何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコのいる私③

2021-04-25 23:12:10 | 

ワンコがいる私① - 何を見ても何かを思い出す で記したように、もともと村上春樹氏は私にとって鬼門で、
本書「女のいない男たち」もあらすじだけでいうと、鬼門たる所以のジャンルなんだけど、
不思議なことに、
本書は、長年ほんとうに長年大切にしてきた本の根幹を思い出させる何かがあるんだよ

pensée

第一編「ドライブ・マイ・カー」は、亡くなった妻を寝取っていた男に復讐するため(素知らぬ顔をして)酒飲み友達になりバーで語り合うという話なのだけど、そこで間男は、こんな言葉を夫に言うんだよ。

『どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。
 そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。
 しかしそれが自分自身の心であれば、
 努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。
 ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、
 自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。
 本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。』
(『 』「女のいない男」より)


ねぇワンコ
妻を寝取っておきながら、その夫にこんなことを言う間男も間抜けだけど、
復讐のために近づきながら、この言葉を聞き入ってしまう夫も、間抜けに思えるのだけれど、
上記の言葉は、あの本の底に流れる思想を思い出させるだろう? ワンコ

第3編「独立器官」は、後腐れなく不特定多数の女性とスマートに遊ぶことに長けた医師が、身も心も焦がすほど一人の人妻に恋焦がれ、結果盛大な裏切りに遭い、餓死を望む話なのだけど、その医師は、深く人妻を愛し死に至るまで、ずっと自分に問い続けるんだよ

『自分とはいったいなにものなんだろう』 って

第5編「木野」もこれまた妻が、自分の部下と関係をもっていたことを知った男の話なんだよ
妻の密通を知った木野は、それほど愛していなかったのか斜に構えたのか、簡単に離婚し 妻が不倫相手のもとに走ることを認めるのだよ
そうして自分は会社も辞めてしまうのだけど、後になって思うんだ

『おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。
 本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。
 痛切なものを引き受けたくなかったから、
 真実と真正面から向かい合うことを回避し、
 その結果こうして中身のないうつろな心を抱き続けることになった。』

本書はね
悩むべき時に悩むべきことにしっかり対峙しないことの問題と弱さを読者に突きつけていると思うんだよ
ではどうやって悩み乗り越えていくのかというと、
自分の心の奥底にあるものに自分自身で真書面から向かい合うしかないというんだよ

そう感じさせる本書を読んで、
本書というか私が持っている村上春樹像と対極にある本と作者を思い出したんだよ

「デミアン」(ヘルマン・ヘッセ)

「自分とはいったいなにものなんだろう」と悩む 思春期から大人にさしかかる青年に、
いつも有効な手立てやアドバイスをする先輩デミアン
本書「女のいない男たち」の何かがね、
デミアンが主人公ジンクレエルの元を去る時に残す言葉を思い出させてくれたんだよ

『君はたぶん、いつかまた、僕を必要とすることがあるだろうね ー中略ー  
   そうなって僕を呼んでも、僕はそんなとき、そう手軽に、来はしないよ。
   そんな時はね、君自身の心に耳をかたむけなければいけない。
   そうすれば僕が君の心のなかにいるのに、気が付くよ』(『 』「デミアン」より)

ワンコが本書をお告げしてくれた意図が、
まさか今更 不愉快なあれこれを思い出させるためだとは思えないので、
忙し過ぎて表面的にサクサクと処理して物事を考えなくなっている私への警告として、
「デミアン」を思い出させる本書をお告げしてくれたのだと、思うことにするよ
ワンコ

といってもさ、
秋に日本を襲うとかいう第五波は猛烈に酷いというので、
その準備もかね又また忙しくなりそうだよ
だからデミアンの教えにしっかり従うことができるかは微妙だけど、
本書にでてくるピノ・ノワールは、私も好きなので、
ピノ・ノワールを味わいながら少しでも心の声に耳を傾けるよう努めるよ

少なくともワンコの声にはしっかり耳を傾けるので、
来月のお告げ本もよろしく頼むよ ワンコ


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ワンコがいる私②

2021-04-21 12:25:25 | 

ワンコがいる私① - 何を見ても何かを思い出す

「女のいない男」(村上春樹)

というタイトルながら、女の話ばかり書かれているんだけれど、
第六編「女のいない男」には、ちょっと考えさせられる言葉があるんだよ
 
(『 』「女のいない男」より)
『女のいない男になるのはとても簡単なことだ。
 一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ』
 
『ひとたび女のいない男になってしまえば、その孤独の色はあなたの身体に深く染み込んでいく。淡い色合いの絨毯にこぼれた赤ワインの染みのように。あなたがどれほど豊富に家政学の専門知識を持ち合わせていたとしても、その染みを落とすのはおそろしく困難な罷業になる。時間と共に色は多少褪せるかもしれないが、その染みはおそらくあなたが息を引き取るまで、そこにあくまで染みとしてとどまっているだろう。それは染みとしての資格を持ち、時には染みとしての公的な発言権さえ持つだろう。あなたはその色の緩やかな移ろいと共に、その多義的な輪郭と共に、生を送っていくしかない。』
 
 
こんな風に、去っていった女を終生心の染みとして過ごさねばならない男について書かれているのだけれど、
逝ってしまった男については、こんな風に嘆願しているんだよ
『どうか渡会先生(魂の片割れとまで愛していた女性に痛烈に裏切られ餓死を選んだ医師)をいつまでも覚えていてあげて下さい。ー略ー 僕らが死んだ人に対してできることといえば、少しでも長くその人のことを記憶しておくくらいです。でもそれは口で言うほど簡単ではありません。誰にでもお願いできることではありません』
 
わんこ のいない人になるのはとても簡単なことかな?
一匹のわんこ を深く愛し、それから わんこ がどこかに去ってしまえば、そうなるのかな?
 
ワンコ
触れることのできるワンコがいない私は、たしかにワンコのいない人なんだろうけれど、
でも、違うね ワンコ
ワンコが天上界の住犬になってからの二年くらいは、毎日ワンコを思うと胸がうずいたけれど、
時間がたつにつれ、それは絨毯にこぼれたワインの染みではなく、勿論 孤独の色でもなく、
なんというのかな、ワンコを思う時間は、
熟成されたワインの芳醇な香りに包まれているような気がするんだよ
 
もちろんワンコを思わない日は今でも一日もなく、
だから本書の云うような、記憶しておくことは簡単ではない、なんてこともありえないしさ
 
でもワンコ
ワンコは、ワンコと私の言わずもがなな関係の確認をさせるために本書をお告げしたんではないよね
ワンコの意図を間違いなく咀嚼するのは難しいかもしれないけれど、
本書には、
とても意外なことなんだけど、私の大切にしている作家さんの大切な本を思い出させる何かがあるんだよ
それこそがワンコが今の私にお告げしたいことなのかな?と思うので、
それについては又つづくとするよ

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ワンコがいる私①

2021-04-20 09:51:25 | 
ワンコが天上界の住犬になって5年と3カ月
今月のお告げ本は三冊あったのだけど、そのうちの一冊にあった言葉についてまず書いておくね
 
毎年毎年ノーベル賞の時期になると「今年こそは」と話題になるけれど、
その作者の本は数冊しか読んだことがないんだよ
 
初めて読んだのは「ノルウェーの森」(村上春樹)だったんだよ
それを貸してくれた人との関係性が居心地の悪いものとなり、
徐々に距離が広がりつつあった時に貸してくれた本書には、
「私を忘れないで」という言葉が繰り返し出てくるんだよ
忘れないでと言いたいのは貸してくれた人なのか、
忘れないでと私に言わせたいと思っているのか、
そんなことを思うことも煩わしいのに、耳元にまとわりつく
「私を忘れないで」という言葉
 
嫌だったんだよ
 
それ以来私にとって村上春樹氏は、鬼門だったんだ
だから、ワンコのお告げでなければ読まない作家さんなのだけど、
読んでみたよ
 
「女のいない男たち」(村上春樹)
 
「女のいない男たち」というタイトルながら、女のことばかり書かれている本書は6編の短編集で、
著者の言葉を借りれば、音楽でいう「コンセプト・アルバム」に対応するものらしいんだよ
 
音楽というと、第二編のタイトルは「イエスタディ」で、それは私が好きな曲なのだけど、
ここでは、ワンコお告げのもう一冊にあった曲を載せておくね
 
 
 
久しぶりに懐かしい曲を聴いて、高校の文化祭を思い出したのだけど・・・
ワンコ 君は「恐ろしい子」
考えてみると、
「ノルウェーの森」を貸してくれた人との関係性が悪化した理由の一つに、
この曲があったね
そして、そういうアレコレはまさに、第二編「イエスタディ」と似たような状況だったね
 
それを今思い出してみたところで、どうしようもないけれど、
どういうわけかワンコは、今それを思い出させようとしているのだから、
しっかり思い出して、しっかり不愉快をもいちど味わって、次の季節へ行くね
 
って、ワンコ
こんなことを書いていたら、本書にあった肝心な言葉を記し損ねているよ
それまたね

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上高地スタート ①

2021-04-11 10:35:28 | ひとりごと

今年こそは上高地にと願っているが、この感染状況では旅をして良いとも思えず、落ち込んでいる。
それでも未練がましく毎日、上高地のホームページを訪ねているのだが、何度かお世話になったこともある、そして私が山に登るきっかけとなった「氷壁」(井上靖)の舞台でもある徳澤園の名物ブログが「スタート」と銘打ち更新されていた。https://tokusawaen.com/michikusa/2021/04/09/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88-2/

涙がでた。

昨年緊急事態宣言下、もともと半年しか稼働できないにもかかわらず上高地の宿泊施設は全て「上高地はこれからも、ずっとそこにあり続けます」の言葉とともに、長期にわたる全館休館を決定した。

上高地を訪問できない寂しさを紛らわせるため「おうちで上高地」で徳澤園のグッズを購入したのだが、細やかな心づかいに、感動した。(当時マスクは貴重品だったが、ほんの気持ち の言葉が添えられたマスクを見つけた時には、感動した)
だが、緊急事態宣言が解除されいよいよ全ての宿泊施設が再開という時期に、土砂災害や群発地震に見舞われ、そうこうしているうちに夏にもかかわらず第二波に襲われ、日本中どこの観光地も大変だったと思うが、もともと稼働期間が半年の上高地の苦難はいかばかりかと、いつもハラハラしながらお世話になったことのある施設のブログを訪問していた。

そんななかの一つ「徳澤園」のブログ
その特徴であるウィットの効いた文体は変わらないのだが、だからこそ、その行間から伝わる苦悩に胸が痛む。
今年度は、上手くいかなかったとしてもコロナのせいにできるので、したいことをやっていく!!と力強く書かれてもいるが、それでも上手くいかない時には、この曲を聴くとも書かれている。

平井 堅 『ノンフィクション』MUSIC VIDEO (Short Ver.)

大切な人の健康のために、会わない。

大切に想うからこそ、訪問しない。

だけど、会いたい!訪問したい!歩きたい!登りたい!

井上靖が絶賛した、横尾への道

山から下りてくるモチベーションの徳澤園名物カレーうどん

会いたい!訪問したい!歩きたい!登りたい!


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クソを仲間に?

2021-04-05 01:03:24 | 
先月後半から断続的に倒れていた。
仕事の内容的には一段落ついた部分もあるのだが、思いもよらぬ不愉快な事態に体が悲鳴をあげ扁桃腺がはれ、少し持ち直したかと思った頃に黄砂に喉をやられ、参っていた。
 
というわけで、ワンコのお告げ本の報告が遅れてゴメンよ
ワンコ
 
しかし改めて、ワンコお告げ本の意図の正確さには恐れ入っているよ
 
「犬の掟」(佐々木譲)
「Tの衝撃」(安藤生)
「コロナ黙示録」(海堂尊)
 
東京湾岸に浮かんだ死体の背後をさぐる刑事もの(犬の掟と、核燃料運搬車が襲撃された事案を追う刑事もの(Tの衝撃と、コロナ禍に奮闘する病院と迷走する政治を描いた この三冊に何の共通点があるのだろう?
ワンコの意図は何だろう?と訝りながら読み始めたお告げ本
今はその意図がはっきり分かるよ
 
要するに、
『クソの連れは、クソ』(『 』「コロナ黙示録」より)
なんだな
 
刑事ものとしては先がすぐ読めてしまうもののエネルギーや安全保障を考えるうえでタイムリーな「Tの衝撃」、ありきたりな設定ながら先が読みにくいストーリー転換が単純に純粋に面白い「犬の掟」、最近の傾向から政治的スタンスがあからさまな海堂氏の作品だが、さすがに医師の作品故にコロナの症状(特に無自覚ながら、あっという間に重症化してしまう過程・理由)が分かりやすく描かれている「コロナ黙示録」
 
とにかく気分転換したかった私には面白く、それだけでも有難かったのだけど、
ここにある共通点としては、あれだな
組織や人事の問題があるよね
それに参っていたので、
三冊読み終え、ワンコの意図に恐れ入っているよ
 
昨年から色々あった同僚部下君に私の意図が通じはじめ、少しずつ良い方向に回り始めたと思っていた矢先、
まさか関連部署の人事で、これほど不愉快な影響を受けるとは思わなかったよ
ま、当分の間は『クソの連れは、クソ』と独り言ちながら、
そして、こちら側も「クソ」と思われないよう頑張るしかないね
 
的確なお告げを連れてきてくれるワンコ
これからも、よろしくね
 
ガザニアの花言葉 
あなたを誇りに思う
 
これは、読む人によっては不愉快だと思うのだが、記さずにはいられないので。
2021/4/4、二年の闘病を乗り越えた女性スイマーが見事に五輪の代表を獲得した。
もともと東京2020の看板選手だったスイマーの突然の白血病の告白は当時衝撃を与え、日本中がその回復を祈ったので、回復と復帰と全日本での優勝を引っ提げての代表獲得は、本当に素晴らしいのだが、その伝え方に、一抹の不安を覚えたのだ。
 
「努力は必ず報われる」
 
懸命に治療と訓練を重ねたスイマーのこの言葉に嘘はない。
それは、ひたむきに努力すること、諦めないことの指針となる素晴らしい言葉とお手本である。
 
だが、この言葉に、寂しいため息を押し殺さねばならない人の辛さを、五輪への景気づけとばかりに大見出しにするマスメディアは気づいているだろうか。
 
阪神淡路大震災のとき、耳にしたことがある。
家族や親しい人を亡くした被災者と、近しい人が奇跡的に救出された被災者が、同じ避難所に身を寄せていた。
救出された人や 大切な人の救出を知った人の「神様が救って下さった。ありがたい。すべきことがあると思い神様が救ってくださったのだから、頑張らなければ」という感謝の気持ちは重々わかる、それでも、それに傷つく人はいるのだ。
では、助からなかった人は、神様に見捨てられたのか、なすべきことがないと判断されたのか?・・・と
 
家族を喪った人は、深く傷つきながらも それが言いがかりだということを分かっているので、黙って悲しみに耐え、「もう神様など信じない」と言った。
 
その言葉を、快挙を伝えるマスコミの見出しに思い出したのだ。
 
生還できなかった人や、その患者の治療にあたった医療関係者や家族は、努力が足りなかったのか?
 
そうではない。
 
言葉の難しさを改めて感じている。

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