何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコ介護人を癒す穂高③

2019-08-31 12:50:51 | ひとりごと
「ワンコ介護人を癒す穂高①」 「ワンコ介護人を癒す穂高②」より

ねぇワンコ
同じものでも、真反対から見たら、まったく違う光景が広がってるよね
上高地のバスターミナルを梓川沿いに歩きはじめると、
すぐに目に飛び込んでくる雄大な景色
河童橋の向こうにそびえ立つ穂高連峰を見上げると、
そこに自分が立つことは信じられないのだけど、
上高地から歩きはじめること10時間、
奥穂のてっぺんから上高地を見下ろすと、
あれだけ観光客で溢れている河童橋さえ見分けられないんだよ

それは当たり前のことなんだけど、
なんだか不思議な気持ちになるんだよ
物事ってさ
一面的ではないんだな

でさ、このところワンコから考えろ!指令がでている問題だよ
「介護士K」(久坂部羊)
 
入居者の不審な死が続いている介護施設のお話だよ
考えろ!と言われても、時間もないので、印象に残った台詞を記録しておくよ
(『 』「介護士K」(久坂部羊)より引用)
 
介護施設の介護士の言葉
『あんたねぇ、時間に追われてきりきり舞いしているときに、わけのわからんことを何度も言われたり、くだらないことで呼ばれたり、今、替えたばかりのシーツに小便を漏らされたりしたら、誰だってアタマに来るだろう。こっちだって人間なんだから、我慢の限界ってもんがあんだよ。あんたもいっぺん実際にやってみな。俺は入居者に舌打ちして怒られたが、そんなもんかわいいもんさ。心の中じゃあ、いっつも死ねって思ってるからな。役立たずの厄介な老いぼれは、とっとと死にやがれって思ってるよ』
『年寄りを施設に預けてる家族も共犯だぜ。文句ばっかりたれやがって、感謝のかの字もない。あれをしろ、これをしろ、ここは気をつけて、こっちはていねいになんて、自分で世話もしねぇくせに、俺たちの要求ばっかり突き付けてくる。それで介護士はストレスをため込んで、入居者に当たるんだ。虐待の原因の一つはそんな家族さ。』
 
最近頻繁にニュースでも取り上げられる2025年問題
『二〇二五問題って知ってんだろう。これ以上良くならないとわかってる年寄りに、限られた場所と人材を提供する余裕はもうないんだ。医者の世界じゃ、高齢者の誤嚥性肺炎は治療しない、心不全も放置するってガイドラインが出てるんだぜ。リハビリの保険適用も切られてるしな。それくらい現実は切迫してる。頭を切り替えて、自分で生きることができなくなった年寄りは、切り捨ててもいい社会を作るべきなんだよ』
 
そんなガイドラインがほんとうに出ているのかは知らないけれど、
つい先日2025問題を伝えるニュースを見ながら御大が言ったんだよ
「いい加減なところで、本人の希望も汲んで(病がなくても)尊厳死を認めるべきなんじゃないだろうか」
「寿命が延びたといっても若い時間が増えるわけではないのだから、死にたがってる年寄りは多いはず」
 
本書の帯にも、作中にも、何度も出てくる言葉があるのだよ
『死なせるのは慈悲なんです』
 
ワンコも御大が気難しく、自分にも人にも厳しい人だというのは知ってるだろう
私なんぞは、御大の傍にいると、気が休まらなかったものなんだけど、
一昨年、目の手術をした頃から気分的にすっかり老け込み私たちに素直に頼るようになり、
今年はついに、御大だけが手入れしてきた菖蒲やランの株分けの仕方を、私に教えようとしているんだよ
そうして少しずつ伝えようとしてくれるのはいいのだけれど、
なんだか少し寂しいね
 
そんな時、死を望んでいる高齢者の望みを叶えるべきだという介護士の↓言葉は、寂しさと恐ろしさを伴って迫ってくるよ
『悪意には良心のブレーキがかかりますが、善意はどこまでも突き進みますからね』
『殺すのは悪意や怒りだけれど、死なせるのは慈悲なんです。死にたいと願う高齢者はたくさんいます。しかし、自力で死ねなくて困ってるんです。だから手を貸してあげる。人助けじゃないですか』
 
この場合の、『悪意』ってのは、単純な?殺人で、『善意』というのは、単純な?手厚い介護を云うんだよ
手厚い介護は一般に良いことだとされるから、している方が、良いことをしているという陶酔感に浸ってしまい、される側の苦しみも顧みず際限なく介護してしまう・・・と言いたいんだよ、作者は
 
これがさ、世間知らずの横着野郎が書いたものなら捨て置くのだけれど、
作者・久坂部羊氏は、介護施設にも精通した老人医療の専門家で、
少し前には、ご自身の父を介護のうえ看取っておられるから、
考えさせられるんだよ
 
でもさ、この理屈でいくと、長患いも心の病も許されないことになりそうだよ
『闇を見つめて不幸に感じるのは、情緒的軟弱さのゆえだ。知的強靭さを持てば、闇は闇として怖れもなく見つめられる』
『今も日本は自由で豊かで安全な国だ。だから、情緒的軟弱さが蔓延してる。やさしさ、共感、思いやり。そういうものは一見、良さそうに見えて、実は人々を堕落させる。必要なのは忍耐、克己、死をも恐れない信念だ。たとえば、江戸時代の隠れキリシタンが、過酷な弾圧に耐え、命さえも投げ出せたのはなぜだ。自分の信じたものを貫き通す知的強靭さがあったからだろう。幕末の志士たちもそうだし、二・二六事件で決起した青年将校たちもそうだ、特攻隊の隊員たちにもそういう者はいたはずだ。今どきそんなことを公言すると、すぐ特攻隊を美化するのかと批判されるが、命を惜しみながら出撃したものばかりではないだろう。国のため、大義のため、大切な家族のために、決然と死地に向かった者も少なくはなかったはずだ。彼らを支えたものは、迷わず己の信念に邁進する知的強靭さにほかならない』
『行動心理学の研究者が行った調査で、大災害のあと、心のケアの手厚った地区と、手薄だった地区で被災者の精神面での立ち直りを調べたんだ。そしたらケアのてあつかった地区の方が、立ち直りが遅いという結果が出た。ふつうは逆だと思うだろう。しかし、手厚いケアをすると、ますますそれに甘える人間が出てくるんだ』
 
そういうデーターがあることは私だって承知しているさ
でもさ、そのデーターのもっと長期的な追跡調査は、なかなかなされていないんだよ
手厚いケアに甘えて立ち直りが遅いように見えても、もっと長いスタンスで見れば、違う結果がでそうな気もするんだよ
どん底の時に、頼れるものがある、と人と社会の善意(敢えて善意という)を信じることができた経験は、
長い目で見れば、人と社会を信じることにつながるんではないかな?
そうして、自分も善意の循環に参画したいと思うようになるんじゃないかな?
 
そんなふうに思うけれど、
エラそうなことは言えないし、言ってはいけないな
度重なる大災害に今のところ遭ってない身では、ね
 
だから、少ない時間と頭で考えても、まだ答えは出ないのだけど、
一つだけ、今の私でも分かる真実があるから、その言葉を記しておくよ
『幸福を得るのは時間がかかるが、不幸はあっという間に訪れる』
  
 
ねぇワンコ
人生にも、たしかな道標があったらいいね

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ワンコ介護人を癒す穂高②

2019-08-26 12:25:00 | ひとりごと
「ワンコ介護人を癒す穂高①」より
ワンコのお名前の穂高をタイトルにしながら、常念岳と槍ヶ岳の写真は変だ!と思っているかい?
これは、ワンコのお山奥穂高(3190)のてっぺんから見た景色なんだよ

さてさて、今月のワンコお告げの「介護人k」(久坂部羊)

これまで、久坂部氏の役に立たないものは消えちまえ!的な作品は、氏独特のアンチテーゼと思って読んできたのだけれど、
超高齢化社会における医療の在り方を問う氏の作品を続けて読むと、存外それは、氏の本心のような気がしてきたんだよ 

ねぇワンコ
ワンコが天上界に引っ越しする前の半年ほど、
ワンコは夜鳴きや丑三つチッチするようになり、 家族皆がクタクタになってしまったよね
夜鳴きが始まった当初 御大たちは、
勤めや学校がある私たちの生活リズムを慮って、夜自分たちの寝室でワンコを看てくれていたけれど、
体力的に無理だと言い出すのに、一月とかからなかったね、
それにワンコは、私の腕枕で寝たがったから、最期の日まで私と一緒に寝てくれたよね
ワンコの丑三つチッチに付き合い夜中や明け方に庭に出たおかげで、それは美しい星やお月さんを見ることができ、
そのおかげで、ワンコとの約束の星もできたから、
最後の一月は私自身かなり体調を崩してフラフラになり、傍目にも限界が来ているように見えたようだけど、
それでも私は、ワンコと過ごすことができる有難さをかみしめていたんだよ
今でもさ、これだけは自信をもって言えるんだよ
ワンコの介護(お世話を)疎ましいと思ったことは一瞬たりともないんだと・・・
ちょっとさ、そういう自分を過信しているところがあったのだけど、
それは違ったね 介護ということでは全くないのに・・・
年を重ねなんとなくどことなく調子が悪い時が増え、愚痴っぽくなっている母に、優しくできないね
お盆休みの10連休、久しぶりにゆっくり時間があったのだから、
母にすれば、とりとめのない話や、年のせいで抱える不具合を、ただ聞いてほしいだけだったのかもしれないよ
それを、ただ隣で、うんうん肯き耳を傾けるだけでいいのかもしれないけれど、
最近とくに忙しない時間が流れている自分には、とりとめのない話というのが、それだけで苦痛だったんだよ
だから、本格的な介護の本で、 介護する側の本音や、介護される側の本音を読むのは、しんどいことだったんだよ
だからこそ、ワンコはこのところ立て続けに、この手の本をお告げしてくれるんだよね
しっかり考えろと、 お前だっていつかは年をとるし、なんどき病を得るかもしれないんだぞ、と
でもさ、休み明けから忙しく、週末も持ち帰り仕事に追われている身では、しっかり考える余裕がないんだよ
だから、振り返って考えるときのために、 次回は、双方の立場の言葉を記録することにするね

この岩の塊は、「ジャンダルム」というんだよ
これはフランス語で、前衛という意味があるのだけれど、
「前衛」には、大切なものを守る役割があるそうなんだよ
ねぇワンコ
何が本当に大切なのかを見極めるのは難しいことだけど
大切なものを守る強さが欲しいよ
ワンコ


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ワンコ介護人を癒す穂高①

2019-08-20 09:25:51 | ひとりごと
ワンコが天上界の住犬になって、三年と7カ月。
ワンコに触れることができないことが、どうしようもなく寂しい時があるけれど、
ワンコが毎月お告げしてくれる本のおかげで、ワンコと魂の深いところで会話できているし、
今なら一緒にどこへでも旅することができるから、
楽しいこともあるよね
 
 
今年は天候に恵まれた最高の山行だったね
ワンコブラザーズも一緒に、穂高岳山荘の美味しいけれど少しゆるいカレーライスを食べたね
 

今年はさ、本当に忙しくて何の訓練もしていなかったので、
自分自身、穂高や槍に登るのは無理なんじゃないかと思っていたんだよ
だから無理をせず、ワンコの声に従って、自然に癒され骨休めの旅にしても良いな、と思っていたのだけど、
ワンコが応援してくれたおかげで、
自分でも意外なほど楽しく楽に、奥穂のてっぺんに立てたんだよ
ワンコのおかげだな
そんな山行の写真は、休み明けの忙しさと、パソコンの調子を伺いながらとなるので、
だいぶと遅れるかもしれないけれど、
まずは、ワンコお告げの本について記しておくね
 
「介護士k」(久坂部羊)

本の帯には、ひときわ大きな文字で「死なせるのは慈悲なんです」とある。
本書は、「高齢者医療と介護の実態をえぐり出し、生と死の在り方を問う衝撃作」なのだそうだ。
先月に引き続き、ワンコお告げの本が、安楽死というか尊厳死をテーマにしているので、非常に戸惑っていて、本の内容は掴みかねているし、作者とワンコの意図も、図りかねているんだよ
 
「廃用身」に始まり、久坂部氏の作品は役に立たないものは消えちまえ!という強烈なメッセージを前面に出しているものが多いが、それは久坂部氏特有のアンチテーゼだと思い読んできた。
が、最近の超高齢化社会の医療費や人材不足を問う作品を見ると、存外それは氏の本心のような気がしてきた。
しかも、初期の作品のように役立たずは消えちまえ!という色は薄め、役に立てないことを苦しみ嘆き自らも消えたがっているのだから、安楽死も尊厳死もアリなのですよ、とう仮面をかぶっているだけに、より悪質かもしれない。
 
ワンコのお告げに従い読んだ直後は、これを悪質な手法だと感じたのだが、これを書いている今は、きれいごとだけではすまない現実を、、、感じている。
 
そう、それこそが、このところ何度もワンコがこの手の作品をお告げする理由なのかもしれないね
 
自分の心の奥深くと対話するのは、怖いよ ワンコ
でも、そうそう避けてはいられない問題だから、早めにしっかり向き合っておけ!とワンコは指令を出してくれているんだね
 
その答えは当分 出そうにないから、本書の気になった言葉を記すつもりだけど、
ワンコの日の今日は、
先日登ったばかりの奥穂と、少し前に噴火したので心配していた焼岳を掲載しておくね
 
 
ワンコ あまりに難しい問題で今の私には荷が重いけれど、
ワンコのお告げでもあるし、それを考える必要性がありそうなので、
向き合ってみるね
 
それについては又つづく

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空気を払い、天気を読む旅

2019-08-05 12:53:55 | ニュース

たいした成果も変化もないにも拘わらずくそ忙しく、図書館に予約し待ち望んでいた本すら読めない日々が続いている。
追い打ちをかけるように私用のパソコンがお釈迦になってしまったので、尚更ブログは書きづらい。
こんな日々なので、一旦ブログも閉じた方が良いのではないかとも思うのだが、時節柄あるいは私の心模様として、気になった言葉だけは記録しておこうと思う。

令和元年 5月四日(河童橋より焼岳を望む)


その一つは、令和初の参議院選挙の前後にも拘わらず、新聞のテレビ欄が一日中芸人会見ばかりをとり挙げているのを見て、「どうでもいいですよ」と呟いた、その視線の先に偶然あった、言葉だ。

折々のことば1532 (鷲田清一
『世間ではいつもどうでもいいことが一番問題にされる』 

キェルケゴールのこの言葉を説明するために、鷲田氏は「死に至る病」(キェルケゴール 斎藤信治・訳)の文章を要約したものを記している。(『 』引用)
『人はつねに自分と他人の差異に執着する。どんな賞賛を得るか、どう重きをなすか、どの地位につくか。そんな世間の「符牒」でもって自らを意識する。が、それは他の人々に自分が「騙りとられる」ということ、つまり自分を見失うこと。世間はこのようにそれに「身売りしている」人たちばかりから成ると、19世紀のデンマークの哲学者は断じた。』
一連の騒動が話題になっている時、この言葉を選んだ鷲田氏は、どのような思いを込めておられたのだろうか。
人を笑わせることを生業とする人は、自らの事を客観的に観ることができなければ、優れた芸はできないと、私は思う。
そういう意味では、あの失地回復の会見は、大いに反省しているように見せかけながら、その実どう見せるか、いやどう見せたいかを周到に計算した、「騙りとられる」事「身売りしている」事に精通したプロの技だったように思う。
だが、鷲田氏がそのような事を考え、この言葉を選んだのではないのではないか。 私には、あの時期のあの狂騒に対し「どうでもいいですよ」と言いたかったように思えてならない。

 

もう一つは、この夏お勧めのドラマ特集記事のなかで紹介されていた、セリフだ。

「凪のお暇」TBSドラマ 原作・コナリミサト、脚本・大島里美)
『空気って読むものじゃなくて、吸って吐くものだと思うから』
 
このドラマは見ていないので、どのような場面で飛び出したセリフかは分からないが、どうも空気を読みすぎ心病み過呼吸で倒れてしまった主人公のセリフのようだ。
記事を読んだ時には、「そうそう」と肯いたのだが、最近頭を痛めている諸々を思いだすに、この言葉が流行るのも考えもののような気がしている。
読んで欲しい人は、無駄口を乗せたco²を気持ちよさげに吐き散らし、読までもよい人が、読んだ空気を浄化させようとして、心を痛める。
「おーい、そこの君、君だよ君、頼むから空気読んでくれよ」 

・・・・・・ どうでもいいニュースのかげに隠れてはいるが、私的には重要な最新情報に気をつけ、まとわりついた空気を払う旅に出ようと思っている。


令和元年8月2日16時00分 気象庁地震火山部発表

火山活動の状況

焼岳では、7月27日、28日、8月1日に空振を伴う低周波地震が観測されています。山頂付近の噴気活動や地殻変動に現時点では活発化を示す変化は認められていませんが、今回の活動は、山頂付近の微小な地震活動が継続するなか発生しています。今後の火山活動の推移に注意してください。 

防災上の警戒事項等

 今後、火山活動が急変する可能性もありますので、登山する際は、火山活動の異変に注意するとともに、山頂付近では突発的に火山ガス等が噴出する可能性がありますので、噴気地帯にはとどまらないでください。また、活火山であることに留意し、ヘルメットを持参するなどの安全対策をしてください。 
 



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