何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

千日感謝行

2017-10-31 20:15:50 | ひとりごと
今日は、2015年2月4日に初めてココ「何を見ても何かを思い出す」を書いてから1000日目の日だというので、初心を思い出すべく(恥ずかしながら)記念すべき第一回目の文を掲載することにした。
人間は人間の未来だ
もう何年もの間、言った者勝ちやった者勝ちの傍若無人が大手を振って歩いている世の中で、このまま行きつくところまで行くしかないのかと半ば諦めてもいたが、さすがにこの一月、次から次へと......
最良のものは未来にあると信じ、頑張る人や好きな人を応援し 又 自らも最後には笑えるよう準備するために始めたブログだが、ブログを通じての出会いに救われ励まされていると感じることが多かった。


この1000日を振り返ると、ワンコが天上界へ引っ越してしまったことの喪失感がどうしようもなく大きい。
それは あまりに大きく今でもワンコを思わない日は一日としてないのだが、悲しみだけでなく笑顔でワンコを想う日が増えたのは、(ブログを通じて知り合った)お空組の先輩まるちゃんが、犬見知りの激しいワンコを優しく迎えてくれたと信じることができるからだ。「まるちゃん達お空組の教え」
今では、そのお友達の輪はニャンコや わんこの区別なく、地上にお空に広がり、楽しんでいると思えるのは、「小豆ちゃんママさんお手製の’’ホタテお粥’’を皆で美味しく頂いたワン」と喜びの報告を受けたことがあるからだ。「ニャンともワンだふるなお粥だワン」 
このようにブログを通じて知り合った わんこやニャンコとその御家族様のおかげで、どれほど救われたことかと思う時、「応援するためのブログ」と大見得を切って始めたものの、応援されることの方が多い1000日だったと、心から感謝している。
だからこそ、これからも一層、お空組と地上組の わんこ と ニャンコの幸せと、その御家族様の御多幸を、心からお祈りしていこうと思っている。

ワンコを想いながら拝んだワンコのお山のてっぺん

山を歩くと、一歩一歩の積み重ねが、見上げるような頂きにつながることが、よく分かる。

大切な誰かを応援する気持ちで私が綴る1ページは、小さな一歩かもしれないが、こうして「ブログ開始から1000日目」を迎えると、応援する気持ちの積み重ねが踏み台となり、応援している人々を上へと押し上げる力になってはくれまいか、と思えてくる。
そんな願いを込めながら、次の一歩を又歩き出そうと思っている。

感謝の気持ちと、応援の気持ちも新たに、1001歩へと、つづく

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連作 叫んだ場所が世界の真ん中になる(よう応援する)

2017-10-30 23:25:55 | 
「連作 命と言の葉と、応援と」 「連作 世界の真ん中で叫ぶのではなく」より

コメディタッチの妄想恋愛とドタバタ・スパイアクションもどきの展開で、読み進めにくかった「ロマンシエ」(原田マハ)を、最後には「今読むことができて良かった」と思わせたのは、『君が叫んだその場所こそが、ほんとの世界の真ん中なのだ』という一行に出会ったからだ。
だが、この言葉が これほど心に響いたのは、偶然メダカの命の選別をした格好となってしまったことが堪えたということもあるし、あまり好きではなかった花が突然 私好みの花をつけたからかもしれない。

そのメダカ
水槽の水を2~3日に一度、三分の一程度ずつ汲み置きの水と交換しているおかげか、狭い水槽ながら皆 元気にしてくれている。
が、庭の睡蓮鉢は、季節外れの台風に二週続けてやられたせいか、元々いた主以外は、かなり打撃を受けているようで、申し訳ない。

なぜか私はゼラニウムがあまり好きではないのだが、ゼラニウムが好きな家人が家にない種類を見つけて買ってきては遠慮しいしい並べているのは、見て見ぬふりをしている。そんなことを何年も続けてきたところ、遠慮がちに置かれているゼラニウムが、家人いわく「こんな花ではなかったはず」という白い多弁の花をつけた。
この清楚で可憐な花に、心惹かれ、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を思い出した。

「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子)
本書を読んでいないので内容について云々するものではないが、この題名に’’諦め’’のような匂いを感じてしまったのは、私の国語力や情緒が足りないせいだろうか。
さすがにこの年になると、思うようにいかない事の経験は数知れず 嘆くことの方が多いのだが、それでも熱血スポ根が抜けきらぬせいか、「置かれた場所で咲きなさい」には、例えば「天命を待つ」の前に当然あるものが抜け落ちているのではないか?という思いが強かった。
勿論、死力を尽くし努力しても、報われないことが多いことは痛いほど知っているのだが、たとえ其れが不運による場合でも、不運を嘆けど、’’運’’を引き寄せられるほどの努力ではなかったのだ、とグジグジ悩み反省するのが私という人間だ。
だが、LGBTに悩む本書の主人公・美智之輔の苦悩を読めば、努力ではどうにもならないことがあるのだと、よく分かる。

私があまり好まないせいで、家人が庭の隅に遠慮しいしい並べていたゼラニウムが、まさか美智之輔のように『どんなに頑張ったって、結局、誰にも理解してもらえないし、自分を殺して生きていくしかないんだなって・・・世界の末端の日の当たらないところで、生きていくしかないんじゃやないかって。そんな思いが、ずうっと胸の深いところにあるんです。太陽をいっぱに浴びて、まっとうな世界の真ん中でのびのび生きている~略~人の隣の立ち位置は、どうあがいても手に入れられないんだって・・・最初から諦めてたんです』などと思っていたはずはないが、この美智之輔の慟哭に、ハルさんがかけた言葉に心うたれている時に咲いた白い可憐なゼラニウムには、強く感ずるものがあったのだ。
それとも、思いがけず咲いた白く可憐なゼラニウムに心打たれていたから、ハルさんのこの言葉が殊更胸に沁みたのだろうか。(『 』「ロマンシエ」より)

『君が生きている場所、そこは、決して世界の端っこなんかじゃない。
 君が叫んだその場所こそが、ほんとの世界の真ん中なのだ。』

・・・・・「置かれた場所で咲きなさい」、この本も近々読んでみたいと思っている。

そしてもう一つ考えさせられたのは、叫びたくなるような熱いものを秘める人への応援の仕方についてだ。
ハルさんは、『君が叫んだその場所こそが、ほんとの世界の真ん中なのだ』と励ますだけでなく、美智之輔のアートを通じた叫びが世界に届くよう、全力で応援する。
私はというと、旧制中学の伝統を継ぐ応援団で大声でがなっていた当時から、頑張る人 好きな人を応援することが、性に合っていることは、確かだ。
だが、人生を応援するということは、夏の地方大会を応援するというような、真っ直ぐで分かりやすいものではない。
心をこめて応援しても、それが相手が望むことと一致するとは限らないし、仮に一致していて願いが叶ったとしても、人生というスパンでみたとき結果的に良かったと云えるか否かは、分からない。
そんなことを考え始めると、何をどう応援したら良いのか迷うことも多くある。
だからこそ、’’君の叫び’’に真剣に耳を傾けなければならないのだと、本書によって改めて気づかされたのだ。

このところの鬱々とした気分の季節が少し動き、また新たなステージで自分も頑張りながら、頑張る人や好きな人を心をこめて応援していこうと決意しつつある今、本書を読めたことは、良かったと思っている。

ところで、本書を読みづらいものとしていた、(私にとっては)軽妙というよりは軽薄とも思えるコメディタッチの恋愛妄想セリフに意味があったのだと、最後の一行で気付かせる手法は、なかなか巧いと思われる。
そのヒントであり答えは、「ロマンシエ」


無粋な追記
本書は、作家であるハルさんが、美智之輔の辛い恋愛を、涙と笑いとロマンス溢れるラブコメディに仕立てたモノという設定。
そのタイトルは、「ロマンシエ」

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連作 世界の真ん中で叫ぶのではなく

2017-10-29 12:00:00 | 
「連作 命と言の葉と、応援と」より

難解でもなければ長編でもないにもかかわらず、どうにも読み進めにくい本を読んだいた。

原田マハ氏の本には、「楽園のカンヴァス」「暗幕のゲルニカ」などキュレーターであることを生かした素晴らしい作品があるだけでなく、愛犬への鎮魂の気持ちを込めた「星守る犬」を始め様々なジャンルの本があり、それぞれ有難く読むことが多いのだが、何冊かに一冊、どうにも感想が書き難いものに出会ってしまう。
今回も、そういった本の一冊かと思いながら読んでいた。
「ロマンシエ」(原田マハ)

主人公・遠明寺美智之輔(おんみょうじ みちのすけ)は、祖父が与党幹事長 父が党役員を務めるという政治一家の遠明寺家の一人息子で、将来政治家になることを期待され、与党幹事長の娘との縁談も持ち上がっているのだが、彼には幼い頃から両親に言えない秘密があった。
それは、彼が幼い頃に好きだったのは、お姫様の絵を描くことであり、お人形遊びであり、フリルいっぱいのミニスカートであり、長じて恋心を抱いたのが男子だったということだ。
そんな彼が、同じ美大の男子生徒への思いを断ち切ると同時に 父が勧める見合いを断るために、憧れのパリに留学する、という場面から始まる物語。
パリでは、美智之輔自身も愛読者であった世界的人気作家 羽生光晴(はぶみはる・通称・ハルさん)に出会った縁で「idem」というリトグラフ工房に出入りするようになり、美智之輔の美術の幅が広がるという面白さもあるし、絵画の美智之輔と小説のハルさんを通じ、ジャンルは違えど創造することの難しさと喜びを感じさせる(軽めの)芸術論もあるので、そこに美智之輔のLGBTに起因する悩みがそこはかとなく織り込まれていれば、深みのある読み物になるだろうに、数行に一回という割合でコメディタッチで美智之輔の妄想が描かれるだけでなく、下手なスパイ・アクションドラマのような場面まで出てくるので、読み進めるのが苦痛になってしまったのだ。
だが、諦めずに読んでいくと、最後の最後で心をうつ言葉に出会えたのだ。

『君が叫んだその場所こそが、ほんとの世界の真ん中なのだ』(『 』「ロマンシエ」より)

これは、大学時代から憧れていた男子生徒と決別しなければならない苦しみを叫んだ美智之輔へ、ハルさんが掛けた言葉だ。

美智之輔『ごまかすことが、自分にとっては・・・生きていく上で、どうしても必要なことだった』『どうにか世界の端っこにすがりついて、ごまかし、ごまかし生き延びてきた』という。
『どんなに頑張ったって、結局、誰にも理解してもらえないし、自分を殺して生きていくしかないんだなって・・・世界の末端の日の当たらないところで、生きていくしかないんじゃやないかって。そんな思いが、ずうっと胸の深いところにあるんです。太陽をいっぱに浴びて、まっとうな世界の真ん中でのびのび生きている~略~人の隣の立ち位置は、どうあがいても手に入れられないんだって・・・最初から諦めてたんです』

この美智之輔の慟哭に、ハルさんは「自由になりなよ」と言う。
「(アートを選んだ理由は)自由・・・に、なれるから」という美智之輔に「自由になりなよ、自分に素直に、自分の気持ちを自由にすること、叫びたいなら叫ぶこと」と言う。
そして、こう語りかける。

『君が生きている場所、そこは、決して世界の端っこなんかじゃない。
 君が叫んだその場所こそが、ほんとの世界の真ん中なのだ。』

美智之輔とハルさんにとって大切なリトグラフ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95


コメディタッチの妄想恋愛と、ドタバタ・スパイアクションもどきの展開で、読み進めるのが苦痛だった本書だが、最後の最後で「今読むことができて良かった」と思わせた理由や、軽妙というよりは軽薄だと思われた筆致に理由があったと最後の一行で分かった面白味などは、又つづく




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連作 命と言の葉と,応援と

2017-10-27 21:00:00 | 自然
難解でもなければ長編でもないにもかかわらず、どうにも読み進めにくい本を読んだいた。

この作者には、記憶に残る素晴らしい作品がある一方で、時々なんとも共感のポイントが掴めない作品もあるので、これもそんな一冊かと思っていたのだが、投げ出さずに最後まで読んだ後には、少なくとも今の私には良い本だったと思っている。

そう思う理由は二つあるが、その一つが、先週から水槽で飼い始めたメダカにある。

先週 突然我が家で暮らすことになった大量のメダカ。 「ワンコへの愛の手紙&歌」
さほど大きくない水槽に押しこめられ我が家にやって来たので、このところの冷え込みを気にしつつも、とにかく元気そうで大きそうなものを何匹か庭の睡蓮鉢に放した。
だが、環境の変化に慣れる間もなく、台風による大雨にやられ、放したうちの何匹かが生き残ることができなかった。

一方、睡蓮鉢に移されず残ったメダカたちは、更に二つの水槽に分けられ、室内に置かれるようになったのだが、この子たちは狭い水槽の中ながら元気にスイスイ泳ぎ、たった一週間にも拘らず心なしか大きくなったような気さえする。

あの時、庭の睡蓮鉢に放したメダカと、室内水槽に放したメダカ。
どちらを優遇したつもりもなく、どちらも元気に生きて欲しいと思い、住む処を分けただけにも拘らず、一方は弱り もう一方は元気にやっている。
とりあえず その’’選別’’やら’’排除’’やらをした格好になっている私としては、そこに他意も悪意もなかったのに、小さな命に大きな差が生じてしまったことから、存外 人の運命も一生も このようなものでしかないのだろうという思いに至り、少しばかり かなり落ち込んでいた。

そんな時に読んでいた本が、なんとも読みづらいものだったので一層イライラとしていたのだが、その本の最後になり良い言葉に出会うことができたのは幸いだった。

『君が叫んだその場所こそが、ほんとの世界の真ん中なのだ』

この言葉が記されている本のタイトルを挙げないまま引用することが御法度であることは承知しているが、忙しい現在その本については連作として「続く」とすることでご容赦願いたいと思っている。
そうまでして今日これを記しているのは、今日から又チェロの音色が響き始めたからだ。
小さな音(言葉)は、大きな音にかき消されるかもしれないし、遠くまで聞こえないかもしれないし、そもそも聞く耳を持たない者には届かないかもしれないが、音を発することを諦めず、自分の音を奏で続けていれば、そこが世界の真ん中の一つになると、私は信じたい。「青に響くチェロの言の葉」

小さな命は自分で居る場所を選ぶことはできないが、いや自分の居たい場所に居ることができる命は少ないのかもしれないが、そこで頑張り続ければ、そこが命の世界の真ん中の一つになると、思いたい。

そして、そんな命と頑張りを応援し続けたいと思う、それについては又つづく

突然変異?のゼラニウム

どういうわけか私は、あまりゼラニウムが好きではない。
だが、ゼラニウムが好きな家人は、家にない種類を見つけて買ってきては、遠慮しいしい並べている。
そんなことを何年も続けてきたのだが、つい先日 家人いわく「こんな花ではなかったはずだ」という白い多弁のゼラニウムが突然咲いた。
この白いゼラニウムの花が、なぜか私の心の琴線に触れた。
そのあたりについても、又つづく











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ワンコのPurpose & 役目

2017-10-23 18:00:00 | ひとりごと
「ワンコへの愛の手紙&歌」 「愛という名のワンコ」より

今月のワンコお告げの本は又また猫ちゃんの本だったね ワンコ
「ブランケット・キャッツ」(重松清)

本書は、生まれた時から馴染んだ毛布と一緒に二泊三日レンタルされる猫の話だということも、
短編七編のうち六編が、レンタルする側の視点で描かれているのに対し、
一編だけレンタルの途中で役目を放棄した猫の視点で書かれているということも、
その話から、思い出した本があることも、「愛という名のワンコ」で報告したよね ワンコ

レンタル猫という役目を放棄した猫タビーは、
体の奥の奥から聞こえてくる声に従い、新たな本当の役目を果たすんだよ
それは、両親の離婚で、親に見捨てられたと思う兄妹(サトルとエミ)に寄り添い励ますことなのだけど、
その時、タビーが心のなかで兄妹にかける言葉の、真実と愛に裏打ちされた厳しさに、
まだまだ甘ったれの私は、ハッとしたんだよ ワンコ   (『 』「ブランケット・キャッツ」より引用)

『みんなひとりきりなんだよ。一人で生きていくんだ。
 人生が長い長い旅なら、その旅は、やっぱり一人旅なんだよ。
 親友だって、夫婦だって、親子だって、いつかは離れ離れになってしまうんだ』
『ニンゲンだって、猫だって、この世に生きとし行けるものはすべて、結局は一人きりなんだ、と思っていた。
 いま気づいた。
 ひとりきりと、ひとりぼっちは、似ているようで違う。
 誰かと一緒にいたいのに、一人になってしまうのが、ひとりぼっち-
 エミちゃんだって、一人きりの人生を歩んでいく。
 だが、それは、ひとりぼっちの人生であってはいけない』

タビーの応援の甲斐あって、兄妹が新たな道を歩み始めた時、
タビーは、内なる声に問いかけるんだよ
『ちゃんと役目を果たせたかなぁ』

これを読めば、私がどの本を思い出したか、ワンコには分かるだろう

タビーはね、優秀なレンタル猫だった時から、体の奥の奥から聞こえてくる声があったんだよ
その声は、タビーにこう言うんだよ
「本当の自分、本当の居場所を取り戻せ」
『幼い旅人に寄り添え、幼い旅人を守れ、それが俺たちの役目だったんだ』

ねぇワンコ、以前お告げしてくれた「A Dog's Purpose」(W.Bruce Cameron)は、
「人生に目的を見出し その目的を達成するために生まれ変わるのは、犬だけだ」と書いていたけれど、
本書のおかげで改めて、猫ちゃんも大切な役目や目的を内に秘めていることに気付かせてもらえたし、
本書のおかげで、「A Dog's Purpose」を思い出すことができたし感謝だよ
そのおかげで、少し前から日本でも「僕のワンダフル・ライフ」が放映されていることにも気付いたんだよ
これって、やっぱりワンコの仕業なんだろう ワンコhttp://boku-wonderful.jp/
’’キャッツ’’のお話で、わんこの目的の本を思い出させてくれたんだから、
ねぇワンコ ワンコもその心づもりだんだろう?
ワンコの目的や役目や いる場所は、我家で家族と過ごすことなんだから、
必ず戻ってくるんだよ ワンコ
「ワンコ'purpose 相棒」 「永遠に相棒だよ ワンコ」

ところで本書には、タビーのことを「この野良ネコは忠犬ハチ公よりすごい」という大人のセリフがあるんだよ
これに、野良猫という響きが嫌なエリちゃんは『ペットじゃなくても、友達だもん!』と反論するのだけど、
エリちゃんの言葉で思い出される少女がいらっしゃるんだよ
ねぇワンコ 私が何方を思い浮かべているか分かるだろう
野良という言葉を決して用いず、「保護された犬・猫」と表現され、
「動物の殺処分がなくなることを願う」と初等科卒業文集の「夢」に記された少女だよ「神聖な御力とともに」
少女は、すべての命を慈しむ、唯一のお姫様でありながら、
ご自身は女の子であるために、命すら軽んじる扱いを受けてこられたんだよ
昨日我が国は、新たな節目を迎えたけれど、
少女の命や尊厳が、性別に関係なく尊重される世がこないことには、明るい未来は開かれない
だからこそ、
敬宮愛子様の命や尊厳が尊重される世になるよう、日本と敬宮様を応援していこうと思っているんだよ
それを、応援しておくれ ワンコ


注、
「A Dog's Purpose」(W.Bruce Cameron)(「野良犬トビーの華麗なる転生」(青木多香子))

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