何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ひまわりを共に見上げたい

2016-05-30 23:23:15 | ニュース
今年は、「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。」という勇ましい言葉に始まり、保育園建設や待機児童問題が続いている。春先にも、開園予定だった保育園が「子供の声でうるさくなる」という近隣住民からの反対で建設を断念したというニュースがあったが、今日も今日とて反対運動のニュースが続いている。

<待機児童対策で公園に保育園を 説明会は紛糾> テレビ朝日系(ANN) 5月30日(月)1時5分配信より一部引用
東京・杉並区は待機児童対策として、区立公園の土地に保育園をつくることを決め、説明会を開きました。参加した近隣の住民からは「急ぎ過ぎだ」などの声が多く出て、説明会は紛糾しました。
杉並区では去年に比べて待機児童の数が3倍の136人となり、来年はさらに増えて560人を超える見込みです。区は緊急の対策として、3つの区立公園の土地に保育園をつくることを決め、近隣の住民向けの説明会を開きました。しかし、参加者からは「他にも場所があるのになぜここなのか」「待機児童の問題 は理解しているが、住民の了解を得る前にすべて決まっている」など、決定に至る過程に疑問の声が相次ぎました。区は「待機児童をなくすために区全体として取り組まなければならない」として理解を求めました。

保育園建設反対の第一理由が「うるさい」ことにあるならば、区立公園の近隣住民は子供の声に慣れていると踏んだのか、杉並区は保育園を区立公園につくると決めたが、やはり説明会は紛糾し五時間半の話し合いの末物別れに終わったようだ。

保育園を求める側の切実な状況も、それまでの生活環境が激変してしまう側の戸惑いも分かるので、どちらの立場にも立つつもりはないが、双方譲れない線があるなら、直接話し合うしかないのかもしれないと思わせる本を思い出した。
「ひまわり事件」(荻原浩)
「あとがき」には、『少子化は就労人口の減少につながり、その先には年金システムの崩壊をはじめとする様々な悪影響がでて、やがては国力の衰えが加速していく。高齢化は、本来長寿はめでたいものだが、それが医療費や年金を圧迫し、介護問題も顕在化している。この二つを舞台にしたのが、本作』とある。

その舞台となるのが、有料老人ホームひまわり苑とひまわり幼稚園。
この近隣住民に敬遠されがちな二つの施設を経営しているのは建設会社の社長一族であるが、それは多分に県議会議員選挙対策でもあり、また職員の水増し請求など立場を利用した公金掠め取りでぼろ儲けをする手段でもあった。
ある時、県議選の対策として「新しい地域コミュニティーをつくろう」と思いつき、老人ホームと幼稚園の間にあった高い塀の一部が取り払われるのだが、行き来するようになった老人と園児がお互いをどう見ているかが面白い。
老人は毒づく。
『ああ嫌だ。子供は嫌いだ。無自覚に、無駄に「生」をふりまくばかりの生き物だ。略~
 自分はまだ老人ではなく、壮年後期だと考えているが、それでも週に一度は自分の葬式のことを思い浮かべる。
 葬式の先の闇のことも。
 可愛いのは自分の孫ぐらいのもの。それも図体ばかりでかくなった今の生意気な孫どもではなく、
 「ジィジ大好き」そう言って、加齢臭もものともせず抱きついてくれた頃までの』
一方の幼稚園児の感想も辛辣だ。
『自分達の何十倍も生きている人間なんて、ゾンビとしか思えなかった。
 それだけの年になるまでに、何度生き返っているのだろうか』

「無駄に’’生’’をふりまくばかりの生き物」である園児とゾンビたる老人は、戸惑いながらも一緒にヒマワリの種を蒔き、成長を見守り、真夏に『(園児にとっては)今までの五年間の人生で見た一番でかい花』を共に見上げ喜ぶまでになるところなど仄々とさせられる。だが、この話は「ひまわり事件」というだけあって、老人と園児がそこそこ仲良くなってメデタシめでたしでは終わらない。

オーナー一族が立場を利用し公金を掠め取っていた事が明らかとなり、それを弾劾する大騒動が起こるのだが、このとき元全共闘の闘志であるホーム入居者が吠える言葉こそ、保育所を必要とする人々とそれを阻止したい人々と、そのニュースを見ているだけの人々に届けたいと思っている。
『闘え。若者も、中年も、老人も、子供も、男も、女も。逃げるな、闘え。
 安全な所で人を笑うな。
 高みから他人の火事を見物するな。そこから出て、自分の言葉で自分を語れ。
 怒れ。立ち上がれ。声をあげろ。拳を握って叫べ』

「保育園落ちた日本死ね」は確かに怒り、拳を握って叫んでいる。
この問題にも怒りにも直接関係ないと感じる人も多いだろうが、そうだろうか。
保育所が必要だというのは単に箱モノ施設の必要性だけに止まらず育児支援拡充に及ぶ問題のはずだし、保育園建設反対も「うるさい」だけが理由ではなく長い余生を静かな環境で過したいという多くの人の願いでもあるはずだ。
本作の後書きにもあるように、保育所問題は超少子高齢化問題の根幹に関わるので、老いも若きも逃げずに考えなければならないのだと、自分にも言い聞かせている。

ところで、「ひまわり事件」を読んだのには理由がある。
昨年ウィリアム王子ご夫妻の第一子ジョージ王子が幼稚園に通われるニュースで素敵な言葉に出会い、何か幼稚園を舞台とした本はないかと探していて見つけたのが、本作だったのだ。

【ロンドンAFP=時事】  2015/12/18-21:32配信より一部引用
英王室は18日、ウィリアム王子と妻キャサリン妃の長男ジョージ王子(2)が2016年1月末から、英東部ノーフォークのアンマーホール邸近くにある幼稚園に通うと発表した。
声明によると、王子が通う幼稚園は「王子を迎えるのを心待ちにしています。王子も全ての園児と同じように、特別な経験をするでしょう」と述べた。  http://www.jiji.com/jc/article?k=2015121801008&g=int

ウィリアム王子ご夫妻は「できるだけ一般の子達と同じ経験を」と望まれたそうだが、これに対する幼稚園側の言葉は素敵だ。
『王子を迎えるのを心待ちにしています。王子も全ての園児と同じように、特別な経験をするでしょう』
高貴な方々が「一般の子供たちと同じ経験を」と願われるのは自然なことだと思うが、幼稚園をはじめ学校生活というものは、どの子供にとっても初めての特別な経験にちがいない。
この当たり前の事を言える幼稚園の教育方針も、これが言える社会も成熟しているように思われる。

公金を掠め取る手段として幼稚園を経営するような偽善事業は論外だが、かの国の幼児教育の認識の高さに鑑みると、私達が抱えている問題は、数の欠如だけではなく質の問題こそ大きいのではないかと考えている。

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おそるべし 美人さん

2016-05-29 16:17:35 | ニュース
広島訪問により今回の伊勢志摩サミットの話題を独占したオバマ大統領は間違いなく「時の人」だが、今世界で赤丸人気急上昇の人気者には敵わなかったようだ。

<トルコG20では猫3匹「オバマ氏から主役奪った」> 日刊スポーツ 5月29日(日)10時12分配信より引用
オバマ米大統領が27日に、広島市の平和記念公園を離れる際、大統領専用車の至近距離に、1匹の黒猫がたたずんでいたことが28日、分かった。テレビの中継画面にも、猫が走り去る様子が映っていた。日米両国が、水も漏らさぬ超厳戒警備を敷いた公園内に、猫がいた背景は不明だが、ネットでは「爆弾を仕掛けていたらどうする」と指摘も上がった。
猫が、厳戒警備をすり抜けて国際政治の舞台に登場したケースは昨年11月、トルコでも発生した。20カ国・地域(G20)首脳会合で、オバマ氏らが会場に登場する前に、3匹の野良猫が舞台を歩き回った。「猫がオバマ氏から主役を奪った」などと報じられた。
http://www.nikkansports.com/general/news/1654805.html

猫と云うと、今読んでいる「桜おこわ」(和田はつ子)に猫にまつわる不思議な話があり、「ワンコよ かえってきておくれ」との願いを強くしているが、その前に本作の概略を記しておこうとすると、これがなかなか厄介だ。
と云うのも、「桜おこわ」は料理人季蔵捕物控シリーズの最新作(第三十弾)で、シリーズも30作を超えると設定にも多少の変化が出てくるからだが、一言でいうと、訳あって武士から料理人になった堀田季之助改め季蔵が、刀を包丁に持ち替え、料理で江戸の人の口を喜ばせながら市中の事件を解決していく、ということになる。ただ、季之助が刀を捨てねばならぬ経緯(いきさつ)で許嫁・瑠璃が心を病んだという伏線はとても重要で、私としては瑠璃がいつか本復するようにと願いながら、本書を読み続けていている。

主要な登場人物である瑠璃は、許嫁・季之助と引き離され強引に側室にされる過程で、季之助の出奔、お家お取潰しに父の切腹を目の当たりにし、そのうえ主家のお家騒動の果てに夫と舅のころ殺し合いの現場にまで遭遇してしまい、心を病み、長きにわたり過去の記憶を封印し現実に背を向け心の中に閉じこもってしまうのだが、「桜おこわ」には瑠璃が猫をきっかけに昔を思い出す気配が書かれている。

長年猫に苦手意識があったせいか、サビ猫という種類がいることも知らなかったので、それが江戸時代に嫌われ者だったという本書の設定が正しいのかどうか分からないが、本書ではサビ猫は「サビ猫なんて、小汚い色柄だ」とか「サビ猫はほとんど雌と決まってるから、貰い手の全くない仔猫をじゃんじゃん産んでご免だ」とか「サビ猫のうえに野良人生が長いと変な病気をもっていかねない」とか散々な云われ様である。
このサビ猫を、記憶もなく生きる意欲をなくしている瑠璃が「寅吉」と名付けてかわいがり、寅吉も瑠璃にだけは懐いていることを、瑠璃の周囲の人間は不思議がるが、幼馴染で許嫁であった季蔵だけは、その理由を知っていた。

瑠璃に従うサビ猫を見た季蔵は、瑠璃と過ごした遠い日を思い出す・・・・・。
幼い頃から生き物すべてを慈しむ瑠璃ではあったが、猫には目がなく、世間で嫌われるサビ猫でさえ『茶色と黒が細かに混ざった色の猫なのに』『まるで鼈甲飴のようじゃない?ああ、それに近くで見れば見るほど美しい』といっては可愛がっていた。
ある日、季之助がサビ猫を見つけると、瑠璃は「季之助が見つけてくれたので、としぞうと名付けよう」と言い出すが、猫に名を貸すのに抵抗がある季之助の様子を感じ取り、それなら「多少虎に似てるから寅吉にしよう」と決めたという、思い出あるサビ猫「寅吉」。

その後、寅吉は瑠璃が無理やり主家の息子の側室にされる折に池に浮かべて殺されてしまったという曰くがあったので、サビ猫を見た瑠璃は「あの寅吉がかえってきた」と喜んだのだが、本書には思いを残して逝ったものが、姿を変えて思い人の前に現れるという話がもう一つ挿入されているので、「ああ ワンコよかえってきておくれ」との願いを強くもったのだ。

ワンコ実家ご両親の「ワンコは人より早く年をとるので、きっと極楽往生・輪廻転生も早いはず。きっと還って来てくれる」の言葉を信じたいが、それならば「その時の目印を決めておくべきだった」と今頃心底悔んでいる。

今回(30巻)は、捕物も料理も印象に残らないほど突端のサビ猫話に引っかかってしまったが、実は猫には長年苦手意識があった。
それは、子供の頃大切にしていたカナリアが猫に殺られてしまった悲しみが何時までたっても消えなかったからだが、ここ数年は猫に親しみを覚え、猫ブログなども巡回し「美人さんだな」と呟くまでになっている。
その切っ掛けは、敬宮様だ。
お誕生日の映像でお馴染みのピッピ&まりや由莉ちゃんだけでなく、皇太子御一家は(元野良ちゃん、もとい保護された)猫ちゃんも飼われている。
あまり撮影に登場しないのはネコ特有の気性のせいかもしれないが、敬宮様が「人と人の間にいたがるから、人間ちゃん」と名付けられるほどに、ご家族の輪の真ん中で幸せに過ごしているようだ。

このエピソードを何かで読んで以来、猫にも関心を持つようになり、今では「美人さんだな」と目を細めるほどになっているが、私にとって、かわいい犬は雄雌かんけいなく全て「男前」なのと同様に、かわいい猫は全て「美人さん」。
この感覚は私だけのものなのだろうか、ふと思う昼下がりであった。

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広島で<ゲルニカ>を考える

2016-05-27 23:00:05 | ニュース
本仲間から「読んだら絶対に買いたくなる」と言われて借りた「暗幕のゲルニカ」(原田マハ) ~『 』本書より引用
本書の帯より
『私は信じる絵画(アート)の力を。反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画、ピカソの<ゲルニカ>。国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、忽然と姿を消した・・・。大戦前夜のパリと現代のNY、スペインが交錯する、華麗でスリリングな美術小説』 http://hon.bunshun.jp/articles/-/4807

「暗幕のゲルニカ」を読み終えたところで、この歴史的瞬間に立ち会えたことに何かしらの意味を見出し考えを深めなければならないと思っている。
<米大統領が現職で初めて広島訪問、慰霊碑に献花 核なき世界訴え> ロイター 5月27日(金)18時30分配信
[広島 27日 ロイター] - オバマ米大統領は27日、現職大統領として初めて広島を訪問し、原爆慰霊碑に献花した。
献花後のスピーチで大統領は「亡くなった方々を悼むために訪れた。あの悲惨な戦争のなかで殺された罪なき人々を追悼する」と述べた。
その上で「歴史の観点で直視する責任を共有する。このような苦しみを繰り返さないために何をすべきか問う必要がある」とし、核保有国は核なき世界を追求する勇気をもつ必要があると語った。
大統領はその後、被爆者と握手し対話、原爆ドームを見学した後、平和記念公園を離れた。
http://jp.reuters.com/article/obama-hiroshima-idJPKCN0YI12M

現職大統領として初めて被爆地広島を訪問したバラク・オバマ氏は、ただ偏に個人の想いで訪問されたのであって、それがアメリカの総意ではないことや、戦争であるかぎり原爆投下だけを盾にして被害者的立場に立つのは違うのだとは分かっているが、それでもあの<ゲルニカ>が、人類史上初の無差別空爆に抗議して製作されたと知れば、日本中に雨あられと降りそそいだ焼夷弾と原爆投下の悲惨さと甚大な被害に改めて怒りを覚えずにはおられない。

日本中に焼夷弾が落とされる数年前にゲルニカを襲った空爆への憤りから生まれたピカソの<ゲルニカ>。

それまで政治的な思想を持たず政治的発言をしてこなかったピカソが<ゲルニカ>を作成したのは、母国スペインの内戦が無関心ではいられないほど混迷を深めていたところに、「ゲルニカ空爆」の一報が入ったからだ。
1937年4月29日付のパリの「ユマニテ」紙に掲載された英「ザ・タイムス」の記者の記事は衝撃的だった。
『スペイン内戦始まって以来、もっとも悲惨な爆撃
バスク地方最古の町、文化の伝統の中心ゲルニカは、昨日に午後、反乱軍の空爆により徹底的に破壊されつくされた。』
この見出しで始まる記事の内容は、日本中に落とされた焼夷弾の惨禍を思い出させる。
3時間15分の攻撃の間、五百キロ級を最大とする爆弾と、三千発を越すと思われるアルミ製一キロ弱の焼夷弾を市中に投下し、かたや戦闘機は市街中心部から低空に舞い降りて、周辺野原に避難した市民に機銃の弾を浴びせたという。
このゲルニカ攻撃について、ジョージ・L・スティア記者は記している。
『1936年に勃発したスペイン内戦は、クーデターを起こしたフランコ将軍率いる反乱軍が、スペイン共和国軍を劣勢に追い込みつつあった。ドイツとイタリアのファシスト政権の圧倒的な支援を取り付けた反乱軍は、一気に政権転覆を狙って、ついに無差別攻撃という、人類史上類を見ない暴挙に出た。その標的となったのがゲルニカであった。』

この暴挙に憤ったピカソが、それまでの政治的沈黙を破って描いたが<ゲルニカ>なのだ。
パリ万博のスペイン館の最大の見せ場として製作された縦約350センチ、横約750センチの<ゲルニカ>は、隣のパビリオンがドイツ、向かいにはイタリア館やソビエト館が並んでいるというという状況で展示されたため、その誕生直後から険しい道を歩むことは決定づけられていた。
このパビリオンでは、ナチスの将校に「この絵を描いたのは、貴様か」と詰問されたピカソが、鋭い視線で将校を見返し「この絵の作者は、あんたたちだ」と言い返す印象的な場面がある。これは後に<ゲルニカ>の帰属をめぐって争いが生じた時に、主人公が「<ゲルニカ>はあなたのものでも、私のものでもない。私達のものだ」と叫ぶ言葉に重なっていくように私には思えたし、作中の芸術の擁護者の「人類と戦争」という捉え方に重なっていくようにも感じられた。
そして、それこそが作者・原田マハ氏が本作に込めた想いなのだと考えている。

『あの絵は<ゲルニカ>とタイトルが付けられているけれど、ピカソはナチスのゲルニカ空爆・・・・・つまりスペイン内戦だけを批判しているわけじゃない。個人の欲望や国益やイデオロギーや、あるいは宗教的対立・・・さまざまな目的や理由から、人類は戦争を繰り返してきた。その愚かさこそを批判しているのではないかと。』
『ピカソはゴヤ(プリンシペ・ビオの丘での銃殺の反戦画)を超えて、もっと普遍的に、戦争の恐ろしさ、愚かさを<ゲルニカ>に込めたのだと思う。彼は、単なる負の記録としてあの一作を描いたわけではない。あの絵は、画家の―つまり僕たち人類の抵抗なのです。
戦争をやめない一方で、戦争に苦しみ続けるのもまた人類なのです。苦しみから逃れるためには、戦争をやめるほかはないのです。
無慈悲で無差別な殺戮は、ゲルニカのみならず、世界のどこででも起こりうることであり、明日にも来年にも、もっともっとずっと未来にも、起り得る悲劇です。
もうやめろ、とピカソは叫んでいる。
殺すな。戦争をするな。負の連鎖を断ち切れ。取り返しがつかなくなる前に―と。
あの絵は、反戦の旗印です。ピカソの挑戦であり、マニュフェストです。』

万博閉幕後、スペイン館で展示された作品の数々は海路スペインへ運ばれることになっていたが、戦乱の混乱のなか送り出された作品のほとんどは紛失してしまった。
だが、その積み荷の中に、<ゲルニカ>は入れられてなかった。

その後<ゲルニカ>はヨーロッパ各地を廻り、ピカソの大回顧展を企画していたMoMA(ニューヨーク近代美術館)へ貸与されるため、1939年アメリカへ渡る。
ピカソがその条件に提示したことは、ただ一つ。
『展覧会が終わったあとも、そのまま、あの作品をMoMAに留めて欲しい。
スペインが真の民主主義を取り戻すその日まで、決してスペインには還さないで欲しい。
それだけが、たった一つの条件だ―』

その日から42年後の1981年、民主化のもと初の総選挙をへて国会が機能し始めたスペインに、<ゲルニカ>は返還され、現在はレイナ・ソフィア芸術センターに収蔵されている。

この数奇な人生を歩む<ゲルニカ>の原寸大のタペストリーが、国連本部のロビーにかけられているそうだ。
国連安保理議場ロビーには、会議を終えた各国の関係者を、記者たちが囲み取材するポイントがあり、そのバックに<ゲルニカ>のタペストリーがかけられているという。
だが、2003年のある日「イラク空爆やむなし」と発言する国務長官の背後に<ゲルニカ>はなかった。
そこには、<ゲルニカ>ではなく、暗幕が下がっていた
・・・・・ここから全ての物語は始まるが、その帰結を書くのは難しい。
それは、出版からさほど時を経ていない本書がミステリーの要素を強く有しているというだけでなく、本の最後のページには『本作は史実に基づいたフィクションです』とあるからだ。
大戦前夜のゲルニカ創作過程の記述と、9・11からイラク戦争へ向かうアメリカの記述の、どこまでが史実でどこからがフィクションなのか、その境界が分からないほどに本作は現実感に溢れており、現代史にも美術史にも疎い私が感想を書くには難しすぎると感じるからだ。

ただ、今日現職の大統領としては初めて被爆地広島を訪問するという決断をしたオバマ大統領の行動力から更に一歩進めて考えるとき、ゲルニカと同じく焼夷弾に散った日本各地の多くの罪のない一般市民の命についても思いをめぐらせなければならないと思う。そして、それと同時に、戦争である限り日本も多くの命を奪った、その事実からも目を背けてはならないのだと思っている。
ゲルニカ市にある実物大のタペストリー

写真出展 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mural_del_Gernika.jpg

『あの絵は<ゲルニカ>とタイトルが付けられているけれど、ピカソはナチスのゲルニカ空爆・・・・・
 つまりスペイン内戦だけを批判しているわけじゃない。
 個人の欲望や国益やイデオロギーや、あるいは宗教的対立・・・・・
 さまざまな目的や理由から、人類は戦争を繰り返してきた。
 その愚かさこそを批判しているのではないかと。』
『ピカソは~r略~もっと普遍的に、戦争の恐ろしさ、愚かさを<ゲルニカ>に込めたのだと思う。
 彼は、単なる負の記録としてあの一作を描いたわけではない。
 あの絵は、画家の―つまり僕たち人類の抵抗なのです。
 戦争をやめない一方で、戦争に苦しみ続けるのもまた人類なのです。
 苦しみから逃れるためには、戦争をやめるほかはないのです。
 無慈悲で無差別な殺戮は、ゲルニカにもならず、世界のどこででも起こりうることであり、
 明日にも来年にも、もっともっとずっと未来にも、起り得る悲劇です。
 もうやめろ、とピカソは叫んでいる。
 殺すな。戦争をするな。負の連鎖を断ち切れ。取り返しがつかなくなる前に―と。
 あの絵は、反戦の旗印です。ピカソの挑戦であり、マニュフェストです。』

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時勢の流れなので野球の話

2016-05-26 00:13:15 | 
少し前のことになるが、本だか教材だかを読んでいる子が「違うんだな」とブツブツ言っているので、「何を読んでいるのか」と訊ねると、「バッテリー」(あさのあつこ)だという。低学年からリトルリーグで頑張っていて、今ではいっぱしの野球小僧のつもりでいるので、細かな描写が気になってしかたないらしい。
そんな会話をふと思い出したのは、図書館をぶらつくという至福の時間を過ごしている時に、目の前の書架に「晩夏のプレーボール」(あさのあつこ)見つけたからだ。

朝から晩まで一番・ショート(控えのピッチャー)に打ち込んだ時期があるだけに、私はやはり野球が好きだ。

高校では旧制中学からの応援歌をがなる応援団に所属していたが、ある時クラスメートのサッカー部員から「応援団は野球部の応援だけに熱を入れている」と苦情を受けたことがある。
国立にも花園にも縁がないのと同様に甲子園にも縁がないにもかかわらず、野球の応援だけは熱心だった学校の方針(理由)は分からなかったが、それは私の志向には合っていた。敵からものを奪う系の競技を苦手とする私にとって、野球は別格の競技だった。投手が渾身の力をこめたボールを相手懐に投げこみ、それを打者が渾身の力を込めて打ち返そうとする野球 - 自分の一番のものを相手にぶつけて勝負する心意気こそスポーツの王道だと、当時の私は思っていた。
私の持論を聞いていたサッカー部員は、「確かにそういう面はある。エラーも失投も一目瞭然の野球に比べれば、サッカーは傍目に失策が分かりにくいという面でも小物感はある。けど、相手からボールを奪っただけでは点にはならない。そのボールを皆でつなぎ、皆の思いを込めてゴールに打ち込むのだから、チームとしての一体感は他に勝るし、応援しがいもあると思う」と言っていた。
今ならその意味もよく分かり、ワールドカップになればSAMURAI BLUEを必死で応援するのだが、やはり私は野球が好きだ。

そんな野球を書いた「バッテリー」を私は読んでいなかった。
熱血スポーツ小説は、結局は実際の感動には追い付かないという思いがあったので、児童書の書架にあるそれをわざわざ借りようとは思わなかったのだが、野球小僧の言葉が気になり「晩夏のプレーボール」を読んでみた。

なるほど、現役野球小僧には分からないかもしれない。
「晩夏のプレーボール」は、甲子園を目指す球児やその家族や友人の視点で書かれた短編集なので、「バッテリー」とは設定が異なるが、作者の視点が現役球児のそれとは掛け離れているという点では同じではないかと思う。こう書いたからと云え、そこに書かれていることが間違いだと言うのではない。
ほとんどの選手は才能や体格による壁にぶち当たり自分の限界を悟る時がくるが、そこを乗り越え「やっぱり野球が好きだ、そんな野球に出会えて良かった」と思いながら自分なりの野球を完結させようとする。そんな球児を書いた本書には共感を覚えるし、そもそも性差や経済的事情や過疎地問題という野球技術以外の問題で甲子園を目指すことすらできない場合があることが丁寧に描かれているところも魅力的ではあるが、それは野球が大好きだった青春時代を懐かしむ大人の視点によるものなので、現役野球小僧には「違うんだな」ということになるのかもしれない。

例えば6章「街の風景」には、甲子園で活躍する球児の母が息子に、高校生活のほとんどを病院のベッドで過ごす難病の友人を見舞うように言う場面がある。「身体が弱いから余計にあんたが、頑張ってるのが嬉しくて、応援して・・・」という母に高校球児は食って掛かる。
『健斗が言うわけはない。 自分の身体が弱いから、甲子園を目指す幼馴染を応援する。 そんな安っぽいドラマのような生き方をしているわけがない。』 
『安っぽいドラマに巻き込まれるのも、不運のエースだとか、病弱な幼馴染の応援に応える球児だとか、そんなレッテルを無遠慮に貼り付けられるのもまっぴらだ・・・マウンドに立っていようが、ベッドの上で点滴を受けていようが、おれたちは、いつだって、身体の中に生々しい自尊と自負を飼っている。』 と。

『おれたちは、いつだって、身体の中に生々しい自尊と自負を飼っている』
その時の気持ちを言葉にすれば、このカッコいいセリフになるのだろうが、そんな気の利いた言葉は、現役球児の時には浮かばないのではないか。
大人には深イイ話の感覚が現役野球小僧のそれとは異なり、「なにか違うんだな」ということになるのだと思うのだが、野球好きな大人の私には「晩夏のプレーボール」は深イイ本だった。

ところで、過疎化で財政難のため廃校になる高校の最後の野球部員を書いた4章「このグランドで」には、「時勢の流れなので(廃校も止むを得まい)」という言葉が何度もでてくる。
過疎化と財政難と少子化の三点セットはこれから益々問題になってくるので、作中の高校球児の『時勢の流れとは何なのか。それは甘んじて受けねばならないものなのか。濁流のように人を押し流してしまう者なのか』という思いは考えさせられるが、「時勢の流れなので」私的に非常に関心をもった短編について書いておきたい。(参照「約束の星はあるけれど」
5章「空が見える」
将来甲子園に出場すると張り切っていた10歳の息子を突然の事故で喪った両親の、20年後を書いた作品。
息子の死を受け入れられず息子の誕生日には「甲子園を目指しているのだからグラブをプレゼントする」という母と、「諦めろ、俺達にはそれしかない」と叱りつける父。何年も苦しみ、ようやく野球も甲子園も遠い遠い世界になった頃、父は余命を宣告され病院のベッドで最後の日々を過ごしていた。
余命の時間を過ぎたある夏の日、父の夢に甲子園で活躍する息子が現れ、続いて母の前には実際に甲子園でプレーしている息子が現れる・・・・・患者用休憩室の自動販売機でジュースで買おうとした、その時に、テレビから息子と同姓同名の名前が聞えてくるのだが、画面に映る同姓同名の球児は、息子と同じ場所(唇の端)にホクロを並べていた・・・・・
最期の日を前に、甲子園で活躍する息子に出会えた両親・・・「時勢の流れなので」この話が私の心を強く捕まえた。

ワンコ いざという時には、その姿を現しておくれ


さて、「時勢の流れなので」そろそろ夏の大会へ向け、贔屓のチームの仕上がりが気になってくる。
母校は相変わらず甲子園とは遠いところで頑張っているが、今年はチビ子の頃から応援していた選手が最後の夏を迎えるので応援にも熱が入っている。
チビ子からの夢が叶いそうにないことを知りながら今日もグランドにたっているであろう彼は、「野球の面白さを教えるために、将来は中学校の先生になりたい」と言うが、本書には、一生野球に関わるためにスポーツ整形専門の医師を目指す選手の話もある。
別れた父との思い出が野球ということもあれば、自信をなくした息子を励ます会話の接ぎ穂が野球ということもある。
野球を通じて、親子・兄弟・友情それぞれの絆と葛藤、成長と挫折を描いた「晩夏のプレーボール」
本書の球児の言葉を借りて言ってみる。
『ああ、野球と人って似てるんだ。ふいに反転し、思わぬ面を見せる。よく似てる。おもしろくて魅せられる』

そんな野球を、皇太子御一家も大変好んでおられるようだ。
プロ野球のユニフォーム姿の皇太子様のお写真も有名だが、雅子妃殿下は学校を抜け出しプロ野球の練習(高田選手)を観に行かれるほどの野球好きが嵩じてソフトボール部を設立されたともいう。
そんな御両親をもたれた敬宮様は、学校の球技大会でソフトボールを選択し、大会前には友人を御所に招いて東宮職員相手に練習を積まれたそうだ。
皇太子様とはキャッチボールを、雅子妃殿下からはバッティングを指導され、臨んだ球技大会。
三試合勝ち進み、決勝で惜しくも負けて準優勝となったが、敬宮様はショートを守り(私的にここが非常に肝腎)ヒットを量産し、大活躍だったと伝えられている。

親子二代で楽しむ野球
ああ、野球と人って似てるんだ
反転攻勢!!!皇太子御一家

夏は近いぞ 頑張れ 野球小僧たち!

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永遠へと通じるaikoさま

2016-05-23 21:01:21 | 
「龍の背を乗りこなせる火の国の人」で、「永遠をさがしに」(原田マハ)についていずれ書く、と書きながらその機会を逸していたが、図書館で「神童」(原作・さそうあきら 監督・萩生田宏治 脚本・向井康介)を手に取り、そこに「永遠をさがしに」の主人公と同じ「和音」の名を見つけ、しかも音楽家を目指しているという設定も同じなので、両作品について書いておこうと思う。

「永遠をさがしに」本の帯より
響き合う幸せを、音楽を愛する人々と分かち合うために。ふたりは、チェロを弾き続けていたんだね。世界的な指揮者の父とふたりで暮らす、和音16歳。そこへ型破りの“新しい母”がやってきて―。母と娘の愛情、友情、初恋。そして家族の再生物語。

「永遠をさがしに」の作者・原田マハ氏はキュレーターとしての知識と経験を活かした作品が読み応えのある作家さんなので、新境地の作品という事にも関心はあったが、本書を手に取った理由はズバリこの表紙に惹かれたという理由が大きかった。  ここをクリック!

世界的な指揮者の父と名門楽団のチェリストを母にもつ「和音」という少女が成長する過程を描いた作品だが、幼い頃から厳しく激しい練習を強いられることに耐えきれず、和音は音楽家庭にありながら音楽から離れてしまう。海外を飛び回りタクトをふる父と、和音にチェロを仕込もうと躍起になる母と、そこから逃れようとする和音の家庭はバラバラになっていくが、それを繋いでいたカナリアの名前が「永遠(とわ)」だった。
永遠 とわ トワ  trois
それは母と和音の名から一文字ずつとったものであり、フランス語で3を意味することから三人家族を意味するものでもあり、音楽における「永遠」とは何かを問いかけるものでもあった。

鳴かないカナリアを大切にする和音に母は、『カナリアに生まれても、鳴かないカナリアもいる。鳴きたくても、鳴けないカナリアもいるのよ。お母さんは、もしかしたら、鳴けないカナリアみたいなものかな。だけどね、和音。あなたは鳴けるのに鳴かないカナリアなの。』と練習を続けるように説得するが、その説得も万策尽きた頃、母は家を出てしまう。
それから何年か経ち高校生になった和音は、母が家を出た理由を知り、母に聴いてもらうために再びチェロを手に取り、音楽のなかに自分の「永遠」を見出すようになる・・・・・という話で、これはこれでファンタジーな感じで良いのだが、やはりキュレーターとしての経験を活かして書かれた「楽園のカンヴァス」「異邦人(いりびと)」などの作品の面白味を知っている者からすると少し物足りない感じがしないでもない。

それでも、この「永遠をさがしに」に花丸をつける理由は最後に記すとして、同じく音楽家を目指す主人公に「和音」と名付けている作品「神童」についての感想は?というと、こちらも1999年度文化庁メディア芸術祭最優秀賞と手塚治虫文化賞を受賞した漫画を、映画のために萩生田監督自身がノベライズを手掛けたものなので、小説としてはやはり中途半端な感じがしないでもない。
だが、両作品のもう一つの共通点である「主要登場人物の耳が聞えなくなる」という点に着目すると、ベートーヴェンの「熱情」を作品の真ん中においた「神童」には、その点において一日の長があるかもしれない。

『「熱情」は、あの有名な交響曲第五番「運命」と同じ出発点にたつ。
当時ベートーヴェンは大規模な演奏形態を持つ交響曲を書く前に、その同じモチーフをピアノソナタで試していたから、「熱情」は「運命」の原型ともいえる。
「もはや、耳の聞こえない状態を隠そうとするな。作品のなかにおいてさえも!」
とベートーヴェンは宣言し、聴覚障害に苦しみ、一度は逃げ出しそうになった命を音楽に託す決意をし、覚悟を決めた時の曲だった。
彼にとっての「運命」とは、降りかかる「運の神」などではなく、むしろ、諦めることのない意志と執拗な戦いから獲得されるものだった。』

物語の最後、「熱情」を情熱の限りを尽くして弾きたいと願ってきた和音の音が、耳が聞えなくなった少女の耳に届く。
楽器の墓場・中古の楽器の倉庫でグランドピアノの鍵盤をたたく和音と、全身でそれを感じようとする少女。
『僅かに倉庫の中の空気が揺れた。
 その揺れはうたの肌を通しで、こころの真ん中に響く。~略~
 和音の音がうたに届いた―・父親の不在を嘆くうたはもうどこにもいない。
 父親は永遠にこころの中にいる。
 そう思えた。』

キュレーターが書く「永遠をさがしに」と映画監督がノベル化した「神童」
二冊で一つの印象を私に与えたのには理由がある。
二冊とも、傍から見れば人も羨む環境に生まれ育った人も羨む才能に恵まれた少女が、その環境と才能ゆえに苦しみながらもそれを乗り越えていく過程が描かれているのだが、それは私に高貴な少女を思い浮かべさせただけでなく、又それを思い出させる逸話が挿入されていたので、「永遠をさがしに」は私的に花丸の作品なのだ。

aikoとアイコ様
「永遠をさがしに」の和音は今時の高校生らしくiPodで音楽を聴くのが好きで、なかでもaikoを好んで聴くのだが、「aikoを聴いている」という和音に、「アイコさま?」と世界的指揮者である父は問う。
すると娘・和音は「なんで『様』づけ?」と問い返す。
こんな場面が、もう一度ある。
和音の父が、「娘は、自分のオケは聴かないくせに、アイコさまは聴いている」と愚痴る場面があるのだ。
aikoの音楽を父は「わけのわからん」と言いつつaikoと呼び捨てにできないところに、父の態度を通して作者の皇室へ敬意のようなものが感じられ、ますます原田マハ氏に好感をもちながら、こんな映像を探してきた。


和音の母は『和音の手は、うつくしい音を奏でる手。そういうかたちをしているのよ。指はすらっと長いでしょ。指と指のあいだは、ほらね、こんなにやわらかく開くし。力もある。速度もある。だからあきらめないで奏でてごらん。』と和音にチェロの練習をするよう語りかけるが、敬宮様も白魚のような指をしておられる。
芸術というものが永遠の時間に通じる力を持つとしたら、白魚のような指でチェロを奏でる時間は、敬宮様にとって永遠へと通じる大切なものだと拝察される。

永遠ともいえる皇室の時間のなかの今、敬宮様が誕生された意味を考えなければならないと思う。

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