「ニーチェに優る野球、に優るワンコ」 「球道恋々に、恋々①」より
「球道恋々」(木内昇)で、久しぶりに旧制高校のバンカラな空気にふれ気を良くしていたのだが、その当時 学生の間で流行っていた言葉が今、混沌とした永田町周辺で持て囃されているというので少々気分を害している。
「アウフヘーベン」
永田町用語の「アウフヘーベン」とは、「いったん立ち止まって、より上の次元にという、日本語で<止揚>という言葉で表現され」るモノを指すらしいが、元々これはヘーゲルが提唱した「aufheben 止揚」(否定によって高い段階に進むが、否定されたものが取り込まれて残っている状態のこと)に由来するものだという。
一見すると似ているが、立ち止まってから次の次元へのメルクマールが示されていない永田町用語のそれでは、行き着く先の次の次元が高い所でありえないのは、何を否定するのか明確にせぬまま立ち止まっているだけの築地豊洲や、否定のための全否定に走る新政党を見ればよく分かる。
とは云え、哲学の用語に過度に反応したのは、このところ読んでいた「球道恋々」に、一高はじめ旧制高校に哲学が流行りだす場面があった事と、そこで見た名前から思い出した本に現在への警鐘が記されていると考えた事にある。
まずは、君の名は?その本は?
「球道恋々に、恋々①」で、何としても三高に勝ちたい野球部と応援団が、堅守で知られる三塁手の守備を妨害するため、竹竿を手にした猛者を三塁側に並べたと書いたが、この妨害にもかかわらず試合で活躍したのが、木下道雄という三高三塁手だ。
この木下君、実は一高野球部が栄華を極めていた時代の校長・木下広次氏の二男で、父の京都帝大学長就任に伴い京都の三高で学んでいたのだが、子供時代に一高野球部員に野球を仕込まれていたことや 後に東京帝国大学で学んだこともあり、一高野球部との縁が強いものがある。
それはともかく、この木下君は本書のなかで「帝大卒業後は宮内省に入り忙しい」と書かれている通り、昭和天皇に皇太子時代からお仕えし、その貴重なお言葉を幾つかの記録に残したという稀有な経験の持ち主である。
「マリコ」(柳田邦男)の父であり 「太陽にかける橋」(グエン テラサキ)の夫でもある、外交官・寺崎英成氏の「昭和天皇独白録」は有名だが、その貴重な資料を提示したのが木下氏であり、ご自身も「側近日誌」という著書を著されている。(「球道恋々」から離れ、学生時代以降の木下道雄氏については木下氏と記す)
その「側近日誌」に記録されている昭和天皇のお考えが、今も続く日本人の不甲斐なさへの警鐘のように拝察されてならない。
「側近日誌」に収録 聖談拝聴録原稿(木下のメモ)より引用
~引用開始~
以上緒論及び本文に於て戦争の原因とその防止の不可能なりし所以を縷々述べて来たが、結論として概括的に私の感想を話そう。
先ず我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、これは大いに改善の要があると考える。近頃のストライキの話を聞いてもそうであるが、共産党の者が、その反対者を目して反動主義者とか非民主主義者とか叫ぶと、すぐこれに付和雷同する。戦前及び戦時中のことを回顧して見ても、今の首相の吉田などのように自分の主張を固守した人もいるが、多くは平和論及至親英米論を肝に持っておっても、これを口にすると軍部から不忠呼ばわりされたり非愛国者の扱いをされるものだから、沈黙を守るか又は自分の主義を捨てて軍部の主戦論に付和雷同して戦争論をふり廻す。
かように国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった一つの原因であった。将来この欠点を矯正するには、どうしても国民の教養を高め、又宗教心を培って確固不動の信念を養う必要があると思う。又このことが日本民族の向上ともなり、世界に向かって人種平等を要求する大きな力ともなることと思う。
次に軍備のことであるが、抑々軍備は平和確保の為の一手段である。しかるに従来の有様を見ると、平和の為に軍備をするといいながら、軍備が充実すると、その軍備の力を使用したがる癖がとかく軍人の中にあった。
このことは後編に譲ることにする。
最後に為政者に付ての感想であるが、以上述べたような国民と軍人とを指導すべき人物として、この困難に当った近衛、東條、鈴木、米内に付て一言すると、近衛は思想は平和的で、ひたすらそれに向かって邁進せんとしたことは事実だが、彼は自分に対する世間の人気ということを余りに考え過ぎた為、事に当って断行の勇気を欠いたことは、遂に国家を戦争という暗礁に乗り上げさして終い、次に立った東條の最後の努力をもってしてもこれを離礁せしめることが出来なかった。
これに引きかえ鈴木首相と米内海相とは、政治的技術に於ては近衛に及ばなかったけれども、大勇があったのでよく終戦の大事を為し遂げたのである。
以上は他人に関する感想であるが、私自身としては、不可抗力とはいいながらこの戦争によって世界人類の幸福を害い、又我が国民に物心両方面に多大な損失を与えて国の発展を阻止し、又、股肱と頼んだ多くの忠勇なる軍人を戦場に失い、かつ多年教育整備した軍を武装解除に至らしめたのみならず、国家の為粉骨努力した多くの忠誠の人々を戦争犯罪人たらしめたことに付ては、我が祖先に対して誠に申し訳なく、衷心陳謝するところである。
しかし負け惜しみと思うかも知れぬが、敗戦の結果とはいえ我が憲法の改正も出来た今日に於て考えて見れば、我が国民にとっては勝利の結果極端なる軍国主義となるよりも却って幸福ではないだろうか。
歴史は繰り返すということもあるから、以上事共を述べておく次第で、これが新日本建設の一里塚とならば幸いである。
~引用終了~
昭和天皇が、戦争の原因について ご自身と、文官・武官と国民性それぞれにつき言及されている内容は、終戦から70年以上たった今も改められることなく続いている。
昭和天皇は、戦争の最大の原因として『国民の付和雷同性』をあげておられ、『それを改善するためには国民の教養を高め、又宗教心を培って確固不動の信念を養う必要がある』と改善策を提示されたうえで、『歴史は繰り返すということもあるから、以上事共を述べておく』と警告の言葉でお言葉を終えておられる。
現在の政治情勢を見ていると、この御言葉を今一度、我々は噛みしめなければならないのではないかと思われる。
付和雷同を煽る文句に、旧制高校時代に流行った哲学の用語が乱用されていることから、一高に哲学が流行りはじめる頃を描いた「球道恋々」の登場人物の御著書を思い出したのだが、そこに記されている警告が重みと不気味さを増している現在が、恐ろしい。
つづく
「球道恋々」(木内昇)で、久しぶりに旧制高校のバンカラな空気にふれ気を良くしていたのだが、その当時 学生の間で流行っていた言葉が今、混沌とした永田町周辺で持て囃されているというので少々気分を害している。
「アウフヘーベン」
永田町用語の「アウフヘーベン」とは、「いったん立ち止まって、より上の次元にという、日本語で<止揚>という言葉で表現され」るモノを指すらしいが、元々これはヘーゲルが提唱した「aufheben 止揚」(否定によって高い段階に進むが、否定されたものが取り込まれて残っている状態のこと)に由来するものだという。
一見すると似ているが、立ち止まってから次の次元へのメルクマールが示されていない永田町用語のそれでは、行き着く先の次の次元が高い所でありえないのは、何を否定するのか明確にせぬまま立ち止まっているだけの築地豊洲や、否定のための全否定に走る新政党を見ればよく分かる。
とは云え、哲学の用語に過度に反応したのは、このところ読んでいた「球道恋々」に、一高はじめ旧制高校に哲学が流行りだす場面があった事と、そこで見た名前から思い出した本に現在への警鐘が記されていると考えた事にある。
まずは、君の名は?その本は?
「球道恋々に、恋々①」で、何としても三高に勝ちたい野球部と応援団が、堅守で知られる三塁手の守備を妨害するため、竹竿を手にした猛者を三塁側に並べたと書いたが、この妨害にもかかわらず試合で活躍したのが、木下道雄という三高三塁手だ。
この木下君、実は一高野球部が栄華を極めていた時代の校長・木下広次氏の二男で、父の京都帝大学長就任に伴い京都の三高で学んでいたのだが、子供時代に一高野球部員に野球を仕込まれていたことや 後に東京帝国大学で学んだこともあり、一高野球部との縁が強いものがある。
それはともかく、この木下君は本書のなかで「帝大卒業後は宮内省に入り忙しい」と書かれている通り、昭和天皇に皇太子時代からお仕えし、その貴重なお言葉を幾つかの記録に残したという稀有な経験の持ち主である。
「マリコ」(柳田邦男)の父であり 「太陽にかける橋」(グエン テラサキ)の夫でもある、外交官・寺崎英成氏の「昭和天皇独白録」は有名だが、その貴重な資料を提示したのが木下氏であり、ご自身も「側近日誌」という著書を著されている。(「球道恋々」から離れ、学生時代以降の木下道雄氏については木下氏と記す)
その「側近日誌」に記録されている昭和天皇のお考えが、今も続く日本人の不甲斐なさへの警鐘のように拝察されてならない。
「側近日誌」に収録 聖談拝聴録原稿(木下のメモ)より引用
~引用開始~
以上緒論及び本文に於て戦争の原因とその防止の不可能なりし所以を縷々述べて来たが、結論として概括的に私の感想を話そう。
先ず我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、これは大いに改善の要があると考える。近頃のストライキの話を聞いてもそうであるが、共産党の者が、その反対者を目して反動主義者とか非民主主義者とか叫ぶと、すぐこれに付和雷同する。戦前及び戦時中のことを回顧して見ても、今の首相の吉田などのように自分の主張を固守した人もいるが、多くは平和論及至親英米論を肝に持っておっても、これを口にすると軍部から不忠呼ばわりされたり非愛国者の扱いをされるものだから、沈黙を守るか又は自分の主義を捨てて軍部の主戦論に付和雷同して戦争論をふり廻す。
かように国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった一つの原因であった。将来この欠点を矯正するには、どうしても国民の教養を高め、又宗教心を培って確固不動の信念を養う必要があると思う。又このことが日本民族の向上ともなり、世界に向かって人種平等を要求する大きな力ともなることと思う。
次に軍備のことであるが、抑々軍備は平和確保の為の一手段である。しかるに従来の有様を見ると、平和の為に軍備をするといいながら、軍備が充実すると、その軍備の力を使用したがる癖がとかく軍人の中にあった。
このことは後編に譲ることにする。
最後に為政者に付ての感想であるが、以上述べたような国民と軍人とを指導すべき人物として、この困難に当った近衛、東條、鈴木、米内に付て一言すると、近衛は思想は平和的で、ひたすらそれに向かって邁進せんとしたことは事実だが、彼は自分に対する世間の人気ということを余りに考え過ぎた為、事に当って断行の勇気を欠いたことは、遂に国家を戦争という暗礁に乗り上げさして終い、次に立った東條の最後の努力をもってしてもこれを離礁せしめることが出来なかった。
これに引きかえ鈴木首相と米内海相とは、政治的技術に於ては近衛に及ばなかったけれども、大勇があったのでよく終戦の大事を為し遂げたのである。
以上は他人に関する感想であるが、私自身としては、不可抗力とはいいながらこの戦争によって世界人類の幸福を害い、又我が国民に物心両方面に多大な損失を与えて国の発展を阻止し、又、股肱と頼んだ多くの忠勇なる軍人を戦場に失い、かつ多年教育整備した軍を武装解除に至らしめたのみならず、国家の為粉骨努力した多くの忠誠の人々を戦争犯罪人たらしめたことに付ては、我が祖先に対して誠に申し訳なく、衷心陳謝するところである。
しかし負け惜しみと思うかも知れぬが、敗戦の結果とはいえ我が憲法の改正も出来た今日に於て考えて見れば、我が国民にとっては勝利の結果極端なる軍国主義となるよりも却って幸福ではないだろうか。
歴史は繰り返すということもあるから、以上事共を述べておく次第で、これが新日本建設の一里塚とならば幸いである。
~引用終了~
昭和天皇が、戦争の原因について ご自身と、文官・武官と国民性それぞれにつき言及されている内容は、終戦から70年以上たった今も改められることなく続いている。
昭和天皇は、戦争の最大の原因として『国民の付和雷同性』をあげておられ、『それを改善するためには国民の教養を高め、又宗教心を培って確固不動の信念を養う必要がある』と改善策を提示されたうえで、『歴史は繰り返すということもあるから、以上事共を述べておく』と警告の言葉でお言葉を終えておられる。
現在の政治情勢を見ていると、この御言葉を今一度、我々は噛みしめなければならないのではないかと思われる。
付和雷同を煽る文句に、旧制高校時代に流行った哲学の用語が乱用されていることから、一高に哲学が流行りはじめる頃を描いた「球道恋々」の登場人物の御著書を思い出したのだが、そこに記されている警告が重みと不気味さを増している現在が、恐ろしい。
つづく