何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

時代に即した・・未来を!

2017-05-08 00:01:55 | ひとりごと
「ワンコの導き 鈴蘭の教え」 「持ちつ持たれつ堕落と利用」 「利用も狡猾もお互い様」より

昨年夏からの諸々により、この数か月混乱を露呈していた。「DOTCH」
朝刊の第一面で伝えられる内容が各紙異なっているかと思えば、それが昼には覆され、その混乱がまたニュースになったりと、話題になる度に権威が低下していく感があったのだが、年明けから一つだけ方向性が揺るぎなくなっていったものが、ある。
珍妙な呼称の創設と、それを支えるための人員と費用の増大だ。

これが決定されるに至り、千代田周辺からの抵抗が消えたのを目の当たりにし、長年 皇太子様にまで及んだバッシングの理由が明確になったと私は考えている。

「時代に即した(新しい)公務」という皇太子様のご提案だ。

平成16年、皇太子様は二回の御会見(お誕生日と、デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問に際して)で、公務の見直しについて言及された。
その際、皇太子様は公務の名をあげ具体的な指摘はされなかったが、そのご指摘の背景となったであろう事情は、ニュースや公表されている資料から明らかだと思われる。

昭和の後半(昭和50年代から63年にかけ)、皇室の公務に要する費用(宮廷費)は23~25億円、宮内庁費は50~60億円で推移していた。
それが平成になり新たな公務が次々設けられ、平成13年には宮廷費は昭和の3倍の69億円、宮内庁費は昭和の二倍の110億円にまで膨れ上がっていた。
昭和の後半、世はバブルに浮かれインフレが問題となっていたのに対し、平成はバブル崩壊とともに始まり長引くデフレが問題となっているのだから、物価上昇が費用を押し上げているわけでは、ない。

公務を増やし過ぎたことと、役割を終えた公務の整理がついていないことが問題だと思われる。

国体は持ち回り県が二巡目となり、地方予算を圧迫し始め、夏と秋の国体は同時開催となった。
冬季国体は、その性質上開催県が限られるため(頻繁に持ち回りが廻ってくる)受け入れ可能な県は開催を渋り、結局、皇族殿下の御臨席を拒むという形式で、大会継続を決定した。
皇太子御夫妻が御臨席されていた「全国農業青年交換大会」も、開催県の予算の問題から現在では規模を縮小させる事態となっている。
地方が予算捻出に苦労する一方で、珍妙な現象も起きている。
例えば、植樹祭の効果を演出する為、植樹祭が行われる式典会場の山の木を切り倒し、周囲をはげ山にしたうえで、植樹祭式典を行うという本末転倒な事態が話題となったこともある。こうなっては笑い話にしかならないが、このような「緑」関連事業は、植樹祭にはじまり育樹祭、みどり愛護のつどい、みどりの感謝祭、全国都市緑化フェア等など、さまざま存在し、御臨席賜ることになっている。

それぞれの公務には歴史があり、戦後間もない頃に始まった時には大きな役割を持ち、一巡する間には大きな役割を果たしてきたであろうが、時代が変わりその役割を果たし終えたものもあれば、重複するため取りやめが期待されるものもあると思われる。

そのような状況を、皇太子ご夫妻は理解されていたのではないだろうか。
平成16年の皇太子様の御会見では、雅子妃殿下についての「人格を否定する動き」というお言葉ばかりが取り沙汰されたが、実はこのとき併せて御指摘されていた「時代に即した(新しい)公務」というお言葉に、強い拒絶反応を示した所があったのだろうことは、その後の皇太子様の御会見のお言葉から拝察できる。
だが、お言葉の効果は確かにあった。
皇太子様の御言葉と前後し、増加の一途をたどっていた宮廷費は抑制に転じ、現在は2割減の55~56億円で推移しているのだ。

しかし、これが面白くない所はあるのだろう。

お言葉以降、雅子妃殿下が病気のために御臨席される公務に限りがあることと相俟って、公務の数を殊更にあげつらうバッシングは、皇太子様にまで及んでいる。
公務の増大は、その数をこなす方への賞賛と 人員・費用の膨張を生む一方で、そこへ疑問を呈した方を徹底的にバッシングする要因となってきた。
そして、そのバッシングの火元は現在も、「これ以上、公務を減らすことは不可能だ」と言い張っている。

だが、そうだろうか。
昭和の時代、現在より遙かに公務の件数は少なかったが、それで皇室の権威は低かっただろうか。

行き過ぎた権威主義は時代に逆行するものではあるが、拝見する機会の多さゆえの’’親しみある’’皇室であって頂きたいとは、私は思わない。

それよりは、象徴として、この国の未来の方向性を静かに示す希望の存在であって頂きたいと願っている。

昨年夏からの諸々に対応するための有識者会議は、相変わらず女子の命と存在をないものとして議論を進め、女子の命と存在を殊更に排斥するために、新たな身位まで設け、そこに人と費用を膨大に注ぎ込もうと画策している。

だが2040年、日本は出産可能年齢(~39才)の女性が激減するため、地方自治体の数が半減するというデーターもある。
その時、まさに39歳の敬宮様を、女性であるという理由で存在を認めないでいる国に、明るい未来はあるのだろうか。

時代の転換点にある今だからこそ、皇太子様の「時代に即した公務の在り方」という御提案を真摯に受け留め、更には、皇室が「男性と女性が命と存在を認め合う日本」の象徴となって下さるよう心から願っている。


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