何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

心の宝に ありがとう

2018-11-25 05:07:14 | ひとりごと
17歳と二ヶ月の地上での生活を経て天上界の住犬となったワンコ
20年ずっと私の心の宝でいてくれて ありがとう

このところ忙しくて、ワンコがお告げしてくれた本を読み終えることができずにいることが心苦しいのだけど、
ワンコは優しいから、そんな私に、バッタさんと一緒にメッセージを送ってくれたね

一月前、私の手に乗ってきて離れないバッタさんに、
なんだかワンコを感じる、と言っていただろう 「君に我が肘を食べてもらいたかった」
あれから一月、虫かごで過していたバッタさんが、22日小雪の日に、庭の草木の元に帰ったのだよ
その日小雪が降ることはなかったけれど、冷たい小雨のなかバッタさんを自然に返した後、
ふと手に取った本の偶然ひらいたページに、ワンコのメッセージを感じたよ

「日日是好日」(森下典子) (『 』「日日是好日」より)

『人生に起るできごとは、いつでも「突然」だった。昔も今も・・・・・。
もしも、前もってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。
でも、いったい、他のどんな生き方ができるだろう?いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできず、そして、あとは時間をかけて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない人間に・・・・・。
だからこそ、私は強く思う。
会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。
幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。
だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。
一期一会とは、そういうことなんだ・・・・・。』

バッタさんが自然に帰った小雪の朝は、
・・・悲しい知らせに考えさせられることろがあって、家人が大切な人達に会う旅に出た朝でもあったから、
本書の文は、心に沁みたよ
この文をお告げしてくれたワンコの気持ちが、心に沁みたよ

その日は、小雪ではなく小雨が降り続いていたから、
本書の文が、心に沁みたよ
この文をお告げしてくれたワンコの気持ちが、心に沁みたよ

『雨の日は、雨を聴きなさい。心も体もここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすれば分かるはずだ。自由になる道は、いつも今ここにある』
『私達はいつでも、過去を悔んだり、まだ来てもいない未来を思い悩んでいる。どんなに悩んだところで、所詮、過ぎ去ってしまった日々へ駆け戻ることも、未来に先回りして準備することも決してできないのに。
過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。道は一つしかない。今を味わうことだ。過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気づくのだ・・・・・。』

ワンコお告げの本を読めないでいる私に、今必要な言葉を届けてくれて、ありがとう

この一月 虫かごを見ては、バッタさんは本当は自由に過ごしたいのではないか?
温かい部屋で御飯があっても、自由に飛べないことは、バッタさんにとっては苦痛ではないか?と思うこともあったんだよ
それは時に、思いが強すぎて色んなものを縛り過ぎるきらいがある自分のアレコレへの反省にもつながり、
けっこう考えることにもなったのだけど、
虫かごから出してあげても、バッタさんは いつの間にか自分で虫かごに戻っているので、
良かったんだよね ワンコ

上手く言えないんだけどね ワンコ
そこにワンコを感じていた命を見送った日に、今必要な言葉に出会えたことに感謝してるから、
これからもワンコのお告げを待っているよ ワンコ

いつまで経っても世話のやける私だけれど、
これからもずっと宜しく頼むよ ワンコ

20年ずっと 私の心の宝でいてくれて ありがとう

も一度 私達を見つけてくれるかいワンコ

2018-11-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコが天上界の住犬になってから2年と10か月
最近ではワンコの日に向けて、ワンコが本をお告げしてくれるから、
ワンコと会話を楽しんでいるようで、心和むことも多いのだけど、
肌寒くなってくると、やはりワンコの温もりが懐かしいよ
ワンコは、男前で美男子で気品があって凛々しくて天才で賢くて、か~わいいのに、
ワンコというとなぜかピンクなんだな
私はバラを育てるのがあまり上手くないけれど、
この可憐なバラはワンコからの贈り物に思えて、大切に育てているんだよ


さてさてワンコお告げの本についてだけどさ、
今月はワンコ生誕祭もあるから、はやくから3冊も本をお告げしてくれたのに、
猛烈に忙しいし、気が滅入ることばかりなので、
まともに一冊も読み通せてなかったのだけど、
それを見かねたワンコが、新たな指令を送ってくれたんだね
その指令は、私が大切な人を応援するうえで道標となって下さっている方を通じてのものだったから、
本当に嬉しかったよ 

「ボクを見つけてくれた犬たち」(ケン・フォスター  渋谷節子・翻訳)

これは、きっとワンコからのお告げだと確信したから、
ワンコの日の20日に注文したのだよ
だから、まだ読んではいないのだけど、
この題名にはグッとくるものがあるよ ワンコ

最近 家人が
ワンコ実家両親の言葉をもじったりしながら、新しいわんこを迎えたいな、と言ってるのは知っているだろう?
ワンコと過ごした17年と2か月の幸せな日々を思うと、
わんこと暮らす生活が豊かなことは分かっているけれど、
そのわんこはワンコではないのだな
私は、ワンコでなければいやなんだな
それに、もしワンコ自身が帰って来てくれるとしても
私の腕のなかで、眠りながら笑いながら眠っていったワンコを思うと、
あの時を思うと、
もう一度、あの思いを繰り返す勇気が持てないのだよ
もう一度、わんこと暮らす生活を選ぶ勇気が持てないんだよ

だからさ、殊更にこのタイトル「ボクを見つけてくれた犬たち」に惹かれたのかもしれないな
勿論まだ読んでいないから、
その内容は、私が今 想像しているものとは違うかもしれないけれど、
タイトルから届くインスピレーションこそが、ワンコからのお告げだと思うから、
心に響くものがあるのだよ

ねぇワンコ
人間って奴は傲慢で、いっつも自分達人間が、選んで(やって)庇護して(やって)ると思っているかもしれないけれど、
そうではないよね
人間が犬を見出して家族にする、のではなく、犬の方から人間を見出してくれることもあるんだね
それを御縁だと感じることができたなら、
それは運命の出会いなのだから、有難く受け入れるべきなんだね
それが きっとワンコのお告げなんだね

思えば、ワンコも初めて会った私に
「僕を選べ!!!」とすっごい目力で訴えていたもんね
あの時も、私がワンコを選んだのと同時に、
ワンコも私たちを選んでくれたんだもんね

どうすべきか、なんて悩まずに、心をニュートラルにして、
ワンコが与えてくれる道に素直に従うよ ワンコ

・・・タイトルからお告げを感じたのだけど、
実際に本が手に入り、読んだら又ご報告するね
ワンコはいつも か~わいい顔をしていたけれど、
ここぞという時には眦に力をこめて、自分の思いをしかと告げてくれていたよね
そんな一枚を選んだつもりだけど、
よく見ると、また時間マジックを使っている私に呆れている表情にも思えるよ ワンコ


でさ、とにかくワンコお告げの三冊のうち一冊だけでも記しておくよ

「さくら動物病院」(相戸結衣)
本の帯より
『桜小路美姫、35歳、獣医師。年下のかわいいセフレも飼っているし、結婚なんかしなくても、そこそこ幸せな人生を送っていけると思っていたけれどー!?』

’’さくら動物病院’’という名前からして、ワンコのお告げらしからぬものだし、
では、その内容は?というと、
2013年第8回日本ラブストーリー大賞受賞作というから、更に私向きではないようで、
手に取り読むまでに、ずいぶん時間がかかったけれど、
読み始めたら、
軽妙な筆致というよりは、すっからかん なので小一時間で読めてしまったよ
まぁ ワンコがこの本を選んだ意図は、とってもよく分かったのだけど、
どうしようもないね ワンコ
8と30では

本書の感想を、これでお終いにすると、あまりにアレなので、
動物病院を舞台にした物語らしいウンチクを一つだけ記しておくよ
『ヨーロッパでは魚卵は全部「キャビア」なのよ。だから、イクラもタラコもすべてキャビアで合ってるの。ちなみにロシアでは、キャビアも含めた魚卵はすべて「イクラ」なのよ』
『つまり、こういうことか?キャビアもタラコもカズノコも、ロシア人から見れば「イクラ」なわけだ。でもって、ヨーロッパでは、それがすべて「キャビア」なんだな?たとえそれが、メダカの卵であっても』
『カエルノ卵もイクラだよ』

次回は、ワンコお告げのもう一冊について書くつもりだけど、
これも、どうにも私向きの本ではないのだけれどな
ワンコのお告げがどこかに潜んでいると信じて読んでみるね ワンコ

またね

孤独を考える時間と知性がない、孤独

2018-11-19 19:00:00 | 
なにかと気忙しく、まともに本を一冊読み通す時間がないのだが、君が 模試だか中間テストだかの国語で出題された加藤周一氏や「巨匠」(木下順二)について熱く語るものだから、私も現代文(評論)では加藤周一氏や外山滋比古氏や三木清氏にずいぶんイジメられたなぁ、と思い出していた。そんな時、「折々のことば」(鷲田清一)で、三木清氏の言葉に出会ったので、久しぶりに「人生論ノート」(三木清)を手に取ってみた。

「折々のことば」(鷲田清一) 朝日新聞 平成29年11月16日朝刊より引用
人は孤独を逃れるために独居しさえする  三木清
人は大勢の人の間にあっても、というかその中でこそ孤独であると、哲学者は言う。
だから人は、逆説的にも孤独から逃れるために独居しもする。が、反対に、孤独を味わうために街に出もする。孤独は何かの欠乏ではなく、まぎらすよりもむしろ味わうべきもの。その意味では孤独は感情よりも知性に属し、その中ではじめて世界と確しかと向き合うことができる。「哲学と人生」から』

鷲田氏が引用されている「哲学と人生」(三木清)は読んだことがないのだが、この言葉は、三木清氏の「人生論ノート」の「孤独について」の章に、一言一句違わず記されている。

『この無限の空間の永遠の沈黙は私を戦慄させる』(パスカル)という言葉で始まる「孤独について」の章を初めて読んだ高校時代には、『孤独を逃れるために独居しさえする』『孤独は山にはなく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるものとして空間の如きのものである』という意味が皆目見当がつかなかったのだが、年を重ねたせいか、クリスチャンの上司から聞いた「大勢の人のなかにあって、誰からも必要とされていないと感じる孤独感こそ、最大の貧困だ。そういう意味で、日本には貧しい人がたくさんいる」というマザーテレサの言葉に思い当たることがあったせいか、分かるようになって、しまった。

だが、「大勢の人間の間にある孤独」で終わらないのが、三木清の三木清たる所以で、三木清氏は続けて『孤独には美的な誘惑がある。孤独には味わいがある』と云いながら、『孤独は感情ではなく知性に属するものでなければならぬ』とし、その結論として『孤独は最も深い愛に根差している。そこに孤独の実在性がある』とする。

孤独に主観的なニュアンスの言葉 ’’美的’’ ’’味わい’’ を与えながら、孤独は感情であってはあならぬとし、しかし最後には、最も感情的とも思われる’’愛’’に孤独は根ざしていると結論付けている。

この論理は、「人生論ノート」で繰り返し記される『感情は多くの場合客観的なもの、社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの、人格的なものである。真に主観的な感情は知性的である』というものに連なることだけは、よく分かるのだが、徒に馬齢を重ねているだけの私に、それを経験上納得できる日は来ないかもしれない。

ただ、久しぶりに現実的な日常とは掛け離れた思考に思いを巡らせたことは、豊かな時間を与えてくれた。
そんな切っ掛けを与えてくれた君に感謝しているのだが、宇宙物理学を専攻したい君が、模試だか中間テストだかの国語の問題文を味わい熱く語るのには驚いているよ。
これからは、好きな野球も読書もなかなか出来ないだろうが、模試で読んだ本が後々大きな影響を与えてくれることがあることは、私自身経験しているので、またいい本があったら、教えてね 君よ

おまけ というより本題

2018-11-17 23:55:51 | ひとりごと
「ぜんぶ、山 完結編①」 「ぜんぶ、山 完結編②」

さて、オマケというより、本題。
いつもお世話になるお宿は、ロビーに絵画や書などのギャラリーをもっている。
その、穂高や槍など山を描いた作品たちのなかで一際目立つのが、青蓮院門跡門主さまの書だ。
上高地・穂高は、穂高見命がお守りになる地ではあるが、そこに神聖なものを感じるという意味において、まさに「山川草木 悉皆 成佛」が相応しい聖地だと思う。

青蓮院門跡門主さまは、今上陛下の従弟であられるが、上高地で一番古くからある このホテルは山の宮様と云われた秩父宮殿下も滞在されたことがある。

これらの書に惹かれ昨年末訪れた青蓮院門跡でも出会った この「一隅を照らす」という言葉は、それを目にするたびに心に沁みるのだが、今回はちょうど園遊会が話題となっている時に、これらの写真を見ていたので、尚更だ。

「一隅を照らす」 
これは、平安時代に天台宗を開いた最澄の「一隅を照らす者、これ、国の宝なり」という言葉の一節で、 一隅とは皆が気づいていないほんの片隅 一角を指すそうだが、 転じて、本当は直視しないといけないにもかかわらず、目をそむけているものという意味もあるそうだ。

青蓮院門跡門主さまが皇室ゆかりの御方だということもあり、そこを訪問した際には、神と仏と自然を繋ぐ’’愛・敬宮様’’を思い浮かべたのだが(「一隅を照らす’’愛’’ は国の宝」 「続 一隅を照らす’’愛’’」 「続々 一隅を照らす’’愛’’」)園遊会のニュース関連をネットで読みながら、この「一隅を照らす」という言葉を読むと、病に伏されてからの雅子妃殿下の長い年月が胸に迫ってきた。
それは、お着物を召して園遊会のすべてに出席された雅子妃殿下のニュースに、心の病に関わる人々が安堵と歓迎のコメントをつけているのを見たからでもある。

心の病というものは、理解されづらいという点で、他の病とは異なる苦しみもあると思う。
雅子妃殿下が病名を公表のうえ療養されたことは、心の病の認知を広めたと同時に、快癒に長い時間を要することも知らしめた。
その間、官民挙げての大バッシングが間断なく雅子妃殿下を襲うことに、心を病む人やその家族は不安と怒りを抱えていた思うが、だからこそ、多くの困難を乗り越えご回復が確かなものとなられたことは、大きな希望と喜びだったに違いない。

心の病は、それに倒れた人だけの問題ではないと思う。
心を病むほどにストレスがある、その環境が抱える問題を解決しないことには、第二第三の問題は生じてくるのだ。
だが我が国は、問題の先送りと自己責任論が横行し、事の核心を直視せず目を背け、ただ一人の女性と女の子に、全ての責任を押し付け続けている。
しかし、難題を押し付けられ続けている女性と女の子は、時に押しつぶされそうになりながら’’愛’’の力で立ち上がり、女性であること、病とともに生きることに、希望の光を灯して下さっている。
その希望の光は、国民の半分をしめる女性と、(長寿社会ということみあり)病と共生して生きていかねばならぬ国民の道標となっていくと信じている。

一隅を照らす雅子妃殿下と敬宮様 
お二人を大きな愛でお包みなる皇太子様は、国の宝だと信じている。

そんな想いで完結した、今年の山は、やはり素晴らしい山であったと思っている。

おまけ お山の楽しみ

2018-11-13 12:00:00 | 自然
「ぜんぶ、山 完結編②」の末尾で「オマケがあるかもしれないよ」としたのは、槍ケ岳から降りてきた私が上高地で合流した家族と、いつものお宿に泊まった写真を記録しておくため。

 

年に少なくとも一度は上高地で過すことにしているので、その間ワンコはワンコ実家両親の所へお泊りにいってたのだが、ワンコは自分が生まれた家なのに、飲まず食わずの行をして、ワンコ実家両親を困らせていたから、今は一緒に上高地にお泊りできて喜んでいるよね ワンコ
 


旅のお楽しみというと、美しい風景とともに食事もあると思うが、旅というか山を歩いたあとは、普段はめったに飲まないし美味しいとも思わないビールが、美味しい!
 

うわばみ というわけではないが、いくら飲んでも一向に顔にでず、さほど酔わない私だが、この日ばかりはビールがどんどん進んでいるのが分かるような↑写真。一方で、お料理があまり美味しそうに見えないのが残念だが、それは料理のせいではなく、私の写真が下手なせいで、枝豆の茶わん蒸しなど凝っていて美味しいよ。

他にも色々お料理はあったが、こういう場所で写真を撮ることを好まない家族の意をくみ、総てを撮ることは控えることにした。



上高地の静かな朝。
木漏れ日差す小路を歩いていると、又ここに帰って来るまで元気で頑張ろうという気持ちになる。

おまけの本題は、つづく