何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

まるちゃん&ワンコお使い便

2016-10-29 16:17:15 | ひとりごと
ワンコを想わない日は一日たりともないのだけれど、昨日はこの秋はじめての’’おでん’’を食べて、また泣けてきたよ ワンコ

「高脂血症とコレストロール値が高いから、療養食にしましょうか」とワンコ先生に言われた時、
「まずは間食を抜いてみます」と答えたものだから・・・それが功を奏して劇的に数値が良くなったものだから・・・
ワンコは大好きなチーズもパンも食べられなくなってしまって、時々ふて腐れていたね ワンコ
そんなワンコと家人の秘密が ’’おでん’’の牛筋だということを、私はちゃんと知っていたんだよ ワンコ
あまり牛肉を好まない我家なのに、’’おでん’’の牛筋は外せないため、わざわざ特上の牛筋(笑い)を買いに百貨店に出かけることを、ワンコは知っていたね。
特上の牛筋(笑い)を脂抜きのため下茹でしていると、台所に駆けてきて、鼻をクンクンさせて’’おねだり’’していたろう? ワンコ
ワンコは鼻が効くから、間に合わせの牛筋だと見向きもしない、と家人は呆れていたよ ワンコ
そんなこんなを知っていたけど、お目こぼししていたんだよ ワンコ
少しぐらい楽しみがないと、やってられないもんね ワンコ

昨日、そんなことを思いだしながら、この秋はじめての’’おでん’’を食べたものだから、泣けてきたよ。

秋になると、この時期になると、必ず大和路を歩く旅をすることを、ワンコは知っていると思うけれど、今年も大和路を少し歩いてきたんだよ。
そこは、一言に願いを込めれば、その一言は叶えて下さることで有名な神社なんだよ。
以前から気になっていたのだけれど、欲張りな私は、なかなか一言が決められず、一息で「無病息災、学業成就、出世開運、交通安全は勿論のこと、あれも、これも、それも叶えて頂けますように」とお願いできれば、叶うかな?と都合のいいことを考えながらも、参拝できずにいたんだよ。
でも、今年の秋は、ワンコが天上界に住人になってしまい、私はどうにもパワーが湧いてこないので、一言のお願いに参ったんだよ ワンコ
その写真を眺めながらワンコ友達を訪問したら、思いがけない「お手紙」に出会って、これもワンコの仕業だなと嬉しかったんだよ ワンコ ここをクリック!

 

今年はいつまでも温度の高い日が続いていたので、紅葉が遅れているらしいのだけど、まだ青々とした木々の下の階段を上り詰めると、一言だけ願いを聞き届けてくださる神様がいらっしゃるんだよ ワンコ
この時は、神主様が御祈祷されていたので、正面から写真を撮ることは躊躇われ、斜めから撮ると、こんなデキになってしまったんだよ ワンコ 
もっと腕を磨かないといけないな ワンコ

こんな写真をパソコンで眺めている時に、ワンコの先輩まるちゃんのお手紙に気が付いたから、飛び上るほど嬉しかったんだよ ワンコ
少し前にお手紙を書いて下さっていたのに、気付かないままになっていたのは何故だろう ワンコ
今日のように私が落ち込んでいる時に、そっと届けてやろうと、銜えて隠していたんだろう ワンコ
今頃きっと天上界から、驚く私を見て、まるちゃんと一緒にニコニコ笑っているんだろう ワンコ

まるちゃん ワンコ
あまり上手く撮れてないけれど、葛城古道とかいう風情ある道からの棚田と、季節外れの桜を、
まるちゃんママへお礼として届けておくれ
 
きっと天上界は最高に住み心地がいいと思うけれど、旅は道連れで一緒に帰ってきておくれよ
お願いだよ 
先輩まるちゃん ワンコ

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100年の知恵を繋いで

2016-10-27 19:27:30 | ニュース
<オリエント史研究に情熱=戦争、皇室批判も―激動の一世紀歩む・三笠宮様>時事通信 10月27日(木)9時47分配信より一部引用
亡くなられた三笠宮さまは終戦まで軍人生活を送り、戦後は古代オリエント史研究に情熱を傾け、「オリエントの宮さま」と呼ばれた。
第1次世界大戦中の1915年12月生まれ。幼少時に童謡を作詞し、「童謡の宮さま」と呼ばれた。陸軍大学校を卒業した41年12月、太平洋戦争が始まった。
終戦の年の45年5月、宮邸は空襲で全焼。妻の百合子さま、1歳だった長女の近衛甯子さんと共に、コンクリート製の防空室で生活した。
戦後、東大文学部の研究生となり、古代オリエント史研究者の道を歩み、「学者皇族」として活躍。テレビやラジオ、雑誌などにもたびたび登場した。
太平洋戦争以前の皇室制度を「格子なき牢獄」と著書で表現。皇室の閉鎖性を、東西冷戦時代の「鉄のカーテン」になぞらえ、「菊のカーテン」と表現した。「皇室を尊厳の対象にしようとすると、また昔の状態に向かう恐れがあるのではないでしょうか」と雑誌の対談で述べたこともあった。


時事通信の記事にもあるように、御誕生年である1915年が第一次世界大戦中だったというだけでも’’歴史’’という感があるが、それが関東大震災(1923年)の8年前、「暗黒の木曜日(世界恐慌)」(1929)の14年前であることに思いを致す時、大切な歴史の証人を失ったという哀しく静かな喪失感を禁じ得ない。
そして、この100年という長さと重みを考える時、歴史学者としてオリエントの研究をされていたことに思いを巡らす時、あるメッセージが浮かんできた。
「自らの文化が生き続ける限り、その国は生きながらえる」
"A nation stays alive when its culture stays alive"

これは、今年四月から東京国立博物館で開催されていた「黄金のアフガニスタン」展の入り口に掲げられていたものだが、ちょうどその頃「バビロンの秘文字」(堂場瞬一)を読んでいたこともあり、強く印象に残っている。

「バビロンの秘文字」は、三笠宮殿下が生涯をかけて研究されたオリエントが物語の鍵となっている。
本書は、何千年も前に滅んだ古代アッシリアの再興のシンボルともなり得る粘土板が発見されたことを契機に、再興を急ぐ者と時期尚早という者との間で起る争いを描いたもので、国家と歴史を考えさせるという側面がある一方で、古代アッシリアの末裔たち(ラガール人)が現在、世界的影響力を与える政治力と経済力を有していることから東西の諜報機関を巻き込みドタバタするという一大スペクタクルという側面も有している。
三巻におよぶ大作を、この程度の説明しか出来ないのは、本書が借りて読んだ本であり今手元にないからだが、ラガール人が国家再興を願う気持ちと、粘土板の文字の解読を試みる言語学者の歴史に対する思いは心に響いた。特に、国を失ったあと流浪の民となったラガール人が合言葉にしていた 『知識と平和と』 は、その説明である 『知識は、平和を作る礎なのだ。争いは愚か者のすることであり、我々としては絶対に避けなければならない。平和を実現するために知恵を絞る、それこそがラガーンの本質であり、我々はこれまでもそうやって世界の豊かさと平和に貢献してきた。』 という文言とともに強く印象に残り、私の読書備忘録に記してある。

三笠宮殿下の哀しい報に触れ、本書を思い出したのは、殿下がオリエントの研究家であられただけでなく、『知識と平和と』を願い実践しておられたと、知ったからだ。
毎日新聞 10月27日(木)12時5分配信の「平和願い歴史探究 最後の皇族将校」と題した記事によると、「日本軍将校として太平洋戦争に関わったことのある最後の皇族」であられた三笠宮殿下は、「その体験をもとに、戦後は折に触れて平和の存続を願う思いを表現」され、戦後 歴史研究の道に進まれた理由として「過去のあらゆるものに失望し、信頼をなくしていたわたくしは、すべてを新しいもののなかから探しもとめねばならなかった」「わたくしは、当時心に抱いていた疑問を、歴史の研究によって解こうといちずに思いつめたのである」と明かされていたという。(「 」毎日新聞引用)

新しいものを築く時、すべての意義を新しいものに探し求めねばならぬ時、そこで生じる疑問に答えてくれるのは歴史である、とお考えになった三笠宮殿下のお気持ちは、激動の時代である今こそしっかと心に留めなければならない。

「自らの文化が生き続ける限り、その国は生きながらえる」 のならば、先人が平和を願いながら築いてくれた文化を守り、その知識と知恵で世界の豊かさと平和に貢献することで、国は生きていくことができるのだ・・・・・と静かに考える時間を今この時に与えて下さったのだと、心して受け留めている。

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播隆上人へ捧ぐアルペン踊り

2016-10-26 22:05:55 | 自然
「神宿るものたち まる&穂高」より

大正池の画像を望んでいたのだが、膨大な量の画像からそれを見つけ出す時間がなく、私が撮ったらしき画像を何枚か頂戴したのだが、そのなかに、天狗原からの槍ケ岳があったので、「槍ヶ岳開山」(新田次郎)の一節を思い出した。

「なぜ山に登るのか」と問われ、エベレスト登頂を目指したイギリス人登山家ジョージ・マロリーが「そこに山があるから」が答えたことは、つとに有名だが、これが日本人だったら何と答えるだろうかと考えた時、私の心にしっくりくる答えの一つが、「槍ヶ岳開山」の修行僧・播隆の言葉である。

『山を登ることは人間が一心不乱になれることです。一心不乱になって念仏が唱えられる場所が登山なのです。
 悟りに近づくことなのです。悟りとは何事にも心が動かされなくことです。死を恐れなくなることです。~略~
 一心不乱に登ることです』(『 』「槍ケ岳開山」より引用)

一心不乱になり悟りに近づくために登山するのか、山に登ることで一心不乱の境地にいたり悟りを得られるのかは分からないが、急坂に喘いでいると、私のような素人登山者でも、無我の境地というものを感じる瞬間がある。
そして、諸々に絡め取られた日常が、滂沱と流れる汗とともに、流れ去る爽快感がある。

初めて槍ケ岳に登り播隆窟を見た時には、この一節が浮かび厳かな気持ちになったものだが、播隆窟の写真も頂上からの写真も、今手元にはない。

  
左は、播隆窟のはるか手前を左折し、登ること小一時間の天狗原から見た槍ケ岳だ。
右写真の右下の天狗池は、真夏の一時だけ氷が溶け湖面に’’逆さ槍’’が映ることでで有名らしい。「らしい」というのは、当初ここへ来る予定ではなく予備知識がなかったうえに、この年はお盆の時期も凍っており、逆さ槍を見ることはできなかったせいで実感が伴っていない為だ。

山に登るには入念な準備が必要だが、天候などに応じて変更できる柔軟性も必要で、この時も、奥穂に登る予定で横尾まで来たところ、あまりの大雨で涸沢へ向かうことが規制されたため、急きょ「槍沢ロッジ」に泊まることにしたのだ。
翌日は、半日だけ晴天との予報だったため、同部屋の猛者さんのアドバイスに従い、天狗原まで足を延ばしたのだが、素晴らしい景色に、当初の目的が果たせなかったことなど忘れ、大感動。
槍に背を向け振り返ると、目に飛び込んでくるのは(おそらく)憧れの常念岳、足元に目を転じれば可憐な高山植物が心を和ませてくれ、大満足。

とは云え、やはりもう一度槍ヶ岳に登りたい。
穂高への道程を感じることができる槍が岳だからこそ、登りたい。
せっかくデジカメを手に入れたのだから、今度こそMyデジカメに峻厳屹立とした槍の穂先を収めたい。「カメラとご意見番」
そんな想いをふつふつと湧き立たせる、この写真。
 

もっとも、そんな真面目な気持ちだけでは、急坂のしんどさは乗り切れない。
時には涸沢ヒュッテのおでんを思い浮かべ、又ある時には涸沢小屋のソフトクリームを鼻先にぶら下げ、更にある時には穂高岳山荘の焼きたてチョコクロワッサンを目指して山に登っている。
雑念だらけで悟りにはほど遠いが、凡人の私であっては、それも致し方あるまい。
槍ケ岳を開山した直後の播隆上人ですら、こう仰っているのだから。

『山は登ってみなければ結局は分かりません。
 私もほんとうはまだ分かっていません』

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神宿るものたち まる&穂高

2016-10-25 21:15:05 | 自然
「穂高の木ワンコの木 その弐」の末尾で、もしかすると続く、と書いたのは、もしかすると山pから大正池の画像を貰えるのではないかと思ったからだが、山pも私も現在忙しく、丁寧に探している時間がない。
だが、せっかく「欅の木」(井上靖)に大正池の記述があり、しかもそれが井上靖氏らしいと云えばそうだが、かなり稀有な表現であるので、記録しないのでは’’もったいない’’。よって、例によって例の如くウィキペディアのお助けを得て、記録しておく。

大正池を初めて見たケヤキ老人の感想。
『おや、おや、これは立ったまま死んでおりますな。大正時代に火山の爆発でできた池のことは聞いておりましたが、たくさんの木がその時から今日まで、このように死体のまま立っていようとは思っておりませんでした。なるほど、これは見事でございます。立派でございます。人間の遠く及ぶところではございません。
『やはり木というものは、何百年も生きるだけあって、立派なものでございますな。
 死んでも立派でございます。少しも醜くございません。生まれたところに堂々と立っている。
 人間はこのようにはまいりません。焼かれて、葬られて、消えてしまいます。情ないものでございます。
 -ああ、いいものを見せて頂きました。
 生きている木ばかり見ておりまして、死んだ木の立派さには思いをいたす余裕はございませなんだ。
 いや、まことに、どうも立派で』
写真出展 Wikipedia
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kamikochi_Taisho-ike04n3200.jpg (立ち枯れの木々)


上高地を訪問するものの山には登らなかった頃は、大正池の立ち枯れやそこで泳いでいるオシドリの写真を毎年飽かず撮ったものだが、山に登るようになると、往路は早朝5時にバスターミナルに到着すると、そそくさと着替えや朝食を済まし歩き始めるし、帰路は疲れて大正池まで足を延ばす余裕がないため、近年は御無沙汰している。
たしか数年前、大雨のせいで予定を変更した際に大正池に行ったはずだと思うのだが、その画像を丁寧に探している時間が無い。といいつつ、一緒に登った時に山pのカメラで私が撮った(らしき)写真は入手した。

この写真は去年、大雨にやられて’’涸沢小屋’’で1日半停滞していた時の写真。
長野県警山岳警備隊の方が、朝5時の朝食時に現れ、登るな~オーラ全開に「山は逃げない」という内容を懇々と説いておられた。権力に弱い(もとい)素人山登り派の私達はその指示に素直に従い’’食っちゃ寝’’、(もとい)眠くなれば眠り、お腹がすけば(すかなくとも)行動食を消費し、それでも潰せない時間は、小屋で知り合った人達とオセロや人生ゲームに興じて過した。
とても贅沢な時間だった。
ところで、ここ涸沢は井上靖氏の「氷壁」にも「穂高の月」にも登場する、山登りの聖地だ。
「穂高の月」には、井上氏が宿泊された山小屋について’’涸沢小屋’’と記されていて、右の写真が’’涸沢小屋’’のテラスだが、どうも内容からすると、井上靖氏が泊まられたのは、’’涸沢ヒュッテ’’のような気がしてならない。

他にも、井上靖氏が愛してやまなかった梓川の画像も山pから頂戴した(私が撮ったものらしいが)。
「越えるべき川 愛でるべき川」の繰り返しになるが、「穂高の月」(井上靖)から梓川の美しさが書かれた箇所を引用しておく。
『上高地附近では、梓川はその清澄な流れの色が見る者の眼をそばだてしめるが、併し梓川の真の美しさが現れ出すのはそれから上流である。梓川の川幅はどこまで行っても狭くならない。上高地附近よりももっと広い川幅を見せ、右岸或は左岸に美しい白い磧を抱いたまま、淙々たる川瀬の音を響かせたまま樹林帯を流れている。気品がある川である。』
『私は今度の穂高行で、上高地から横尾の出合まで、梓川に沿って歩いた何時間かの行程が、一番楽しかった。』
『(略)梓川は大河の表情を持ったまま北アルプスの山ひだへと分け入っている。
私は涸沢小屋の月と梓川に惹かれて穂高に登ったのであるが、梓川の流れは、このためだけにもう一度来てもいいと思ったくらい美しかった。穂高へ来てよかったと思った。』

これは、明神岳の向こうから差し込んでくる輝く朝日を待つ梓川なので、井上靖氏が特に好まれた徳沢から横尾までの梓川ではないが、早朝誰もいない時間の上高地は、まさに神降りる地だと思わせる静謐さと神秘さをたたえている。

神降地よ 穂高よ ワンコよ永遠に

先輩まるちゃんとワンコへ
今日、ワンコよりほぼ一歳年上で、天上界住人歴11日先輩の「まるちゃん」がお友達になってくださったよ。
ワンコは、わんこ見知りが激しかったけれど、まるちゃんは優しいから、きっとすぐ友達になれると思うよ。
まるちゃんは部屋んぽとピョンピョンで鍛えているから足腰とっても丈夫だと思うのだけど、ワンコのプリケツもなかなかのものだから、一緒に時々帰ってきておくれよ。だって、まるちゃんママも私も地上からこれだけ愛を送っているのだから。
それから、まるちゃんママさんの腰痛がすっかり完治されるように、まるちゃんもワンコも天上界からエールを送ってね。
まるちゃん&まるちゃんママさん これからもワンコともども宜しくお願いいたします。
 

参照
槍のてっぺんにも、穂高のてっぺんにも立っているにもかかわらず、ここに載せる画像を私が持ち合わせていない理由は、「カメラとご意見番」にある通り。

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穂高の木ワンコの木 その弐

2016-10-23 18:25:00 | 
「穂高の木ワンコの木 その壱」より (参照、「奇蹟を呼ぶ男 ワンコ」

ワンコ
「欅の木」(井上靖)は、井上靖氏が日々思うところを、57歳の建設会社の社長・旗一朗の口を借りて語っている作品で、心の中で亡き友と語らうこともあれば、連載中の新聞コラムで世の風潮を嘆くこともあるんだよ。
新聞コラムに書いた「頼まれ仲人廃止論」とか「私は酒も煙草も飲む」などの反響も大きかったけれど、何と言っても「欅の木を一本たりとも切ってはならぬという内容は、賛否両論巻き起こし大騒動になるんだけれど、その双方の言い分は兎も角、旗一朗がこの騒動をきっかけに出会った老人と穂高神社を訪問する場面に、私は心躍り惹かれたんだよ。

寝ても覚めても欅が頭から離れないケヤキ老人は、旗一朗の「けやきの木を一本も切ってはならぬ」のコラムに我が意を得たりと、旗一朗に連絡してくる。
このケヤキ老人の案内で都内の欅めぐりをすることになった旗一朗は、そこで若い欅、年老いた欅、ただ一本堂々とたっている欅、欅並木と、あらゆる欅を見るのだが、ケヤキ老人はまだまだ紹介し足りないような気持ちを持っていた。
そんなケヤキ老人が、ある日夢をみたという。
「穂高神社の欅が、今若芽を吹き出そうとしているから、ぜひ見に来てくれ」と夢で語りかけたという。

この老人の欅旅行に付き合い、旗一朗が出会うのが、穂高神社の’’欅の木’’だ。 (『 』「欅の木」より引用)
『二の鳥居をくぐり二人が立っているすぐ前には神楽殿があり、本殿のまえに出るには、その神楽殿の横手を回っていかねばならない。老人が眼を向けているのは、神楽殿の右手の方である。境内の一番隅の方に、なるほど、みごとなけやきの巨木が一本、大きな若葉の傘を広げている』
  

ワンコ
野球帽の御大がくぐろうとしているのが二の鳥居、その向こうの新しい建造物が神楽殿で、この神楽殿の右にワンコが鎮座している’’欅の木’’があるんだよ。

私の下手な写真はさておき、この話「欅の木」、何かに似ていると思わないかい? ワンコ
そうだよ、「ブラックジャック」(手塚治虫)に同じような話があったはずだね ワンコ
たしか、大地震で家族全てを喪った男がケヤキに一生を捧げるという話だったよ。
この男は大地震の時、欅の木に掴まっていたために家族のなかで一人だけ命拾いしたことから、欅の木を命の恩人として大切にするんだよ。
寝ても覚めても欅けやき、朝から晩まで欅けやき
子供を育てるように孫を可愛がるように、恩人のけやきを守り続けるのだけど、マンション建設ために欅が伐り倒されることになる。
いよいよ明日は伐採の日という夜、欅の木の下で欅と語り合いながら酒盛りし、そうして枝に紐をかけて欅と死をともにしようとするんだよ。
それを察知していたブラックジャックが間一髪のところで、助けるのだけど、助けたところで又自殺しかねないと危惧していると、手術後目が覚めた老人が言うんだよ。
「西の峠に連れて行ってくれ。今夢に けやきが現れ、西の峠に自分の子供が生えているから、これからはその木を自分だと思って大切に育ててほしい」と。

ねっ ワンコ
枝葉末節こまかい事をいえば違うところもあるけれど、「欅の木」と似てるだろう ワンコ
周りから気がふれていると思われるほど入れ込んでいる男の夢に現れるというあたり、しかもその木が欅だというあたり、似てると思わないかい?

だからワンコ 
ワンコも夢に現れておくれよ ワンコ
最近お身限りなのは、天上界の住み心地が良いからかもしれないけれど、オリオン座の流星群にのって、私の元に舞い降りて来ておくれよ ワンコ (参照、「それでも 逢いたい」 「星の宝物 ワンコ」
なかなか姿を現してくれなくて寂しいけれど、ワンコのおかげで必死に本書を探し、心に残る良い言葉に出会えたことは、本当に感謝しているよ ワンコ・・・感謝のしるしに大好物のチーズとササミを用意しておくからさ ワンコ

でも、本書を通じてワンコは大切なことを伝えてくれたね。
最近、人にとって幸せとは何かと考えることが多かった私に、ワンコからのプレゼントだと喜んでいるよ。

『幸福というものは、ひどく平凡なことの中にある。
 静かな眼、おだやかな心、健やかな体、平穏な日々、そうした状態以外の何ものでもないらしい。
 幸福は求めないほうがいい。
 求めない眼に、求めない心に、求めない体に、求めない日々に、人間の幸福はあるようだ。』

ま-あれだ、ワンコ
この年になるとそこそこ枯れてきて、自分自身の幸福に固執することは少なくなってきたんだけれど、心から応援したいと思う人はいるんだよ ワンコ
でも、他の人の幸福を願う場合、それが果たしてその人が願う幸福かどうかは分からないさ ワンコ
仮にその人も同じ幸福を願っていたとしても、それが本当に良い結果になるかは、分からないさ ワンコ
願いが空回りしても、それが自分のことなら、自分で始末をしければいいけれど、人の幸福を祈る場合、その結果の責任は誰が持つんだろう?
そんな事ばかり考えて臆病になっていたから、本書の言葉は有難かったよ ワンコ

私は諦めの悪い人間だから、応援する人の幸福を願わずにはいられないけれど、絶対こうであるべきという幸福は、求めないようにするよ ワンコ

そんなことを感じさせてくれた、「欅の木」と穂高の木に、心から感謝しているよ ワンコ
感謝して、美味しいものを用意して待っているから、18歳の誕生日あたりにシッカリ顔を見せておくれよ ワンコ

感謝の気持ちを込めて 穂高神社の’’欅の木’



もしかすると続く
  ♪答えは風に吹かれている

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