何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ぜんぶ、山 ⑧

2018-10-25 12:00:00 | 自然
「ぜんぶ、山①」 「ぜんぶ、ワンコ 山 ②」 「個々の累積の個々が全部 ③」 「ココは全部、山 人生④」 「ぜんぶ、同じ花⑤」 「続 ぜんぶ、山・槍 ⑥」 「ノーベル賞受賞者に出会った山⑦」

8月12日早朝、槍沢ロッヂを発ち槍ケ岳をめざした今年の夏山。

帰宅早々その記録を始めたのは、初めての「命からがら、間一髪」な経験に興奮冷めやらぬという状態だったからだが、その後 とびとびにしか記録できず、今に至ってもまだ完結していないのは、もちろん猛烈に忙しいということもあるが、結論からいうと、濃霧のせいでまともな写真が撮れなかったという事と、山pの体調不良もあって登頂が叶わなかったという事もある。だが、SDカードに不具合が生じたことからデジタルものの脆さも体感し、個々の感想はともかくも記録だけでも急ごうと(←何を今更!)思っている。

森林限界を超えると日差しを遮るものがないので、晴天よりは少し肌寒いくらいの曇天の方が歩きやすいことは確かで、この日もそこそこ快調に飛ばしていたのだが、殺生分岐のあたりから、吹き飛ばされそうな風が吹いてきた。

吹き飛ばされそうな風のなか脳裏に浮かんだ「岳 みんなの山」(石塚真一)のある言葉が、今また強く心に迫ってくる。

『なんでだろうね
 追い風には
 押されればいいし
 向かい風には向かえばいいけれど、
 突然吹く横風に
 簡単に飛ばされちゃうんだな
 どうしても』(「岳 みんなの山」より)


初めてこの言葉を読んだのも、たしか山小屋でのことだった.
その時は「人生という山歩き、向かい風の往なし方は多少覚えたかもしれないが、追い風なんて有難いものに出会ったことはないな」と独り言ちたものだが、今は突然吹くという横風が気になって仕方がない。

それは、夏以降、突然の病に倒れたり、思いがけない事で苦しみもがいたり、戦列を離れたりする人が相次いでいるのを目の当たりにしているからかもしれない。

人の命は永遠ではないし、避けることのできない悲しみや不運に見舞われることもある。まして、ズルとインチキの言いたい放題やりたい放題が大手を振って歩いている この世ではストレスばかりが溜まってしまう。
私の目には、誠実ないい人ばかりが苦労を背負いこんでいるように見えるので、安易に「前向きにいこうよ」などとは言えないが、それでも、人は意外と強いので大丈夫だ!と信じたい。

そう思わせてくれる言葉も「岳 みんなの山」にあった。

『人の身体は不思議でさ、登るのは簡単で、下るのはなぜか難しくできてるんだよね。
 ってことはだ、
 人ってのはたぶん上向きとか前向きにできちゃってんだろうなって』



数年前、快晴のなか歩いた槍への道(上の写真とほぼ同位置)




お山の話の完結編まで、あと一歩

君に我が肘を食べてもらいたかった

2018-10-23 19:37:05 | 
先日来カメラが壊れてしまったと思い込んでいたが、調子が悪かったのは実はSDカード。これはこれで問題なのだが、ともかく心機一転、新しいSDカードに初めて収めるものを何にしようか?と迷っていたところに迷い込んできた、バッタ。
夕食後居間で寛いでいる私の手首にとまりジッとしているバッタに、私が感じたものは・・・・・故に記念すべき第一号!

2~3年前から、猟奇的タイトルにもかかわらず、内容は高校生の純愛ものだという本が流行っていたのは知っていた。
話題の本はとりあえずチェックする私だが、さすがに もう高校生の純愛ものはナイな、と読まずにいたそれを、J君に勧められた。
見るからに乙女チックな表紙のその本は、明らかに年齢にも今の気分にもそぐわないのだが、脳味噌が筋肉質化しているJ君がせっかく勧めてくれた本なので、「食べたい」のが何故に心臓でもなく肝臓でもなく膵臓なのか、という興味だけで読んでみることにした。

「君の膵臓を食べたい」(住野よる)
本の帯より
『ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。それは、クラスメイトである山内桜良が密かに綴っていた日記帳だった。そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて——。読後、きっとこのタイトルに涙する。』

「君の膵臓をたべたい」は、この意表をついたタイトルで先ず本屋さんの食指を動かせたのだと思うのだが(「本屋大賞」2016第2位)、なぜ「食べたい」のが膵臓だったのかという理由は、意外なことに、しょっぱなから明かされる。

昔の人は、体のどこかに悪いところがあると、他の動物のその部分を食べることによって その病気が治る(同物同治)と信じていたという。

残された時間を普通の高校生として過ごすことを望み、一番の親友にすら膵臓の病を隠していた主人公・桜良が、ひょんなことからその病気を知った<僕>に、言った言葉が、「君の膵臓をたべたい」というものだったのだ。
それは、桜良の余命がいくばくもないことを知る<僕>にすら、明るく振る舞う彼女が見せた、唯一弱気な内容だったかもしれないが、それすら冗談めかして扱われているほどに、本書は全編 病の影も青春の憂いも、伺えない。

ふつうなら、残された時間を懸命に明るく生きる姿は、却って悲哀を感じさせるものだが、’’死ぬまでにしたいことリスト’’を次々とこなしていく桜良のテンションの高い妙な明るさと、それに付き合う 一人で本を読むことを好む<僕>の独特の掛け合いに違和感を感じてしまうのは、私が今時の高校生を理解していないせいか、それとも作者の意図が巧く機能していないせいか、そこは最後まで判然としなかった。

だが、だからと云え、本書や作者に興味を持たなかったわけではなく、寧ろ随所に共感を覚える’’感覚’’があり、住野氏の他の作品を読んでみたいと今は思っている。

本書は先ず実写化され、現在はアニメ化された映画が公開されているので、内容を詳細にすることは控え、共感のツボを断片的に記しておこと思う。(『 』「君の膵臓をたべたい」より)

共感のツボの一番は、何といっても、わんこと本屋。

明日をも知れない命だというのに、「今までで一番つらかったことは?」という問いに、『ずっと一緒にいた犬が中学生のときに死んじゃったことかな』と答える、桜良。

デートの最中に「行きたいところは?」と問われ、「本屋」と即答する、<僕>。
『用事もなく本屋に行くのが好きなんだ』(注 僕)
『何冊もの文庫本の表紙を眺めたり冒頭を読んだりしていると、知らないうちに時間が過ぎていた。本が好きな人間なら理解できるはずの感覚だけれど、全ての人間が本好きなわけではない』

そんな<僕>が、『人に興味を持たないから、人からも興味を持たれないんだろうね。誰も損してないから、僕はそれでよかった』と言い放つほど偏屈な孤独愛好者であることは、同じく読書好きな私としては大いに気になるところだが、<僕>と同様に私も『言葉は往々にして、発信した方ではなく、受信した方の感受性に意味の全てがゆだねられている』『雨の日は嫌いではない。雨の持つ閉塞感が、僕の気持ちにそぐっている日が多くて、雨に対して否定的な気持ちにはなれない』と感じているのだから、私も相当に偏屈なのだろう。

また、度々登場する『意味のないことを言ったんだから追及しないでくれるかな』なんて言葉や『君に僕のフルーチェよりも固い意志が打ち砕けるのかな』なんて言葉を読むと、ちょうど本書の高校生と同じ年齢の頃に「私達の友情は、超薄切りハムより薄いな」などという意味も無い言葉でも大笑いできた日々を思いだすし、『死ぬまで元気でいられるようにってお願いしたよ』なんて言葉を読むと、それは最近の私の願望!と独りでツッコんでいたりする。

事ほど左様に、物語の内容とは異なるところばかりに共感しながら読んだのだが、一つだけ、描写としても美しく又ストーリーに深みを与える箇所がああったので記録しておきたい。

『桜は散ってから、
 実はその三ヶ月くらい後には
 次の花の芽をつけるんだよ。
 その芽は一度眠るの。暖かくなってくるのを待って、
 それから一気に咲く。つまり、
 桜は咲くべき時を待ってるんだよ。素敵じゃない?』

この、出会いや出来事を偶然のものとして捉えず’’選択’’として受け留める桜良の考えは、強い流れに逆らわず流れに任せる<草舟>を自称している<僕>を変えていく・・・と書きながら、このようなところが、本作が可塑性のある若者やJ君に支持された理由なのだろうかと思ったりしている。

というわけでだ、J君
最近あまり本を読むことができていなかった私に、新たな作家さんを教えてくれて、ありがとう

野球が不完全燃焼だったせいで、高校生活まで’’散った’’感を持っている君よ
もう君のうちには、咲く時を待っている次の花芽が息づいているんだよ

君が咲かせる花を一緒に喜び楽しめる日を、心から待っているよ


私の手首でじっとしているバッタにワンコを感じ、朝夕冷えてきた庭に放すことができなかった。
季節は容赦なく巡ってしまうけれど、次までの一時を、我が家で快適に過ごしておくれ バッタさん

ワンコからのメッセージ

2018-10-21 23:55:11 | ひとりごと
「ワンコの深い愛」より

今月のワンコお告げの本
「ボール犬ミッキー」(室積光・文 / 著 福岡構造・写真 / 著)

野球は大好きだけど、プロ野球に関心がない私なので、
この本が、たとえ 賢そうなわんこのお話だとしても、
カープのユニフォームをきた わんこの本をお告げしてくれた理由が、はじめは分からなかったけれど、
読み終えた時と、感想文を考えている今日と、二度ワンコの想いに驚き感動しているよ。
https://www.gentosha.co.jp/book/b1265.html


本書はさ、2005年4月に広島市民球場でデビューした日本球界初のボール犬ミッキーと、カープ2軍投手の語り合いで、物語が進んでいくんだよ
大観衆のなか審判のもとへボールを運ぶミッキーと、
一度も一軍で投げることなくプロ野球を去らざるをえない投手(ミッキーは「おにいさん」と語りかけている)

プロでは通じないことに苦しんでいるところに、たった一人の肉親である父が余命半年という宣告まで受け自暴自棄になっている おにいさん
そんな自暴自棄な おにいさんに向けられた(酒場で知り合った酔っ払いのおじさんの)言葉は心に響いたよ

『あんちゃん、頑張れよ。頑張らなきゃだめだ。
 おっちゃんもな、少し負けたんだ、自分にな。
 最初は少しだった。けど、どんどん方向がずれていってなあ。
 ほんの少し頑張らなかったら、それが取り返しのつかないことになるんだな』(「ボール犬ミッキー」より)

ねぇワンコ
「あんちゃん」って語りかけられたら、私がビビビと来るのは分かってるんだろう
なぜだか不思議なことに家族は、私のことを「あんちゃん」と呼ぶから、
この言葉は私に向けられたもののように思えたんだよ
だから、
これに続くページで、今度はミッキーが あんちゃん(おにいさん)に語りかける言葉は、
ワンコからの直接の叱咤激励のように思えたんだよ

『今頑張れることを頑張るしかないじゃないか』
『こんなふうになりたいとか、こんな状態でありたい、なんてのは余計なことだよ。
 今あることを受け入れるんだよ。~略~
 逃げられないよ。変えられない。
 おにいさんのやるべきことをやり続けることだと思う。』

ねぇワンコ
この言葉は、過去の失敗や自分の能力に落ち込みながら、それでも密かな目標を捨てきれず、
身動き取れない気持ちになりがちな私への強烈な一撃のように感じたんだよ

でもさ、ワンコ
最近のあんちゃんは少しばかり頑張っているだろう
たしかに道は違ってしまっているけれど、
考えようによっては、方向はあながち違っているわけではないよね ワンコ
時には、あんなふうになりたかった、と思うこともあるけれど、
とりあえずは今あることを受け入れて、
今のあんちゃんは、
今頑張れることを頑張ってはいるだろう?

そんな風に思わせてくれるこの言葉はワンコからの贈り物だろう

『仕事というのは他人を幸せにするためにするんだ』

ねぇ、これが「ワンコの深い愛」で書いていた使役犬に対するワンコからのメッセージだよね
ねぇ、これがワンコからの私へのメッセージだよね

だから、当初の道とは違うけれどこの道で、
方向性だけは間違えないように、あんちゃんは頑張るよ ワンコ

でさ、J君だけど
肘を痛めて二年の夏からはまともに投げられず、ベンチにすら入ることもできないまま、
・・・彼の野球は終わってしまったよ
優秀だっただけに、野球一色の生活は、彼のいろんな可能性を奪ってしまったように思えて、
かける言葉もなく、ただ見守るしかなかったのだけど、
自分で乗り越え、今朝「今できることを全力で頑張る!」と言ってくれたんだよ ワンコ
 
ねぇワンコ
ワンコは、この感想文を書く今日という日が、こういう日になるということにまで思いを巡らせていたんだろう
ワンコの相変わらずの神通力には驚かされるよ ワンコ

J君も私もね 
『今頑張れることを頑張る』から、ワンコ見守っていてね

追伸
野球が終わり、勉強をすればいいものを、
それまで出来なかったお楽しみを取り返すように、映画鑑賞や読書をしていたJ君の(天王山の)夏
映画と本で彼が堪能した物語については、いずれ書くかもしれない

ワンコの深い愛

2018-10-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコ 
ワンコが天上界の住犬となって、二年と9か月

寝転がり本を読む私のそばで寝転がるのが好きだったワンコらしく、
最近では、ワンコの日のための本をお告げしてくれるよね

だから、先日、家族に頼まれ行った図書館でふと目に留まった本も
すぐにワンコお告げの本だと、ピンときたけれど、
どうして、この本をお告げしてくれたのかは分からなかったんだよ

「ボール犬ミッキー」(室積光・文 / 著 福岡構造・写真 / 著)

本の帯より
『日本球界ワン&オンリーのボール犬
2005年4月に広島市民球場でデビューした、日本球界初のボール犬ミッキー。
大観衆の中、審判のもとへボールを運ぶ姿に、誰もが温かい拍手と声援を送り、ペナントれーずが進むにつれて人気は急上昇。
ミッキーの登板日には、観客数が2000人以上も増えるようになった。
一躍、広島の人気者となったミッキーと、その活躍をテレビで眺める広島カープ2軍投手との心の交流を描いた、勇気と感動のフォトストーリー。』
  
https://www.gentosha.co.jp/book/b1265.html

ワンコは、私があまりプロ野球に興味がないことは知っているだろう
だから、かわいい わんこの写真が表紙を飾っているとはいえ、
カープのユニフォームを着た わんこが主人公らしき本を、どうしてワンコが勧めるのかと訝しく思い、
実はすぐには読んでいなかったんだよ

それを読む気になったのは、このニュースから、使役犬という観点について思い出したことがあるからなんだよ

<ファシリティードッグ>子供の闘病支え9年 ベイリー引退> 毎日新聞10/17(水) 7:00配信より一部引用
病気の子供に寄り添う日本初の「ファシリティードッグ」として、神奈川県立こども医療センター(横浜市南区)に「常勤」してきた10歳の雄のゴールデンレトリバー「ベイリー」が16日、高齢のため引退した。手術室までの移動に付き添ったり、ベッドで添い寝したりと約9年にわたり、延べ約2万3000人の子供に関わってきたベイリー。闘病を支えられたという親子から、感謝の声がたくさん寄せられた。
◇「引退式」に50人以上が参加
16日に同センターの体育館で開かれた「引退式」には、ベイリーと関わりがあった親子ら50人以上が参加。入院中の子供は、点滴をしながら車椅子で駆けつけた。
子供たちを代表してスピーチした横浜市の安田結さん(10)は「私はベイリーと6年くらい一緒にいて、友達だった。つらいときにベッドで一緒に寝てくれた」などと話し「おつかれさま。ありがとう、ベイリー」と締めくくった。
病院関係者からも「子供たちが安心して手術室に向かえるよう寄り添ってくれて、大きな支援になった」「子供たちは厳しい毎日を乗り越える力をもらえた」と感謝のスピーチが続いた。
会場に設置されたボードには、親子からのベイリー宛ての手紙が掲げられた。「ありがとう」という言葉と共に成長を伝える手紙のほか、闘病の末に亡くなったことを報告する手紙もあった。
◇手術室への同行から「みとり」まで
ファシリティードッグとは、「ハンドラー」と呼ばれる看護師ら臨床経験のある医療従事者とペアになり、医療チームの一員として働く犬。短時間の訪問が主の「セラピードッグ」とは異なり、病院に「常勤」して長期入院する子供らに寄り添う。
ベイリーは平日、散歩して朝食を食べた後、午前9~10時にハンドラーの看護師、森田優子さん(37)と一緒に「出勤」。10時から午後4時まで、病児の手術室までの移動や麻酔が効くまでの付き添いのほか、歩行リハビリテーションへの同行、最期のみとりの同席などの「業務」にあたってきた。1日に訪問する病児は平均10~20人。休日はドッグランや水辺などに出かけ、「犬らしく」過ごしてきた。
◇病棟の廊下しか歩けない世界の中で…
「約6年お世話になり、ベイリーには本当に、ありがとうと言いたい」。横浜市鶴見区の金村めぐみさん(39)は話す。
長男駿汰ちゃん(6)は0歳で脳腫瘍が見つかり、生後約6カ月の時から2年半にわたり同センターに入院した。3歳になる直前に退院したが、昨年末の検査で再発が判明。1月に再び入院し、退院時期はまだ決まっていない。
血が出るまで吐いてしまうような副作用もある抗がん剤治療、複数回の手術--。そんな入院生活の中で、ベイリーとの触れ合いが親子の楽しみの一つだった。視力が少しだけ残る左目で駿汰ちゃんはベイリーを追いかけ、手で触ると笑顔がこぼれた。
「病棟の廊下しか歩けないような狭い世界の中で、ベイリーに会えると駿ちゃんも他の子供たちも付き添う親も、本当にうれしそう。病気の回復にもきっと影響があるんじゃないかと思います」。めぐみさんはそう語る。
◇課題は認知度と資金
ベイリーは、ハワイで専門的なトレーニングを積んだ後、2010年から静岡県立こども病院(静岡市葵区)で2年半、神奈川県立こども医療センターで6年にわたって働いてきた。今後はハンドラーの森田さんと共に暮らしながら、体力的に無理ない範囲で「ボランティア」として病院内の図書館などで子供たちと触れ合う。
後任は昨秋に来た2歳雌のゴールデンレトリバー「アニー」だ。ベイリーと共に1年間働きながら、「仕事」を身につけてきた。
ベイリーらを導入してきたNPO「シャイン・オン・キッズ」(東京都中央区)によると、ファシリティードッグは欧米で00年ごろから試みが始まった。しかし、国内のファシリティードッグは、ベイリーを含めて2病院3頭にとどまる。普及が進まないのは、認知度の低さや資金面に課題があるためという。1頭あたりの初年度経費は年間約1200万円、継続運営費は年間800万~900万円かかる。きめ細かい研修や感染対策など管理費が必要だからだ。こうした経費は同NPOに寄せられた寄付金のほか、一部は病院側の負担で賄ってきた。
ベイリーのハンドラーをしてきた森田さんは「ベイリーが毎回処置に付き添ったり、亡くなる直前まで添い寝したりした子供の親御さんから、たくさんの感謝の声をもらっている。ベイリーの功績を次の世代に受け継いでいきたい」とファシリティードッグへの支援を呼びかけている。
https://mainichi.jp/articles/20181017/k00/00m/040/180000c

たしかにね、ワンコと一緒に暮らした日々を思っても、
この記事を読んでもね、
人は、わんこから愛をもらうばかりで申し訳ないな、とは思うけれど、
だからと云え、
役目や仕事を任されている犬を、私は「かわいそう」とか「虐待だ」とかは思ったことはないから、
山岳救助に携わる救助犬を真ん中においた「火竜の山」(樋口明雄)で、そういう発想があることに驚いたのだけど、
ワンコ on my mind 永遠に
いつもの本仲間が、この本を今勧めてくれたのは、やはりその日が近いからかもしれない。「火竜の山」(樋口明雄)本書は、山岳救助犬普及を目的とする講演のため岐阜県に来ていた山梨県警......

ワンコを念頭にとくと、やっぱり使役犬が「かわいそう」とは思えないんだな
「凍れる牙」(乃南アサ)で登場する犬の役目は論外だけど、
基本 わんこは、人のために働くのは嫌いじゃないと思うんだよ
というよりは、人と一緒に何かをすることを好きだし、
それで人が喜んでいたら、わんこもきっと嬉しいと思うんだけど、
それが、人間の自分勝手な思い込みではないだろうか?とも思っていたので、
ワンコお告げの使役犬(ボールを運ぶわんこ)の話をビクビクしながら読んだんだよ・・・・・

しかと胸に届いたお告げについては、次回につづくとして、

お告げ本「ボール犬ミッキー」を読む切っ掛けとなったニュースと同様、動物介在療法のアニマルセラピーとして活躍する元は保護犬の由莉ちゃんを、もう一度紹介しておくね
愛子様の深い愛
敬宮様の15歳のお誕生日に公表されたお写真の猫「セブン」をきっかけに、皇太子ご一家の家族のわんことニャンコが皆、迷い犬・猫や保護された犬や猫であることが話題となっているようだ。(参......


つづく

旅ワンコレポート 再び

2018-10-16 20:18:18 | ニュース
ねぇワンコ
一年前、ワンコがお告げしてくれた本が映画化されたのだけど、
そのチャリティー映画を、皇太子御一家が鑑賞されたんだよ

<福士蒼汰、皇太子ご一家と「旅猫リポート」鑑賞 猫トークで盛り上がる> 映画com10/16(火) 14:30配信より引用
皇太子ご夫妻と長女の敬宮愛子さまが10月15日、東京・丸の内ピカデリーで行われた映画「旅猫リポート」のチャリティ試写会にご出席された。ご鑑賞には主演の福士蒼汰をはじめ、メガホンをとった三木康一郎監督も同席した。
本作は、「図書館戦争」シリーズや「植物図鑑」などで知られる有川浩氏の同名小説を原作に、青年・悟(福士)が猫のナナとともに新しい飼い主を探す旅に出る物語。ご鑑賞前には、福士と猫のナナ、三木監督によるお出迎えがあり、皇太子ご一家がナナを撫でる様子もあった。
福士は「このような機会はなかなかないので、少し緊張しましたが、一緒に映画を鑑賞することができてとても光栄です」と感慨深げで、「愛子さまはナナやほかの動物が登場するシーンでは笑顔になられているような場面がうかがえました。皇太子妃殿下からは時折、笑い声も聞こえましたし、映画の終盤では、涙をこらえているようなご様子もうかがえました」と伝えた。
鑑賞後には「愛子様より『感動しました』とおっしゃっていただきました。そして、皆さんからは、ナナの猫の種類の話であったり、映画はどんな雰囲気の中で撮影したのかなど、ナナの話を中心にたくさんのご質問をいただきました。撮影の初めの頃は上手くいかないこともあり苦労したこと、それでもナナとの仲を深めていくうちに撮影を楽しめた思い出などを話しました」と明かした。
また、皇太子ご一家が飼っている猫セブンの話題にもなったといい、「お写真を見せていただきながらお話をうかがいました。そして飼われている猫のお名前が『セブン』と『みー』というお話をうかがって、愛子さまが本作の主演猫が『ナナ』なので、お互い不思議な縁がありますね、と話をしていただきました」と語った。

「旅猫リポート」は10月26日から全国公開。
https://eiga.com/news/20181016/11/
https://eiga.com/news/20181016/11/1/01/
旅ワンコレポート
    今年の六月 数年前の六月ワンコは時々、お勧めの本をお告げで教えてくれるだろう?20日には、その感想を書くことが多かったけれど、今日の本もやはりワンコのお告げだよね ワン......
ねぇワンコ
皇太子御一家が、この映画を御覧になったことで、
今、本書を改めて振り返ることができて良かったよ
特に冒頭の、
『僕は何も失ってない。ナナって名前と、サトルと暮らした五年を得ただけだ。
 だからそんな困った顔すんなよ。
 猫は我が身に降りかかった出来事は何もかも粛々と受け入れるんだ』
って言葉は、
ともすれば、失った悲しみや、失うかもしれないことへの怖れから、一歩も先に進めない私に、
ワンコと過ごした幸せな日々を「得た」のだということを思い出させてくれて、
なんだか力を得たような気がするよ

ところでさ、
敬宮様は、皇太子御一家が一緒に暮らしておられる猫ちゃんの名前が「セブン」で、
映画の主演ネコちゃんの名が、「ナナ」であることから、
「不思議な縁がありますね」と話されたそうだけど、
きっと敬宮様は、本書を読んでおられるのだと思うな
だって、「ナナ」が、奈々でも菜々でもなく、「7 ナナ」なのは
主人公のサトルが子供の頃に大切に飼っていた猫が「八 ハチ」だったことと、
ラッキー―’’セブン’’という願いを込めてのことだもんね
そんなネーミングの理由は、本書のなかで、けっこうシッカリ説明されていたもんね

笑いあり、涙あり、
涙のあとに温もりありの「旅猫レポート」
一緒に見に行こうか ワンコ

参照
「旅猫レポート」皇太子殿下、皇太子妃殿下、内親王殿下 映画をご鑑賞 特別試写会
http://www.astage-ent.com/cinema/tabineko-13.html