先月のワンコお告げの本の報告を記さないまま、今月のワンコの日を迎えてしまい
ゴメンよ ワンコ
今年はどういうわけかムスカリの花が少ない
頼んでもいないのにあちこちに咲きている時には、傍若無人だと感じた花だが、
少ししか咲いてくれないとなると、
ホタル袋のような姿も、春先には珍しい青色も愛おしい
そんなムスカリの花言葉は、
失望・失意
つまらなければ感想を書かなければいいわけで、基本マイナスの感想は書かないことにしているのだが、それがワンコお告げの本なら、書かざるをえない。
まずこう断らなければならないほどに、2月のワンコお告げの本のうちの一冊は、私には書くべき言葉が見つからない。
いやそれも少し違う。
マイナスの評価が強ければ、なぜマイナスなのかを、もしかすると滔々と書けるかもしれない。
だが、これほどまでに読んだ後、何も残らない作品も珍しい。
「東京ホタル」(中村航、小路幸也、穂高明、小松エメル、原田マハ)
あまりに何も残らないので、それこそがワンコからのお告げなんだと思うことにしたよ
ワンコ
本の装丁が私好みで、しかも連作の作者に’’穂高’’の文字があれば必ず私が読むと思ったんだね
ワンコ
「すべきこと」「寝る」だけで24時間を埋めている私に、
ともかく一息つく時間を持たせるために、
私が読むことを先送りしない本を送り届けてくれたんだね
その本は、
隅田川に10万個のLEDを放流するイベントにまつわる話を、
5人の作家さんの短編でつづるという趣向なんだよ
本の感想は何もないのだけれど、
ホタルというと、やはり上高地だね
それを思い出させようとしてくれたんだね
いつもお世話になる上高地温泉ホテルで、初夏に行われるホタルの鑑賞会
冬場 雪に覆われる地域としては珍しく、ホタルが生息できるのは、
ホテルの名にもある温泉が、冬場も温かい水を供給するからだそうだよ
そんなホタルの鑑賞会で印象に残っていることがあるんだよ
乱舞というほどではないホタルの舞は却って幻想的で美しかったのだけど、
そこにいた宿泊客の多くは、ホタルよりも夜空を飽かず眺めていたんだよ
その日は天気がよく空気が澄みきっていて、
本当に星が美しかったんだよ
あちこちから「こんなにたくさんの星を見たのは初めて」という感嘆の声があがり
静かな感動に包まれたんだよ
案内のホテルの方の
「街でも見える星よりホタルの方が珍しいかと思ったのだけど、違うのですね」という言葉が印象に残っているのだけれど、
珍しいものを見ることができた喜びはもちろんあるのだろうけれど、
あるべきものが見えてない、あるべきものを見ていないことに気付いた驚きと、
だからこそ、それを見ることができた喜びは、
珍しいものを見た喜びとは一味違う味わい深いものなんだな
そんなことを思い出しながら読んだので、
10万個のLEDが殊更にうさん臭く思えてストーリーにも共感できなかったのかもしれないな
ただ、見るべきものを見ず考えることを放棄してしまう
という視点でワンコお告げ本のもう一冊を読むと、
深・恐ろしい言葉が迫ってくるよ
「迷子のままで」(天童荒太)
申し訳ないけれど、本書もどこをどう書けばよいのか分からない作品なのだけど、
見るべきものを見ていないことの怖さを伝える一文があるんだよ
『「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ということを主張したいのである。造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
「だまされていた」と言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう』
(『 』「迷子のままで」より)
伊丹万作という映画監督の言葉らしいのだよ
この言葉の背景を探ると、今の時代への警告のようで怖いよ
ほんとにね
見るべきものを見ず、考えることもやめてしまった私たちは
たぶん何度でも騙されるんだろうね
大地震、それに続く原発事故
未曽有の大災害から10年
復興からの五輪の掛け声はいつのまにか、コロナに打ち勝った証の五輪になり、そのコロナが変異をとげ蔓延し始めているのに、街は人で溢れかえっている
茹でガエルを茹で上げているのは、私達自身なのだろう
ムスカリには違う花言葉もあるという
明るい未来・夢にかける思い
私たちが
見るべきものを見て、
茹でガエルであることに気付き考え始めた時
明るい未来が見えてくるのかもしれない