何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

利用も狡猾もお互い様

2017-05-06 11:41:45 | 
「ワンコの導き 鈴蘭の教え」 「持ちつ持たれつ堕落と利用」より

坂口安吾氏は、終戦一年目に軍人や政治家のみならず国民の狡猾さに怒り、「堕落せよ」と叫んでいる。
ここで坂口安吾が云う「堕落せよ」は一般的なイメージのそれではなく、「既存の道を(疑い)逸れてみよ」という意味だと理解しているが、私の愚考を記す前に、坂口安吾の激しい論考を、長くはなるが引用しておきたい。

「続堕落論」(坂口安吾)より
最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑かれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。
 人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ。そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。
 日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。
 天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花はのぞむことができないのだ。人間の正しい光は永遠にとざされ、真の人間的幸福も、人間的苦悩も、すべて人間の真実なる姿は日本を訪れる時がないだろう。私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪しているのであって、我々はかかる封建遺性のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。我々は「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。
~引用終了~


坂口安吾氏は、軍人や政治家だけでなく、国民にも、国民にこそ「堕落せよ」と叫んでいると思われる。
それは、日々の生活にあっては、伝統や風習 あるいは武士道から生じる仕来りに深く考えることなく従い、一朝事あらば、無謬であるが故に利用されてしまうる天皇が非常の処理をして下さるという『御利益を謳歌している』国民の狡猾さに’’喝’’を入れるためであるが、当時も今も、’’利用’’というのは一方的ではないと自覚しておかなければならないと、私は思う。
いや、坂口安吾は、それを自覚したうえで、国民側の非のみ問質し「堕落せよ」と叫んでいるのかもしれない、それが終戦から一年という時代の空気だったのかもしれない。

だが、現在のように、右も左も、上も下も、それぞれに都合よく お言葉やご活動を’’利用’’したり疎んじたりする風潮が顕著になっているのを見ると、’’利用も狡猾もお互い様’’を肝に銘じておかなければ、何度でも同じ間違いを我々は犯すことになり、そのうち大元を失うことにもなりかねないと感じている。

ワンコなら、「ここでやめておけ」と言うのだろうな ワンコ
昨年夏からの私の怒りと失望をワンコは知っているからこそ、一線を超えないように、クールダウンする機会を与えてくれたんだろうな ワンコ
ワンコの心配は分かっているのだけれど、憲法に反しかねない内容のリークの行き着いた先が、珍妙な呼称の創設と人員・費用の増大であったことを見て、心の奥底から失望しているのだよ

昨年夏からの経緯を見てさえ、8割を超える国民が女性天皇を戴くことに賛成しているというのに、それを無視し、珍妙な呼称を創設してまで女子の存在を軽んじる姿勢に強い憤りも感じているが、それよりも、憲法に反しかねない あの問題提起が望んでいたのが、この結果だということに怒りを通り越し深い深い失望を感じているんだよ

そして、この顛末を具に観察したとき見えてきたのは、皇太子様にまでに向けられ続けたバッシングの理由だ。
おそらく、それは、東宮に皇位継承権のあるお子様(男児)がおられない、という事だけではなかった。
それについては又つづく、かもしれない

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