何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

特別版 もの想う山・仕合せの山

2016-08-31 00:20:55 | ひとりごと
「お山の楽しみ その参」より

お山の楽しみを一言で語ることはできないので、このあたりで一先ず措くつもりだが、今年が第一回「山の日」制定の年であり、その式典に御臨席された皇太子御一家を偶然にも間近に拝見する機会に恵まれた記念に、幾つか記しておこうと思う。

お山の楽しみとして食事・読書につづいて「自然をまるごと愛おしむ」ことを挙げたが、登山と云う行為は、自然のただなかに身を置くものでありながら、それに気付くのに時間を要するものかもしれない。
私が足もとの健気な植物に気付くのに時間を要したのは、登山技術が皆無なために余裕がなかったせいだが、その逆の例もある。
頂上へと逸る気持ちを抑えきれず、足もとの植物に気付かないまま歩を進め頂に立つことができる健脚な人もいるのだが、そのような山人の一人に皇太子様がいらっしゃる。

何で読んだのか記憶が確かではないが、皇太子様ご自身が「山と草花と雅子妃殿下」について語っておられるものを拝読したことがある。
たしか、「若い頃の登山は、一刻も早く頂上に着くことを目的にひたすら歩き続けるものだったが、御成婚を機に、雅子妃殿下と歩くようになり、植物好きの雅子妃殿下の影響で、一つ一つの草花に足を止めながら山を登っている。そして、そのような歩き方を好ましく思う時、パートナーと歩むことの良さを感じている。」という趣旨であったと記憶しているが、今は御一家で山を歩いておられる。

背負子に背負われて初登山をされた生後8か月のときから14年をへて、敬宮様は’’山ガール’’へと成長されたようで、「山の日」の式典に御臨席されただけでなく、この夏も朝日岳を縦走されたと伝えられているので、皇太子御一家の山行スタイルは新たなページを刻み始めていると拝察される。そして、そんな皇太子御一家について、岳沢湿原から明神池までの御案内役を務めた「氷壁の宿 徳澤園」の社長(実行委員会副会長)は「自然や山が大好きな御一家である様子が伺われ、終始なごやかに、また周りの方々への御配慮も忘れず、手を振られておりました。」と記しておられる。(徳澤園のみちくさブログより)

実行委員会副会長がご案内されている時の御様子を嘉門次小屋の開内氏が撮影された写真
上高地ルミエスタホテル「上高地通信」より 
http://www.lemeiesta.com/blog/2016/08/entry-1252.php


敬宮様の「周りの方々への御配慮も忘れず」というお心は様々な場面で見受けられたようで、松本駅での微笑ましいワンシーンについて書いている記事がある。
2016.08.20 16:00配信の女性セブンより引用
『今年新たに制定された祝日『山の日』の8月11日、皇太子ご一家は長野・松本市の上高地で行われた『「山の日」記念全国大会』の式典に臨席された。
「愛子さまは上高地の地理・歴史や山の日の持つ意味などを事前にお調べになっていたそうです。また現地に向かわれる車中では、上高地に行ったことがあるご両親に思い出話などを聞かれたようです」(東宮職関係者)
愛子さまにとって、ご夫妻の地方での公式行事に同行されるのは今回が初めて。お気持ちの引き締まる部分もあったようで、現地入りされた前日10日の昼、JR松本駅でこんなハプニングがあった。
「淡いパープルカラーのワンピース姿の愛子さまは、ご両親とご一緒に、奉迎する地元住民や登山客などに笑顔で手を振られました。その後、移動のためお車に乗られようとしたご夫妻に向かって、愛子さまが何やらお声をかけられたのです。
ご夫妻は“あっ!”という表情をされて踵を 返されると、松本駅長のほうに向き直られました。どうやら、ご夫妻が挨拶をうっかり忘れてしまい、それに気づかれた愛子さまが“ご指摘”されたようでした」(皇室記者)
なんとも心強い愛子さまだった。』 (『 』引用)
http://www.news-postseven.com/archives/20160820_440746.html

弱冠14歳にして周りへの御配慮を忘れない敬宮様が、御両親とともに山を歩き、過酷な状況でも懸命に生きる命の尊さを感じながら成長されていると信じる時、日本の未来に希望を見出せると感じている。

ところで、「お山の楽しみ その弐」で書いたように、登山ハイシーズンともなると徳澤園はちょっとやそっとで予約のとれる宿ではない。だが心配することなかれ、徳澤にはもう一軒とても居心地の良い宿がある。
   
昨年一年をかけてリニューアルされ、これまでの良い所はそのままに生まれ変わった村営の「徳澤ロッヂ」だ。
リニューアルをもってしても、お山の水事情だろうか?シャワーの水量は変わらなかったが、気取らない対応はアットホームで良いし、相部屋の二段ベッドは山小屋とは思えないほどプライバシーを重視しており有難い。(追記 ちなみに徳沢には日本大学医学部の診療所が開設されているのも、有難い)

槍・穂高が人気があるのは、山そのものが素晴らしいのは勿論だが、この山域にはちょうどいい塩梅に宿や小屋が点在しているだけでなく、要所要所に医学部が夏期診療所を開設してくれていることも、大きな要因だと思う。

山は、自分で歩かなければ、進むことも退くこともできないことを教えてくれる。
それは、独りで歩いていようが多くの仲間と歩いていようが同じだ。
山では、自分が背負ったものは自分で背負い続けなければならないし、自分が来た道には自分が責任を持たなくてはならないし、自分に出来ることを見極めなければならない。
そんな孤独な面もある山歩きだが、上高地から頂きに続く道のりには、人の温かさが溢れてもいる。
そんな山を、これからも歩いていきたいと思っている。

「岳 みんなの山」(石塚真一)より珠玉の言葉
一つ、 困難は自分一人で乗り越える
二つ、 誰かの困難は自分一人でも全力で助ける
三つ、 山では笑う

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お山の楽しみ その参

2016-08-28 21:23:47 | 自然
「山のお楽しみ その弐」より

「山のお楽しみ」を書いている最中に、お山から元気をもらう旅に出かけてきた。
ワンコと一緒に奥穂の嶺宮をお参りできなかったことの償いの意味合いもあるが、7月末に帯状疱疹にかかった家人の痛みがぶり返したからだ。 「憧れ、常に念じる山」
痛みがぶり返しながら何故に旅か? 
一旦は医師も驚くほど回復が良く安心していたのだが、夏の疲れが出やすいこの時期、疲れとともに痛みがぶり返してきた。それが、ウィルスが多少残っていたせいなのか、このまま帯状疱疹後神経痛に移行してしまうか判断がつかないままに、痛みで眠れない夜が続いていた。帯状疱疹はかなり痛みが酷いのが特徴だろうが、家人の場合、断続的にくる痛みを恐れるあまり、痛みのない時まで憂鬱に過ごしているので、御大が「気分転換と温泉が必要だ」と判断を下した。
ならばこの機会に、皆でワンコ想う旅に出ようということになり、この土日はワンコ所縁の地をまわり感謝の気持ちを伝えるつもりが、逆に行く先々でワンコの奇蹟を感じ、守られていることに感謝の念を深めて帰ってきた。

今はその余韻に静かに浸っていたい ワンコ ありがとう


さて、お山の楽しみの筆頭に食事をあげ、その次に読書をあげる私が、「お山の楽しみ」として何を今更という感じがしないでもないが、ここは王道として「自然をまるごと愛おしみ楽しむ」ことの素晴らしさをあげておきたい。

山岳部でもワンゲル部でもなかった上高地好きの私が、少しだけ高い所へと岳沢に登ったのをきっかけに、もう少し遠くへもう少し高い所へと足を延ばし始めた頃、せっかく大自然のなかを歩きながらも何も見る余裕はなかった。
何の技術もない私達が安全に登るためには、早出早着を心がけることと、確かな技術をもつ親切そうな山屋さんの後をついて歩くことしか出来なかった・・・技術の確かさと人柄の良さを見極める''目''を持っている事には、自信がある私。
それは兎も角あの頃は、急坂にあえぎながら、ただひたすら足元だけを見て歩いていた。

あれから何年もたち、同じ山域ばかり歩いているおかげで、ほんの少しだけ余裕ができてきたためか、最近では足もとの可憐でけなげな草花に気付き、写真を撮ることができるようになってきた。
今回は蝶が岳のお花畑には行かなかったし、高山植物を楽しむには時期的に遅かったせいで、あまり出会うことはなかったが、その中の幾つかを記録しておこうと思う。

山を歩いていると、手のひらサイズの植物本で草花の名を確認している人をよく見かけるが、そのような余裕は私にはまだ無く、高度が上がると何故か黄色と紫の花が増えるという漠然とした印象があるくらいでしかない。
このピンクの花は、誰も気に留める人がいなかったので珍しい花ではないのかもしれないが、私の眼には可憐で健気に映ったのでパシャリ。
何でもかんでも「プレミアムおまかせ撮影」にセットしていると、このような写真が撮れるが、いつか周囲はぼかしながら被写体はくっきりと写る接写の技術も体得したいと思ってはいる。

これは!
イワギキョウやホタルブクロを見ていても声を掛けられることはないが、この鮮やかな紫に見入っていると、「それは例の事件の花だよ」と声を掛けられた。
保険金殺人事件に使用されたことで取り沙汰されることが多いが、狂言の演目でも有名で、口中医桂助事件帖シリーズ(和田はつ子)では猛毒ではあるが鎮痛・麻酔作用をもつ薬草として度々登場する植物だ。
「附子」
別名トリカブトは、その名が戒名となった事件があることで有名だ。

トリカブトと知ったうえで目をやると、鮮やかな紫が多少毒々しく見えてくるから不思議なものだが、植物には責任はない。ただ懸命にそこに生きているだけである。
そして、懸命に山で生きているのは植物だけではない。

初めての涸沢からの帰路、横尾から徳沢へと歩いている時に、梓川の中州にたつカモシカを見た。あれ以来15年カモシカにあうことはないが、年々増えているのが、猿だった。
「お猿橋」と名を変えた方が良いのではないかというくらい河童橋周辺を闊歩していた猿だが、餌付けされた猿が狂暴化するのを恐れた関係者の御尽力のおかげか、最近では観光地・上高地で猿を見かけることは格段に減ったので、これは貴重な一枚かもしれない。



では、この猿たちが何処へ行ったかというと、本来の生息地であるお山に戻ったのかもしれない。
そして、お山で悪さをする猿が出ているのかもしれない。
雷鳥を捕食する猿が確認されたのだ。
<恐れていたことが…サルがライチョウ食べる> 2015年8月31日 21:31日テレNEWS24より一部引用
ライチョウの保護を目的に調査を行っている研究者のグループ「信州ライチョウ研究会」が、長野県の北アルプスでニホンザルがライチョウを食べている姿を確認した。
25日、ニホンザルがライチョウのヒナを捕まえて頭から食べている瞬間の写真を、松本市と安曇野市にまたがる北アルプス東天井岳で、信州大学の中村浩志名誉教授が撮影した。中村名誉教授を会長とする研究者のグループ「信州ライチョウ研究会」が、長野県庁で緊急の会見を開き発表した。
もともと標高2500メートル以上の高山帯にはいなかったニホンザルが、ここ20年ほどの間に生息範囲を広げているという。ライチョウを食べている姿が研究者によって確認されたのは全国で初めて。
サルは群れで行動するため、ライチョウを食べる習慣が広がっている場合には、ライチョウの個体数の減少に深刻な影響を及ぼす可能性があるという。
今回の確認を受けて長野県では、今後、環境省などの関係者と協議を行い、対策を検討していくことにしている。
http://www.news24.jp/articles/2015/08/31/07308384.html

日本では「神の使い」とも云われる「雷鳥」を日本人は大切にしてきたので、雷鳥は人を見ても警戒感を示すことはなかったという。実際、数年前に蝶が岳で出会った「雷鳥」は私のほん隣まで近寄ってきて、ゆっくりと寛いでさえいたものだが、今回はそうはいかなかった。
人を嫌うという風ではないが、近寄ってくることは決してなく、ハイマツの中からこちら側を見ているという感じだった。
 


ニュース末尾にある対策の一環かもしれないが、蝶が岳ヒュッテには、「雷鳥を保護するために猿を追い払う活動」への理解を求める掲示がされていた。
人が猿を追い払ったせいで、猿が本来生活圏ではない高度まで行動範囲を広げてしまい、結果として雷鳥が捕食されてしまったのなら、人が山の生き物と共存する関係性から考え直さねばならないと思う。

朝四時から高速道路を飛ばしてお山のもとへ向かう旅は決して体に楽なものではなかったはずだが、ワンコとお山の空気に触れたせいか、旅の途中から家人の体調はかなり良く、それは帰宅後の今も続いている。
楽しみだけでなく癒しも与えてくれる山を、これからも守り続けていかねばならないと思う、「山の日」制定記念の年である。

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お山の楽しみ その弐

2016-08-25 23:33:55 | 自然
「お山の楽しみ その壱」より

お山の楽しの一つに食事があるが、読書もまた山小屋での時間を楽しませてくれるものだ。

本を持参できない旅行だと手持無沙汰になることが多いのだが、山行では、そのような心配は、まず無い。
どの山小屋にも山岳関係の本を中心にかなり充実した本棚があり、私が「岳 みんなの山」(石塚真一)やコミック「神々の山嶺」(画・谷口ジロー 著・夢枕獏)を読んだのも、山小屋でのことだった。

今年も良い本との出会いがあった。
「穂高の月」(井上靖)

井上靖氏の本は読みつくしていると思っていたのだが、山小屋本棚で見つけた「穂高の月」は未読だった。

そもそも私が河童橋から足を延ばして歩き始めたのは、「氷壁」(井上靖)の世界を少し垣間見たかったからでもある。
「氷壁」に何度となく登場する「徳澤小屋」に行ってみたい」 が実現すると今度は、主人公・魚津恭太と滑落した無二の親友・小坂がとりついた壁(夏山にしか登れないため、氷壁を見ることはできないが)を見てみたい」 になり、それも叶うと魚津が加藤文太郎ばりのカタカタ手記を遺した滝谷へと想いは移っていったのだ。

「穂高の月」は自然観を語るエッセイ集で、お山「穂高」に関するものばかりではなかったのだが、幾つか印象に残った話があった。
井上靖氏は犬であれ猫であれ生き物を飼うのが好きではなかったこと、ご自身はペットを飼うのを嫌いながらも家族が犬好きであったため、涸沢ヒュッテで飼われていた犬(エコー)の子と長く暮らされたことなども、今の私には特に興味深く感じられたが、一番の驚きは、あれほど登山家の心情を描いておられながら実は「登山と云う行為が嫌いだ」と言い切っておられることだった。
高い処に登り下を見下ろすことになる「登山は嫌いだ」とされながら、「人間のなかで登山家という人種は信用できる」として愛しておられることの微妙なバランスが、底の浅い私には理解が難しいのだが、そのあたりは「氷壁」の魚津の上司・常盤常務の弁に表れているのかもしれない。

常盤は、山に登るための休暇や給料の前借を申請する魚津に度々「登山・登山家議論」を吹っかける。
『なぜ山に登る?山がそこにあるから―か』
『山へ登る。一歩一歩高処へ登って行く。重いものを背負って、うんうん言いながら山へ登って行く。結構なことだ。このちっぽけな会社から貰うたいした金額ではない月給の大半を、山のために使い果たす。御苦労なことだ。郷里では老いた両親が大学を出した息子に嫁をもらわせたがっている。ところが息子の方は嫁どころではない。暇さえあれば山に登る。山にうつつをぬかしている。』
『僕は君と違って、高処から一歩一歩、低いところへ降りるのが好きだ。一歩足を運ぶ度に、自分の体がそれだけ低くなる。不安定なところから安定なところへ降りる。この方が少なくとも君、自然だよ』

いつも魚津にこう議論を吹きかけていた常盤だが、魚津が滝谷で命を落としたときの言葉は、激しく温かい。
『彼が現在持っている勇敢さを失わない限り、必ずいつかは死んだことだろう。死が充満している場所へ、自然が人間を拒否している場所へ、技術と意志を武器にして闘いを挑む。それは確かに人間が人間の可能性を験す立派な仕事だ。往古から人類は常にこのようにして自然を征服してきた。科学も文化もこのようにして進歩してきた。人類の幸福はこのようにして獲得されてきた。その意味では登山は立派なことである。しかし、その仕事は常に死と裏腹なのだ。~略~(彼は)会社員ではなく、まだ登山家だった。山を愛し、山を楽しむために行ったのではない。山を征服しに、あるいは人間の持つ何ものかを験すために1人の登山家として山へ行ったのだ。』

何度も「ばかめが!」と言いながら、常盤はしかし魚津について思うのだ。
『それにしても魚津恭太はなんといういい眼をした奴だったろう』 かと。

常盤と魚津の「登山・登山家談義」は間違いなく「氷壁」の魅力の柱であるが、本書を読めば、徳澤小屋として描かれる「氷壁の宿 徳澤園」にも興味をかきたてられる。


山を歩き始めた15年ほど前でも人気の宿だったが、今ではちょっとやそっとで予約がとれる宿ではない。
重厚感のある内装に、スタッフの方の行き届いた心づかい、相部屋8000円(15年前)とは思えないほどの美味しい料理は、どれをとっても山人を満足させるものだが、ここ何年も予約がとれた例がない。
それでも徳澤園が私にとって重要な場所であるのは、帰路疲れ切った体を引きずっている時に、鼻先にぶら下げる人参として、徳澤園のカレーうどんとソフトクリームほど効果のあるものはないからだ。



観光地・上高地と岳人の世界の境界でその変遷を見守り続けてきた「徳澤園」の代表取締役にふさわしく上條氏は、「第1回「山の日」記念全国大会」の実行委員会副会長として、皇太子御一家を岳沢湿原から明神池まで案内されたという。

岳沢湿原へ注ぎ込む岳沢の渓流


山への想いは、まだまだつづく

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お山の楽しみ その壱

2016-08-24 00:01:25 | 自然
「雄大な山の写真を引き伸ばして額に入れるのなら、やはりRICOHーのGR1sの方が良いのだろうな」と思う瞬間は何度かあったのだが、それよりも初めて自分用のデジカメを持った楽しさの方が勝り、フィルムカメラでは絶対撮らないであろうものまで、手当り次第に撮ってきた。「カメラとご意見番」

外食などをしていると、料理を撮っている人をよく見かける。
料理人は一番おいしいタイミングで料理を出してくれているのだろうし、食事を共にしている人も必ずしもイイ顔をしていないにもかかわらず、熱心に料理を撮影している人を見る度に、「なんと無粋なことをしているのか」と思ってきたのだが、デジカメを持ってみると、これが写してみたい気持ちがよく分かる。

初めて山小屋のご飯を食べたのは15年前ほど前の涸沢小屋だったと思う。
当時、2350メートルにある山小屋の夕食に金目鯛の煮つけが出されたのには驚いたが、あれからヘリによる荷揚げは益々順調に運んでいるのだろう、年々食事は充実し、今や生野菜のサラダやデザートにフルーツまで出されることも珍しくない。
どの山小屋にも特徴があり、それぞれ美味しいのだが、槍ヶ岳山荘の焼きたてのパンは、もう絶品だ。
早朝焼きあがるパンは’’あっ’’という間に完売してしまい、私はチョコクロワッサンを一つ買うのがやっとのことだったが、これが、生まれてこの方こんな美味しいクロワッサンは食べたことがないというほど美味だった。
もう一度槍ヶ岳に登りたいと思うのは、あの焼きたてのパンに惹かれるからかもしれない。

好きで山を歩いているのだが、目の前に何かをぶら下げないと歩くのが嫌になることも、ある。
そんな時、小屋の食事は楽しみの一つなので、初めて泊まる横尾山荘には大いに期待していた。

早朝上高地を発つ場合、上高地から11キロの地点の’’横尾’’は、穂高に登るにしても槍に登るにしても、通過点になってしまうので、お風呂のある山小屋という点に惹かれながらも、泊まったことはなかった。だが、今回は山pの体調に鑑みて超ドンコウ山行となったため、横尾山荘初体験とあいなったのだ。
まず、そのお風呂が良かった。
環境保護のため石鹸の類が禁じられるのは当然だが、山では汗を流せるだけでも有難いのに、その風呂の清潔できれいなこと。これだけで感動してしまい、「これからは横尾山荘に泊まれる計画を立てよう」と話し合ったほどだった。
では、肝心のお山の楽しみの食事はというと。
  
味付けもボリュームの良く、大満足!

横尾山荘にて、しっかり栄養と休養をとり、翌日は’’いざ蝶が岳’’へ。

蝶が岳ヒュッテには過去に二度泊まったことがある。
二度目にはかなり改善されていたとはいえ、一度目に経験したアンモニア臭の記憶は容易には抜き難く、それだけが難点だと思っていたのだが、三度目となる今回は気にならないくらいに改善されていた。
アンモニア臭はともかくも、蝶が岳ヒュッテのアットホームな感じは居心地がよく、特にヒュッテ内に名古屋市大医学部が常駐してくれているのが、心強い。
他にも、涸沢には東大医学部、穂高岳山荘には岐阜大医学部、槍ヶ岳山荘には東京慈恵会医大と、槍穂の山域には夏期山岳診療所が開設され -幸いにもお世話になったことはない ― 大変心強いのだが、名古屋市大医学部が夕食後に設けてくださる「登山と健康」についての講演会は、ヒュッテのアットホームな感じと相俟って、この小屋の居心地の良さをupさせている。
ともあれ、山行の楽しみである食事はというと。
  
塩分補給を心がけて下さるのか、お山の料理はシッカリした味付けのものが多く私好みで美味しいのだが、お山もてっぺんともなると一つ大きな問題がある。
高度に準じて、ブツの値も上がるのである。
350ミリの缶ビール500円は、この高さでは標準だが、柿ピー小袋150円にはブッたまげた、ブッたまげながらも買ってしまった、そして未練たらしくスーパーで平地の値段を確認してもう一度ブッたまげた、小袋9つで258円。 
いや何もかも、おいしかった、ハイ。

お山の楽しみは、つづく


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ワンコ想う山行 ワンコ顕るる奥穂の頂 その弐

2016-08-22 22:07:55 | 自然
「ワンコ想う山行 ワンコ顕るる奥穂の頂 その壱」より

ワンコと一緒に見た犬星を、この夏また一緒に見ようと約束していたね ワンコ
犬星は冬の星座だけど、真夏でも、まだ明けやらぬ4時前くらいに南の空を見上げると、燦然と犬星とオリオン座が輝いているだよ ワンコ

山小屋の朝は早く朝食は5時なんだけど、その前に発つ人も多いので、4時くらいからゴソゴソと人の気配がし始めるんだよ ワンコ
だから、早発ちの人に交じって表に出て、穂高から犬星を見ようと思っていたのだけど、今年は叶わなくてゴメンよ ワンコ

せめて昇る朝日を拝めたらとユニクロのライトダウンを着こんで外に出たのだけれど、温暖化のせいかな?ワンコ
前回夏の蝶が岳に来たときは夜ストーブがたかれていたけど、今回はそんなこともなかったし、この時も早朝ゆえにダウンは重宝したけれど震えるほど寒いということもなく、夜明けを待っていたんだよ ワンコ
しかしワンコ 朝寝坊のワンコは、この時まだ起きてなかったろう? ワンコ


前回は、雲海に浮かぶ槍穂の向こうから茜色の夕日が差し込むという幻想的な景色と、町をすっぽり覆う金色の雲海から登る朝日と、朝日の横にくっきりと浮かぶ富士山を見ることができたんだよ ワンコ
この世のものとは思えないほど美しい光景は、思わず涙が出るほどだったんだよ ワンコ
それは、何日もシャッターチャンスを待っていたプロのカメラマンをして「一生に何度も出会える光景ではない」と云わしめるほど素晴らしいものだったので、今回もそれを期待するのは厚かましすぎるとは分かっていたけれど、あの景色をワンコと一緒にもう一度見たいと願っていたんだよ ワンコ
でも、今回は気温が高すぎるせいか昼過ぎから蒸気が上がってしまい、雲でも霧でもなく、強いて云うならば「温泉の脱衣所」のようなモヤッた空になってしまい、あのアーベンロートに染まる槍穂に出会えなかったから、モルゲンロートにも期待していなかったのだけど・・・・・
前回には残念ながら少し劣るけれど、それでも心洗われる光景が繰り広げられたんだよ ワンコ


↑この雲の下には町があり、人々の営みがあるのだけれど、迫力ある雲海がすべてを覆いつくし、静謐な時間と空間を創っていたんだよ ワンコ
今にも朝日が昇りそうなその時、何を思ったのか山pが「この調子だと、雲の上に一点顔を出すような日の出は拝めないかもしれないな」と言い出したんだよ、そして何故か私もその言葉を信じてしまったんだよ ワンコ
それならば、刻々と明るさを増す穂高を見つめようと、東に背を向け槍穂を見つめていたんだよ ワンコ
淡く桃色に染まる空に浮かぶ穂高の峰々と槍ヶ岳は荘厳で、穂高見神の降臨を思わせるものだったよ ワンコ
この時ばかりは厳粛な面持ちのワンコを感じたよ ワンコ
 

槍穂の稜線付近がうっすらと桃色に染まりだし、神秘さと神々しさに心を打たれている時、てっぺんからこちらを見ているワンコと私の腕の中にいるワンコとを感じて、それは不思議な感覚だったのだけど、とても幸せな感覚でもあったんだよ ワンコ
しばしワンコと語らって、ふと振り返ると、真ん丸のきれいな朝日が雲海のうえに浮かびつつあるではないですか!
山pの意見を鵜呑みにしたために、雲のうえに一筋の光が浮かぶ、その瞬間を見損なってしまったんだよ ワンコ
ちなみに山pは連写で見事に日の出の瞬間を写していたものだから、「安易に人の意見に同調してはいけないな」と下山するまで愚痴ってしまったよ ワンコ
だから、こんな写真しか撮れなかったけれど、雰囲気は伝わるかい? ワンコ




でもね ワンコ
確かに、ワンコの名前の由来のお山に登るという当初の目的は叶わなかったけれど、考えてみれば、この度の山行はそもそも取りやめ寸前だったところを、山pの体調のために大幅に予定を変更して決行し、そのおかげで「山の日記念式典」に御臨席された皇太子御一家としばし同じ空間で過すことができたわけだから、「無計画の計画」(「次郎物語」(下村湖人))は大成功だといえるのかもしれないね ワンコ
確かに、日の出の瞬間を見損なったのは残念だったけれど、その日一番の朝日を浴びる穂高の峰々を見つめて、ワンコと語り合うことができたことを思うと、ここにも「無計画の計画」は生きていたと感じるんだよ ワンコ
随分以前に読んだから、下村湖人が意図しているところは分からないのだけど、私的には「自然の摂理に合致した時、一見無計画な計画が予定調和のごとく納まるところに納まっていく」ぐらいの感じで受け留めていた「無計画の計画」という言葉。
これを、この山行ではひしひしと感じたんだよ ワンコ
そして其処彼処にワンコの気配と、ワンコが見守ってくれている温かさを感じた山行だったよ ワンコ
ワンコがしっかり見守ってくれていたからかな、山pのかなり怪しいと言われた腫瘍が、下山後のエコーとCT検査では消えていたんだよ ワンコ
きっと ワンコが守ってくれたんだね ワンコ

いよいよ蝶が岳の稜線を後にする時、てっぺんワンコに「さよなら」を言ったんだよ ワンコ



でも、今日も私の腕にお腹にワンコの存在を感じるよ ワンコ
いつもワンコを感じているよ ワンコ
また近々、ワンコと一緒にてっぺんワンコに会いに行きたいと計画しているよ ワンコ
ずっと一緒だよ ワンコ

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