何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

祈りの幕は下さない

2015-12-30 11:35:01 | ひとりごと
このところの''祈り''シリーズから離れるが、「ワンコの樽に満ちる祈り」「昭和の犬」(姫野カオルコ)について書いたので、そこを少々書いておく。

『よそから来るものは悪ものである・・・・・、この感覚は、人に生来備わっているものだろうか。』とインベーダーの章は始まるが、イクの心の領地を荒らすのは、何も他所から来たものばかりではなく、むしろ両親こそがインベーダーであったかもしれないし、両親にとってもそれまでの生活に突然加わった子供は、我が子ですらインベーダーだったのかもしれない。

『よそから来るものは悪ものである・・・・・、この感覚は、人に生来備わっているものだろうか。
 答えはともかくも、見慣れぬ様式は新鮮とは捉えず低級と捉える感覚は、地位を獲得した人に確実に備わる。
 新しい方法で攻められれば怯える。新しい感覚のほとばしりに怯える。
 この反応は、自分が獲得した地位への脅かしに対する敏感さでもある。
 敏感ゆえに、その怯えはヒステリックな攻撃になることもある。
 よそから来て領地を広げようとするものは、必然的に、前からそこにいる者の領地をインべードすることになる。
 とくに、前からそこにいる者たちの上層部の領地を。
 よそから来た者が、清く若き正義感だとは限らない。そのやり方は、往々にして荒々しく暴力的である。
 だが、前からそこにいる者たちもまた、典雅なる智者とも限らない。ヒステリックな防御と排泄に出ることもある。』

イクは''家''について繰り返し『その家の中のほんとうのことは、その家の人じゃない人からは、わからないことだよ』『家庭の実態は、そこに住まぬ者には見えない。見えるのはただ、窓から溢れる灯である』とも語っている。

''家''を起点にした内と外との区別もあるが、家の中にあっても、そこに住まう人の心には明確に内と外の区別が生じる。
主人公イクは子供時代から、内と外の区別を何層も重ねて心をガードしてきたのかもしれないが、その真ん中に昭和という時代と犬がいたことにより、不惑を超えた時『今日まで、私の人生は恵まれていました』と自らを肯定できる人となる。
その、しみじみとした感慨が、年の暮に何故か私の心に沁みたのだ。

『自分はいい時代に生まれたと思う。
 昭和という時代には暗黒の時期があったのに、日当たりもよく溌剌とした時期を、子供として過した。
 ましてその昭和最良の時期にも翳りの部分はあったのに、その時期に子供でいることで翳りは知らず、
 最良の時期の最良の部分だけを、たらふく食べた。
 田んぼや畦道や空き地や校庭や野山や、それに琵琶湖のほとりの浜は、空想の中で変化自在の空間だった。
 正義と平和を、心から肌から信じられた。
 未来は希望と同意だった。』

姫野氏よりは若輩者だが昭和を知る人間としては、この感慨はよく分かる。
今年は戦後70年だったが、70年経たはずの今年ほど、70年以上も前の翳りの部分が蒸し返され年もないのではないか。
私が知る昭和は、戦後70年も経ていなかったにも拘らず隣国とここまで揉めてもおらず、むしろアジアの盟主とさえ呼ばれていることが誇らしかったし、高度成長とバブルの時代は、子供は頑張れば夢が叶うと思うことが出来る時代だった。
経済が全てではないが、国内総生産は右肩上がりでアメリカについで二位の時代を知る者としては、GDPが20位にまで落ち込み子供の貧困率が先進国で最低の状態にもかかわらず、懐古主義に陥っている現状を、かなり心配なことだと思っている。

日本には革命こそなかったが、大化の改新や明治維新そして第二次世界大戦後の躍進と、何度か国家的に大変貌を遂げている。
大陸から律令制度を取り入れ、欧米から西洋文明や民主主義を取り入れたりと、その時代に即した新しいものを柔軟に取り入れることで我が国が発展してきたことは歴史が証明している。
『よそから来るものは悪もの』であり、見慣れぬ様式は低級であり、それ以前に自分が獲得した地位を脅かすものである、として『ヒステリックな防御と排泄に出る』ばかりでは、進歩がない。

日本全土に防御と排泄の空気が蔓延している気がしないでもないが、やはり象徴だけあって、皇室にはそれが顕著に表れているのではないか。
雅子妃殿下が五か国語が堪能で外国文化に精通しておられることを「外国かぶれ」と叩き、雅子妃殿下や敬宮様の苦手なものを何年もかかって克服する努力や深夜まで勉学に励む刻苦勉励を「自分中心主義」だと叩いている。
これでは進歩がないのではないか。
雅子妃殿下が病に倒れられた頃から、早期の英語教育の弊害を説く風潮が席巻したが、それでどうなったか。
それまで順調に伸びていた海外留学人数は激減し、日本人の留学率はアジアの中でも低迷し、英語力ランキングでも水をあけられてしまった。その弊害が学術や経済の分野にも表れ始めるにいたり、今頃慌てて社内の公用語を英語にする企業が現れたり、超早期の英語教育へ舵を切ろうとしているが、失われた数年の影響はしばらく続くと思われる。

語学に堪能で海外文化に精通しておられる雅子妃殿下が生き生きと活躍される御姿や、その能力を培うためにどれほどの努力をされたかを正しく伝えることで、努力することの素晴らしさと努力が報いられる社会を示しておれば、今は違ったのではないかと思えてならない。

よそから来るものを、悪ものインベーダーと決めつけ防御と排泄にやっきにならず、柔軟に「時代に即した」変化を取り入れられれば、今のような袋小路に迷い込むこともなかったかもしれない。
雅子妃殿下の和歌における感性と語彙力の素晴らしさは師である歌人の岡野弘彦氏の折り紙つきであるし、書道は御成婚以来ライフワークともいえるほど研鑽を積んでおられるなど、雅子妃殿下は海外文化に通じておられると同時に日本文化を十分に体得されていたのだから、本来「海外かぶれ」というインベーダー扱いの批判は的外れであったし、何より皇太子様は歴史学者でもあられるのだから、守らねばならない根幹を守りながら、より持続的に発展できるための時代に即した在り方を模索されていたに違いない。

失われた20年となっているのは、日本だけでも雅子妃殿下だけでもなく、我々国民も同じである。
遅きに失しているとはいえ、過ちを改めるに憚ることなかれ、である。

雅子妃殿下は御婚約の会見で、プロポーズを受ける時のご自身の言葉を紹介されている。
『お受けいたしますからには、殿下にはお幸せになっていただけるように、そして、私自身も自分で「いい人生だった」と振り返れるような人生にできるように努力したいと思いますので、至らないところも多いと思いますが、どうぞよろしくお願い致します』

男児をあげれなかった一点で全てを否定され病に追い込まれ、病に倒れて尚バッシングを受け続けられる雅子妃殿下を表すれば「悲劇、これが私の人生」とでも云えようが、それではあまりに哀しい。
昭和という時代と日本文化と海外文化のなかで過された雅子妃殿下には、皇太子様と敬宮様と、いつも傍らにいるワンコたちと、及ばずながら心から応援している国民もいる。

イクのように『今日まで、私の人生は恵まれていました』としみじみ思える人生となって頂きたい。
御自身が希望をもって『私自身も自分で「いい人生だった」と振り返れるような人生にできるように努力したい』と語られたような、「いい人生」になって頂きたい。

古いものと新しいもの、伝統的なものと革新的なもの、日本的なものと外国的なもの、これらを兼ね備えられている雅子妃殿下が生きやすい世の中は、これからの日本にとり良い方向だと思っている。
歴史学者でもある皇太子様が、二律背反的に捉えられがちな価値観の中庸を見極め、時代に即した方向性に導かれることを、信じている。

皇太子ご夫妻が、「いい人生でした」と振り返られることが出来る世は、私たち国民にとっても「いい社会でした」と思えるものとなると、信じている。

皇太子御一家のお幸せを、心から祈っている。

参照、和歌の“相談役”が驚く「雅子さまの歌人としての素質」 URL  http://dot.asahi.com/wa/2013120500025.html

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ワンコの樽に満ちる祈り

2015-12-28 12:36:45 | ひとりごと
このところ’’祈り’’について書いてきたので、「祈りの幕が下りる時」(東野圭吾)にも一言触れたいが、この本は図書館で借りて読んだので曖昧な記憶しかない。
曖昧な記憶となっている理由の一つに、加賀恭一郎シリーズ独特の人間関係の複雑さもあるが、より後味の悪いものとして、「やむをえなかった殺人」が上手く描かれ過ぎているというものもある。
東野圭吾氏の作品には、例えば「さまよう刃」のように被害者家族の苦しみを書いて秀逸な作品もあるが、犯罪に至っても致し方ないという加害者側の事情とやらを描くことも多く、しかもそれが人の心の琴線にふれる筆致で書かれるものだから、つい納得しそうになる。が、どこかで納得できない感が残るので、腑に落ちないモヤモヤが曖昧な記憶になってしまうのかもしれない。

本書では、殺人事件の捜査の過程で、加賀シリーズで謎とされてきた加賀刑事の母親の失踪理由とその後の足取りが明らかになる。が、その殺人事件の関係者もまた母の出奔に苦しみ、それが事件の根本原因であるため、加賀的視点で読めば「やむをえなかった殺人」になりかねない。
母出奔のあと、娘の幸せをひたすら祈る父と、父の最後の願いを叶えようとする娘。それぞれの祈りと願いのためなら手段を厭わない二人を、同じく母の失踪に苦しむ刑事が追うので、読者としても感情移入が複雑になるのだ。
事件関係者の父も加賀の母も、命尽きる瞬間まで我が子の幸せを祈っている。その祈りは、あの世へ旅立つことによってのみ幕が下されるというほど重く切ない。だが、それほどの父の祈りを受けた娘が父の為に最後にとる手段は哀しく、本の帯にもなる娘の「悲劇なんかじゃない これが私の人生」という言葉には、父が思い描いた幸せな娘の姿は、ない。

親が子の幸せを祈るのは有難いし美しいが、我が身を犠牲にしてまでの祈りは、どこかに歪みが生じてくるのかもしれない、と作者の思惑とは掛け離れているであろう印象が残っている。
ミステリーでありながら人情味ある東野氏の作品。仮に人の心の襞を描いた真骨頂として本作があるとすれば、この私の印象は的外れなのだろうが、親子関係では「勝手に赤い畑のトマト」が良い具合と考えているので、仕方がない。

『親は子を育ててきたと言うけれど 勝手に赤い 畑のトマト』 「サラダ記念日」(俵万智)より

ところで、’’祈り’’とはほど遠い「勝手に赤い畑のトマト」(的)主人公が不惑をこえ、『今日まで、私の人生は恵まれていました』と語り物語を終える「昭和の犬」(姫野カオルコ)に再び出会った。
「昭和の犬」が直木賞を受賞した直後に読んだときには、よく分からなかったが、再読した折インベーダーという章の冒頭につかまり、しっかり読み返してみれば、ジワジワ伝わるものがあった。

『よそから来るものは悪ものである・・・・・、この感覚は、人に生来備わっているものだろうか。』とインベーダーの章は始まるが、主人公イクの心の領地を荒らすのは、何も他所から来たものばかりではなく、むしろ両親こそがインベーダーであったかもしれない。
主人公イクは5歳になるまで両親のもとでは育てられず、両親に育てられるようになった後も、理不尽な怒りを爆発させる父と、およそ母親らしい気遣いのない母との生活のせいで、早い段階から家について一家言もっている。
『その家の中のほんとうのことは、その家の人じゃない人からは、わからないことだよ』
『家庭の実態は、そこに住まぬ者には見えない。見えるのはただ、窓から溢れる灯である』
これは、シベリア抑留から帰還した父を持つ、イクの実感。
イクは父の理不尽な怒りを心から恐れてはいるが、シベリア抑留の記憶に苦しむ父が夜中に悪夢でうなされ飛び起きている事や、妻子には悟られまいとしている苦しい心のうちを飼い犬にだけは語っている事を理解し、子供ながらに気付かぬフリをしている。
気付かぬフリをしているだけでー父の理不尽な怒りの爆発を考えれば、それでも十分に優しいがー父の心の疵が癒えますようになどと祈りはしない。まして娘に対して母親らしい気遣いの一つもみせない母には相当の距離感を感じている。
だが、両親が年老い介護や看護が必要になったとき、娘イクは出来る限りの世話をする。
そして、その時々に出来る限りのことを頑張っている自分を「悪くない」と思ったのだろう、『今日まで、私の人生は恵まれていました』とつぶやくのだが、このイクの言葉は「悲劇なんかじゃない、これが私の人生」という言葉とはあまりにも違う。
その違いは何処から来るのか、イクは恵まれていた人生の真ん中に昭和という時代と犬がいたと振り返っている。

そのあたりについては、つづく

ところで、本書は「昭和の犬」というだけあって、作者が人生の半分以上を過ごした昭和という時代に共に過ごした犬たちのことが書かれている。
その中で印象に残ったのは、イクが昭和の犬ベーにクイズを出すところ。
『アルプスには遭難しはった人を助けるセントバーナードていう犬がいよるんや。その犬はな、首のとこに、小さい樽をさげとるの。ペー、クイズやで。樽には何が入っているでしょう』

我が家のワンコも、心に大きな樽をさげとるの。
我がワンコの心の樽にはブランデーならぬ祈りが満ちており、家族の心を助けている。
そんなワンコは、年末年始の休診を前に、元気を注入するためワンコ病院へ行ってきた。
体重は少し減少したが、毛艶もよくチッチの状態も悪くない。
良い年を迎えよう ワンコよ。
(参照、「岐路に立ち向かう叡智」

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オラシオンの幕は~つづく

2015-12-25 12:47:09 | 
’’祈り’’の言葉が印象的な本を思い返すと、昔読んで記憶に残っているものとしては「優駿」(宮本輝)があり、最近読んだものといえば「祈りの幕が下りる時」(東野圭吾)がある
この二冊を思い出しながら’’祈り’’を考えていると、家人がクリスマスプレゼントの交換で、打ってつけの絵本をもらってきた。
「クロウディアのいのり」(村尾靖子)
絵本なので直ぐに読めてしまうが内容は極めて重く、しかも私が長年大切にしてきた言葉に通じる手紙が綴られているので、胸がつまる想いがして不覚にも目頭が熱くなってしまった。
が、ここは順当に読んだ順番に従い感想を書いてみる・・・書いてみるが、「優駿」「祈りの幕が下りる時」は今手元にないので記憶に頼るものとなる。

「優駿」(宮本輝)
一頭のサラブレッドをめぐり、馬主関係者や厩務員や調教師に騎手など様々な視点から描かれる話だが、そこは競馬の世界だけに綺麗ごとだけではすまない人間模様が描かれていた。
ただ何年かぶりに「優駿」を思い出して浮かぶのは、オラシオン(スペイン語で’’祈り’’の意味)と名付けられるサラブレッドが生まれるときに牧場の息子が祈る姿と、純粋な祈りと人間の打算的な願いを背負ったオラシオンがオラシオン自身の意思で勝ちにいくため駆ける姿だ。
牧場の若き後継者となる息子はオラシオンが産まれる時、牧場のまわりの大自然に祈りを捧げる。サラブレッドほど人為的・作為的に命が作られ継がれてきた種は世界でも希だと思うが、その誕生を祈る対象が大自然である場面から物語が始まったので、非常に印象に残っているのだ。
「良い馬が生まれますように」という若き純朴な青年の敬虔な祈りから物語が始まったとして、そこは競馬の世界を扱うだけに綺麗ごと一辺倒にはいかないが、『馬は心で走る』という本書の言葉どおり、すべての祈りと願いを背負って駆けるオラシオン自身がその意思で勝ちによく場面も鮮明に記憶に残っている。
’’祈り’’という言葉は一見純粋な印象を与えるが、祈る側と祈られる側の関係性によっては多分に打算的な計算も混じり、やがて危険を伴いうる様については本書でも『期待が過剰すぎると、落胆は憎しみに変わる』と書かれている。
だが、純粋な祈りも、過剰な期待も打算に基づいた願いも、すべてを超越したところで、祈る側と祈られる側の想いが一致する時がある。
その集大成のようなオラシオンの走りが、この物語を爽やかにしているのだと思い出したことで’’祈り’’の意味を再認識している。
もちろん’’祈り’’には懐疑的な意見もあるが、私は決して’’祈り’’を否定的にはみていない。
だが、一方的な’’祈り’’ではいけないのだとも思っている。
’’祈り’’の対象の心に沿う想いを考えることこそが、真の’’祈り’’に繋がるのだと、今は思っている。

ところで、「優駿」にはもう一つ印象的な言葉がある。
『皐月賞は調子の良い馬が勝つ
 ダービーは運の良い馬が勝つ
 菊花賞は強い馬が勝つ』

競馬をしない私には、これが正しいのか一般的に知られた言葉なのかも分からないが、この言葉で思い出すのが皇太子様だ。
2014年6月1日、皇太子様は日本ダービーを観戦された。
この時、優勝した馬が2011年2月23日生まれだっただけでなく、その馬上の横山騎手も1968年2月23日生まれ・・・だけでなく馬のオーナーの前田幸治氏も1949年2月23日生まれだったのだ。
そして、この日観戦された皇太子様が1960年2月23日御誕生。
2月23日は日本一高い富士山の日でもある。
ダービーは、もちろん運だけでは勝てないだろうが、この日の馬には間違いなく’’運’’があった。
そして、この馬の名が、ワンアンドオンリー・・・唯一無二

2014年6月1日 日本ダービー 2月23日 日本一の日

皇太子御一家の御多幸を心から祈る誓いを新たにしている。

写真出展 ウィキペディア


蛇足ながら家人の歯性感染症もどき
はかばかしい改善はない。
薬の副作用で唾液が出なくなり、唾液の減少が菌の増殖に繋がり得るという負の連鎖も起こりつつあるが、掛かりつけ医の指示に従い抵抗力が戻ってくるのを待つしかないのか、祈るしかないのか。
今日が私の実質的な仕事納で慌ただしい1日でもあり、心配事もかかえて気忙しいが、こうして違う世界に想いを馳せることで(逆に)精神的にはゆとりを得ていると感じている。



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祈りの幕は~つづく

2015-12-23 23:53:21 | ひとりごと
家人が歯性感染症もどきで寝付いてから一週間、はかばかしい改善はないものの、悪化はしていないことをもって良しとしているが、相変わらずの丑三つ夜鳴きコーラスには参っている。
そんな沈滞ムードの家の空気を一変させるような御歳暮が届いた。
シーサイドプリンセス雅子様5本立ち、見事なシンビジュームだ。
実は我が家には既に、御成婚から間もない時期から大切に育ててきたシンビジュームの雅子様があり、今年も三本花芽が来ているのだが、新しい生きが良い株が増えるのは有難いし、思いがけない人がシンビジュームのマサコサマを選んでくれたのも嬉しい。

今日の感謝の気持ちを込め、今日という日のうちに記録しておくが、これから又ワンコのチッチのお世話に勤しみ、年賀状のラストスパートにかかるので、前回からの’’祈り’’について考え書くほどの余裕が今日はない。
ワンコよ今夜はコーラスのボリュームを下げておくれよ、と祈っている。

雑然とした我が家を背景にするより花の美しさが映えるのでhttp://www.hanazakari.jp/products/detail.php?product_id=124より写真を拝借している。

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のべつ幕無しの''祈り''

2015-12-21 23:38:33 | ひとりごと
「ワンコの夜鳴きをエールと受け留め」で、病気という究極の「わたくしごと」を、誰が読むとも分からない場所に書く矛盾について書いた。それは分かってはいるが、また書く愚。

家人の高熱も頭痛もおさまらない。
正常値は0.3以下で10を超えると入院治療が必要だというというCRPが7.5。
内科で点滴を受けつつ、歯科で嚢胞もどきの消毒を繰り返してはいるが、なかなか改善されない。
内科でも歯科でも、「菌の増殖をおさえる消毒と体力増強を同時にはからなければならないので、しっかり気長に頑張りましょう」と言われるが、本来ならば気長に頑張る患者の伴走をしてくれるはずの医師が、年末年始で休診になってしまう。
ワンコ介護もそうだが、不測の事態が生じれば家族それぞれが出来る限りの協力は勿論するが、それでもこんな時、医師でもない家族は究極的には祈るしかないと思うのだが、「祈る」という言葉を安易に用いるべきではない、という意見を耳にしたことがあり、それは長年私の心に引っかかっていたので、「祈る」ことを考えてみる。

これからの時期、「御健康を祈る」「御活躍を祈る」「御多幸を祈る」これらの言葉は巷に氾濫する。
そう、年賀状である。
あれは、もはや定型文であり、確かに印刷された「祈る」の文言に真実味を感じることは少ないが、それでも一言添える直筆のメッセージの結びに私は「~を祈っています」と書いてしまう。
敬虔な信仰を持ち合わせているわけではないので、沐浴潔斎して祈るわけでも、断食して祈るわけでも、洛中洛外大回りをして祈るわけでもないが、メッセージに「御多幸を祈る」と書くその時には間違いなく相手の幸せを願っていて、これ以外に書きようがないと思う自分は、発想と真実味が足りない人間なのか。
「サラダ記念日」(俵万智)には、『手紙には愛あふれたりその愛は 消印の日の そのときの愛 』とあるが、消印の日の、その時の祈りではダメなのか?
年賀状の準備が脳裏をかすめながら家人の回復を祈っている私に、気になる記事があった。

<「清志郎いないのが悔しい」坂本龍一、音楽と政治語る> 朝日新聞2015年12月14日11時32分より一部引用
URL http://www.asahi.com/articles/ASHDC34QBHDCUEHF003.html
――パリ同時多発テロの際、テイラー・スウィフトやファレル・ウィリアムスら、多くのミュージシャンが「Pray forParis(パリに祈りを)」などとツイートしました。坂本さんは9・11米同時多発テロの後に出した対談集『反定義 新たな想像力へ』で、「ぼくが嫌いなのは、“祈り”です。祈れば平和がくるみたいなことをいう人がいるけど、そんなものは何にもならないです」と話していましたね。
(坂本氏)パリのテロの後、宗教指導者のダライ・ラマ法王が「いまは祈る時間ではなく、考える時間だ」という趣旨の発言をされていると知って、すごいなと思いました。宗教指導者なんだから、普通は「さあ祈りましょう」と言うのに、言わないんですよ。祈ってるだけじゃダメなんだ、考える時なんだって。ガツーンときましたね。
――以前からの坂本さんの主張とも重なります。
(坂本氏)僕も自分の公式フェイスブックで、あえて「Pray for Paris」ではなくて、「Pray for Paris and Other Places (パリとそのほかの場所へ祈りを)」と書きました。
パリのテロの前日に、ベイルートで40人以上亡くなっています。アラブ、アフリカも含めた世界中で、たくさんの人たちが毎日のように犠牲になっている。なのに、パリだけみんなで祈りましょうっていうのは、命の価値って違うわけ?っていうことでしょ。そんなことはないはずです。
パリの犠牲者がどうでもいいということではなくて、パリの犠牲者を悼むのなら、同じようにアフリカやベイルートやシリアの犠牲者も悼まなきゃ、おかしいじゃないですか。
それこそが「祈る」だけじゃなくて、「考える」ことになるんだと思う。もっと言えば、そういう犠牲者が出ないためにどうしたらいいか、何ができるかっていうことも当然考えないといけない。そこが大切ですよね。


ここにも’’祈り’’というものに懐疑的な人がいる。
気になりパリのテロについて書いた「自由 平等 博愛」を見ると案の定・・・私は書いてるんだな、これが、『フランスのかなしみに心を寄せて、入り日の方角へ祈りを捧げる、夕刻である。』、と。
せめてもの救いは、ただ祈るだけでなく、フランス大統領がこのテロを「世界中で守っている価値に対する戦争行為だ」と位置付けたことから、『心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ』という「星の王子様」(サン・テグジュペリ)の言葉を思い出し、自分なりに考えたことだろうか。
しかし、だからといって自分に何が出来るかということまで考えることはなく、ただ祈っているだけの、私。

やった者勝ち言った者勝ちの傍若無人が大手を振って歩いている世の中に一矢報いたい、誰に理解されなくとも評価されなくとも誠実に懸命に生きる人の幸せを祈りたい、ただ一人こっそり祈るのではなく、応援の声をあげたい、という思いで文章を綴っているが、応援の言葉の結びは「祈っている」になる、私。
祈るしかないこともある、と開き直りながら、「祈る」ことについて考えている・・・つづく、かもしれない。

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