何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

持ちつ持たれつ堕落と利用

2017-05-03 23:54:17 | 
「ワンコの導き 鈴蘭の教え」より

「ワンコの導き 鈴蘭の教え」で、知性を主観的なものとみるならば、その対極にあるのは’’無知’’ではなく’’堕落’’ではないか、と書いたが、「堕落論」「続堕落論」(坂口安吾)が云う’’堕落’’は、一般的なイメージでの’’堕落’’とは異なっているという事は、まず記しておかなければならない。

さて、「堕落論」「続堕落論」だが、両論考は1946年に世に出され、また著者・坂口安吾氏は1955年に亡くなられているため著作権の保護は切れている。
よって、私の愚考を記す前に、非常に長くはなるが、気になる当該箇所を引用しておきたい。

「堕落論」より引用
私は天皇制に就ても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。社会的に忘れた時にすら政治的に担ぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。
すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。天皇の存在によって御家騒動の処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉しければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。

「続堕落論」より引用
いまだに代議士諸公は天皇制について皇室の尊厳などと馬鹿げきったことを言い、大騒ぎをしている。天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。
藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等が自ら主権を握るよりも,天皇制が都合がよかったからで,彼らは自分自身が天下に号令するよりも,天皇に号令させ,自分が先ずまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく,実は彼等の号令であり,彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い,自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる,自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって,自分の号令を押しつけるのである。
自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが ,自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ,それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら,天皇の前にぬかずき,自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し,その尊厳を利用して号令していた。
それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。見給え。この戦争がそうではないか。実際天皇は知らないのだ。命令してはいないのだ。ただ軍人の意志である。満洲の一角で事変の火の手があがったという。華北の一角で火の手が切られたという。甚しい哉,総理大臣までその実相を告げ知らされていない。何たる軍部の専断横行であるか。しかもその軍人たるや,かくの如くに天皇をないがしろにし,根柢的に天皇を冒涜しなが ら,盲目的に天皇を崇拝しているのである。ナンセンス! ああナンセンス極まれり。しかもこれが日本歴史を一貫する天皇制の真実の相であり,日本史の偽らざる実体なのである。
 藤原氏の昔から,最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し,同時に天皇をもてあそび,我が身の便利の道具とし,冒涜の限りをつくしていた。現代に至るまで,そして,現在も尚,代議士諸公は天皇の尊厳を云々し,国民は又,概ねそれを支持している。
昨年八月十五日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の一幕が八月十五日となった。
たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!
我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的大欺瞞ではないか。しかも我等はその欺瞞を知らぬ。天皇の停戦命令がなければ、実際戦車に体当りをし、厭々ながら勇壮に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑かれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。


この文章に続いて坂口安吾氏は、人間の正しい姿を取り戻すために「堕落せよ」と叫んでいる。

日本史を見れば坂口安吾が指摘するように、それぞれの時代の為政者も軍人も、国民さえも『天皇を利用することには狎れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌して』きたという点は確かにある。

近年また、右も左も自らの主張に都合よいように天皇と皇室を利用する場面が増えてきたように思えるが、果たして、それだけだろうか。
天皇と皇室は、いつもいつも時の為政者に利用され非常な処理を押し付けられていただけの、受け身の御存在だったろうか。
おそらくは、そうではない。
ただ、古代など一部の時代を除き、天皇や皇室が権力を直接握った時代が少なかったことや、権威を最大限示すことで周囲(戦国大名など)を動かしながらも権力そのものを握ることがなかったために、時の為政者から利用され続けているように、見えるのかもしれない。

だが当然のことながら、ある関係性が続いているということは、一方的に利用する側 と 一方的に利用される側が固定化されていないということだ。
本来そこの処を頭に入れておかなければ、国と国民は何度でも同じ間違いを犯すことになる。

終戦から一年、自らの狡猾さから脱却するために坂口安吾は「堕落せよ」と叫んでいるが、21世紀はそこを一歩進め、狡猾さにかけてはお互い様であると分かったうえで、新たな時代を築くための’’堕落の道’’はないかと考えている。
そのあたりについては、更につづく、かもしれない。

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