見舞いをしてしまおう、とお考えなほど、両陛下は被災地を思っておられる」と注釈される記事に強い違和感を覚えたからかもしれない。(雑誌記事のため、お言葉もその注釈も真偽のほどは分からないが)
 
ともかく、なかばショー化したようなお見舞いに、私が辟易としていたのは、確かなことだ。
 
だが、このコロナ禍は、全国一斉の緊急事態宣言のもと日本中が一つの問題に立ち向かうという、戦後おそらく初めての経験なので、皇室からなにがしかのお言葉があるだろう、と思っていた。
 
緊急事態宣言が発令された時、それが全国に及んだ時、何かリアクションがあるだろうと思っていた。
 
だが、緊急事態宣言のなか漏れ伝えられるのは、その礼を経て、40億を越えようかという新居に住まわれることになる皇嗣さまの、まさにその「礼」をつつがなく実施するため、皇嗣ご一家は日々習礼(予行練習)に余念がない、ということばかりだった。(追記 現在はご家族職員総出で、ゴミ袋だかポリ袋だかでお作りになったという防護服が全国に届けられている、と毎日毎日47都道府県網羅するまで報道される様相を呈している)
 
そして、両陛下からのお言葉は、何も頂けなかった。
 
5月1日 御即位から一年
さすがにこの日には、何かお言葉が頂けるだろうと思っていた。
 
だが、この時も、何もお言葉を発せれることはなかった。
 
だからといえ、長年敬愛してきた両陛下への思いが変わることはなかったが、頭の中が???で満たされたのは、正直な思いだった。
鈴蘭の花言葉 謙遜 純粋
 
コロナにかかわらず、美しく季節は、変わる。
 
つづく

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする