良識ある皇室の方々は、ご自分の意見や思いを伝える術をもたれない。
これだけ誰もがネットを介し好き放題言う時代なのだから、もう少し生のお声を拝聴する機会があってもという意見もあろうが、(最近自分の懇意の記者に自分勝手な自己都合的言い訳を書かせた方もおられるが、それをしてしまえば、もう中立も公正も公平もなく下手をすれば強権的な言論封じによる反発しか生じないので)特定の記者や特定の出版社やマスメディアを用いての情報発信をされてはお終いだ、とも私は思っている。
そんなことを考えていた時、タイムリーな記事を見つけた。
「“明日は好い日になる”と私も信じ…」 天皇陛下が“制約”の中で国民に訴えた意外な“言葉”
文春オンライン 5月12日掲載https://bunshun.jp/articles/-/54165
「赤毛のアン」(モンゴメリ)より
「あら、早咲きの小さなばらが一輪咲いてるわ。美しいこと。
あの花は自分がばらなことをよろこんでるにちがいありませんわね?
ばらが話せたらすてきじゃないかしら。きっと、すばらしく美しい話を聞かせてくれると思うわ」
「“明日は好い日になる”と私も信じ…」 天皇陛下が“制約”の中で国民に訴えた意外な“言葉”
文春オンライン 5月12日掲載https://bunshun.jp/articles/-/54165
記事全般は、新型コロナに対するお言葉や対応について日本の皇室と海外の王室を比較し進められるが、制約が多いなか発せられるからこその天皇陛下の言葉の重みについて言及していることも、(皇室の方の言葉や活動を、自分の思想に都合よく利用するマスコミが多いなか)お誕生日や新年のお言葉そのものをひたすら丁寧に読み解くことで御意思を拝察しようとする姿勢も、私は共感できる。
記事(資料①)では、昨年のお誕生日会見での新型コロナに関する「今は確かに困難な日々を送らざるを得ませんが、一人一人が自分にできる感染防止対策を根気強く続けることで『明日は好い日になる』と私も信じ、そうなることを願わずにはいられません」というお言葉に注目している。
大木記者は、天皇陛下が前の御代のような「願う、希望する」ではなく、「信じる」という言葉を用いられることを挙げている。
確かに、「願う、希望する」というのは意図しようがすまいが、行動するのは希望された側でありそれが上手く運ぶよう高い処からご覧になっている、という雰囲気があるのかもしれない。一方「信じる」という言葉には、行動する側を強く信頼するという点など行動する側と信じる側とに強い一体感がある、のかもしれない。
が、私はもう少し単純で、本当に天皇陛下は、歴史に鑑み、国民がこの困難を乗り越えることが出来ると「信じ」ておられるのだと思う。
それは、同じ誕生日の会見のなかでも言及されている歴代天皇の御自跡や(資料②)、水の研究での論文や講義のなかで、何度も我が国が大災害や疫病を乗り越えてきたことに触れておられるからだ。
こういう時、歴史学者でもあられる天皇陛下を戴いていることや、長い歴史を持つ国であることの有難さを強く感じる。
確かに今は困難な時代を生きているが、もっと困難な時代を先人は立派に乗り越えてきた、その歴史を天皇陛下が示して下さることはなんと心強いことだろうか。
もう一つ、天皇陛下はイギリス人のトム・ムーア氏の言葉「明日は好い日になる」に共感され、その言葉を引用されているが、その言葉に共感されたのは、それが天皇陛下の信念だからに違いない、と、これは私が勝手に拝察している。
天皇陛下は皇太子時代にご臨席された青少年読書感想文全国コンクールの式典でも、皇太子としての最後の大学での講義の際にも、「赤毛のアン」(モンゴメリ)の言葉を引き、若者を励まされている。
「学校生活を送る中で、あるいは学校を卒業後も、さまざまな曲がり角に出会うでしょう」「その先にあるものがよいものであるという希望を持って、未知の世界に羽ばたいていっていただきたいと思います」
「曲がり角を曲がった先に何があるかは分からない。
でもきっと一番良いものに違いない」
新型コロナは間違いなく時代の大きな曲がり角を形成する。
そして、大小さまざまな地震に見舞われている我が国は、新型コロナの先にも、何があるか分からないという大いなる不安をもっている。
しかし、艱難辛苦を乗り越えてきた長い歴史と先人の歩みを思えば、その先に一条の光を見出すことができる。
その道標を示して下さる天皇陛下を、私は信じている。
すずらん
花言葉 再び幸せが訪れる
時は五月
赤毛のアンを思いだしたことにより、その最後に記されていた詩を思いだす。
「春の朝(あした)」
(ロバート・ブラウニング 上田敏訳・「海潮音」)
時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
全て世は事もなし
明日は好い日
資料① https://bunshun.jp/articles/-/54165
誕生日会見でのさらなる進化
新年ビデオメッセージから約2カ月後の記者会見でも「信じる」が使われた。陛下は再びコロナ禍について触れ、ある英国人の言葉を引用した。医療従事者支援のため、100歳の誕生日までに自宅の庭を歩いて100往復する活動により多額の寄付金を集めたトム・ムーアさんだ。陛下はこう語った。
「今は確かに困難な日々を送らざるを得ませんが、一人一人が自分にできる感染防止対策を根気強く続けることで『明日は好い日になる』と私も信じ、そうなることを願わずにはいられません」
事態の好転を「信じる」の主語は、ここでははっきりと「私」になっている。
資料②(令和3年 お誕生日会見より)
日本の歴史の中では,天変地異や疫病の蔓まん延など困難な時期が幾度もありました。これまでの歴代天皇のご事蹟せきをたどれば,天変地異等が続く不安定な世を鎮めたいとの思いを込めて奈良の大仏を作られた聖武天皇,疫病の収束を願って般若心経を書写された平安時代の嵯峨天皇に始まり,戦国時代の後奈良天皇,正親町天皇など歴代の天皇はその時代時代にあって,国民に寄り添うべく,思いを受け継ぎ,自らができることを成すよう努めてこられました。