何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ガーデン・パーティー 園遊会

2016-04-27 23:20:22 | 
「園遊会」と訳されることも多い、キャサリン・マンスフィールド「 The Garden Party」
今手元にある「マンスフィールド短編集」(翻訳・西崎薫)では、「ガーデン・パーティー」として収録されているが、あいにくの天気のなかでの今日のガーデン・パーティーに、この短編を思い出した。

美しい描写で知られるマンスフィールドは園遊会当日の天気を、こう記している。
『そして、結局のところ、天気は理想的だった。天気に命令することができたとしても、その日よりガーデン・パーティーに向いている日というのは期待できなかったに違いない。風はなく、暖かく、空には雲がなかった。空の蒼さをわずかに和らげているのは、夏の早い頃の空に時々見られるような、淡い金色の靄だけだった。』

園遊会にお誂え向きな天気のもと、園遊会の準備を取り仕切ることを初めて任された主人公のローラは朝から張り切っていた。
階級社会の理不尽に少し胸を痛めてはいるものの、気のいい職人たちとテントやバンドマンの配置を相談したり、会場を飾る花を運び込む花屋に対応したり、サンドイッチとシュークリームの確認のため料理人と話し込んだり・・・・・。
ローラは屋敷内を駆け回り、生き生きと準備をしているが、そこに、これから起こる出来事を暗示するかのようなジョージ―の歌声が響いてくる。
『人生は厭わしきもの 希望は死にかわる 夢 ― 目覚め』

そして、いよいよ万端整ったと思われた時、屋敷の前の通りで死亡事故があったという一報が入るのだ。

ローラは「表門のすぐそばに死んだ人がいるのに、ガーデン・パーティーなんてできるわけないわ」「バンドの演奏がかわいそうな奥さんの耳にどう響くか考えると・・・」とパーティー中止を訴えるが、ジョージーは「誰かが事故にあう度に、あなたがバンドの演奏を止めるつもりだとしたら、堅苦しい人生を送ることになるわね。私も事故のことはあなたと同じくらい気の毒に思ってる、同情するわ」「でも酒浸りの職人を感傷のちからで、生き返らせることはできないのよ」と、パーティー中止に反対する。
「あたしたち、ものすごく薄情じゃない?」と中止を訴えるローラに対し、姉妹の母は(中止することは)とてつもなくバカなことだと言う。
『ああいう人たちは、私達が犠牲的なことをするのを、期待していないのよ。あなたが今やっているような、皆の愉しみをダメにするようなことは、思いやりのある行動とはちょっと言えないわね』

実際のところ、今まさにパーティーが開かれようとしている段階でそれを中止することは難しく、パーティーが行われてしまえば少し前に感じた躊躇いなど消え去り、ローリーは思うのだ。
『ああ、幸福な人達のあいだにいるというのはなんて幸福なのだろう。手を握りあうのは、頬を寄せあうのは、眼を見て笑いあうのは』 と。

無事にパーティーが終わり母と姉妹が楽しい余韻に浸っているとき、父が「恐ろしい事故だった。亡くなった男は結婚もして半ダースほどの子供もいた」と言ったため、気詰まりな沈黙が落ちる。
そこで母が、残り物のサンドイッチを詰めたバスケットをつくり、あの階級の人が見たこともないユリと一緒に届けましょう、と言い出す。
それが到底良い考えだとは思えないローラはそれに抗うが、結局バスケットを届けるはめになってしまう。

だが、ローラは遺体の夢をみているような眠る顔に驚く。
『これはあるべき状態そのものだ』と語っているようでさえある『とても健やかな眠り、とても深い眠り』にある遺体の顔と、その周りで泣いている人々を見たローラは、日常と隣り合わせにある「死」とその意味を悟るのだ。


迎えに来た兄ローリーに、ローラが投げかける「生きることって―」の言葉の先にあるものは、読者それぞれが考えていかねばならない。
She took his arm, she pressed up against him.
"I say, you're not crying, are you?" asked her brother.
Laura shook her head. She was.
Laurie put his arm round her shoulder. "Don't cry," he said in his warm, loving voice. "Was it awful?"
"No," sobbed Laura. "It was simply marvellous. But Laurie―"
She stopped, she looked at her brother.
"Isn't life," she stammered, "isn't life―" But what life was she couldn't explain.
No matter. He quite understood.
"Isn't it, darling?" said Laurie.

「生きることって」「生きることってー」
私には、まだ、分からない。

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売っての幸せが織りなす金銀

2016-04-26 20:44:33 | ニュース
「みをつくし料理帖シリーズ」高田郁氏に出会って以来、「銀二貫」 「あい 永遠に在り」など出版されるたびに読んでいて、気がつけば長い付き合いだが、ワンコとの別れで打ちひしがれている私を慰めてくれたのも「蓮花の契り 出世花」だった。(参照、「庭の草木の契り」

そんな高田氏の本だが買って読んだものは実は少ない。
書棚に入りきらぬ本が床に並べられている状態なので、よほどのことがない限り図書館や本仲間から借りて読むしかないのだが、高田氏の最新作「あきない世傳 金と銀」を自分で購入したくなったのは、本書が描く時代や世情が意外なほどに現代と似通っているからかもしれない。

本書には 『昔、元禄の頃には阿呆みたいに物が売れて、桁外れの豪商がぞろぞろ現れた、て聞いてる。けど享保になった途端「贅沢はあかん」いわれて~略~商いかて、さっぱりわやや』と嘆く場面があるが、この物語は物がさっぱり売れない享保期の話で、それはバブルのあと長い長い不況に悩まされる現在に通じるものがある。
また、本書の主人公・幸が9歳で女衆として奉公に出されるのは、学者である父と秀才の誉れ高い兄を相次いで亡くし困窮したからだが、不作と疫病で食い詰めた農家の子らが奉公先をもとめて浪速の街を右往左往するあたりは、「日本の子供の貧困率は先進国の中で最悪レベルにある」という現在を思せる。
更には、享保の時代は女子には読み書きすら不要と云われていたようだが、現代でも「女は子供を産む機械」と言う大臣や「女性に数学は不要」と言い放った知事もいるあたり、進歩のなさに呆れかえる。が、その享保の時代に、七夕の短冊に「知恵が欲しい」と書く7歳の少女幸が、知恵を生きる力にかえ道を切り拓いてゆく物語の幕開けは、現在の世情と相俟ってこれからの展開を大いに期待させるものである。  「洗濯ものの向こうに透けて見える偏見」

大いに気に入った物語なので印象的な言葉や場面も多く、それは又いずれ記したいが、今日耳にしたニュースの教訓として今是非とも記しておきたい言葉がある。

<25年前から規定無視=目標燃費、上方修正繰り返す―三菱自> 時事通信 4月26日(火)17時50分配信一部引用
三菱自動車は26日、燃費不正問題に関する社内調査の状況を国土交通省に報告し、公表した。国の規定と異なる方法で燃費試験データを収集するルール無視を、25年前の1991年から行っていたことを明らかにした。対象車種は「調査中」と説明したが、数十車種に上る可能性がある。
20日に不正を認めた軽自動車4車種については、燃費の最も良いタイプの開発目標燃費を、社長以下の役員が出席する会議で繰り返し上方修正していたことも明らかにした。
三菱自の説明によると、軽4車種では燃費試験データを道路運送車両法の規定と異なる方法で測定した上、意図的に有利な数値を抽出して国に提出していた。

昨年フォルクスワーゲンの問題が世界を揺るがした時、同様のケースはどこにでもあるのではないかと感じたが、まさか日本からでてくるとは思いたくなかった。企業の営業に関わることでもあるし、事実関係をすべて知っているわけでもないので、この件についてこれ以上書くつもりはないが、「あきない世傳 金と銀」には商いの裏表の面と、だからこそ肝に銘じねばならない心構えが記されている。

主人公・幸の父は私塾で教える学者だが元は侍の出で、商いを汚らわしいと考え、『商いとは、即ち詐(いつわり)なのだ』『商人などという輩と、決して深く関わってはならない』と子らにも戒めるが、この父に対して兄は『治世を語るうえでも、金銀を抜きには語れない時代が来る。またそうでなければ、この国は危うい』という理由から『商いを貶めて良いものではない』と云う。

二人の相反する教えを胸に、大阪は天満の呉服商「五鈴屋」に奉公にでた幸は、そこで大番頭の治兵衛から商いの心得を教えられる。
「商いとは詐」と評されることを知る治兵衛は「商売往来」(堀流水軒)が説く心得を幸の前で諳んじる。
『挨拶、應答、饗應、柔和たるべし。
 大いに高利を貪り、人の目を掠め、天の罪を蒙らば、重ねて問い来るひと稀なるべし。
 天道の働きを恐るる輩は、終に富貴、繁盛、子孫栄花の瑞相なり。倍々利潤、疑い無し。よって件の如し』
商いの何たるかを理解しつつある幸に、更に語る。
『「ただ金銀が町人の氏系図になるぞかし」て、井原西鶴いわはる人の言葉や。お公家さんやお武家さんと違て、私らに家柄も家計もおまへん。確かに金銀だけが氏系図になるんだすが、天から与えられた美しい色を欲得づくで汚さんよう、精進してこその商人出すなぁ』

治兵衛の心得が必要なのは、フォルクスワーゲンだけでも三菱自動車だけでもないはずだ。
妖怪金ゴンが跋扈する世の中なので、事の大小はともかく、商いに携わる誰もが心せねばならない戒めだと思っている。
「国民車から世界の環境車へ」

・・・・・本書の印象的な場面については、又つづく

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厳冬はすぎ 春宮の季節

2016-04-24 13:08:35 | ひとりごと
「毬を禍にも毒にもせぬように」 「花が選ぶ時 花を手折る時」より

私が、心の病に関心を持ち、本の中の「心の持ちよう」についての記述に注意して読むようになったのは、日本の皇太子妃殿下が長く心の病を患われているからだ。

2004年夏、適応障害と病名が発表された頃「聞いて、ヴァイオリンの詩」(千住真理子)を読んだ。「光は必ずや闇に勝つ」
天才子供ヴァイオリニストとして光のなかで活躍していた千住氏が、心を病みヴァイオリンから離れてしまう過程と、そこからの魂の再生が記された本は私に強烈な印象を残し、それ以後、本の中にある「心の持ちよう」についての記述に注意して読むようになったのだ。

最近読んだ「まるまるの毬」(西條奈加)には、お永(治兵衛にとっては娘であり、お君にとっては母である)が父と娘を大切に思うあまり自分の気持ちを言えず苦しんでいることに、治兵衛が気付く場面がある。
『丸くて白い団子のような、まあるい持ちでいて欲しいと、そう願ったのはおそらく俺だ。だからお永は毬を表に出すことができず、長いこと苦しんできたんだ』
『他人の気持ちに聡い娘だ。お永は己を殺し、父の願った理想の娘を演じ続けてきた。治兵衛には、そう思えてならなかった。だからお永は己の毬を、外ではなく内に纏うしかなかったのだ。その毬はただ己だけを苛んで、お永はたった一人で苦しむより他なかった。』

治兵衛のこの言葉を読んだとき、雅子妃殿下の心の病の原因の一つに自己実現の難しさがあるとする有名女性作家の「国民の思うところの皇太子妃像を演じて下さい」という言葉を思い出した。
その勧めに他意はなさそうだったが、移り気な国民がその時々に良しとする理想像とやらを追っていては、皇室も雅子妃殿下も守らねばならない根っ子そのものを失いかねない。
日本の独自性と世界のなかの日本という視点、歴史の重要性と未来への発展性という視点、その両方を兼ね備えた普遍的価値を有する理想像を国民が望んでおれば、雅子妃殿下は演じるのではなく、誠心誠意それを目指されただろうが、質より量をきらびやかに演じることが求められる風潮に、雅子妃殿下は馴染むことはできなかったのだと拝察している。

また「闇医者おゑん」(あさのあつこ)は、言葉には外に出すべきものがあるという。
『言葉には外に出すべきものと、内に秘めたままにしておくべきものと二通りがあるのだそうです。
 秘めておくべきものを外に出せば禍となり、外に出すべきものを秘めておくと腐ります。』
『言葉には命がある。命あるものは生かされなければ腐り、腐れば毒を出すとね』

言葉に出せず、體の深くに疵を溜めこんでいく危険性は「鬼はもとより」(青山文平)にも書かれている。
『體の深くに、無数の(精神的)疵を溜めこんでいく。いまは顎の震え程度で済んでいるが、遠からず、その疵は別の形で、清明を壊すかもしれなかった。内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。そうなる前に、いまの席から清明を離れさせなければならない』 

心の襞を細やかに描く作家二人が声をそろえて、心のうちを言葉にする重要性を説き、それが出来なければ毒や疵となり體を壊すことになると書いているのを読むと、雅子妃殿下の苦悩の深さに胸がふさがれる。
なかなか子供を授からない寂しさも、御懐妊に向けての治療の苦しさも、男子だけを要求される理不尽さも、雅子妃殿下が訴えられたことは、ない。
せっかく授かった第一子が、朝日新聞の早すぎる悪意のリークのせいで悲しい結果になってしまった時すら、その非道な報道に怒りをぶつけるのではなく、心配した国民に対して感謝の言葉を述べられた。
どれほどの悲しみと苦しみと怒りを内に溜め込んでおられたか、ほんの少しの想像力があれば分かったはずだが、それすらせず、たった一言「生活環境の変化への戸惑い」を述べられた、それを千代田あたりが強烈に批判しバッシングへ誘導し、雅子妃殿下の心を閉じ込めてしまったのだ。

その一言となる平成14年オーストラリア・ニュージーランドご訪問に際しての会見より
『(引用)今回公式の訪問としては8年ぶりということになりまして,ニュージーランドとオーストラリアを訪問させていただくことができることになり,大変うれしくまた楽しみにしております。中東の諸国を訪問いたしました折のことは今でもとても懐かしく本当にいい経験をさせていただいて,その時の思い出は今でも皇太子さまとよく話題にしたりしておりますけれども,その後8年間ということで,そのうち最近の2年間は私の妊娠そして出産,子育てということで最近の2年は過ぎておりますけれども,それ以前の6年間,正直を申しまして私にとりまして,結婚以前の生活では私の育ってくる過程,そしてまた結婚前の生活の上でも,外国に参りますことが,頻繁にございまして,そういった ことが私の生活の一部となっておりましたことから,6年間の間,外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は,正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます。』

これに対して「そんなに外国に行きたかったか」と言い放った輩もいたが、雅子妃殿下は結婚される29歳までの人生のうち半分以上を海外で生活されている。 幼稚園入園は(当時の)ソビエト連邦で小学校ご入学はアメリカだ。高校・大学もアメリカで学び、ハーバード大学はマグナクムラウドで卒業され、職業は外交官だったことを考えれば、物見遊山で海外に行きたがる方ではないことは容易に分かるはずだ。
そもそも、雅子妃殿下が御結婚を決意されたのは、皇太子様の『外交官として働くのも、皇室の一員になるのも、国のために働くという意味では同じではないですか』というお言葉によるものだと巷間言われてさえいる。
地球規模の感覚と能力を活かして国のために働こうとしていた一人の人間が、「男児を産む機械」とばかりに長期間一所に押し込められるという状況は、心身ともに難しいことであったと誰もが容易に想像できる。
それを、物見遊山な海外見物と同レベルに引き摺り下ろしバッシングのネタにされてしまった雅子妃殿下は、口だけでなく心も閉ざされたのだろう。
このちょうど一年後にストレスからくる帯状疱疹に罹り、そのまま適応障害の治療に入られ、今に至られている。

では、毒や疵になりそうな怒りや苦しさは、どうすれば良いのか?
最近読んだ東野圭吾氏の「人魚の眠る家」に、怒りの対処法について語られる場面がある。
「先生でも、人に怒りをぶつけることがあるのですか」と問う患者に、いつも穏やかな医師は答える。
『正確にいえば、怒りをぶつけたくなることがある、ですね。実際には、そういうことはしないほうがいいと思っています。重要なのは、人に怒りをぶつけるわけはいかないから、その選択肢は最初からないくしてしまうというのは、精神衛生上よくないということです。人間には逃げ道が必要です。いついかなる時でも』

「人魚の眠る家」が云うとおり、心の奥底にある本心を曝け出すという選択肢を、最初からなくしてしまうことが精神衛生上よくないのは確かだが、仮に、自分自身で心の奥底にあるものを語らずとも、それを察して、その感情を共有してくれる存在がいれば、どれほど心は救われるかということは、「まるまるの毬」が教えてくれる。
天真爛漫な娘お君は、胸に抱える「屈託」を一切語らずまあるく暮らす祖父と母を見て、二人の分まで怒り二人の分まで大泣きする。
『二人は決して泣きも怒りもいない。文句は一切腹の中に呑み込んで、黙って堪える性分だから』・・・その分泣くという娘お君の存在は、大きな「屈託」を抱える南星屋の希望の星となる。

本の中に答えを探しながら読んでいると、あの時から12年の年月を経て、雅子妃殿下がゆっくりではあるが確実に御回復の階段を登られているのは、皇太子様だけでなく敬宮様へも道が通じたからだと思われてくる。

「七年をみちびきたまふ我が君と語らひの時重ねつつ来ぬ」(平成七年歌会始の儀より)と詠われるほどに、雅子妃殿下は皇太子様を御信頼になり語り合われてこられたのだろうが、敬宮様が御立派に成長されるに従い、語り合いは更に広がられたことだろう。
幼いころから権謀術数の渦中で苦しまれる敬宮様には御自身の苦悩もおありだろうが、それだからこそ母の苦しみを身をもって理解されているにちがいない。その敬宮様が、皇太子様とご一緒に雅子妃殿下のお心を支えるまでに成長されたことが、雅子妃殿下の御回復の大きな力となっているように拝察されるのだ。

今、我が家のシンビジューム・シーサイドプリンセス雅子(昨年お歳暮に頂いたのものではなく)が満開を迎えている。
我家には温室がなく、日当たりは良いが冬場は寒い縁側に置いているからだと思うが、満開を迎えるのが通常よりはかなり、遅い。
かなり厳しい寒気にあたった方が良い花となる我家のプリンセスマサコは、寒い寒い冬をこえ、桜の時期を過ぎた頃に満開を迎える。

これからが皇太子御一家の春だと信じている。
皇太子御一家に温かな光が注がれれば、まわりまわって国民にも光が巡ってくることになるのだと思う。

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花が選ぶ時 花を手折る時

2016-04-21 12:30:00 | ひとりごと
「毬を禍にも毒にもせぬように」の文末で、『心の病に関心を持ち、本の中の「心の持ちよう」についての記述に注意して読むようになった』理由を記したうえで<つづく>としていたが、地震があり書きそびれたままになっている。それを書いた時には、「人魚の眠る家」(東野圭吾)で主人公の主治医が述べる「心の持ちよう」について考えようと思っていたのだが、「優しい死神の飼い方」(知念実希人)のワンコ&シュークリームを切っ掛けに、延命や看護について考えるところがあったので、先に、そのあたりのことを書いてみる。

「家裁の人」(作・毛利甚八作 画・魚戸おさむ)ではないが、私の仕事場には鉢植え生け花をとわず絶えず花がある。
今ではお互いの考え方が理解でき、とくに干渉し合うこともないが、以前それについて突っ込んだ話になったのは、それが、ただ花がら摘みという事柄におさまらず人生観にまで繋がる問題だと思えたからかもしれない。
ある時、シクラメンの花がだらりと萎れ横たわらんばかりになっていた。
球根の根元にまだまだ多くの蕾がついているのを確かめた私は、萎れた花をつけたままにしておけば全体に栄養が回らず蕾が咲きづらくなると思い、躊躇わずに花がらを摘んだ。
それを見た上司が驚かれた、上司にすれば、それはまだ花がらではなかったのだ。
命あるものは最後の最後まで生かしておいてあげたい、というのがクリスチャンの上司の考えであり、思えば母も同じようなことを言っていた。
だが、私は少し違う。
それが最後の一輪なら、もしかすると私も最後の最後まで咲かせてあげたいと思うかもしれないが、次の出番をまつ蕾の栄養分を奪ってまで萎れた花をつけているのは違うのではないか、という思いもあるが、それよりも、美しく咲き誇っていた花の気持ちになってみれば、色褪せ萎れてしまっている姿を晒し続けたくはないはずだ、と思えるのだ。
今では、ギリギリのところまで花を愛で、上司にすれば(少し)早いが私にすれば(少し)遅いというタイミングで、花がらを摘むことで落ち着いているが、花を手折る時について身を切られるような思いで考えなければならない時がきた。

ワンコは最後の最後まで美し過ぎた。
愛らしい目も優しい眼差しも、つややかな鼻も美しい毛艶も若かりし頃と変わるところはなかった。
血液検査でもレントゲンでもエコーでも、異常はなかった。
ただ、少しずつ少しずつ体重が減り、その時が近づいていっていると傍目には明らかだったのだと思う。
そして、傍目には私が、「人魚の眠る家」の薫子のようになるのではないかと思われていたのだと、思う。

薫子夫婦には、小学校お受験真っ最中の娘・瑞穂がいたが、その娘がプールで溺れて病院に運ばれたという第一報が入るところから物語は始まる。
薫子夫妻は、脳死状態に陥っているとはいえ、今にも起き出しそうな外見の娘の<死>を受け入れられず、あらゆる手段を講じて延命を図る。
薫子の夫(脳死状態の娘の父)が経営する会社の先進技術は、コンピューターや機械を駆使しての自発呼吸と筋肉稼働を可能にし、現代医学では奇跡と云われながら数年にもわたり延命を続けていた。
周囲の「既に死んでいる人間に無理をさせている」「母親の自己満足」という非難の声には、『この世には狂ってでも守らなきゃいけないものがある』と言い張り譲らなかった母・薫子だが、息子(脳死状態の娘の弟)がそれが原因でイジメに遭っていると知り、「死」とは何かと問いかけるための事件を起こす。
警察官を呼びつけたうえで、娘に包丁を突き付け「死とは何か」と警察官に問いかけるのだ。
薫子は問う。
『もし私達が臓器提供に同意して、脳死判定テストをしていたなら、脳死と確定していたかもしれないんです。
 法的脳死の確定イコール死です。それでも娘の死を招いたのは私でしょうか。
 心臓を止めたのは私だったとしても、私達の態度次第で、死はとうの昔に訪れていた可能性があるんです。
 それでも殺したのは私でしょうか。こういう場合、推定無罪が適用されるのではないですか』
『今の瑞穂の扱いは、まるで生きている死体。そんなかわいそうな立場においておけない。
 生きているのか死んでいるのか、法律に・・・・・国に決めてもらう。
 瑞穂はとうの昔に死んでいたというのなら、私は罪には問われない。
 生きていたというなら殺人罪。でも私は喜んで刑に服します。
 あの事故の日から今日まで私が介護してきた瑞穂は、たしかに生きていたというお墨付きを貰えたわけだから』

誰が命の器を決めることができるのか?

昨年秋、ワンコ実家でワンコがショック状態をおこした時、涙を流す私に実家母さんは「ワンコはこの年齢では考えられないほどに若さとキレイさを保っている。この姿を、飼い主家族の胸に留めておきたいとワンコ自身は願っていると思うよ。医療は進んでいるけれど、命の流れに任せるべきだよ」と静かに諭してくださった。「シルバー&ワンコ敬愛の週」

初冬から通い詰めていた掛かりつけワンコ病院の美人先生は、まだ重篤とは思えない時期から、さりげなく話して下さっていたことがある。
「毎日でも点滴をして、人間でいえば胃瘻をほどこしスパゲティー状態にしてでも生かしておきたいと思えば可能だけれど、どうでしょう?体重が減り骨ばってくれば皮膚を突き破って骨が出てくることがあり、暑い時期にそうなれば、どんなに丁寧に介護をしていても、たちまちウジが湧くことがある。命の流れに任せることは大切ですよ」
・・・・・そう説いておられた美人先生は、ワンコの最期を聞いて「命の器を生ききったのですよ」と涙ぐまれた。

ワンコは、薫子の娘・瑞穂と同じに、自分でその時を定めて、眠りながら笑いながら眠っていってしまった。
「人魚が眠る家」には、四葉のクローバーを見つけた娘に薫子が「それを見つけたら幸せになれるのよ。持って帰れば」と勧めた時のことを思いだす場面がある。
『瑞穂は幸せだから大丈夫。この葉っぱは誰かのために残しとくって、そのままにしておいたの。
 会ったこともない誰かが幸せになれますようにって』
知らない誰かのために四葉のクローバーを残しておくような優しさをもった少女(小学校入学前)だったからだろうか、母自身が十分納得がいくだけの介護する時間を与え、又それ以上に家族を苦しめないタイミングで、自ら天国へ旅立っていったのだ。

人間の言葉を完璧に理解していたワンコは、美人先生の言葉も分かっていたのかもしれないし、家族に次々おこる体調不良も敏感で優しいワンコは感じ取っていたのかもしれない。
何より、「男前で美男子で気品があって凛々しくて、天才で賢くて、か~わいい~か~わいい~」と声かけられることを常としていたワンコは、その美しいままの姿を家族の心に留めておきたかったのかもしれない。

暖冬だったこの冬唯一の大寒波の、あの日、眠りながら笑いながら眠っていってしまった。
一日半家で一緒にすごして、家族皆そろって見送ることができたのは、あの二日だけが寒い寒い日だったからだ。
私にはワンコがあの日を選んだように思えるのだ。

だが、ウジウジ悩む癖のある私は、シュークリームをお預けにしていたことを気に病んでしまう。
高脂血症や中性脂肪の数値を気にするよりも、美味しいもので幸せだと感じさせてあげれば良かったと、そうすれば「もっと美味しいものを食べるために長生きしよう」とワンコ自身が思ったのではないかと、ウジウジ考えてしまうぐらいだから、介護や体調異変の気付きについての後悔は尽きない。

花の気持ちと、花を手折らねばならない人の気持ちと・・・・・答えが分からないままに、春が過ぎようとしている。

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我が主様 ワンコ

2016-04-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコが「我が主様」のもとへ出かけてから二か月、桜の時期まで過ぎてしまったよ ワンコ
ここ数年、桜が咲く度「来年の桜もワンコと一緒に見たい」と感傷的になっていたのは私達だけで、
ワンコが好きだったのはスズランだったね
金魚さんのいる睡蓮鉢のとなりのスズランが、今年最初の花を咲かせたよ ワンコ
明日は一緒にスズランの香りを楽しもう ワンコ・・・・・

ウリ²が家庭科だかクラブだかで覚えたフェルト細工で、ワンコを再臨させてくれたので、皆それぞれワンコを胸に語りかけているけれど、迷惑じゃないかい? ワンコ
それが心配になることが書いてある本を読んだよ ワンコ
「優しい死神の飼い方」(知念実希人)   (『 』「優しい死神の飼い方」より引用)
ワンコとそっくりなツンデレわんこレオが主人公の本だよ
きれいな表紙にかかる本の帯には『ツンデレわんこの死神が大奔走!』の大文字が記されているよ ワンコ
『(本の帯より)古い洋館を改装したホスピス「丘の上病院」。ゴールデンレトリバーの姿となって「我が主様」から地上に派遣された「死神」の私は、看護師の菜穂に保護され、「レオ」という名で丘の上病院に住むことに。そこには死神だけにわかる、この世への未練が放つ4人分の「腐臭」が漂っていた。
この洋館では7年前に謎の“吸血鬼家族”殺人事件が起きたという。事件は未解決、裏庭には地縛する3つの「魂」――。「言霊」を操り、相手の「魂」を浄化し、無事に「我が主様」の元に導くことを仕事とするレオ。洋館を調べまわるうちに隠された地下室を発見し、事態は思わぬ方向へ――!! 』


死神の役目が、「我が主様」の元への魂の案内だということも、21世紀の日本を担当する死神の成績があがらないことも、私と一緒に本を読んでいたワンコは知ってるね。
ある死神が、上手く魂を案内できない言い訳に「この時代の、この国に住む人々の生活に問題がある」「生きてるうちから接触しないかぎり困難だ」と言ったために、''ごおるでんれとりばあ''という犬の体に封じられ、犬の姿で末期患者の「未練」を断ち切り魂を救えとホスピスに送り込まれたのも、その死神が「レオ」と名付けられたことも、ワンコは知ってるね。

レオは寿命そのものを左右することはできないけれど、患者の意識に同調したり催眠をかけたり夢に潜り込んだりして、「未練」の原因を探り誤解を解き問題を解決し、「未練」を断ち切り安らかな魂へと導く。
そんなレオの奮闘ぶりはカッコ良かったね ワンコ
レオの言霊と語り合うことで、半世紀以上前に駆け落ちを誓い合った恋人の裏切りが「未練」となっていた元警察官や、「強盗殺人の罪をつぐなっていない」という後悔が「未練」となっていた宝石商や、ある少年との出会いと別れで自分の芸術(絵・色を描くこと)に生じた迷いが「未練」となっていた青年画家の魂が救われるのには感動したね ワンコ
物語の最後、レオが身を挺して大事件を解決するところはハラハラして読んだね ワンコ

一緒に本を読んだワンコはストーリーを知ってるから、ここは一つ、気になったところを書きだしてみるよ ワンコ

シュークリーム
レオはシュークリームが大好物で、それを見るだけで尻尾を振ってしまう自分を恥じているけれど、ワンコも好きだったな
ワンコもシュークリームが好きだったのに、高脂血症と中性脂肪が高いと注意されてたから、お預けにしていて申し訳なかったよ ワンコ
少しでも長生きしてほしくて、我慢ばかりさせたのかもしれないと 胸を痛めてるよ ワンコ

レオに魂を救われた人たちは、それでもレオを犬だと思っているから、言葉を完璧に理解しているレオのことを不思議がっていたけれど ワンコも言葉を完璧に理解していたね   「ワンコの愛 その2」
家族が喜んでいる時は、皆の真ん中ではしゃぎまわり、悲しんでいる誰かがいる時は、その人の側でそっと涙を舐めてあげていたね
喧嘩の仲裁をしてくれるのも ワンコだったね
ワンコは言葉だけでなく、言葉にできない人の心も完全に理解してたね

21世紀の日本人の魂は未練を抱えて生きていると書いてあるけれど、それは私にもいえることだね
それを知らせるために、ワンコはこの本に気付かせてくれたんだね
レオは言ってるよ
『自惚れるな「人間」!お前らは肉体という「仮住まい」を借りて、この世に存在しているに過ぎない。
 いつその「仮住まい」を返すかはお前たちが決めることではない。
 お前がすることは、残された時間の長さを嘆くことではなく、その限られた時間の中で精一杯生きることだけだ』
レオは私達の未練の原因についても語ってるよ
『(この国に未練が絶ち切れず地縛霊になる者が多い理由とは)きっと、この国は豊かになり過ぎたのだ。この国は豊かになり、そして「死」から目を背け始めた。飢えることもなくなり、生活環境が改善し、そして医療が大きく進歩したこの国では、人間誰もがいつかは迎える「死」を、特別なものと思い込んでしまった。「死」を不浄のもののように扱い、日常からできるだけ隔離し始めた。』
『「死」を意識せず、ただ漫然と与えられた時間を消費し続けてきた者達は、終わりが近づいて来たとき、自分の人生が有限だったことに初めて気付き、無為に過ごしてきた自らの人生を激しく後悔する。そこに「未練」が生まれるのだ。』
『ただ、そのことに気付くのに、遅いということはないのだろう。いくら死の間際になっても、人間は自らの存在意義を知り、残されたわずかな命を輝かせることが出来るのだ』

私の腕のなかで眠るように笑うように眠っていった ワンコ
きっと、人生は有限だからもっと頑張れと身をもって教えようとしてくれたんだね ワンコ
だけど不甲斐ない情けない私は、シュークリームの件を読んでは後悔し、桜を見ては落ち込み、未練タラタラで一歩も前に進めないままでいるよ ワンコ

レオは死神ではなくて、天の使いだったと判明するけれど、 
私にとっては、ワンコこそが「我が主様」だから、天にいる「我が主様」に認めてもらえるように なるべく頑張るよ
だから、見守っておくれよ ワンコ
でも、本には気になることが書いてあったんだよ ワンコ
『肉体を離れた剥き出しの魂にとって、この世界に長く留まることは、裸のまま寒空の下で過すようなものなのだ』 って。
そうだとすると、家族が其々しょっちゅうワンコに語りかけ、ワンコの魂を引き留めていたのでは苦しいのかい ワンコ

うん?レオと声をそろえて何か言ってるな ワンコ
『何を言っている。普通の犬などとは明らかに異なったこの高貴な雰囲気、お前は感じないのか?』

そうだった
犬の姿を借りた天使のレオが言霊を飛ばして、この世で人の魂を救い続けることになったのだから、
私の「我が主様」ワンコも、私達の心を救うために我が家に居続けてくれるに違いないはずだね ワンコ

私がウジウジだらだら無為に人生を消費しないように、厳しく見守っていておくれよ ワンコ


追記
レオをホスピタルで飼ってもよいと決定したのは、看護師の菜穂の父である院長先生だけど、院長先生は、こんなことを言っていたよ ワンコ
『動物は患者の精神に好影響を与える。飼うなら、患者と接触できる室内でだ』 だって ワンコ
皇太子御一家が飼われている由莉ちゃんは、動物介在療法のアニマルセラピーとしての訓練を受けたうえで、病院へボランティアで出掛けているそうだよ ワンコ
この度の大地震でも、夢之丞は災害救助にでかけたそうだよ ワンコ
「神聖な御力とともに」 「夢が生き 夢で生きる」 「ワンコと人の絆は永遠」

人間を助けてくれるワンコに負けないように私も頑張るよ ワンコ


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